カリビアンを虜にするプエルトリコツアー

アメリカ合衆国50州を制覇してすでに4年の歳月が流れてしまった今日この頃であるが、世の中にはアメリカ合衆国領!というFTB未開拓の地が残っていると言われている。マサ率いる財務省が暗躍する日本も言ってみればアメリカの植民地に分類されるのであろうが、今回は日米野球界に数多くのカリブの怪人を輩出し、スカウトを虜にしているプエルトリコの実情の調査に向かうことにした。

2006年4月29日(土)

テロ、SARS禍、中国での反日デモといった例年のマイナス要因もなく、今年のゴールデンウイークは過去最大の高飛び野郎を輩出するというニュースに偽りなく、成田空港第二ターミナルは立錐の余地がないほどの人手でごった返していた。つい一週間前に裏の仕事のデンバー出張から帰って来たばかりの肉体に鞭打って午前11時10分発のNH2便ワシントンDC行きB777-200機(http://www.ana.co.jp/int/inflight/seatmap/b777_200/index.html)の33C席に陣取ると11時間ちょっとのフライトでワシントンダラス空港に到着した。そこからさらにUA8023便に乗り換えると午後2時過ぎにセントルイス・ランバート国際空港へ上陸することと相成った。

空港のハーツで名も知れぬ白いGM箱型車をレンタルすると早速ハイウエイに飛び乗ったのだが、驚いたことにそのハイウエイは赤ひげのホームラン王Marc McGwireの名前が冠されていたのであった!McGwireと言えば1998年に年間70本のホームランを放ち全米を興奮のルツボに陥れたことは記憶に新しいのだが、なるほどセントルイスを横断するI-70高速道路はマサにBig MACの名前にふさわしい太い道路であった。

ミズーリ州のI-70、通称Marc McGwire Highwayから州境のミシシッピー川を超えイリノイ州のI-55に乗り継ぎそのまま北に向かって70マイルほど走るとLincoln Home National Histric Siteという自然公園系のファシリティに到着した。着いた時間が遅かったためビジターセンターが閉まっていたので仕方なく周囲の散策を軽くこなした後セントルイスへの帰路に着いた。今日は初日ということで、Hilton HHonorsのポイントが余っていたのでマサであれば$90くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るHampton Inn Florissantに引きこもり、巨人の星を見上げながら床に着くことにした。

4月30日(日)

セントルイスの郊外にアメリカの古い大統領であるUlysses Grantの住居がNational Histric Siteとして保存されているので見物に行ってきた。とりあえず数人の野次馬アメリカ人とパークレンジャーが案内するサイトツアーに参加したのだが、歴代の大統領を重んじるアメリカらしく古い屋敷を取り繕って観光客をおびき寄せている実態を垣間見た気がした。

セントルイスのシンボルと言えばミシシッピー河岸に仁王立ちし、その圧倒的な存在感で観光客の首をななめ上方45度に固定してしまうGateway Archである。この近辺はJefferson National Expansion Memorialとして国立公園に制定されており、西部開拓はこの地から始まったということを記念してGateway Archの地下のミュージアムにはインディアンや開拓者に扮した等身大しゃべる蝋人形君達が解説する開拓物語が観光客の注目を集めていた。

マサよ、君は田口壮という日本人プレイヤーがセントルイスくんだりでいぶし銀的輝きを放っている事実をしっているか!?

ということで、1999年8月以来(http://www.geocities.jp/takeofukuda/1999mlb.html)、約7年ぶりに野球の殿堂セントルイスのブッシュ・スタジアムを訪ずれなければならなかった。何故なら世界中の酔っ払いにバドワイザーを売りつけて暴利を貪っているアンハイザー・ブッシュがその財力を結集して新しいブッシュ・スタジアムをオープンさせやがったからだ。旧ブッシュ・スタジアムは円形闘技場を髣髴とさせるコロシアム風情の建築様式であったのだが、その廃墟の隣に築城された新ブッシュ・スタジアムはカージナルレッドを基調にした色使いは変わらないもののセンター後方にセントルイスのシンボルであるGateway Archの眺望を配した景観型スタジアムへと生まれ変わっていた。

カージナルスと言えばかつて星飛雄馬のライバルとして星一徹コーチの下で消える魔球に立ち向かったアームストロング・オズマを野球ロボットに仕立て上げた球団としてオールドファンの心の琴線を揺さぶった実績を持っている。しかし今やカージナルスの最大の目玉はオズマではなく、4月の月間本塁打記録を塗り替え、Big Macやバリー・ボンズを超える勢いの強打者であるアルベルト・プーホルズである。今日対戦したワシントン・ナショナルズの投手陣はいずれもプーホルズの強打に恐れをなし、敬遠を含む4四球でそのままホワイトハウスにお引取りを願いたいくらいなブーイングを浴びていた。

