ボンジュール マサよ!
というわけで、1998年の夏にFTBを立ち上げてから早くも4周年を向えてしまったわけであるが、その間の特別企画として「なるほど・ザ・FTB秋の祭典」「FTB不思議発見」「特命リサーチ200FTB」等数々のツアーを手がけてきた。今回はFTBEU主催の新企画として「世界まるごとHOW FTB」を北の国からお送りすることになり、倉本聡、田中邦衛もマサに真っ青の企画となることが予想される。
9月15日(日)
同時多発テロ一周年の余波はこんなところにも及んでいたのか!?
成田空港第二ターミナルは想像を絶するほどの出国客でごった返していた。何と出国のゲート入り口から続いている人の列はおよそ1kmにも達し、どの顔も各自が乗るはずの便に時間内に無事搭乗出来るのか不安の色を浮かべていた。ベテランの私は余裕を持って空港に到着していたので、何とか時間内に2002年版ポケモン模様をあしらったボーイング747‐400テクノジャンボ、ANA205便パリ行きに搭乗することが出来た。アップグレード券が余っていたので、マサであれば¥5~60万くらいかかるところをわずか¥17万程度の支払いでビジネスクラスのシートにふんぞり返って余裕をこいているといつものようにパーサーが挨拶に訪れたので適当に相手をしておいた。
約12時間のフライトで飛行機はシャルル・ド・ゴール空港に到着した。空港では宇宙ステーションを彷彿とさせるようなチューブ式、段なしエスカレーターが縦横無人にはりめぐらされていた。乳酸のたまったふくらはぎを伸ばしながら登りのエスカレーターに乗り、バッゲージクレームで荷物を受取ると空港バス(EURO 8)に乗り、パリの市内を目指した。あらかじめFTBの子会社に成り下がっているJCBトラベルにオペラ座の近くのホテルを予約させておいたのでとりあえずオペラ座に向かうことにした。バスはオペラ座のサイドに到着し、下車すると早速オペラ座の正面に回りこんで見ることにした。そこには一目見ただけでよその国から来た人々であることがわかるオペラ座の外人が数多くたむろして時間つぶしをしていた。
夕方6時ごろTIMHOTELという☆☆ホテルにチェックインすると早速パリの繁華街に繰り出すことにした。渡辺真知子よろしく3~40分くらい♪迷い道くねくね♪歩いていると、とうとう凱旋門にたどり着くことが出来た。この凱旋門から東の方に伸びているのはご存知シャンゼリゼ通りである。ここに来るまでは所詮銀座の通りと変わらないレベルの認識であったのだが、なんとここの歩道はリクルートに成功し、3倍に増殖したGメン75のメンバーが横一列にならんでオープニングで歩いて来てもなお有り余るほどの歩道の広さを誇っていたのだ!
9月16日(月)
東京に来た観光客は必ず東京タワーに登る現象をおのぼりさんと言うらしいが、パリに来てエッフェル塔に登らないとパリに来た意味が無いと言われているので早速朝一からエッフェル塔に向かった。高さ320mのエッフェル塔で観光客がアクセス出来るのは3rd floorと言われる3階の部分が最高点であるのでEURO 9.9をはたいてエレベターで最高部へ登った。高さ300mあまりから見るパリ市内の眺望はすばらしく特に天気がよかったせいもあって、ブローニュの森や蛇行するセーヌ川のはるかかなたまで見下ろすことが出来た。
ところでこのエッフェル塔は1889年に当時のテクノロジーの粋を集めて建立され、東京タワーを作った竹中工務店もその技術をお手本にしたと言われている。また、英語ではアイフルタワーと呼ぶらしいが「どうする?アイフル!」というような金銭的に逼迫した状態になっても決して高利貸しはしてくれないのではじめてのお客さんは注意しなければならない。
エッフェル塔でパリ中の景色を堪能したあと、セーヌ川沿いを東に歩き、シテ島にそびえ立つノートルダム大聖堂を訪問した。この建物は中世建築の代表作であり、800年もの長きに渡ってパリの歴史を見つづけてきた重量感があり、パリ観光では決して見逃すことの出来ない観光スポットとなっている。
国家公務員一種試験を優秀な成績でパスした物知りのマサであれば当然知っていると思うが、パリは芸術の都と呼ばれ、多くの美術館が林立している。そのなかでの最高峰と言えば世界を代表するルーブル美術館であり、将来私もルーブルのキューレーターの座を狙っているのでとりあえず下見をしておくことにした。ルーブル美術館の建物は巨大な「コ」の字型をした形状をしており、「コ」の字の中央にピラミッド状の建物があり、そこが入り口となっている。荷物のX線検査を受け、入場料(EURO 7.5)を支払うと早速見学を開始したのだが、巨大過ぎてどこから手をつけてよいのかわからなくなってしまっていた。館内には世界史の教科書でしか見たことがないような絵画や彫刻の実物がところ狭しと展示されており、中には海外出張中の作品もあった。
