特命リサーチ200FTB第2弾

9月2日(土)

マサよ、君は国際線仕様のポケモンジェットに乗ったことがあるか?

私は・・・ある!!

というわけでポケモンキャラクターを前面にあしらったB747-400テクノジャンボに乗り込んだ私はサンフランシスコを経由して一路デンバーに向かった。今回はANAマイレージクラブプラチナ会員兼スターアライアンスゴールドメンバーの私に対するチーフパーサーの挨拶の出足が悪かったもののとりあえず「JALに負けないよう, しっかりサービスするように。また、今後マサというものが格安チケットで搭乗してきても普通運賃の乗客と変わらぬサービスをするように・・・!」としっかり釘を刺しておいた。

サンフランからデンバー乗り継ぎで2時間くらい時間があったのでスターアライアンスのラウンジでテニスのUSオープンを見た。サンプラスが格下の相手をコテンパンにやっつけていたが、サンプラスより上の3++(3プラプラ)、または4-(4マイナス)の格付を得ている私の目から見るとまだまだストロークの切れが悪いように思えた。

午後4時過ぎに世界最大級、最新鋭と言われているデンバー国際空港に到着した。平均アメリカ人の何倍も車を乗り回されたAvisの陰謀でHertzの#1Club Goldのメンバーにさせられた私はカローラをレンタルして早速デンバー市内へと向かったが到着時間が遅かったため、今日はダウンタウンを1回りして引き上げることにした。

ホテルにチェックインして荷物を開けると日本から持って来たどん兵衛きつねうどんと天そばのカップがパンパンに膨らんでいた。「これはいったいどういうことなのか」と思ったが、デンバーはマイルハイシティと呼ばれ標高1600mのところに位置しているため下界との気圧の違いであると気づかされた。

9月3日(日)

今日は朝5時に起きて、早速ロッキーマウンテン国立公園へ向かった。エステスパークという公園入り口のリゾートタウンからアクセスしたわけであるが、ゲートを通過したのが午前7時前でレンジャーがいなかったのでただで入場することが出来た。今日はとりあえず下見ということで標高3500mのアルパイン・ビジターセンターまで行ってみた。山を登るにつれて外気温が下がっていくのがカローラの温度計で確認出来、最終的には5℃になっていた。

吉井という関西人がデンバーで野球をしており、今年は負けが込んでいるということで「これはいったいどういうことなのか」というリサーチ依頼がかけられていたので様子を見に行った。吉井率いるコロラド・ロッキーズは地元クアーズ・フィールドにミルウォーキー・ブルワーズを向かえ、エース吉井の先発で午後1時5分にプレーボールとなった。1回の裏に3点のリードをもらった吉井はソロホームラン3本を打たれながらも6回1死まで1点のリードを守りマウンドを降りた。しかし、リリーフが9回の表に同点にされ、結局延長戦の末破れ、吉井の6勝目は成らなかった。

今日の吉井は真直ぐが高めに浮き、スライダー、フォークボールも制球を欠き非常に苦しいピッチングであったが、何とかバックの好守でしのいでいた。吉井は去年までニューヨークに在住し、今年からデンバーに移ったわけであるが、ニューヨークには日本人がたくさん住んでおり、ボケをかましても誰かが突込んでくれる環境であったようだが、デンバーにはほとんど日本人を見かけなかったので仕方なく一人ボケ突込みを繰り返すうちに調子を落としたものと予想される。

ロッキーズにトッド・ヘルトンという4割を目指している強打者がいる。日本でいうと最近怪我でリタイアしてしまったイチローに匹敵する実力者である。窓際にいるのはトットちゃんであるが、このトッド君は窓際ではなく打線の中心に座っており、今日はヒットを1本打ったものの、後が続かず打率を.380台に落としてしまった。マサよ、もし彼が今年4割を打ったら必ず徹子の部屋に出演するように交渉しておいてくれ!

