FTB21 オードリーもこお~どり~するローマの休日ツアー

つん つくつくつくつん ♪♪ つん つくつくつくつん ♪♪

ひや~~ ひや~~ ひや~~ ひ~~ ♪♪ 

ベンベラ ベンベラ ベンベラ ベンベラ ベン ベン ベン ベン ベラン♪♪

というわけでめでたく新世紀を迎えた今日この頃ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか? 私こと、今回めでたくFTBEUを立ち上げ、新規開拓にいそしんでおります。

1月4日(水)

NH205便,B747-400に乗り込むとほどなくしてパーサーと名乗るうら若いおね~ちゃんが新年の挨拶にやって来たので今年もいろいろとANAの面倒を見てやることにした。

高さ11,000mの上空からシベリアの凍った不毛地帯と地平線すれすれにしか上らない太陽を見ながら、12時間ほどの飛行を経てフランスのシャルル・ドゴール空港に到着した。ここで入国の手続きをした後、乗り換えまで2時間弱の時間があったので空港の見学と洒落込んだ。パリの空港だけあってさすがに多くのブランド屋の出展が見られたくさんのムッシュ、マダムやマドモアゼルがわがもの顔で物品を物色していた。

アリタリア航空に搭乗して2時間くらいでローマの国際空港に到着した。ところで、アメリカを代表する色男はレオナルド・ディカプリオ、日本を代表する芸人はレオナルド熊であるが、ここローマの空港はイタリア一の天才の名を冠し、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港という正式名を持っている。しかし、空港の名前とは裏腹にここに到着すると入国審査も何も無く黙って国内に侵入することが出来た。なんとまぁ適当な国だと思った今日この頃である。

ローマに着いた時間が午後8時過ぎだったので空港から国鉄に乗り換えてローマの玄関口であるテルミニ駅に到着後、三ツ星ホテルであるホテルプラネットに引き払って休ませていただいた。

1月5日(金)

朝8時くらいにホテルを出発し、テルミニ駅から地下鉄B線に乗ってコロッセオという駅で降りた。コロッセオ(L1万)は紀元80年に出来た円形闘技場で当時は収容人員50,000人以上を誇り、猛獣対剣闘士または剣闘士同士の殺し合いといった催しものが実施されていた場所だ。事情通のローマっ子によると当時暴君として権力をふるっていたネロ帝が夜更かししてると早くネロ!と注意されたためにあいつは気に食わないから殺ッセオ!と言って作られたのが起源として言い伝えられているそうだ。

コロッセオに隣接する形でローマ最大の凱旋門であるコンスタンティヌスの凱旋門がそびえており、その西にフォロロマーノという古代ローマの民主政治の中心であった遺跡が広がっていた。そこでローマ帝国の繁栄と衰退の歴史をしばし研究したあと、ローマの中心地ヴェネツィア広場を抜け、南下してカラカラ浴場に向かった。カラカラ浴場(L8千)は217年に完成したカラカラ帝の浴場であり、当時は日本が誇る健康ランドも太刀打ち出来ないほどの世界最大の規模を誇っていたが、今は廃墟と化し、カラカラに乾燥しているのが残念だった。喉がからからに渇いてカラカラ浴場を命カラガラの思いで脱出した後,古代の戦車競技場であったチルコマッシモを抜けて、真実の口広場へ向かった。

故淀川長治に匹敵するほどの映画評論家のマサであれば当然知っていると思うが真実の口は「ローマの休日」の舞台になった場所として有名である。真実の口があるのはサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の入り口左手であり、河の神の顔をかたどった大きな石の円盤がそれである。うそをつく人間がこの口に手を入れると抜けないという伝説を持っており、多くの不誠実そうな観光客が口に手を入れて記念写真を撮っていたが、ホラ吹きの口を持つ私には到底そんな勇気は無かった。

マサよ、君はオードリーがこお~どり~して喜んだスペイン階段を知っているか? 

