は~るばる来たぜ!はぁこだぁてぇ♪♪
あ~なたと食べたい さぁけちゃづけぇ~♪♪
・・・・中略・・・・
とぉ~てもぐゎまんが~ぁ出来なかぁあたよ~♪♪
song by S.Kitajima
ということで上機嫌で鼻歌を歌いながら出てきたのは函館空港ではなく、札幌新千歳空港のトイレからだった。21世紀初のFTBJはANAが他社に先駆け、最先端統計手法と損益計算テクノロジーを利用して開発した「超割」を利用してマサであれば¥53,000かかるところをわずか¥20,000で函館への往復ツアーを決行することになった。
2月3日(土)羽田空港の16番ゲートでテレビを見ているとNHKニュースでJAL機のニアミス事件のことを大々的に取り上げていた。今回私が搭乗する飛行機も空中衝突緊急回避装置であるTCASが搭載されているかどうか心配になったので責任者から納得のいく回答をもらえるまで搭乗しないとイチャモンをつけようかと思ったが、機体がボーイング社が誇る1機$200Mもする最新鋭のB777-300だったので渋々搭乗してやることにした。
6:50定刻に羽田を離陸したANA851便は順調に函館空港を目指していた。ところが函館上空にさしかかったところで機長からアナウンスがあり、函館空港上空は天候不良のため視界が悪く、天候が回復するまで函館上空を巡回するということであった。結局1時間弱巡回したものの天候の回復が期待出来ないということで札幌新千歳空港に着陸する羽目になった。乗客から軽いブーイングが起こったもののFTBの社訓第1条にあるとおり、FTBのFはFlexibilityをあらわすためこの変更を冷静に受け止めた私は函館上空で巡回した分のマイルはマイレージに加算されるのだろうかという疑問を抱きながらも新千歳空港に降り立った。
北海道ではこのような着陸地変更は頻繁にあるらしく、地上係員の対応もすばやく、搭乗券の半券と引き換えにJR函館駅行き特急券の引換券を乗客に渡していた。しかし、このまま素直に函館に行くのも能がないのでとりあえずエアポート快速で札幌まで出てみることにした。北島三郎よろしく期待に鼻の穴を膨らませて札幌駅を出た私にいきなり-8℃の寒気が直撃し鼻毛を凍らせたため、膨らんでいた鼻も一気にしぼんでしまった。
朝飯を抜いていたため、まずはとりあえず札幌ラーメンでも食おうと思い、味の時計台というラーメン屋に入り、一番人気のホタテバターラーメン(¥1,500)を発注した。ここのラーメン屋はかなりの名門らしく、店内には眉毛も凛々しい村山富一元首相の写真や羽田孜の色紙等有名政治家の遺品がたくさん展示されていやがった。また、チューヤンが某テレビ番組の旅行企画でここでアルバイトをしていた実績があり、記念写真が店先に飾られていた。納入されたラーメンの方はホタテのロックンロールで「ょうきん族」を席巻したこともある安岡力也もびっくりするほどの大粒のホタテが3個も入っており、非常にお値打ちなものだった。
腹も膨らんだところで、札幌大通りで翌週から始まる札幌雪祭りの準備が佳境に入っているという情報を聞きつけ何か手伝えることはないかと思い、様子を見に行った。例年雪不足で困っているというニュースをよく聞くものの今年は雪が豊作で彫刻家たちも長島監督の胴上げをかたどったものやミッキーマウスの雪像等の彫刻を急ピッチ仕上げていた。
マサよ、君は札幌時計台の建物の中に入ったことがあるか???
私は・・・ある!!!
