1998年8月、大蔵省から特命を受けて送り込まれていたマサをサンフランシスコレジデンスクラブで拉致して、FTBを立ち上げてから早くも5年近くの歳月が流れてしまった。当時の裏の仕事であったアプライドマテリアルズジャパンから貸し与えられていたAvisレンタカーを馬車馬のように乗りこなし、史上最大アメリカ横断ウルトラFTBの達成はならなかったものの、西海岸の縦断は達成することが出来たこともはるか昔の出来事のように思える今日この頃である。その後何度か裏の仕事も変わりながらも私の本業であるFTBの実績は着々と積みあがっていき、今回とうとうこの時を迎えたのであった。
4月27日(土)
ゴールデンウイークの初日であるにもかかわらず、成田空港第二ターミナルは予想外の人出の少なさだった。思いのほか短時間でチェックイン、出国を済ませるとANA008便で一路サンフランシスコを目指した。離陸後ほどなくするとANAマイレージクラブプラチナ会員から最高級のダイヤモンド会員へと成り上がっている私のところにパーサーが早速挨拶に来たので仕方なく相手をしてやった。
9時間ほどのフライトでサンフランシスコ国際空港へ到着したのだが、驚いたことにここでも入国審査とコネクションフライトはがら空きであった。飛行機を乗り継いでソルトレークシティ空港に3時半頃到着し、早速レンタカーをピックアップすると、I‐15をアイダホ州目指して北上した。1時間程度のドライブでFTB史上49州目のアイダホ州に突入したのだが、さすがにポテトの城下町だけあって、あたり一面、地平線の彼方まで大農法で耕されている畑が続いていた。この日は到着した時間が遅いこともあって、Idaho FallsにあるMotel6に引き払ってとっとと休むことにした。
4月28日(日)
Idaho Fallsから100マイル程度北東に走るとWest Yellowstoneという町に到着した。ここはご存知イエローストーン国立公園のゲートシティであり、イエローストーンを目指す観光客のための1大拠点になっている。West Entranceで入場料($20.‐)を支払った後、FTBの念願であったイエローストーン国立公園への1歩を踏み出すことに成功した。
園内に入ってしばらく走っていると心なしか大阪ドームや藤井寺球場に入り込んだような錯覚に見舞われた。気を取り直してあたりを見渡すとそこには大小さまざまなバッファローが我が物顔で闊歩しており、梨田監督も選手起用に困ってしまうほどの強力なラインアップを誇っていた。しかもどれもメジャー級の面構えをしており、車道の上も堂々と群れをなして歩いていやがった。
右を見ても左を見てもバッファローで大阪近鉄の球団編成もどれをドラフトで指名すればよいのか簡単には結論が出ないのではないかと思われた。また、大型の鹿のエルクも”いてまえ”打線が爆発する前にとっとと草を食って退散せざるを得ない状況に追い込まれていた。
マサよ、君は ♪ある日(ある日)森の中(森の中)クマさんに(クマさんに)出会った(出会った)♪
ことがあるか?? 私は・・・出会ってしまった!!
というわけで、園内を北に向かってさらに突き進んでいるといきなり黒山の人だかりに遭遇してしまった。とりあえず、私も車から降りて何が起こっているのか確認することにした。するとそこには銃を携えたレンジャーの後ろでカメラを構えていた観光客の視線の先に巨大なグリズリ-の母子連れ3頭がたむろしている姿が目に飛び込んできた。グリズリ-母子は次第に観光客との距離を縮めていき、牛の死体を発見した川辺まで来るとその距離はわずか50mほどになっていた。グリズリ-の瞬発力はすばらしく50mをわずか3秒足らずで走るといわれており、本気で追いかけられるとカール・ルイスであっても逃げきれることは出来ないのだ。この距離でグリズリーと目があってしまうとクマさんこと篠原勝之であれば恐怖のあまり、髪の毛が一本残らず抜け落ちてしまうのではないかと思われた。
持参したCanon EOS 5 85mmレンズで何とかグリズリ-の近距離撮影に成功した後、さらに北上し、Mammoth Hot Springsという地域に到着した。近くにビジターセンターがあったので公園紹介のスライドと園内の動物の剥製を見物した。動物の中でも私の視線を釘付けにしたのはマウンテンライオン(通称ピュ-マ)であった。なぜならこの動物が大リーグボールを身に付けると星ピュ-マとしてバッファローズに立ち向かうのではないかと思われたからだ。。