ルーブルの所蔵品の目玉は絵画部ではレオナルド・ダ・ヴィンチ作の「モナリザ」であり、他の絵画とは異なる状態で展示されており、エアコン付きの展示ボックスの中で謎の微笑を浮かべていた。古代オリエント美術部では「ハムラビ法典」が目を引いた。あの有名な「目には目を・・・」というやつである。また、彫刻部では「ミロのビーナス」がたくさんの観客を集めており、とりあえずこの広い美術館の中で何を見てよいかわからないやつはまずは「ミロのビーナスを見ろ!」と言わんとしているような雰囲気を醸し出していた。
結局ルーブルには5時間ほど滞在し、足が棒になるほど歩き回ってしまった。いずれにしてもここに展示されている作品はビートたけしや石坂浩次であってもホールインワン賞を取れないほど、値段の付け方がむずかしいものばかりであり、司会の大橋巨泉の思う壺だと思われた。
9月17日(火)
パリには地下鉄の他にRERというパリの近郊都市までを結ぶ鉄道が走っている。マサがひいきにしている宝塚歌劇団でおなじみのベルサイユ宮殿にはRERに乗って30分かけて近郊のベルサイユまで行かなければならない。ベルサイユ駅で下車して600m程歩くと想像を絶するほどの量の石畳が敷かれたベルサイユ宮殿の正面ゲートに到着する。宮殿への入り口は個人客と団体客やツアー客に分かれているのだが、とりあえず入場料(EURO 7.0)を払って中を見ることにした。宮殿内部は17世紀~18世紀にかけてのフランス王朝の栄華の痕跡を示す絵画やシャンデリア、フランスベッド等のファシリティが当時の状況そのままの形で残されていた。尚、この宮殿に飾られている肖像画の主は浪費のしすぎでフランス革命時にギロチンにされたマリー・アントワネットやルイ14、15、16世であるが、B級アイドルとしてデビューした頃の太川陽介であれば思わず「ルイ・ルイ」と歌って新人賞にノミネートされていたことであろう。
宮殿を出るとオプションでEURO 3.0を支払うと庭園の見物が出来るようになっているのでついでに庭園の散歩と洒落こむことにした。庭園は広大な敷地面積を誇っており、徒歩、馬車またはトラムで回ることが出来る。中には色とりどりの花が咲き乱れる花壇や立ち入り禁止の芝生、ボートに乗れる人工池等が見事な調和で配置されているのだ。
ベルサイユ宮殿からRERで再びパリ市内に戻り凱旋門の頂上に登ることにした(EURO 7.0)。果てしなく続く螺旋状の階段を登ると頂上近くのミュージアムに到達する。ここには土産物屋や凱旋門の歴史として今までどんなやつらが凱旋行進を行なったのか等の変遷を垣間見ることが出来る。凱旋門の頂上からは凱旋門を中心として放射状に伸びている12本の道路を見渡すことが出来る。各道路から流れ込んでくる車の列は弱肉強食の様相を呈しており、強い者のみが行きたい場所に行くことが出来、弱者は永遠に凱旋門の周囲をグルグルと回っていなければならないのだ。
日も暮れてきたので、エッフェル塔を見渡すベストスポットに夜景を見に行くことにした。夕焼け時から徐々にあたりは暗くなり始め、エッフェル塔にイルミネーションが灯りはじめた様子は息を呑むほど美しく、これぞマサにパリ観光のハイライトと言える代物であった。
9月18日(水)
休日にディズニーランドに行くのはミーハ-であり、わくわく動物ランドを立ち上げたのはムツゴロウさんであるが、同じランドに行くのなら究極のランドを目指さなければ意味が無いと思っていたのでヨーロッパ最西端に位置する孤島アイスランドに向かうことにした。
シャルル・ド・ゴール空港からアイスランド航空レイキャビック行きの便に搭乗すると3時間半かけてはるばるアイスランドのケフラビーク国際空港までやって来た。空港からバスに乗り1時間ほどで本日の宿泊地であるレイキャビック市内にあるアイスランドエアーホテルズが誇る☆☆☆☆ホテルであるホテルロフトレイデルに到着した。今日は着いた時間が遅かったのでとりあえず軽くレイキャビック市内の観光をすることにした。同じ港町で緯度が近いこともあるせいか町の雰囲気は何となくアラスカのアンカレッジに似ている感じがした。