そ~そ~、田口壮の活躍も無視出来ないものであろう。今日はスタメンを外れていた田口は6回の裏3対2とカージナルスリードの2死2,3塁の場面で代打で登場し、見事センター前にクリーンヒットを放ち、2走者を迎え入れた。さらに次の打席でもライトに犠牲フライを打ち上げ、3打点を荒稼ぎし、見事にカージナルズの勝利に貢献したのであった。

オズマの聖地での日本人野手の活躍により溜飲を下げることが出来たので、その勢いでStarwoodのポイントが余っていたのでマサであれば$120くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るFour Points by Sheraton St. Louis Westに引きこもり、野球ロボットと野球人形のどちらになるべきかを考えながら感慨深い夜を過ごしていた。http://www.whv.jp/title/kyojin/about/story/index2.html

5月1日(月)

♪いますぐ~Kiss me, wow wow ゴ アゥェ~ I wish you、だ~い好きだ~よと笑ァ~てよ~♪

マサよ、君は日本を代表するロック・グループがリンドバーグにちなんでおり、Lindberghがセントルイスを根城にしていたことを知っているか!?(http://www.flight-lindberg.com/

ということで、セントルイス・ランバード空港のとあるゲートで目にした旧式飛行機のレプリカはかつてリンドバーグが大西洋無着陸単独飛行に成功した「Sprit of St. Louis」であることを確認し、♪ド~キィ、ド~キィすること、や~め~ら~れッ な~いィ~、オ~イェ~♪と操縦桿をマイク代わりに歌いながら大西洋上空を飛んでいたであろうリンドバーグを思い浮かべながらワシントンDCへの帰路に着いた。

午後を回ったころダラス国際空港に帰還出来たのでそのままシボレーキャバリエに飛び乗り、ワシントンのジョージタウンを散策した後、キャバ嬢を同伴した勢いでボルチモアまでひとっ走りした。私の推奨によりマサも行ったことがあるはずのオリオールパークアットカムデンヤードに午後6時半頃到着するとトロント・ブルージェイズに叩きのめされているオリオールズファンの断末魔の叫びを手土産にメリーランド州最西部のFrostburgのHampton Innに深夜チェックインし、メリージェーンを歌う暇もなく、ダウンさせられてしまった。

5月2日(火)

昨夜12時半過ぎのチェックインにもかかわらず、朝5時過ぎにHampton Innを引き払い、一路ワシントンダラス空港へと急いでいた。気が付くとボルチモアよりはるか140数マイル西方の山奥に引き篭もらされていたため、朝8時26分のフライトに間に合うかどうか微妙なタイミングであったのだ。案の定ワシントンに近づくにつれてラッシュアワーを迎えた高速道路は渋滞の様相を呈してきており、ダラス空港のUAのチェックインカウンターに到着したのは8時20分を回った時間であり、E-Ticketの自動チェックイン機の画面には無常にも飛行機は飛んじゃったよ~というアナウンスが表示されていた。仕方ないのでワシントンからプエルトリコへの直行フライトはあきらめて、UAの有人カウンターで他の便を探させることにした。結局午後2時50分発のシカゴ経由プエルトリコ行きのフライトを変更手数料$100の支払いで確保することが出来たのでラウンジで時間つぶしをしながらダラス空港でナマでダラダラ過ごすことと相成った。

ワシントンDCから元々行く気のなかったシカゴオヘア空港まで1時間45分、シカゴからプエルトリコの首都であるSan Juan(サンファン)まで4時間ちょっとのフライトでサンファンに到着したのは夜の11時前になっており、雨もしとしと降っていたのでとりあえずタクシーで予約しておいたハンプトン・イン&スイーツ・サンファンに引き上げ、Tシャツとパンツの洗濯をこなして寝ることにした。

5月3日(水)

プエルトリコは東西約180km、南北約60kmの島で北は大西洋に南はカリブ海に面している。つい100年前までは現代におけるヤンキースのように圧倒的な強さを誇っていたスペインの植民地だったため、アメリカの自治領にもかかわらず人々はスペイン語を話し、町の看板やサインもスペイン語が溢れているのだ。首都サンファンのメトロポリタン地区はアメリカのリゾート地らしく、近代的リゾートホテルが軒を連ね、高値で観光客をおびき寄せているのだが、オールドサンファンという地域に入るとアールデコ調のスペイン様式の建物が多く、16世紀に舞い戻ったような感覚を覚えさせられるのだ。

早朝ホテルをチェックアウトするとイスラベルデというメトロポリタン地区からバス($0.75)に乗り、オールドサンファンを目指した。サンファン市自体はプエルトリコ北部の大西洋に面した半島の一部に過ぎないのだが、オールドサンファンはさらにその先端の海に突き出した部分に過ぎずないにもかかわらず、この地は昔から海上防衛の要衝として君臨している。