ということで, ローマの一大観光名所としてあまりにも有名でローマの休日の舞台となったスペイン広場に到着した。ローマの町並みを見下ろすようにそびえているトリニタ・ディ・モンティ教会の下に続くスペイン階段はおびただしい数の観光客でごった返していた。ここで名物の焼き栗(L1万)を買って階段に座って食っていたら、警官からここで飲食をすると逮捕するぜ!と注意されてしまった。

スペイン広場から5分ほど南下するとトレヴィの泉に到着した。肩越しに泉に向かってコインを放ると再びローマを訪れることが出来るというエピソードにより多くの観光客が散財していた。泉の背後に宮殿があり、その彫刻としてトリトンと海神ネプチューン(原田泰造、名倉淳、堀内健か??)が躍動しているのが印象的だった。

1月6日(土)

朝8時35分のナポリ行き急行(L19,600)に乗り込むと2時間半ほどでナポリ中央駅に到着した。そこから地下鉄に乗り換えてアメデオ駅で下車してサンタルチア港へ向かった。今にもカンツォーネが聞こえてきそうな町並みを抜けるとこの世のものとは思えないほどの絶景が広がった。しばし潮風を吸い込んだ後、海の中に突き出して建てられている12世紀の古城である卵城へ上った。卵城の展望台からサンタルチア湾の全景やポンペイ最後の日を演出したことで有名なヴェスヴィオ火山を拝むことが出来た。

サンタルチア地区からヌオーヴォ城、プレビシート広場を抜け、しばしナポリの路地をさまよい、おびただしい数の洗濯物とスクーターの間をすり抜けているうちにケーブルカー乗り場を発見したので早速乗り込むことにした。終着駅からさらに20分くらい登るとヴォメロの丘に到着した。この高台からはナポリの全景やヴェスヴィオ火山、カプリ島などが見渡せる絶好のビューポイントである。この丘の上にサン・マルティーノ国立博物館(L11,000)があり、ここでナポリの歴史や暮らしを学習することが出来、また、展望台からナポリのサンセットと夜景を堪能することが出来た。

1月7日(日)

朝も早よから地下鉄A線に乗ってヴァティカン市国にあるサン・ピエトロ広場を抜けてサン・ピエトロ寺院に向かった。オウム真理教の総本山は上九一色村であるが、ここヴァティカンはカトリックの総本山である。今日はローマ法王ヨハネ・パウロII世にアポなしで謁見し、混迷する日本経済に活路を見出すための方策を話し合おうと思っていたが、日曜のミサで取り込んでいる様子で謁見は却下されてしまった。サン・ピエトロ寺院はネロ帝の迫害にあい、殉職したサン・ピエトロの墓の上に、後年、キリスト教を国教と認めたコンスタンティヌス帝によって建立された聖堂である。内部は多くの絵画や彫刻等の装飾で荘厳な雰囲気を醸し出していた。今日は日曜ということもあり、たくさんの信者でごった返していた。また、聖歌隊は曇っているのにしきりに「ハレルヤ」と声をそろえて歌っていた。田中康夫長野県知事は「なんとなくクリスタル」で直木賞を受賞したが、ここに来る日本人はすべてなんとなくクリスチャンになってしまうほど影響力のある場所であった。

ヴァティカンを後にし、テヴェレ川を越えてパンテオンに向かった。パンテオンは完全なるローマ建築を今に残す万神殿でローマ時代のオリジナルの姿を最もよく残している建造物である。その後、たくさんの出店や観光客でごった返すナヴォーナ広場を抜け、ローマ国立博物館アンテンプス宮(L1万)に侵入した。ここは古代芸術の館であり、多くの彫刻が所狭しと展示されていた。その中には古代人の肉体美を現した作品が多数あり、見学者の男たちは彫刻の股間についているものを凝視しておのおの勝ち負けを判断しているように思われた。

ローマ国立博物館で目の保養をした後に訪れたのはポポロ広場である。鉄道のなかった時代のローマはポポロ門をくぐってローマに入ることになっており、広場の双子教会と併せてこの広場は勇壮な雰囲気を醸し出していた。