ホテルロフトレイデルに戻り、レストランで夕飯を食うことにした。メニューはビュッフェ形式のバイキングと通常のレストランのメニューがあり、とりあえず魚系のCatch of the dayという食い物を発注したのだが、無難にもシャケをソテーした奴が出てきた。しかし本当に今日獲れたのかどうかは不明のままだった。ところで私のテーブルの対面は偶然にもバイキングのローストビーフのコーナーだった。1人の小太りのアメリカ人タイプのおっさんがローストビーフを食おうと思ってコーナーにやって来たのだが、不幸にもローストビーフを包丁で切り分けてサーブしているシェフが不在だった。当然シェフが戻ってくるのを待つものと思っていたのだが、何とそのおっさんは自分のテーブルからたまたま持参していたナイフでいきなりローストビーフを切りやがった!あわれなローストビーフの切り口にはシェフの美学に反するような不自然なギザギザが取り残されていたのであった。
9月19日(木)
昨日アイスランドに着陸したばかりのような気がするが、今日はさらに過酷と言われるランドであるグリーンランドツアーに参加することになっていたのだ。グリーンランドと言うと全面氷で覆われて人の住む余地は無いと思われがちであるが、何とグリーンランド東部のクルスクという村はレイキャビックからわずか735kmしか離れてなく、アイスランド航空がツアーを敢行しているのだ。
ホテルロフトレイデルに隣接するレイキャビック国内空港にはやぶ蚊のような形状のモスキート級のプロペラ機がたくさん離着陸していた。アイスランド航空が誇るFosker50という50人乗りのプロペラ機に乗ると1時間40分程でクルスク村の上空に差し掛かった。あたりは数多くの小島から成っており、海には青く不気味に光る氷山が無数に浮かんでいた。強い横風にあおられ、思わず座席ポケットのエチケット袋に手が伸びそうになったものの何とか持ちこたえ、Fosker50は無事クルスク空港に着陸した。空港の滑走路は平らにならされているもののアスファルトで舗装されてなく、砂利道剥き出しの状態であり、富良野よりも厳しい北国の環境をまざまざと見せ付けられたような気がした。
空港の周辺は氷河を抱く山と氷山をたたえた海に囲まれており、今日の宿泊予定地であるホテルクルスクは空港の近くに位置していると聞いていたのでとりあえず歩けそうな一本道を寒風吹きすさぶ中歩いてみることにした。幸か不幸かこのような僻地では建物の数が限られているので比較的簡単にホテルを発見することに成功し、首尾よくチェックインを済まし昼飯までご馳走になることが出来た。その後、部屋に戻り、「何というとんでもない場所に来てしまったのだ!」という後悔の念と動揺を鎮めた後、気を取り直して周囲の散策に向かうことにした。
ホテルを出て空港から来た道をさらに1kmくらい下ると十字架がたくさん刺さっている墓地やカラフルな屋根が眩しい集落に到着した。民家に近づくにつれてたくさんの甲高い、かすれた獣のような声が大きくなり、これは寒さに強く、そりを引くための小道具として使われる地元のハスキー系の犬だと思い知らされた。また、集落に住んでいる人の容貌を観察するとどの人も日本人と同じモンゴロイド系の顔をしており、ここが夢にまで見た日本人の祖先であるイヌイット系のエスキモーの村であると実感させらてしまった。
彼らは漁業と狩猟で生計を成り立てているようで各家の軒先にはたくさんの干魚がぶら下がっていた。また、彼らはマウンテンバイクと3輪バギーとスノーモービルをたくみに乗りこなし、アザラシ成金と思われるほど金を持っていそうなやつは巨大なタイヤのランドクルーザーまで持っていやがったのだが、声高らかなハスキー犬達はラジアルタイヤは履いていなかった。
ホテルクルスクでは一応イギリスBBC等の衛星テレビは受信出来、観光客は多少なりとも退屈しのぎは出来るのであるが、今日は何故か心に寒風が吹きすさんだため夜9時ごろにはとっとと寝ることにした。
9月20日(金)
朝起きて窓の外を見るとたくさんの流氷がホテル近辺の岸辺に着岸していたので早速見物に向かった。このあたりは朝の時間帯は干潮になるらしく、巨大な氷の塊は陸地の奥深くまでたどり着いていた。氷の破片をひとしきりかじってみると塩分は少ないがミネラル分を多く含んでいるため、水割用にするには最適な材料であると思われた。
