マサよ、君は空港閉鎖のため、空港のラウンジで2時間以上も待ちぼうけを食わされたことがあるか?
私は・・・・・・ある!!
ということで21世紀初の本場アメリカからのFTBレポートを首都ワシントン、および燃える闘魂サン・アントニオからお届けすることが出来、非常に嬉しく思っている今日この頃です。
3月4日(日)雨上がりの成田空港に便出発時刻の2時間前きっかりに到着し、順調にチェックイン、両替、出国検査等の雑務をこなし、UAのラウンジであるレッドカーペットクラブでインターネットの接続トラブルを解決するために格闘していた私に非常なアナウンスが鳴り響いた。それは折からの雷雨により、成田空港が1時閉鎖され、成田着陸便がすべて羽田に変更になったため、機体を羽田から成田に移動しなければならない。したがってどの便もこの便も2時間から3時間出発が遅れやがるという容赦のない仕打ちであった。しかしながら、この貴重な2時間の遅れが、AOL Netへの接続成功という好結果をもたらし、なんとか文明開化した状態でUA882便,B747-400機に搭乗することが出来た。
シカゴオヘア空港の税関はおびただしい数の旅客でごった返していた。ここオヘア空港ではマサのような怪しい輩が税関を通過しようとすると容赦なく別のオヘヤに隔離されてアル・カポネやロバート・デニーロのようなこわもての係員に厳しく尋問されることで有名であるが、アメリカ各地の訪問歴が豊富でケヴィン・コスナー同様アンタッチャブルの称号を得ている私は顔パスで通過することが出来た。シカゴを6時半ごろ発ち、ワシントンダレス空港に到着したのは夜10時を過ぎた時間だったのでその日はとっとと空港の近くのホテルに引き払ってふて寝を決め込んだ。
翌3月5日(月)、目がさめて窓の外を見るとあたり一面銀世界で猛吹雪が吹き荒れていた。7ヶ月ぶり3回目のワシントン訪問の実績を持つ私にとってはマサに最高のコンディションとなり、先日の北の国ツアーで会得した寒さ対策が早くも功を奏した形となった。
ところで今回のワシントン訪問目的であるが、本来であればワシントンの象徴キャピタルこと国会議事堂に乱入し、ブッシュ大統領をプッシュして日本にはびこる官僚制度を撤廃させるための外圧をかけさせることであったろうが、今回は残念ながら重要な会社の仕事を遂行するために特別に派遣されたため、官僚など相手にしている暇はなかった。
その日の午前中は会社のオフィスをはしごして仕事をこなした後、夕方に某社団法人のお客さん並びに5月に実施される某視察ツアーのマネージメントをしている旅行代理店の人と会う約束をしていたので6時に宿泊先のヒルトンホテルで落ち合って寿司太郎というワシントンを代表する寿司屋に向かった。北島三郎に言わせるとちらしずしならすし太郎ということになるのであるが、やはり、アメリカの寿司屋では限界があり、味の方もすし太郎プラス永谷園のお吸い物をしのぐことは出来ない様子であった。
3月6日(火)は在ワシントン日本大使館の訪問や日本商工会議所の会長に挨拶をしに行ったりして多忙な時間を過ごすかたわら、一行は隙を見てジョージタウンを見学した。アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンの名を冠したこの町は世界中のジョージの憧れの的であり、山本譲二、所ジョージ、柳ジョージとレイニーウッド、マイケル・ダグラス(危険な情事!)等がこぞって訪れたがるほど有名な地域である。ここでは1792年に設立された伝統あるジョージ・タウン大学を訪問した。この大学はアメリカでも有数の由緒あるクリスチャンの大学である。都心部に位置しているため、キャンパスは狭いものの石とレンガで建造された校舎や教会等があり、また南北戦争で使用された大砲などが正門の前で鈍い光を放ちながらさる然と輝いていた。
3月7日(水)はワシントンのダウンタウンとダレス空港近辺のシマンテックのRestonオフィスを往復しながら複数のミーティングをこなさなければならなかった。ところで、アメリカの都市作りの特長は政治と経済がきれいに切り離されていることであり、もちろん政治の中心はここワシントンDCである。しかし、近年IT産業が東海岸を中心に成長していることもあり、Restonのようなワシントン近郊もハイク都市として生まれ変わろうとしている様子がはっきりと見て取れた。
3月8日(木)に帰国予定の客をホテルで見送ったあと、再びヴァージニア州にあるRestonオフィスに行った。打ち合わせ終了後DCを超えてメリーランド州Rockvilleのオフィスに行く用事があり、その間の時間を利用してダウンタウンの視察を行った。ダウンタウンを車で流しているとホワイトハウスの見学待ちの列が短いことを発見したのですかさず車を止めて列に加わることにした。ホワイトハウスのツアーは観光シーズンには入場規制があり、整理券を入手するために朝5時から並ばなければならないほど価値の高いツアーであるが、今週は寒気団の影響からか観光客が非常に少なかったため、10分程度の待ち時間で中に入ることが出来、FTBの2年越しの念願を成就することが出来た。今後マサが奇跡的な出世を遂げ、ホワイトハウスに招待されたときに緊張のあまりトイレが近くなった時のことを考えてホワイトハウス内部のレイアウトを頭にたたきこんでおこうと思っていたが、ツアーのコースでは建物の一部しか案内してもらえなかった。また、建物の内部に土産物屋があり、3月14日も近いということでホワイトハウスのアーキテクチャを型どったホワイトチョコレートを大量に買い付け、「白い変人」というパッケージでグリコや森永に高値で売りつけ、怪人21面相事件で被ったダメージの回復に少しでも寄与出来ないかと考えたが、きつね目の男の陰謀のせいか、まだ商品化にはいたっていないということであった。しかしながら、見学コースのいたるところで歴代大統領の肖像画を見ることが出来、また白を基調とした内装のすばらしさを十分堪能することが出来たのでそれなりのツアー的価値はあったのではないかと思われた。
