というわけで、マサの結婚式の喧騒も覚めやらない今日この頃であるが、先日めでたい事にイチローとシアトルマリナーズの契約がまとまり、日本人初の野手の大リーガーが誕生する運びとなった。実は私も高校を卒業して大学に入学するまでの一年間イチローして活躍していた実績があるため、他人事のような感じがしなかった。そこでイチローがシアトルでの生活に困らないようにFTBの肝煎りで現地調査を決行する運びとなった。
11月22日(水)の夕方NH7030便にてボーイング社が誇る最新鋭のジャンボジェットであるB777‐200に乗り込んだ私はイチロニッサンではなくシアトルを目指した。同日午前中に2年ぶり3回目のシアトル到着後、早速ハーツでレンタカーを借りてイチロ、ボーイング社があるワシントン州エベレットを目指した。エベレットはシアトルのダウンタウンから30マイルほど北上した場所に位置し、ここでボーイング社が誇る最新鋭飛行機の製造工程ツアーを行っていることで有名である。日本でも有数の航空評論家である私に言わせるとここに来なければシアトルに来た意味が無い程重要な拠点である。
ツアーセンターで参加料$5(ボーイング社および航空会社の従業員はただ)を支払うと何とか午前10時のツアーにもぐりこむ事が出来た。ツアーはまず最初にシアターで一連のB747-400の製造工程の流れを見せられた後、いよいよバスで工場に向かうこととなった。ツアーの案内役は海軍かどっかからボ社に天下っている将来のマサを思わせるようなトニーというおっさんであった。トニー曰く、ここの航空機製造工場は工場建屋のボリュームでは世界一であり、ギネスにも載っているとのことで、シアトルマリナーズの本拠地セーフィコフィールドが11個分、またはディズニーランドがそっくりそのまま入ってしまうほどの大きさであるとのことであった。またこれから見学するB747-400は一機$180Mもするとのことで、もし見学者が壊しやがったら買い取ってもらうからそのつもりで見物に励んでくれと釘を刺しやがった。
工場の中に入るといきなり長さ1.5kmの長い廊下の出迎えを受け、エレベーターで上に上がるとB747-400の垂直尾翼が眼前に飛び込んできた。このジャンボはANAではテクノジャンボ、JALではスカイクルーザーという名称が与えられており、1968年に生産開始後累計1200機が製造され、現在1100機が現役で活躍しているそうだ。暗算の得意な私は「じゃ~、100機分はこの前の台北でのシンガポール航空のように墜落しておシャカになった分か?」と質問しようと思ったが、トニーのブーイングを恐れてこのことを話題にするのは控えておいた。我々の目の前ではルフトハンザ向け59号機が製造ラインに横たわっていた。製造ベイは目の前に7つあり、その裏側にさらに7機分、その奥にB767のライン、さらにその奥にB777のラインがあった。部品は世界40カ国、2500のベンダーからジャストインタイムで供給を受けており、この工場には一切部品のストックはしていないとのこと。また、ジェットエンジンはGEからの供給でB747とB767は同じエンジンを使用しており互換性があるとのことだった。
膨大な工場内を一通り見物したあと、再度バスに乗り込みエアーライン用にペイントされた飛行機が出荷を控えているサイトをグルリと案内された。再びトニーによるとこの工場はテストパイロット60名を抱えており、テスト飛行では片肺飛行(片方のエンジンをOFFにして飛行する)等の荒業も行っているとのことであった。
ツアーはこれにて終了し、私の一番興味のあったQAや耐久試験、加速試験等は見せてもらえなかったのが残念であった。しかしながら、これほどの規模を持つ工場は戦艦大和亡き今、日本では到底見物出来ないので大変貴重な体験をすることが出来た。
11月23日(木)
マウントレーニエの屈辱!!!