ホテルクルクスをチェックアウトして帰りの飛行機に乗るまでしばらく時間があったため、再びクルクス村の散策に向かった。クルクス村には唯一の食料品兼雑貨店が開業しており、今日は週末ということもあってか多くの日帰りの旅行者や地元のエスキモーの子供達がたむろしていた。
クルスク空港のバラック風の空港ビルの待合室にはおかしら付きの白熊の毛皮が誇らしげにかざってあり、この熊は1999年に空港ビルの近くに突如出現し、なかなか撤収しなかった2頭のうちの1頭であるとの能書きまで書いてあったので、決して口から冷気を発するようなパムでパムエアコンと混同する奴はいないと思われた。また、帰りの飛行機では大阪弁を巧みに操る日本人家族まで搭乗して来やがったので巨大な賽の河原のような物悲しい雰囲気が一変して道頓堀状態になってしまっていた。
9月21日(土)
昨晩レイキャビックに戻り、ホテルロフトレイデルで夜を明かした後、今日は朝からホテルの近くのハーツレンタカーの事務所に車を借りに行った。レンタル出来た車は燃費の良いカローラであったのだが、何と足元にはクラッチ、右手サイドには5速シフトレバー付きの左ハンドルマニュアル車だったのだ。尚、アイスランドを走っている車はほとんどマニュアル車のようであった。
わずか1分程度でマニュアル車操作の感覚を取り戻した後、早速人口11万の大都会レイキャビックを抜け出して大自然の脅威が広がるアイスランドの内地に踏み込むことにした。レイキャビックを抜けるとあたりは溶岩に苔が蒸した広大な台地や愛想の悪い羊や牛や馬を放し飼いにしている牧草地が永遠と目の前に広がっていた。
レイキャビックの北東120kmほどのところにゲイシールというアイスランドを代表する観光スポットがある。ゲイシールとは間欠泉の英語であるガイザーの語源になった言葉である。ここゲイシールで見ることの出来る間欠泉はアメリカのイエローストーンのものよりかなり小規模であるものの、やはり元祖であるということでおびただしい数の観光客を引き寄せていた。尚、ゲイシール自体の活動は現在停止しており、今は2代目間欠泉のストロックルが5分~10分間隔で30mの熱湯を吹き上げているのだ。
ゲイシールからさらに北東に10kmほど走るとグトルフォスの滝に到着した。別名「黄金の滝」と呼ばれるこの滝は氷河から流れてくるアイスランド最大の滝であり、幅70m、1段が15~30mの高さで階段状の幾重の溶岩層を白い水煙を上げ、郷ひろみの歌のようにごうごうと轟音をとどろかせながら流れ落ちている様を見物することが出来る。
アイスランドには独特の温泉、温水プール文化が発達しているのだが、その頂点に君臨するのがブルーラグーンという広大な温泉リゾートだ。今日の宿泊先はブルーラグーンホテル(http://www.randburg.com/is/hbl_jp.html)を予約していたのでとりあえずチェックインを済ませた後、早速ブルーラグーンの調査に向かった。異様なほどのイオウの臭いとシューシューと蒸気を巻き上げる巨大な地熱発電所地帯のはずれに位置するブルーラグーン(ISK980)は発電で使用した排水温泉をプールに流し込んで作成した人口露天温泉である。アイスランドの温泉は水着着用が原則なので持参していた海パンを穿くと更衣室を抜け出し、外気10℃のテラスを経由して青白く輝く液体の中に突入した。ブルーラグーンの規模は野球場がすっぽり入ってしまうほど巨大であるため、場所によっては水温に差があるところが発生しているものの概ね35℃~39℃くらいに保たれているようだった。(http://iceland.jp/home1/bluelagoon.htm)
温泉の色が薄青白く広大な温泉内を徒歩で進むとき底が見えないのでたまに転がっているシャープエッジを持った溶岩のかけらで足を怪我しないように注意しなければならないのだが、かといってイアン・ソープやパンパシ水泳の選手のように豪快に水しぶきを上げて泳ぎ去ることも出来ないのであるが、温泉の中でカクテルなどを発注して飲むことは可能なのである。
温泉の浅瀬の方には硫黄系の泥が堆積しており、人々はしきりにその泥を顔やボディに塗りまくって健康を維持していた。結局1時間以上ブルーラグーンに入りっぱなしであったのだが、日本の露天風呂のように湯あたりしてのぼせたり、指先がふやけて指紋が消えるようなことはなかったのがこの温泉の魔力と言えるのではないかと思われた。
9月22日(日)
マサよ、君は地球の割れ目といわれているギャオをこの目で見たことがあるか?