ところで球場入りする前に少し時間があったのでダウンタウンを徘徊させてもらった。街の中心に16th streetという目抜き通りがあり、ストリート自体が歩行者天国のショッピング・モールのようになっていた。またモールの端から端まで無料のバスが通っており、多くの買物客と浮浪者で賑わっていた。

9月4日(月)

デンバーからネブラスカ州、アイオワ州を経由してミズーリ州のカンザスシティまではるばるやって来た。距離にするとわずか600数10マイルであるが、ここはデンバーとの時差が1時間ある(ちなみにANA機内誌、翼の王国によれば東京、鹿児島間は601マイルである)。

カンザスシティはアメリカの地図を4つに折るとちょうど真中に位置するため、Heart ofAmericaと呼ばれており、ここに来なければアメリカに来た意味がないと言われている。ここで一番有名なところはカントリー・クラブ・プラザというダウンタウンから南に3マイルくらい下ったところで、ここには1922年に作られたアメリカで最も古いショッピング・センターがある。カンザスシティはCity of Fountain(噴水の町)といわれているほどいたるところに噴水や彫刻があり、岡本太郎が来れば必ず爆発するほど芸術家の魂を揺さぶられる町でもある。

マック鈴木という少年が高校を中退し、単身アメリカに乗り込んでから8年が経つが、今年はローテーションの軸になって活躍しているという話を聞いてはるばるカンザスシティくんだりまでやって来た。カンザスシティ・ロイヤルズの本拠地カウフマン・スタジアムは外野スタンド一帯が噴水で構成されており、私が今まで見た中で一番景観のすばらしい野球場である。常勝軍団ニューヨーク・ヤンキースと対したマックであったが、6回2/3を投げて4点を失い結果的に負け投手になってしまった。マックのストレートは常時90マイルを超えており、今日はスライダーとフォークで三振が取れなかったため、厳しいピッチングを強いられていた。

試合の方はヤンキースの切り札マリアーノ・リベラを引きずり出し、9回2死満塁まで攻めたてたが、10年前の私に似たボクサーのような無駄の無い体をバネのように使って96マイルの快速球を投じていたリベラに最終的には押さえ込まれてしまった。

試合が終わると花火大会が始まり、事前にもらっていた3Dのメガネをかけて見るとこの世のものとは思えない光と音のスペクタクルの世界が広がり、江戸川や隅田川の花火大会より、ぜんぜんすばらしい思いをすることが出来た。

9月5日(火)

カンザスシティを発ち、一路デンバーへの帰路を急いでいる途中にTopekaというカンザス州の州都を発見したので州議事堂によって写真を採ってきた。カンザス州では前後左右を地平線に囲まれながらひたすら真直ぐな道が続いていた。水平線の彼方から現れるのはイルカに乗った城みちるであるが、地平線から出てくるのは牛にまたがった田中義剛だろうかとぼんやり考えながらひたすらカローラのアクセルを踏んでいた。牛といえばここカンザスにはダイエーとの契約牧場があり、カンザスビーフが格安の価格で日本の消費者の手元に届くことになっている。ここでのんきに草を食ってやがる牛たちも近い将来は150g、380円のステーキとして店頭に並ぶことになり、売れ残りでもしたらおつとめ品としてさらに50円から100円引かれる運命になるだろう。

マーク・マグワイヤが怪我でリタイヤしている隙にサミー・ソーサがホームランダービーのトップを独走しており、今日はデンバーまでわざわざホームランを打ちにやってくるということだったのでクアーズ・フィールドに見に行った。結局ソーサは三遊間を破るヒット1本に終わってしまったが、試合の方はトッド・ヘルトンの先制ホームランなどでロッキーズが大勝し、観客の溜飲を下げていた。

9月6日(水)

シルベスター・スタローンのように起き抜けに生卵5個をコップで一気飲みしてロッキーへのドライブに繰出そうと思ったが、卵がなかったのでコーラを飲んで出発した。ロッキーマウンテン国立公園は総面積1000km2と非常に狭い公園であるが起伏の変化が激しく、4000m級の山々から湖や湿原、森といったさまざまな自然環境を育んでいる。

ここはロッキー刑事を殉職させるために「太陽にほえろ」が初の海外ロケを行った場所として有名である。毎週金曜日の夜8時に律儀に事件を起こす「太陽にほえろ」お抱え暴力団の竜神会とロッキー刑事(木之本亮)が銃撃戦を行った時に、シマリスをかばおうとして撃たれたロッキー刑事であったが、そのシマリスは現在も軽快なフットワークで森の中をうごめいていた。

トレイルリッジロードという世界でも有数の山岳道路(舗装道路の世界最高地点3713mを通る)があり、この道路に沿っていけば公園のビューポイントは大体網羅出来る。標高3600mのところにアルパイン・ビジターセンターという所があり、そこから100mくらい登った頂上からツンドラや氷河が見学出来た。頂上から「エイドリア~ンン!!」と叫ぶとリングの下から「ロッキ~~」というこだまが返ってくるかと思ったが返事がなかったので「インフォシーク」とささやいて雪崩でも起こしてやろうかと思ったが環境破壊の観点から断念した。

