「マサよ必ず来いよ!」と言い続けて早くも2年が経ってしまった。
その間総統である私の身の上にもさまざまな出来事が巻き起こった。今回私が率いているアクセント・テクノロジーズ社の好意により、長年の念願であったアメリカ横断ウルトラFTBを決行することが出来、非常に喜ばしく思っている今日この頃である。
8月6日(日)成田発ポートランド行きのデルタ52便に陣取った私は不本意にも夏休みのチビッコ旅行軍団を従えて、マクダネル・ダグラス社が誇るMD11機に乗り込んだ。隣の席に中国人夫婦と神童と呼ばれた私の幼少期を彷彿とさせるかわいい赤ちゃんが乗っており、離陸後必ず泣き叫ぶだろうと予想していたが、案の定飛行時間中の3分の2は泣き叫んでいやがった。
ガキの騒ぎ声と赤ん坊の泣き声を子守唄にしながらポートランドに到着したのは午前10時を回った頃だった。2時間くらいポートランド空港の見学を行った後、午後1時にソルトレークシティ行きの飛行機に乗り込んだ。午後4時にソルトレークシティに到着し、すぐさま高級スイートHamptonInnにチェックインした後、その足でグレートソルトレークに向かった。
ソルトレークの湖畔にSaltairというしなびた建物があり、そこから湖を見渡すことが出来るのだが、そこは2年前にきた時と変わらず異臭を放っており、湖の色もウーロン茶色に淀んでいた。それでも何人かの観光客はその中で水泳をやっており、浮力の強い塩水湖でのドザエモン状態を楽しんでいた。マサであればペットボトルになみなみと注いだ塩水を藤原紀香と同様にイチ・サン・プゥァァー!と一気飲みしていたことであろう。
というわけでついに始まってしまったアメリカ横断ウルトラFTBの今後の展開が大きく期待できるわけであるが、最近婚約を発表したマサよ、もし浮気調査が必要であれば私の子分にロンドンブーツ1号、2号というならずものがいるのでいつでもガサ入れの相談に乗ってやるぜ!
8月7日(月)、8月8日(火)はユタ州のアメリカンフォークオフィスでまじめにミーティングを行った。高嶋兄のような切れのある打ち合わせの内容で「You win ステテコ君!」と同等の賛辞を浴びた総統は、8日の午後にユタ州を後にしてすべてのマサはマサチューセッツにつながるといわれているマサチューセッツ州のウォルサムへ向かった。
ボストン行きの飛行機では私の前の席にマヨネーズがよく似合うキューピー人形に似た赤ちゃんが乗っており、離陸後必ず泣くだろうと思っていたら案の定飛行中のほとんどの時間泣き叫んでいやがった。夜遅い時間にボストンのローガン国際空港に到着した。ローガンというだけあって目の悪い老人用のメガネがたくさん置いてあるかと思ったが、残念ながら目薬さえ置いてなかった。
ボストンのダウンタウンから10マイルほど西にあるアクセント社のウォルサムオフィスで夕方までミーティングを行い、ここでも「You win ステテコ君!」級の扱いを受けた後、時間が少し早かったのでボストンのダウンタウンまで足を伸ばした。まずはボストンコモンというダウンタウンのど真ん中にある公園の地下駐車場に車を止め、アメリカ独立のために討ち死にした英雄がぐっすり眠っているグレナリー墓地や尖塔がないキングスチャペルなどを見学した。その後ベイエリアに移動し、腹が減ったのでマリオットの高級レストランでディナーと洒落込んだ。ボストンに来てシーフードを食わなければボストンに来た意味がないと言われているので、会社の経費でとりあえずクラムチャウダーとオイスターとロブスターを発注した。
Rのつかない8月のせいかオイスターはサンフランで食ったものよりも3分の1くらいやせ細った貧弱なものだった。しかしロブスターはヒューストン産のクローフィッシュが100匹かかってもかなわないほど強そうな奴が運ばれてきた。しかも色は私が酒を飲んだ時よりも赤い紛れもないレッドロブスターであった。
明日は朝の便でワシントンDCに向かい、昼からミーティングの予定です。とりあえずマサよ、私のホテル当てに魚河岸の特上寿司2人前の出前を頼んでおいてくれないか?!
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マサよ、君は携帯電話で話しをしながらマニュアルのシビックを運転する
ブラジル人女性の助手席に座ったことがあるか?? 私は・・・ある!!