Mommmoth Hot Springsはまるで賽の河原のような物悲しい雰囲気をたたえていた。ここには地底深くから吹き上げられた温泉に含まれる石灰分が蓄積され、幾重にも重なって巨大なデコレーション・ケーキ状の温泉階段が形成されている。これはテラスマウンテンと言われており、頂上からは温泉が止めどなく流れており、日本人観光客であれば思わず、♪ババンバ・バンバンバン、アビバノンノン♪と叫んでしまうほどの代物である。
今日の最後はノリス・ガイザー・ベイズンという熱水現象が3km四方に渡って広がっている地域を散策し、1時間待ちでEthinus Geyserから間欠泉が吹き上げるのを郷ひろみのナツメロ♪熱っチチ、熱チ♪を歌いながら締めることにした。
4月29日(月)
昨夜はイエローストーンの北口ゲートに隣接しているGardinerという町に滞在していたので今日は早朝より園内の散策に向かうことが出来た。イエローストーンは四国の半分ほどの大きさで園内はマンモス・カントリー、ルーズベルト・カントリー、キャニオン・カントリー、レイク・カントリー、ガイザー・カントリーという5つのカントリーに分かれている。その中でも最大の見所はガイザー・カントリーにあるアッパー・ガイザー・ベイスンという間欠泉が集中している場所である。
アッパー・ガイザー・ベイスンの観光の拠点はオールド・フェイスフルというビジターセンターである。その目の前にオールド・フェイスフル・ガイザーというイエローストーンのシンボルになっている間欠泉がある。この間欠泉は約65分おきに高さ40~60mの熱水を吹き上げ、1872年の開園当時からほとんど一定の噴出時間、間隔、高さを保っている。噴出予定時間がビジターセンターに掲示されているので観光客は噴出のチャンスを見逃すことなく観光に励むことが出来るのだ。
また、その周辺の遊歩道を歩くとたくさんの間欠泉や温泉を見ることが出来る。イエローストーンはかつてひとつの巨大な火山の一部であり、今でも公園の中には火口の後が残っている。地下のマグマはわずか4800mという浅いところまで迫っているため、1万にもおよぶ温泉、間欠泉、泥泉の宝庫となっており、箱根、草津、別府地獄めぐりが束になってかかってきても敵わないほど豊富な湯湧量を誇っているのだ。
イエローストーンにグランドキャニオンが出現しているという情報を入手したので早速見物に行って来た。キャニオン・カントリーの中心のビレッジから数マイルほど車を走らせるとイエローストーン川によって浸食された果てしなく続く黄色い絶壁を目の当たりにして一瞬言葉を失ってしまった。この峡谷は熱水の影響を受けて脆くなった流紋岩が、川の力で約15万年かけて削られたものだそうだ。上流には高さ94mのロウア-滝があり、GO!GO!と大量の水を流していた。
4月30日(火)
昨夜に引き続き、Gardinerから北口ゲート経由で園内に入った。2日前にグリズリーを発見したポイントは彼らのテリトリーらしく、今日も物々しい警備体制の中、観光客はベア-ウォッチングに精を出していた。バッファローの群れに数回行く手を遮られながら、今日もアッパー・ガイザー・ベイスンに戻って来た。昨日の晴天とはうって変わって今日はどんよりとした曇り空でオールド・フェイスフル・ガイザーを見下ろすことが出来るObservation Pointで間欠泉がファイヤー!するのを待っていると大粒の雨が降りだしたので撤収を余儀なくされてしまった。
2日半に渡るイエローストーンの調査を終え、ソルトレークシティへの帰路についたのはお昼前の時間帯だった。イエローストーンの観光シーズンが本格的に始まるのは5月の中旬からであるので今回の調査では公園内の全貌を解明するには至らなかった。やはりこの地方の冬は長く、未だに雪道に閉ざされて通行止めになっている道路がたくさんあるためだ。
デルタ航空のマイレージが余っていたので、マサであれば数100ドルかかるところを私はただでアンカレジまでの往復航空券を手にしていた。5時間あまりのフライトで2時間の時差を越えてアンカレッジ国際空港に到着したのは午後10時前であった。飛行機を降りて手荷物受取所横の航空会社のカウンターのそばでいきなりPolar Bearという看板もまぶしい巨大な白熊の剥製に出迎えられた。さすがに「パムでパムエアコン」のお膝元のしろくまくんの地にふさわしく空港を出ると涼しい突風が吹き荒れていた。