ということで過去2回の札幌歴訪にもかかわらず修復中のために観光客を寄せ付けなかった時計台(¥200)にとうとう入ることが出来た。札幌市時計台は数々の少年に大志を抱かせることに成功したクラーク博士が教頭をしていた札幌農学校(現北海道大学)の演武場として明治11年に建てられたもので現在重要文化財になっている。ちなみにクラーク博士の教え子の1人は大使を抱きすぎてマグマ大使になって地球を守ったとも伝えられていない。時計台の時計はボストンにあるハワード社より輸入され、仕組みは鳩時計と同じ振り子時計でイチローの右足のように動く振り子の動力にはおもりが利用されている。今回はたまたま12時前に来ることが出来たので1日で一番数の多い鐘の音を間近で耳にすることが出来た。しかし、ただひとつ残念に思えたのはライトアップのファシリティがなくクラ~くなったあとの演出をどうするかということが課題であると思えた。
12時27分のスーパー北斗12号で札幌を後にし、一路函館へと向かった。列車の窓から外を見るとあたりは一面雪景色で田中邦衛が雪下ろしをしている姿が似合いそうなほどほのぼのとした光景を見ることが出来た。30分の遅れが発生したものの4時前に函館駅に到着することが出来た。今日の函館は松任谷由美も声が出なくなるほどのブリザードの影響で屋根の下にある駅のホームにも数センチの雪が積もっていた。
函館は晴れ渡った札幌よりも寒く寒暖計は-9℃をさしていた。とりあえず函館山に登頂して夜景でも見るかと思い、2km先のロープウエイ乗り場に徒歩で向かった。ロープウエイ(↑↓¥1,160)で展望台に上ると冬場にもかかわらず、老人写真同好会を思わせるじいさん、ばあさんの集団が三脚を設置し、老いた体に鞭打ってシャッターチャンスを狙っていた。また、旗をもったツアーのおね~ちゃんたちに先導された気弱そうな観光客もたくさん見受けられた。5時くらいから暗くなり始めた函館市内は徐々に輝きを増し始め、素人の観光客たちは一様にきれい!とかすごい!とか賞賛の声をあげていた。しかし、実際は売店で売られている夜景の写真よりも40%くらいネオンの数が少なく北海道電力も雪のために電力の出し惜しみをしているのではないかと思われた。
下山して麓の電停から市電に乗り、湯の川温泉を目指した。湯の川は北海道を代表する温泉街で1653年に松前藩主氏広の長男千勝丸が難病を湯治したことから始まったと伝えられている。7時前にホテル万惣という温泉旅館に乗り込むと8時ごろ食事が出てきた。内容はイカ、ホタテ、シャケ、じゃがいも等北海道の特産品をふんだんに使った非常にボリュームのあるものだった。しかし、飯を食いすぎて9時54分ころ気分が悪くなった私はニュースステーションのオープニングソングが「オエ、オ~エオ、オ~エ~!」と聞こえでもしたら大変なことになっていたと思われたが、幸い土曜日だったので何とか持ちこたえて温泉に向かうことが出来た。温泉の泉質はスタンダードな含炭酸食塩泉で得意のリューマチとか神経病に効果があるという能書きが書かれていた。強酸性で肌を根元からツルツルピカピカにする草津温泉や卵が腐った臭いのする別府のような強烈な個性はなかったものの十分この温泉でくつろぐことが出来た。
翌日曜日は朝から温泉に浸かり、宿をチェックアウトして函館朝市へと向かった。朝市は豪雪の影響で客が少なく、どの店も激しい客の奪い合いをくり広げていた。私も高級タラバガニを大量に買い込んでマサに高値で売りつけようと思っていたが、やめにして食堂街へ向かった。イクラ丼はイクラ払えば食えるのか非常に興味があったのだが、今回はとある食堂でウニ、カニ、エビ丼(\2,500)を食ってしまった。
その後朝市を通り抜け、ベイエリアの赤レンガ倉庫郡へと向かった。おびただしい数のレトロチックな赤レンガの建物は現在では地ビールのビヤガーデンや海鮮市場やみやげ物屋へと変貌を遂げていた。あるみやげ物屋はオルゴールとクリスタルガラスの専門店になっており、オルゴールの曲は函館が生んだスーパーロックグループのGLAYのものが非常に多かった。
倉庫郡を後にして,市電に乗り、五稜郭公園へと向かった。幕末と明治初期の歴史を研究している私はペリーが来航した翌年の1854年に日米和親条約により下田と箱館を開港した当初の状況を調査するために五稜郭タワー(\650)に登った。五稜郭は上から見ると星状の形をしており、典型的な日本の城郭とは一線を画しており、ヨーロッパの城を真似て作られている。箱館戦争が起こった1868~1869年に榎本武楊や土方歳三は五稜郭を基点に最後まで官軍に対抗したが、とうとう力尽きてしまったということである。
函館空港の近くに湯宝(UFO)という温泉があるので帰りに立ち寄ることにした。自動販売機で入湯チケット(¥360)を買い、ちょうど地球の男に飽きた頃のミーちゃん、ケイちゃんに似た受付のおね~ちゃんに券を渡すとロッカーの鍵と交換してくれる仕組みになっている。温泉の泉質は含食塩硝鉄泉というあたりさわりのないものだが、ここで旅の垢を落として東京への帰途についた。
次回FTBJはやくしまるひろ子推薦やくしまルンルンツアーを屋久島からお届けする予定です。
マサよ、必ず来いよ!もし来なかったら君の新婚家庭に頼んでもないコギャルセット、セーラー服と機関銃が送られてくるかも知れないよ!!