サン・クリストバル要塞($3)という10万m2の敷地に建つ堅牢な砦が存在しているので見物させていただくことにした。ここは後述するエル・モロ要塞を強化するために1771年に建てられたもので観光客系のラテンギャルが林立する大砲群にまたがりながら記念写真用のポーズを決めている光景が印象的だった。

オールドサンファン観光の目玉として世界的にも貴重な遺跡でユネスコ世界遺産にも指定されているエル・モロ要塞($3)が半島の突端で尖っていたので訪問することにした。この要塞の建築が始まったのは1539年で、完成したのはなんと244年後の1783年である。カリブ海の要衝としてのプエルトリコは1493年にコロンブスが2回目の航海で到達して以来、カリブの海賊や他国軍の脅威にさらされていたため、この要塞は非常に重要な防衛拠点になっていたのだ。要塞内部は広大で古い石積みの跡や衣装、武器などが展示されている博物館やビデオの上映、さらに海上43mの高さから大西洋を見渡すことも出来るのだ。

エル・モロ要塞で海上防衛のもろもろのノウハウを習得することに成功したのでシェラトンオールドサンファンのハーツで車を調達することにした。時間にルーズなラテン系ギャルが運営しているハーツのカウンターで右頬の吹き出物から出ている血をティッシュでぬぐいながらも丁寧に道を教えてくれたギャルに感謝しながら、ぺ・ヨンジュ系の車であるヒュンダイ普通車のソナタをレンタルすると一路南部のカリブ海方面を目指した。

島中央に君臨する1000m級の山岳地帯をぶち抜く高速を抜け、2時間くらい走るとプエルトリコ第二の都市ポンセに到着した。スペインから総督として派遣され、本格的な植民を実施したポンセの子孫が建設した町のはずれにヒルトン・ポンセ・ゴルフ&カジノがポンセ最大のリゾートとして君臨しており、すでに大金をはたいて予約しておいたのでカリブ海ビーチのリクライニングチェアで潮風に吹かれながらギャルの吹き出物が早く直るように祈っておいた。

5月4日(木)

タイガーウッズの父の死を悼む必要があったので今回はあえてゴルフをせずにヒルトン・ポンセ・ゴルフ&カジノをチェックアウトするとポンセのダウンタウンの中を車で徘徊することにした。ダウンタウンにも多少スペイン風建造物の見所があると言われていたのだが、街中がかなりごちゃごちゃしており、道路の両サイドの駐車車両も多かったため、観光を断念し、コアモという温泉を持つ小さな町まで車を走らせることにした。しかし、ここでも複雑な街づくりかつ道路のでこぼこでヒュンダイ車のソナタがチェ・ジウのような涙を浮かべてしまうことを恐れて退散することにした。

ポンセとサンファンを結ぶ52号線の真中あたりにカグアスという何の変哲もない町があり、特に見所もなかったので予約しておいたFour Points by Sheraton Caguasに引きこもることにした。カジノ併設のために拡張工事を行っている騒々しいホテルの敷地内に潅木や芝生があり、何かの注意事項の看板が掲げられていた。そこに書かれていた内容はなんと「煙草の吸殻を地面に捨てるな!ヘビースモーカーのイグアナがのこのこやってきて一服しはじめると追っ払うのがやっかいなんや!」ということだった!!

5月5日(金)

結局ひと晩待ってもイグアナに出会うことが出来なかった傷心を引きずってホテルをチェックアウトすると島の東部のファハルドという港町に向かった。プエルトリコ東岸から約30km沖にアメリカのトラベル・チャンネルで世界のベストビーチに選ばれたクレブラ島があり、ファハルドから出航しているフェリーで到達出来るということだったのでフェリーに乗らずに乗船待ちのリゾート野朗どもの見物のみを行った。サンファン方面に戻り、大西洋沖の美しいビーチを遠巻きに眺めた後、ルイス・ムニョス・マリン国際空港でヨン様風の笑顔を浮かべてソナタに別れを告げ、UA1688便にてワシントンDCに帰っていった。

5月6日(土)~ 5月7日(日)

午後12時20分発NH1便B777-300機17K席(http://www.ana.co.jp/int/inflight/seatmap/b777_300er/index.html)に陣取り映画4本を立て続けに見ながら13時間のフライトを過ごし、翌日午後3時前に成田着、そのまま流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥167,900 + $632.10

総フライト変更手数料 $100.-

総宿泊費  $653.64

総レンタカー代 $209.01

総ガソリン代  $97.94

総タクシー代 $13.-

総バス代 $0.75

協力 ANA、ユナイテッド航空、HiltonHHonors、SPG、ハーツレンタカー

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