ビジターセンターにギフトショップがあり、高山病でふらふらした観光客が無意識のうちに大量の土産を買っていた。酸素不足のためにストレスホルモンであるノルアドレナリンの分泌が多くなり、イライラしてるかと予想された店員は笑顔で注文に応じていた。酒を飲むと人の3倍くらい赤くなるほど赤血球の多い私であったが、ついつい$50相当の物品を買い込んでしまった。

9月7日(木)

午前6時の飛行機に乗り、デンバーからFTB発祥の地であるサンフランシスコに移動した。ハーツでフォードのエスコートをレンタルした後、早速、スタンフォードへの道のりを目指した。Stanford University NetworkでおなじみのSUN Microsystems等を生み出したシリコンバレーの頭脳を育む環境がどのようなものか調査するのが目的であり、コンピューターサイエンスのクラスを聴講してマサに頼まれてもいない1000枚くらいのレポートwithウイルス付というやつを送りつけてやろうかと思ったが残念ながら夏休みの影響で講義は行われていないようだった。

1929年の世界大恐慌の最中に土木作業員たちのケツをたたいてフーバーダムを竣工させたハーバート・フーバー大統領を記念したインスティチュートがあったので見学させてもらった。ここにはフーバー大統領がスタンフォードを優秀な成績で卒業した実績を示す遺品がたくさん展示されていた。

ところでここのキャンパスであるが、レンガ造りの建造物が多い東のハーバードと違い、ギリシャ神殿をモチーフにしたような、カールルイスが全力疾走しても途中で息切れしてしまいそうなほど長い回廊やいつでも懺悔可能な教会や多くの

図書館があり、マサに研究活動に最適なファシリティがそろっていることが確認出来た。これまでUCLA、テキサス大学、ハーバード、MIT、北九州大学等、数々のキャンパスを見物してきたFTBであるが、スタンフォードはマサにキングオブキャンパスと呼ぶにふさわしい広さと設備を誇っていた。

午後からスタンフォードとのリファレンスをとるためにベイブリッジを渡ってUCバークレイに向かった。UCBは今まで20数名のノーベル賞受賞者を輩出している公立の名門であり、マサが登校拒否を起こし、バックレーそうになった状態を克服した挙句、優秀な成績でディプロマを取得したことで有名でもある。キャンパスのランドマークとしてセイザータワーがそびえており、$2払って登ることにした。タワーの頂上からはキャンパス全体が一望でき、遠くサンフランのダウンタウンやゴールデンゲートブリッジの眺望が楽しめた。

ところで大蔵省が税金を使ってマサに貸し与えた割にはチャチなアパートをFTBバークレイ支店として乗っ取っていたが、今はその面影さえも残していなかった。いずれにしてもUCBのExtensionがキャンパスツアーとしてUCB本校よりもスタンフォードを選んでいる事実から考えてみてもキャンパスのすばらしさという点ではスタンフォードに分があるのだろう。

サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地は今まで、外野席に陣取っていたマサが目の前に飛んできたボールを取り損ねた実績のあるキャンドルスティックポイントにあったスリーコムパークであった。しかし、強風と老朽化のために評判が悪かったので、今年からチャイナベイスンという市内でも比較的暖かい場所にパシフィックベルパークをオープンさせた。ここはダウンタウンから程近く、BARTでバ~とエンバカーデロまで来てそこからMUNIのストリートカーに乗り換えてすぐのところである。

ナリーグ西地区の首位を独走するジャイアンツはサンディエゴ・パドレスを迎え撃ち、試合の方は、スーパースター、バリー・ボンズの44号先制本塁打などで大量13点を奪ったジャイアンツが圧勝した。ところでパシフィックベルパークのライトスタンドのすぐ真後ろは海であり、大きなホームランが出ると海に飛び込む設計になっており、この現象をSplash Hitsと呼んでいた。今年はすでに5個のボールが海のもくずとなっていた。それらのボールは魚の餌にでもなるのかと思っていたが、実際はボートに乗ったおっさんたちがボールが飛んで来るのを今か今かと待っている様子が球場スクリーンに映し出されていた。

9月8日(金)

マサよ、君はビッグ・サーという場所を知っているか?「さ~?何のことだかわからね~ぜ!」と答える輩が多いと思われるが、ここビッグ・サー(Big Sur)はFTBが定期購読しているナショナルジオグラフィックス8月号にも紹介され、水曜スペシャルであれば「カリフォルニア最後の秘境」という最上級の格付けを与え、川口探検隊をトッププライオリティで派遣するほどのすばらしい場所である。