私は・・・・・見た!!!
というわけで、埼玉県立浦和高校(名門!)にて優秀な成績で地学と地理Bを履修した実績のあるマサであれば当然知っていると思うが、我々がボケ~と暮らしているこの地球はユーラシアプレートと北アメリカプレートの2つの岩盤から成立っている。ギャオというのはこの2つのプレート間の割れ目が地上に現出している地球上でもっともホットなスポットで川口浩探検隊と水曜スペシャルクルーも当然のようにその探検を行なった実績があるのだ。http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/3522/kawaguchi.html#1983 (1980年11月19、26日放送分)歌を作ってまでその業績を称えていた嘉門達夫と同様に川口浩の探検家スピリッツを尊敬している私はギャオの放送当時からこの地を必ず訪れなければならないと思っていたのだが、今日とうとうその夢を実現することが出来たのだ!
レイキャビックの北東50km地点に広がるシンクヴェトリル国立公園の周辺は氷河におおわれた美しい連山や深く切り込んだ溶岩床の雄大な大パノラマ、そしてアイスランド最大の湖シンクヴェトリル湖の景観など、風光明媚な景勝地として有名なところである。また、ここではこの地に入植したヴァイキングが930年に世界最初の民主議会を開いた場所としても有名である。アイスランドを貫くギャオはこの地に顕著にあらわれており、多くの観光客はここを訪問し、地球の神秘と川口探検隊に敬意を払うことになるのである。
アイスランドくんだりまで来てここに来なければアイスランドに来たことにはならないと言われているので2日連チャンでブルーラグーンに入ってしまった。ところで北緯60度を越える北国であるアイスランドでは秋から春にかけて美しいオーロラを見ることが出来るのだが、実はここブルーラグーンはアイスランドでも屈指のオーロラハントスポットに認定されているのだ。ところが、何と私の滞在中は不幸にも曇りと小雨続きで空には晴れ間がなく、結局オーロラを見ることが出来なかったのだ。これもひとえにペイオフをなかなか解禁しない財務省の祟りであると言えるのではないか?
9月23日(月)
レイキャビック~パリ経由で成田に帰国、そのまま流れ解散。川口探検隊の足跡より大事なオーロラを見ることが出来なかったのでリベンジに行かなければならないと思いつつ帰路につく。
氷の国アイスランド情報
*シーフード料理屋で鯨の刺身を食った(ISK1,490)
*アイスランドの通貨の単位はアイスランドクローナ( ISK 1 = \1.39)であり、硬貨にはさまざまな魚のデザインが施されているため、ここが世界有数のおさかな天国であることを容易に実感することが出来よう。
*アイスランドは平和な国で地理的にもワシントンとモスクワの中間に位置しているため、冷戦終結のためのレーガン・ゴルバチョフ レイキャビック会談が行なわれたこともある実力国である。
*ブルーラグーンでは温泉成分を抽出したヘルスケア製品を高値で売りさばいて暴利を貪っている。
*地球の生命を実感出来るアイスランドでは9割以上の家庭に温泉が引かれているのだ!
FTBサマリー
総飛行機代 ANA \170,600
アイスランド航空 \63,020
総グリーンランドツアー代 \74,830
総ホテル代 EURO 330
ISK 42,400
総レンタカー代 ISK 15,301
総ガソリン代 ISK 3,510
次回はFTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 与那国島をお送りする予定です。