♪エービィバデー サムライ スシ ゲイシャ ビューティフォー フジヤマ HA HA HA ♪というわけで、原辰徳は「私の夢には続きがあります!」という捨てぜりふを残して現役を引退し、その後見事に巨人軍の監督として帰り咲き、夢を実現させたわけだが、実は私の野望にも続きがあったのである。
7月27日(土)
テレビの天気予想によると今夜も熱帯夜が続くとのことで関東の住民はしばらく寝苦しい夜を過ござなければならない。冷房と掃除機を同時に使っているとブレーカーが落ちてしまうほど省エネ対策が施されている市川市の2DK高級賃貸マンションに居住している私のところにも容赦なく熱波が襲って来ることは確実視されている。
ところで先週炎天下の中、富士山発登頂に成功し、私の肉体の日に当った部位が真っ赤に腫れ上がっているところを見て血中のヘモグロビン量の増加を確信していたので今週も継続して高地トレーニングを行ないたいと考えていた矢先の熱帯夜予想であった。といった背景から今回は先週のツアーでは達成することの出来なかった御来光を見に再び立ち上がる決意をして夜の8時に家を飛び出したのだ。
マサよ、君はガキのころ東名高速道路が透明であると思ったことはなかったか?私は・・・思っていた(しかも長い間・・・)ということで用賀インターからトーメイに入るとマサに透き通るような車の流れでわずか1時間ほどで御殿場インターに到着することが出来た。御殿場を出て富士スカイラインという無料の登山道を経由して11時前には富士宮の新五合目という登山口に到着したのだが、ここで目にした光景はおびただしいほどの車が登山道に沿って路駐している状況でここでもまた、五合目入り口より1km程度手前に駐車し、歩かなければならなかった。ここ静岡県富士宮口は頂上まで最短で登れるコースで登山者に最も人気のある様子で五合目の登山口は多くの観光客で賑わっていた。
2年半前にネヴァダ州とアリゾナ州の州境のフーバーダムで購入したライト付きヘルメット($10.50)が私の部屋に長い間無造作に放置されていたのだが、今回初めて活躍の場が与えられることになった。先週の下見の段階で富士山の地形を足の裏で記憶していた私には特に登山道の明るさは関係ないのだが、やはりここは登山ガイドの手引きに従い、ライトを携えて午後11時10分に登山を開始した。
7月28日(日)
ガラすきだった東名高速とは裏腹に登山道は大渋滞の様相を呈していた。静岡県の夜景と駿河湾を眼下に見下ろしながら、午前2時には8合目に到着した。午前2時は日本で言う草木も眠る丑三つ時のことであるが、3010mのこの地は草木さえ生えていない不毛地帯である。午前3時半ごろ頂上に到着するとそこにはたむろしている登山者で足の踏み場もないほどだった。今回の登山は前回と比べると比較にならないほど体力の消耗度が少なかったのでここからさらに歩を進めて最高地点の剣が峰を目指すことにした。
午前4時前に剣が峰に到着したのだが、さすがにここまで這い上がって来た登山者は少なく、何とか質のいい御来光ポジションをキープし、寒さに打ち震えながらその瞬間が来るのを今か今かと待ちわびていた。満天の星空兼月夜の空が徐々に白くなり始め、4時20分頃には東の空が真っ赤に染まり始めた。午前4時35分、1人のおばちゃんが「出た!」と叫ぶと雲の上から真っ赤な太陽がその神々しい姿を現した。その瞬間、富士山の頂上ではカメラのシャッター音が鳴り響き、信仰心の厚い人々は手を合わせて拝んでいやがった。私も高級官僚であるマサが将来鈴木宗男のような強力なスポンサーを得られるようにお願いしようと一瞬思ったが、面倒臭かったのでやめておいた。
剣が峰で御来光を見物した後、火口をグルッと1周した。頂上にある土産物屋兼宿泊所の山口屋の前はマサに銀座か竹下通り状態、いや満員の東京ドームと言えるくらい多くの御来光見物野郎でごった返していた。その影響も手伝ってか頂上の空気が非常に薄く、危険を感じたので早々と午前6時半には下山することにしたのだ。渋滞の富士宮登山道を引き返し、午前9時にはスタート地点である5合目に生き長らえて返ってくることが出来た。
マサよ、君は5の平方根を知っているか???ということで時間も早かったので昔富士山麓でオームが泣いていた上九一色村あたりを見物し、イニシエーションでも受けて来ようかと思ったが、眠くなったのでとっとと撤収することにした。
FTBサマリー
総ガソリン代 ¥3,435
総高速代 ¥7,450