サンフランから南に下ったリゾート地モントレーからハイウエー1号線を10マイルほど南に下ったところは開発を阻む厳しい環境が待ち受けている秘境であった。ビッグ・サー州立公園($7)に進入した私は早速トレイルの山岳道を登ることにした。途中マウンテンライオン注意の看板があり、そこには「マウンテンライオンはめったなことでは姿を現さないが、かといってボサッとしていてガブッとやられても誰も責任は取ってやらへんで!」といったような能書きが書かれていた。「それはいったいどういうことなのか」と思った私はエージェントの伊達君や吉川さんに負けないようにマウンテンライオンを生捕りし、サンディエゴ動物園に高値で売りつけたというリサーチ結果を出し、EDという重病を患い、ファイザー製薬にお世話になっているにもかかわらず、ファーイーストリサーチインク社のチーフという激務をこなしている佐野史朗チーフに喜んでもらえるレポートを作成するための調査に乗り出した。

山道は急な斜面であったが、ロッキーでの高地トレーニングにより著しくヘモグロビンの数を増加させていた私にはわけないものであった。夜8時45分くらいの水曜スペシャルのクライマックスのように結局マウンテンライオンを発見するにはいたらなかったが、前人未到の洞窟に川口浩隊長よりも先に入るカメラマンや照明さん、洞窟に転がっている白骨をピカピカに磨く美術さん、川口浩が素手で払いのけるために上から、さそり、毒蜘蛛、毒蛇を落とす大道具さんといった選りすぐりのスタッフを抱える水曜スペシャルでも探すのは困難であると思われた。

ところでビッグ・サー近辺の自然環境であるが、強い潮風にもかかわらずおびただしく背の高いChina Redwood Treeを繁茂させている森や、波間に漂う大きな海藻ケルプを群生させている人の手の入っていない海がある。この海は油と若者の欲望にまみれた湘南の海と違い、エメラルドグリーンとコバルトブルーが鮮明に表現された世界有数のきれいな海であり、観光客もその光景に思わず見入ってしまっていた。

ちょうど2年前にヤスとマサを従えてNHK衛星第一放送への出演を果たした地オークランドへと帰って来た。オークランド・アスレチックスの本拠地は当時はアラメダカウンティコロシアムと名乗っていたが、今ではコンピューターウイルスのワクチンを作っている会社であるネットワークアソシエイツコロシアムと名前を変えていた。2年前にこのコロシアムで10数試合観戦したときには一番安い外野席のチケットを買っているにもかかわらず、試合の後半にはバックネット裏に陣取っていた私であったが、ワクチンソフトのテクノロジーを利用して不正侵入防止装置を設置して取締りを行われては敵わんと思い、今回はまじめにボックスシートのチケットを買って観戦した。

大魔人佐々木を要するシアトル・マリナーズに続き、アリーグ西地区の2位という好位置につけているA’sはタンパベイ・デビルレイズと対戦したが、2安打の完封負けを喫してしまった。

9月9日(土)

11時50分のフライトまでの時間を利用して地元サンフランの探索を行うことにした。ツインピークスからダウンタウンの景色を一望した後、松本人志よろしく野沢直子の住居に寄ってアメリカ人を笑わす極意を教えてもらおうかと思ったが無理そうだったのでLombardとHydeの一番景色のよいところを見納めにサンフランを後にした。

アップグレード券2枚をはたいてビジネスクラスにアップグレードをしてポケモンジェットではなかったANA008便に乗り込むとほどなくアッパーデッキの責任者と名乗るオネーチャンが挨拶に来た。「話せるアコム」の保健室の先生のように「何でも相談して下さい」とのありがたい言葉をいただいた私は「ペンキとスプレーは大蔵省の経費で何とかするのでチビッコたちのためにも今からでもポケモンジェットに改造出来ないか?」と依頼したが、ボーイング社のブーイングを恐れてか、それだけは勘弁してほしいと断られた。

今回のFTBサマリー

飛行機代:\130,320(早割りGET14プラスアップグレードを利用し、マサであれば\200,000くらいかかっていたであろう)

総宿泊代:$401.40

総ガソリン代:$84.79

総レンタカー代:$510.37

総走行距離:2,463マイル

今後の活動予定(FTB秋冬コレクション)

*FTBJ未開の地沖縄でハイセオジサンと泡盛を飲みながら沖縄民謡を歌おうツアー

*アグネスチャン杯争奪香港飲茶ツアー

*カンガルーと一緒に地球環境問題をカンガえルー・ツアーインオーストラリア

*網走発ガリンコ号で行くガチンコ流氷流れ旅ツアー(やらせなし)

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