空港のハーツレンタカーでマーキュリー・クーガ-を受取った後、早速ホテル探しに向かった。適当な場所にHampton Innがあったので早速交渉することにしたのだが、あいにくオフシーズンプライスの$165のスイートしか空いてないということであったが、夜も遅かったのでここに泊まることにした。ホテルのロビーの正面に明らかにアンドレ・ザ・ジャイアントよりも背が高い、ブラウンベアの剥製が誇らしげにファイティングポーズをとりながら牙を剥き出していた。3階のホテルの部屋は一見スタンダード風かと思われたが、何とベッドのすぐ隣に室内用のジャグジーが据え付けられており、アメリカ有数の観光地アラスカの実力を見せつけられたような気がした。
5月1日(水)
今日からアメリカ合衆国最後の聖地、FTB史上50州目のアラスカの探索に本格的に乗り出すことになった。5月になったとはいえ、アラスカの地はまだ、冬から春になりかけの季節であり、北の方はいまだに厳寒の雪と氷に閉ざされているらしいので、まずはアンカレジからほど近い西南アラスカに位置するキーナイ半島を訪問することにした。
ミッドタウンよりスワードハイウエイを南に下ると道はいつのまにかアラスカ州道路1号線に変わっていた。クック入り江の海沿いを走っていると対岸には雪と氷河をたたえた山を背景にした険しい海岸線がどこまでも続いている。4時間ほど走るとホーマーという美しい港町に到着した。ホーマーはカチェマック湾に面した緑豊かな港町でアラスカの理想郷と言われるほど温暖な気候を誇っている。ホーマー・スピットという海に向かって伸びる8kmほどの砂州の地帯があり、そこはクルージングや釣のメッカになっているののだが、やはりシーズンオフのため人影はまばらであった。ホーマースピットの終点にはLANDSEND(地の果て)というホテル&レストランがリゾート地のいでたちで誇らしげに建っているのが印象的だった。
ホーマーから来た道を引き返し、途中で東に進路を変えて有名なキーナイ半島屈指の港町であるスワードに着いた時間は午後8時前になっていたので適当なモーテルをみつくろって宿をとることにした。ちなみに北緯60度を越えているアラスカは南部とはいえ、夜の11時ごろまで昼なのである。
5月2日(木)
マサよ、君はフィヨルドという地形を知っているか?? 小学校のよい子の社会科や高校の地理Bで学んだと思うが、フィヨルドは氷河によって削られた複雑に入り組んだノコギリ状の海岸線である。キーナイ・フィヨルド国立公園で本物のフィヨルドがライブで見れるということだったので早速スワードにあるビジターセンターで情報収集を行なった。この国立公園へのアクセスは通常現地のツアー会社が遂行しているクルーズに参加して、海側から氷河や海岸線の地形を見ることになっている。なるほど、ビジターセンターの近くにはおびただしい数のツアー会社が軒を連ねていた。ところが、実際に本格的なクルーズのシーズンは5月4日くらいから始まるとのことで今回は国立公園の内部に迫るクルーズへの参加を断念せざるを得なかった。
いろいろとツアー会社に問い合わせをして最大手のKENAI FJORDS TOURSがホエールウォッチングのツアー($69.‐、昼飯付)を実施しているという情報を入手したので早速参加することにした。船に乗り込むとみな同じジャンパーを着たユタ州の大学生と名乗る集団に取り囲まれてしまった。中にはハワイから留学しており、昔、常磐ハワイアンセンターでダンサーをやっていたという若者までいやがった。
船は港を出航すると湾の中を海岸線に沿って南に向かって進路を取った。海岸線は木の生えた急峻な崖になっており、時折、白いボディもまぶしいマウンテンゴートを発見する事が出来た。山岳地帯に住むこのヤギは外敵から身を守るためにガケの斜面で生活しており、マサに草を食うのも命ガケの状態で暮らしているのだ。
さらに船は進み、フィヨルドがどのように形成されるのか手にとるようにわかる氷河等を横目にとある小さな岩山付近を通過した。そこにはおびただしい数のアザラシが日光浴をしながらギャ-ギャ-わめいていやがった。