再びテヴェレ川を越えてサンタンジェロ城(L1万)に到着した。この城は起源135年に建造され、ローマ歴代の皇帝の墓や要塞、法皇の住居、牢獄など様様な用途で用いられていたそうだ。現在は博物館として公開されており、屋上から見渡すローマ市外の眺望はマサに絶品と言えるしろものであった。

1月8日(月)

朝9時にホテルをチェックアウトし、その足でサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を見学した。その後セリエAのASローマのオフィシャルショップで物品を物色した後、テルミニ駅から列車に乗り、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港に帰っていった。空港の免税品店で靴でも買おうと思い、一目でイタリア製であることがわかるように「伊太利屋」という文字をあしらったクラリーノ皮のええやつを物色したが見つからなかったので断念した。

ローマから英国航空BA549便に搭乗し、一路ロンドンヒースロー空港へ飛んだ。ブリティッシュエアーが運行するB757機のシートは総革張りになっており、クルーは品のいい英国紳士、淑女が搭乗しており、大英帝国の実力をまざまざと思い知らされた。

ヒースロー空港のターミナル3はおびただしい数の免税品店が出店しており、一大ショッピングセンターを思わせるほどの活気に満ち溢れていた。ロンドンからNH202便に乗り込みシベリア上空を飛行しているといきなり機内アナウンスがあり、左手方向にオーロラが見えるということであった。幸運にも左手翼のかかる窓際に陣取っていた私はかろうじてオーロラを目にすることが出来たのであった。

知って得するイタリア情報

*イタリア自動車事情

 イタリアはスーパーカーのメッカであり、池沢さとしが25年前に少年ジャンプに連載した「サーキットの狼」に出てくるような水平対向12気筒ミッドシップエンジンの爆音高 らかにフェラーリやランボルギーニ、マセラティが所狭しと走り回っている図を予想していたのだが、実際にはフィアット、アルファロメオ等の小型車ばかりだった。特にsmartという名の2人乗りのシティカーが小回りを利かせていた。「ロータスの狼」という異名を持ちノーツに関してはどんなにシビアなトラブルもたちどころに解決し、そのたびに管理用端末のボディに☆印を追加しているヤスであればこの状況には満足出来ないだろうと思われた。

*イタリア「スリ」情報

 ローマやナポリのような観光地ではたくさんのスリが観光客から金品を盗んで生計を立てているそうなので注意しなければならない。彼らの技法は伝統的なスリスリと寄って来てポケットに手を入れたり、トルシエ日本代表サッカーチームのディフェンス陣が誇るフラットスリーのように高度なフォーメーションを使うものなど様様である。大蔵官僚という甘い汁に浸かり、身も心もすきだらけのマサであれば身ぐるみはがされるところであろうが、もみあげの無いゴルゴ13と言われ寸分のすきも見せない私からはルパンIII世や山田康夫でも盗めないと恐れられている。

*麺ロードの起点

 2000年1月に森田と蓮沼で組むタイムトラベラーが麺ロードをスタートさせた地点はヴィットリアーノと言ってローマのランドマーク的建造物の前である。イタリアのスパゲッティはポモドーロにしてもボンゴレにしても具が少なく非常にシンプルなものが多いが、麺のこしと味はレストランによってまちまちである。

*イタリアの日本人のベストセラー

 ローマでもナポリでも周りを見れば日本人だらけであったが、彼らの98%くらいは「地球の歩き方を」見ながら町歩きをしていた。イタリアの町並みは規則性がなくストリートが複雑に入り組んでいるのでガイドブックで確認しても道に迷ってしまうのだ。

FTBサマリー

*総飛行機代:¥113,000

*総宿泊費:L640,000 (L100=約\6)

*総国鉄代:L73,200

*今回歴訪した国:フランス、イタリア、ヴァティカン市国、イギリス

今後予想されるFTBEUツアー

*ユダヤ人の逆襲ハイルヒットラー!をひっとらえよツアー

*太川陽介推薦フランス「るい!るい!」ツアー

*おしえておじいさん!スイスアルプスツアー

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