ということで、8月10(木)午前10時過ぎににボストン空港を発ち、ワシントンDCロナルドレーガン国際空港に到着したのは正午を回った頃だった。アメリカではミディアムカーとして君臨しているカローラをレンタルしたあと、早速アクセント・テクノロジーズ社の本社があるワシントン近郊の都市ロックビルに向かった。本社では日本における実力者の私が来るということで非常に厚いおもてなしを受けた。午後から軽くミーティングをこなしたあと、私といつも仕事をしているリアナというブラジル人女性マーケティングマネージャーとその旦那のショーンとこれまたサリー?というマーケティングマネージャーと飯を食いにいくことになった。サリーは魔法も使えないし、友人によっちゃんもスミレちゃんもいなくまた弟のカブも見当たらなかったのでおかしいと思ったら本当はサニーという名前だった。
その日は会社の近くのカナダ系のステーキハウスで牛を食った後、おとなしく帰り、次の日のミーティングに備えた。8月11日(金)は朝からミーティングをした後、リアナとサニーとマットという男と昼飯を食いにいくことになった。リアナのシビックでバーべキュー屋に行くことになったのだが、サニーが私にしきりに助手席に座ることを薦めるのでとりあえず座ることにした。そこで見た光景はアイルトン・セナ譲りの恐るべきドライビングテクニックであった。シビックは1600ccのマニュアル車でリアナは携帯電話をかけながらハンドルとギアの操作を同時に行い、また、急速車線変更や急速割り込み等の荒業を存分に披露し、サニーとマットの度肝を抜いていた。リアナに「今まで警察に捕まったことがあるか?ちなみに私は2度ほどアメリカで捕まっているぜ!」という質問をしたところ、2回なんてまだまだケツが青いぜという表情を浮かべながら「あるぜ!」と答えていた。
午後から社長のブレット・ジャクソンと面会する機会があり、日本のビジネスの状況を尋ねられた。とりあえず「今は非常に厳しいが、見通しは明るい。いざとなれば大蔵省で遊んでいるマサという者を拉致して無償で24時間働かせキャッチアップさせよう!」と答えておいた。
8月12日(土)朝からワシントンの観光を行った。まずは前回のワシントンツアーで訪問出来なかったペンタゴンを訪れた。残念ながらその日は土曜日でツアーをやっていなかったのですかさずホロコーストミュージアムに移動した。このミュージアムは非常に人気があるようで入り口のところではおびただしい数の観光客が列をなしていた。入場待ちの人々は意気揚揚としている様子であったが退場してくる人々は皆神妙な顔つきで出てきていやがった。ここは第二次大戦中のナチスのアウシュビッツをはじめ、さまざまな大量殺戮の歴史が展示されており、入場者の涙を誘っていた。
お盆の時期ということもあり、スミソニアンに埋葬されているアプライドのP-5000の遺品にお参りにいこうかとも思ったがアキラをはじめ数々の浮かばれないサービスマンの魂が帰ってきているかも知れないと思ったのでやめておいた。その代わりに午後からジョージタウンというところに行った。ジョージという名前からみちのくのイメージが浮かんだが、そこはワシントンエリアでもっともポピュラーな繁華街であった。タウンのど真ん中に運河があり、ビジターセンターの近辺に観光船乗り場があった。その船は1時間ほどかけて運河を往復する観光船で1800年代の出で立ちをしたうら若いおね~ちゃんたちが運河の水門の開閉と船の操縦をつかさどっていた。運河の水位は水門の開閉により調節されており水の量を減らしたりすることによって橋の下をくぐったりしていた。
その後キャピタルヒルをグルッと回ってホテルに帰ったあとリアナとショーンとクリスティンという女性とボルチモアに食事に行く約束をしていたので行くことにした。リアナの家で待ち合わせをすることにしていたため、リアナが出かける準備をしている間にショーンから家の中を案内してもらえた。そこはロックビル近郊の高級住宅街?の一角で3階建ての1階はガレージになっており、自転車が8台ぶらさがっていた。2階はキッチンとリビングでバーベキュー可能なテラスが設置されていた。尚、3階には寝室と客用の寝室があった。
リアナん家に大きな黒猫が暮らしており、リビングの写真を見ている私のところに挨拶に来たのでかまってやった。黒猫は「口数の多い奴らと同じ屋根の下で暮らしているとストレス太りで大変だぜ!」と言っているような顔つきでしきりに後足で頭を掻いていた。
今回はショーンの運転するシビックでボストンにも決してひけをとらないシックな港町のボルチモアにたどり着いた。この日は土曜日ということもあり、港で何か分けのわからない催物が開催されていたため、非常に人出が多かった。とりあえず港の近辺のレストランで飯を食い、明日は私が4時に起きなければならないということもあり早々と午前1時頃にお開きとなった。
8月13日(日)7時5分の飛行機に乗るために早起きしてワシントンダレス空港へと車を飛ばした。ワシントンを発ちアトランタに到着したのは午前9時前で1時間ちょっと時間があったのでアトランタ空港の見学を行った。さすがにコカコーラの城下町ということもあり空港内にもコカコーラのショップがあり、スカッとさわやかな雰囲気を醸し出していた。
アトランタで10時20分発の成田行きの飛行機に乗った。今回は赤ちゃんは乗っていなかったものの中央5列席のとなりに黒人のお父さんと息子のマイケル(推定3歳)が乗っており、離陸後おそらく大変なことになるだろうと予想した。また後ろの席の方はオーランドから乗り継いできたディズニーワールドのツアー客で大変な賑わいを見せていた。
ところでマイケルはというと実は私の後ろの席に彼のお母さんと兄貴が座っており、席の間をせわしく動いていたために父親から耳をつねられて泣きそうになっていた。
というわけで今回1週間で長距離移動をこなし、マサであれば孫の代まで過労死するようなハードスケジュールであったが、何とか生きて帰ってくることが出来た。
次回は9月上旬にコロラドロッキー、シアトルから「特命リサーチ200FTB」か何かをお届けします。
FTBサマリー
成田 → ポートランド 4823マイル
ポートランド → ソルトレークシティ 630マイル
ソルトレークシティ → ボストン 2105マイル
ボストン → ワシントン 500マイル
ワシントン → アトランタ 534マイル
アトランタ → 成田 6850マイル
Presented by FTB Co. LTD
代表 Masa
取締役運転手 Masa, acting
インターン Kazu
調達実施本部長 Masa, acting
総統 Takeo(FTBJ代表兼務、ソートーすごいらしい)
スポンサー 大蔵省
協力 Hertzレンタカー、アクセント・テクノロジー株式会社