マサよ、君は野生のオルカを見たことがあるか? アラスカくんだりまで来てオルカをみないとオロカものになってしまうことを君は知っているか? というわけで、このクルーズのハイライトであるオルカの集団をついに目にする事が出来た!オルカは普通集団行動を取っているらしくこの日も数頭連れで北の海を悠然と泳いでいた。ときおり見せる尾ひれや白い腹部を見ると鴨川シーワールド等で芸人として使われているシャチとは一味違った野生の風格を実感することが出来るのだ。その他、今回のツアーではアシカやラッコ等の姿も目撃することが出来、アラスカの海の生態系の一端を垣間見た思いがした。
5月3日(金)
北米大陸最高峰のマッキンリー山(6,194m)がアラスカ中部にそびえているのでアンカレジから北へ382kmの道のりをはるばるデナリ国立公園までやって来た。ここはアラスカで最も人気のある景勝地でデナリとは地元の言葉で”偉大なもの”を意味すると言われており、マサに今回のFTBの実績にふさわしい目的地となった。
アラスカにはアンカレジとオーロラ観測で有名なフェアバンクスという代表的な都市があり、その間を大動脈といえる国道が通っている。デナリ国立公園はその中間ややフェアバンクスよりに位置しており、雄大なアラスカの大地に包まれながら、片側1車線対面通行の道路をV6エンジンの排気音も軽やかにマーキュリー・クーガ-を転がすことが出来た。道路は除雪されているもののあたりは一面銀世界であり、この地方の春の訪れの遅いことを実感させられる。ビジターセンターに到着したのはお昼前であったが、やはりシーズンオフということもあってすべての園内でのアクティビィティは稼動していない状況であった。
夏季の園内は非常に混雑すると言われており、動物達も短い夏を謳歌するために積極的に動きまわるそうであるが、今回は残念ながら、岩場に張り付いたヤギ2匹と足元にまとわりつくリスしか発見出来なかった。通常であればムース(ヘラジカ)をラチしてヘッドロックで一泡吹かせて整髪料として資生堂に高値で売りつけていたり、カリブー(トナカイ)をクリスマス用に捕獲していたところであったろう。
園内は山岳地帯であるものの、その中でもやはりマッキンリーの存在感は群を抜いていた。帰りはバックミラーに写るマッキンリーの姿を見ながら車を走らせていたのだが、アンカレジから67マイルの地点までその勇姿は消える事はなかった。天気の良い日にはアンカレジのダウンタウンからもその姿を見ることが出来るそうである。
5月4日(土)
アンカレジのダウンタウンにレゾリュ-ション・パークという公園がある。園内には1778年にこの地に錨をおろした英国人キャプテン・クックの銅像が彼の名を冠したクック入り江を眺めるようにして立っている。桜田淳子が♪ようこそここへクック・クック♪と歌う200年も前の出来事だったそうだ!
8時45分発のデルタ機でソルトレークシティに午後3時前に戻ってきた。早速車を飛ばして向かった先はアメリカンフォークのTimpanogos Cave National Monumentである。ここはAmerican Fork Canyon and the Alpine Loop Scenic Backway($3.-)という緑濃き山岳ドライブ道の中核観光地であり、山の頂上付近の鍾乳洞を見物することが出来る僻地である。
5月5日(日)
ANA007便にてサンフランシスコより帰国
北海道よりすごいアラスカ情報
*アラスカの物価は高い!日本の軽井沢を上回るアメリカ最強の避暑地であるアラスカのオンシーズンのホテル代は西川きよしほど目の飛び出るほど高いので貧乏人はオフシーズンに来なければならない。
*アラスカはアメリカ50州のなかでも治安がいい州である。それはあまりにも寒すぎて悪さをする気ににさえならないからだと思われる。
*アンカレジのダウンタウンは海と山脈に囲まれており、すぐ近くでサケの遡上とそれを追ってきたベル-ガ(白いイルカのような鯨)を見ることが出来るのだ。
FTBサマリー
*総飛行機代 \199,100
*総宿泊費 $585.65
*総レンタカー代 $554.02
*総ガソリン代 $127.66
*総走行距離 2,571マイル
*今回訪問した州 カリフォルニア、ユタ、アイダホ、モンタナ、ワイオミング、アラスカ
次回FTBは裏の仕事のついでにアイルランド王国の首都ダブリンから何らかの情報提供が行なわれる見込みです。