その後DCのランドマークタワーであるワシントンモニュメントのふもとからナショナルモールと呼ばれている広場に移動した。ここは東京ドームが数個入るほど広い広場で左右をワシントンモニュメントと国会議事堂、前後をスミソニアン博物館群に囲まれた市民と観光客の憩いの場であり、たくさんの餓鬼どもが歓声をあげて走り回っている様子が目に出来るところである。
その日の夕方から夜にかけてワシントンからシカゴを経由してサン・アントニオに大移動しなければならなかった。5時37分発のシカゴ行きの飛行機は乗客の搭乗も順調に終了し、定刻通りに出発するかに見えたが、何と直前になっていきなり1時間半ほど遅らせるという衝撃的なアナウンスが機内をかけめぐった。その結果シカゴでの乗り継ぎ時間が無くなり、出発直前の飛行機のドアを無理やり開けさせて何とかサン・アントニオ行きの便に搭乗することが出来たのであった。
離陸して約2時間後に機内オーディオから流れる音楽がボンバイエのリズムを刻み始めた頃。燃える闘魂の地に入ったことを実感させられた。夜中の11時前に空港のBaggage Claimのところで荷物が出てくるのを待ち構えていたが、案の定、私の荷物は出てこなかったので「これはいったいどういうことなのか?」と係員のおね~ちゃんに問い合わせたところシカゴ空港からの連絡で荷物の到着は明日の昼過ぎになるとの冷たい返事であった。一瞬ロープに飛ばしてコブラツイストから卍がための連続技に持ち込んでやろうかと思ったが、残念ながらそこまでの体力は残されていなかった。
空港近くのヒルトンホテルにチェックイン出来たのは12時を回った時間であった。荷物が無く着替えもなかったのでホテルに備え付けの「闘魂」という刺繍をあしらった風呂上りに着るガウン等がないか探しまわったが無常にも発見することは出来なかった。
3月9日(金)、サン・アントニオオフィスでのミーティングの前に多少時間的余裕があったのでテキサスを代表する遺跡であるThe Alamoを見物した。今回は2年4ヶ月ぶり3回目のサン・アントニオの訪問であったものの今までキリスト教の伝道所であるミッションへの訪問を果たしていなかったため、この機会を利用して何とか見に行ってやろうと考えていた。サン・アントニオ デ ヴァレロ、アラモは元来伝道者やインディアンからの改宗者のよりどころとして君臨していたが、1835年にはテキサス革命の重要な拠点となり、翌1836年には多くの兵士達が犠牲となった血塗られた歴史的過去を持つ聖地である。この日のThe AlamoはCultural visitをしていると見受けられるたくさんの小中学生たちで大変な賑わいをみせていた。彼らは引率の先生のオリエンテーションの後、思い思いの場所で嬌声を発し、メモを取ったりしながらテキサスの歴史を学習していた。この機会を利用して日本のプロレスエンターテイメントが誇る勝利の雄叫び「いち、に、さん、ダー!!」を教えてやろうかとも思ったが、もったいないのでやめておいた。
午後の打ち合わせが終わり、夕方には多少時間が取れたのでSan Antonio Mission Visitor CenterとMission San Joseに何とか滑り込むことが出来た。歴史的なMissionの建築様式を色濃く残しているMission San Joseはまだ現役の教会として使用されているらしく改装された内部には張り付けにされたイエス・キリストの像が奉られている懺悔室と化していた。但し、懺悔の後の判定で×が出された時に水をかけられるかどうかはまでは確認出来なかった。
3月10日(土)
3たびシカゴオヘア空港を経由して帰国し、流れ解散・・・
トピックス
*ワシントンDC都市づくりの特長
DCの象徴キャピタルの住居表示には番地がない。なぜならDCはキャピタルを中心に街づくりがされているからだ。また、景観規制によりキャピタルより高いビルを建てることを禁止されているため、町は広々としており、ゆったりとした気分で観光が楽しめるのである。
*ハブ空港
ハブと言えば噛まれたら2時間以内に死ぬような猛毒を持つ沖縄ヘビを想像するかも知れないが、ここアメリカでは自転車のタイヤのホイールを構成するハブ&スポークに例えられ、どの航空会社もハブ空港を中心として地方都市に飛行機を飛ばしている。UAのハブ空港はデンバー、シカゴであり、アメリカンはダラス・フォートワース、デルタはソルトレイクシティと言った具合である。この構成の特長は地方都市から地方都市に飛ぶ場合、例え遠回りであっても一旦ハブ空港を経由して乗り継ぎをこなさなければならないということであり、おかげで今回の出張で来たくも無いシカゴに3回も寄らされた屈辱を味わった。
今後のFTB予定
*第3回MLBツアーin シンシナチ&アトランタ
*イエローストーン国立公園バッファロー捕獲ツアーfor梨田監督(大阪近鉄)