♪山がぁ燃えるぅぅぅ~♪ song by S. Ishikawa
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/amagigoe.htm (音が出るぜ!)
マサよ、君はこの歌が決して山火事の歌ではないことに気づいているか!?
ということで、1854年に日米和親条約が締結されて南伊豆の下田と北海道の箱館が開港され、実質上日本の鎖国政策が終焉をむかえてしまったのであるが、今年は開国150年という非常にめでたい年にあたる。この記念すべき年が現地でどのように祝われているのかという検証も含めて今回は天城を越えて南伊豆の温泉地を探索することとなった。
11月27日(土)
雪に覆われた富士山頂を眺めながら、厚木インターで東名を下り、小田原厚木道路を経由して伊豆半島の東部を海岸線に沿って南下していくと熱川温泉が近づいてきた。この界隈に昭和33年の開園以来伊豆の伝統的な観光地としての地位をゆるぎないものにしている熱川バナナワニ園(\1,000)が君臨しているので入園させていただくことにした。バナナワニ園という名前にもかかわらず、ここにはバナナワニという黄色い皮をかぶった種のワニがいるわけではないという認識を前提に園内の探索を開始することにした。1万坪を誇る園内は本園・ワニ園、本園・植物園、分園に分かれていたのでまずは本園・ワニ園からスタートすることにした。
本園・ワニ園は狭い池系の柵に囲まれた地域の中にクロコダイルやアリゲーター等世界中から拉致されてきたワニが飼育されているのだが、最近柵のペンキを塗り替えたと見えて柵に接触するすべてのワニの鼻頭が青色のペンキに覆われていて気の毒な気がしたのも事実である。ところでビートたけしが漫才ネタに使っていた「このワニはこんなに小さいときから育ててきたのに成長した今となってはスキがあればこ~んな大きな口をあけて私を食べようとするんですよぉ」と嘆いていたワニの飼育係はついに発見出来なかった。
本園・植物園の方には美しい花木・原種ラン・熱帯性スイレン等が展示栽培されており、温泉の熱を利用して育てられた草花を見ながら熱帯の雰囲気を味わうことが出来るようになっていた。本園から無料のマイクロバスに乗って到着する分園の方はさらに大きな規模を誇っており、バナナ、パパイア、グアバ等の熱帯果樹だけでなく、大規模なワニ池やレッサーパンダの飼育場や巨大ゾウガメが元気に歩行している砂場池等のファシリティが充実していて非常に見ごたえのあるものとなっていた。
熱川温泉をさらに南下して下田温泉に向かう途中の飛び込みで入ったラーメン屋になぜか開国150周年を記念して矢沢永吉のコンサートが11月22日に下田市で開催される旨を告知したポスターが貼られていたので永ちゃんの偉大さが再認識された次第であった。下田温泉に到着すると早速楽天トラベルに予約させておいた下田温泉なぎさホテルにチェックインさせていただき、弱アルカリ性、単純泉にしばし浸かった後、軽く町並みの散歩をこなして小腹を空かし、魚系中心の豪華旅館メニューに舌鼓を打ちながら外圧に負けて開国を余技なくされた幕府の情けなさをしみじみと嘆いて夜を過ごすことにした。
11月28日(日)
下田温泉なぎさホテルをチェックアウトすると早速「しもだまちあるきMAP」を参考にしながら下田の名所を散策することにした。
マサよ、君は初代アメリカ総領事館でちょんまげ野郎どもに囲まれ、孤独に耐えながらも黙々と業務をこなし、1858年の不平等条約である日米修好通商条約の締結にこぎつけた毛頭を知っているか!?
ということで、初代米国総領事であるタウンゼント・ハリスが根城にしていた初代アメリカ総領事館であった玉泉寺を訪問させていただいた。寺の境内にはハリス記念館(¥300)も併設されており、その中には当時をしのばせる貴重な資料や物品が展示されていた。また、昭和54年6月27日には第39代アメリカ大統領ジミー・カーターとその一味が玉泉寺を訪問しており、下田の町は上へ下への大騒ぎになった様子が記録されていたのであった。尚、寺院の裏には黒船(ペリー艦隊)乗員の墓やロシア艦ディアナ号乗員の墓もあり、日本最初の外人墓地の様相も呈していた。
湾の入り口に位置する下田市全体を見渡す高台は下田公園になっており、開国記念碑やあじさい園、椿園など歴史と自然と美しい景色が融合した絶好の散歩道が提供されていた。開国の歴史をダイジェストで学習するのに最適な下田開国博物館(¥1,000)で黒船来航の状況を確認するために入ってみることにした。ここは大きくペリーのコーナーとハリスのコーナーと都合のいい便乗条約である日露和親条約締結の中心人物であったプチャーチンを中心とするロシアとの友好のコーナーに分かれれている。ここで目を引く展示物は当時実際にハリスが食した膳のメニューやハリスの妾として不遇な人生を送り、唐人とののしられた唐人お吉に関する展示物であったろう。また、当時の資料を拝見していると1853年にペリーが浦賀に来たときにQuick Decisionが出来ずに1年後に再度下田くんだりまで来させたという日本伝統の返事引きのばし作戦の歴史が見て取れたのも事実であった。日米和親条約が締結された舞台となった了仙寺から下田公園入り口まではペリーロードとなっており、ペリーが下田に上陸した記念の場所にはペリーの大顔を形どったペリー艦隊上陸の碑が建立されていたのだった。
開国の港下田を後にすると伊豆半島の中心部に位置する天城峠を目指すことにした。天城山、天城高原を有する伊豆の中心部は険しい山道になっており、九十九折を髣髴とさせる7回転ループ自動車道を越えると天城峠に向かう脇道が登場する。その脇道は舗装されていない狭い道路でドライバーは皆♪戻れなくても も~ い~の♪という決意を持って車を転がしているように思われた。2kmほど走ると天城隊道に到着した。ここでは伊豆の踊り子の衣装を身にまとったギャルとその取り巻きが待ち構えており、「天城越え」という文字の入った白提灯を有償で観光客に貸し付けて暗い天城隊道を徒歩で歩かせるような催し物が行われていた。
道の駅天城越えで名物わさびソフト(¥300)を食った後、天城最強の名所であり、日本の滝百選のひとつである♪じょうれんのたぁきぃ♪(浄蓮の滝)に向かった。浄蓮の滝を見上げる展望所には滝の景色の美しさもさることながら紅白の常連となっている石川さゆりのレリーフとともに名曲♪天城ぃ越ぉえ~♪の歌詞を掘り込んだ石碑が女の情念とともに刻まれており、おばちゃん観光客の絶好の記念写真スポットになっていることが確認されたのであった。
天城峠を下ると伊豆天城湯ヶ島温泉市営湯の国会館(¥800)の露天風呂でナトリウム、硫酸塩温泉に浸かりながら旅の疲れとともに情念を振り払い、今年の紅白では必ず石川さゆりが赤組のとりをつとめることを祈念して伊豆を後にすることにした。
FTBサマリー
総宿泊費 \13,275(2食付)
総高速代 \7,250
総ガソリン代 \5,742
次回はFTB炎の離島デスマッチ第?弾 サイパンをお送りします。