サンクスギビングデイ当日の今日は朝から雨だった。環太平洋火山帯の一部を形成し、標高4392mを誇るマウントレーニエの姿が今日は拝めないだろうと感じながらもマウントレーニエ国立公園に向かって車を走らせた。
ところでヤスよ!、AMJ成田の3階にあるカフェテリアの自動販売機のカフェラッテはマウントレーニエという名前であることに気づいているか??つまり、マウントレーニエは世界中のカフェラッテファンの憧れの地ということだ。また、マウントレーニエは広大な裾野を持つ休火山であることから地元の日本人の間ではタコマ富士という名称で親しまれてもいる。今日はシアトル方面の北口からマウントレーニエ国立公園にアクセスを試みたが、山道の途中で雪が深くなり、レンタカーのマツダ車では進行が不可能と判断したため不本意ながらギブアップせざるを得ない状態であった。
いったんタコマ市内に引き返した後、州都のオリンピアを経由してオリンピック半島に向かった。オリンピック半島北部のポートエンジェルスという港町に到着したのは日も暮れかかったころだったので今日はここに居座ることにした。近くにホテルレッドライオンがあったのでここのレストランで餌を食うことにした。今日は11月23日ということでサンクスギビングスペシャルディナーとしてターキーがお徳だとラブリーなウエイトレスがしきりに営業してきたのだが、丁重に断って牛を発注した。しかし、マサであればターキーを発注しておきながら納入されたターキーを見てワイルドターキー(バーボン)じゃないとボーリングで3回連続ストライクを取ったような勢いでいちゃもんをつけていたであろうと思われた。
11月24日(金)
ペナントレースを優先したためにシドニーオリンピックに出場出来なかったイチローの無念を推し量って,今日は1981年にユネスコの世界遺産に登録されているほどの実力を持つオリンピック国立公園を訪問した。オリンピック半島中央の大半を占めるこの国立公園は険しい山岳地帯、温帯雨林のジャングル、海岸地域と非常にバラエティに富んだ景観から成っており、1年のどの季節に来ても観光客を楽しませてくれるこの世の楽園である。
まずはポートエンジェルスから一気に1500mを車で駆け上ると山岳地帯のハリケーンリッジに到着した。当然のことながらあたり一面銀世界であり、そこから3000m級のオリンパス山や、デセプション山のすばらしい眺望を目にすることが出来た。その後下山してUS101沿いを西から南に抜け、レイク・クレセントという三日月型の湖の眺望を楽しんだ後,この公園のメイン観光地帯であるホーレインフォレストにやって来た。オリンピック国立公園の観光案内の写真に必ず出てくるホーレインフォレストは年間3000~4000mの降雨量を持つこの地域特有の気候に育まれた温帯雨林である。
中に入ると「ほ~!これはすごいジャングルだ!」と言わしめるほどたくさんの木が茂っていた。また、一番観光客を魅了するのは思わず「うっそ~!」と叫びたくなるほどのうっそうと茂ったコケ類である。ここからHall of Mosses(コケの殿堂)というトレイルが伸びているので早速歩いてみると数十メートルの高さを誇る木も倒れている木もみんなうす緑色のコケで覆われており、京都の西苔寺(通称こけ寺)の住職でもコケおろされるほどの迫力であった。
ホーレインフォレストでグリーンな気分を堪能したあと、太平洋側に抜けてビーチを歩いてみた。長い海岸線には太平洋の荒波に流されてきた流木がたくさん転がっており、材木店屋の店頭顔負けの様相を呈していた。また激しい波の音が観光客の旅情をいやがおうにも盛り上げているようだった。
11月25日(土)
先日マウントレーニエで屈辱を味わったので飛行機が出る前の午前中の時間を利用してリベンジに向かった。ルートを変えて南側からアクセスしたのでロングマイヤーを抜けて標高1647mのパラダイスまで到着することが出来た。あやうくシアトルくんだりまで来た意味を無くしてしまいそうだったFTBであったが、パラダイスから眺めるマウントレーニエの眺望はこの世のものとは思えないほどの神々しさを放っていた。尚ここまでのルートはきれいに除雪されており、年中通行可能であるので冬にもかかわらずたくさんの観光客が訪れており、イチローもシーズンオフを利用して山ごもりに来ることが出来るのだ。
マウントレーニエを後にして昼前にシアトル・タコマ空港に到着してゲートの近くでスターバックスのカフェラッテを召し上がった。コーヒー通のマサであれば当然知っていると思うがここシアトルはスターバックスの発祥の地であり、ここでコーヒーを飲まなければ日本のスターバックスで無邪気にバイトに励んでいる若者に対して優越感が持てないと言われている。ここで売られているコーヒーが入っているカップのデザインは日本のものより進化しており、2枚重ねになってはいないもののオプションでダンボール製の断熱材が備えられていた。
次回はFTBJ沖縄から沖縄サミットの残したものについて検証を行って来ます。また、FTBSEAに引き続き、FTBEUの立ち上げも検討中です。
FTBサマリー
総飛行機代: \8,190
総レンタカー代: $292.15
総走行距離: 約1200マイル
総ガソリン代: $68.51
総宿泊費: $116.62
総スピード違反罰金代: $62.-