チョー・ヨンピル推薦FTB版釜山港へ帰れ!

♪つ~ばき咲くぅ~ 春なのにぃ~ あ~な~たは かえらない~♪http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-sengokayou/pusanhanhekaere.htm

ということで、バブル経済の絶頂期に大和證券北九州支店で肩で風を切って歩いていた私が大和證券青森支店の山田君を従えて短い夏休みを韓国で謳歌し、ソウルのシェラトン・ウォーカーヒルのカジノで無類の勝負強さを発揮したのはまだ海外渡航履歴の浅かった1989年のことだった。それ以来15年間、近くて遠い国として韓国を訪れる機会がなかったのだが、この期に及んでチョー・ヨンピルのリクエストに応えなければならないという衝動に駆られ、釜山港へ帰る決意を固めることにした。

5月27日(金)

早朝6時30分発のANA981便に搭乗し、羽田から福岡に乗り込んだ。到着した時刻が経済活動が始まる前の午前8時過ぎだったため、とりあえず博多駅の地下街のロッテリアで朝飯を食いながら時間を潰し、適当な頃合を見計らって西鉄バスで博多港の中央埠頭国際ターミナルへ向かった。

釜山港へ帰るためには旅情溢れるフェリーでないとヨンピルも浮かばれないと考えたので全長170m、幅24mの巨大貨客兼用フェリー「ニューかめりあ」の2等客室(¥8,500)に乗船すべくチケット売り場に向かった。窓口にはユン・ソナ系の美女とユン・ソナに似てない普通の女子がチェックインの業務を行っていたので迷わずユン・ソナが待つ窓口でチケットの購入を果たした。

マサに釜山港へ帰らんとする韓国の大学生旅団の嬌声を聞きながらも定刻どおりに出国、乗船を果たすとニューかめりあは午後12時半ごろ博多港を出港した。船内でキムチチゲ定食を食い、展望風呂で海を眺めながらひと汗かく等の優雅な船旅アクティビティをこなしていると夕方6時前にフェリーは世界を代表する港である釜山港に入港した。

釜山国際フェリーターミナルで韓国への入国を果たすと今回のツアーの宿泊地であるHotel Kukuje(国際)の場所を探すことにした。中央洞という地下鉄駅の切符売り場で手持ちの1万ウォンが自動販売機で使えないため対応にもたついていると回りの韓国人がしゃべっているアンニョンハセヨがハヨセヨ!早よせよ!!と聞こえてしまう妄想に駆られてしまい、仕方なく徒歩でホテルを目指すことにした。

アウェイの博多にユン・ソナを送り込むほど人材の豊富な韓国だけにホームの釜山では韓流ブームもあいまって道行くギャルは圧倒的にチェ・ジウ系が多いことが期待されたのだが、実際には「チェ!」と舌打したくなるような女子ばかりが私の横をすり抜けていった。私の舌もしびれはじめた夜8時頃にホテルにチェ!ックインを果たし、ハングルだらけの街に繰り出すとハングリーになったのでお粥専門店で海鮮粥(W8,000)を食って溜飲を下げ、これから対決することになる辛さに舌をならしはじめることにしたニダ。

5月28日(土)

釜山総合バスターミナルまで地下鉄(W1,000)で移動し、そこから高速バスで韓国の古都慶州(キョンジュ)を目指すことにした。チケット売り場にて慶州までのチケット(W3,900)の購入を試みていると日本名を蜂谷真由美と名乗りそうな金賢姫似の美女が機転を利かせて日本語で対応してくれたのですぐに目的のバスを見つけることに成功した。

78kmの道のりを1時間半ほどの時間をかけてバスは午前10時半頃、2000年の歴史を誇る世界遺産の古都慶州に到着した。慶州高速バスターミナルから市内バスに乗り換えて30分くらい走ると仏国寺(世界文化遺産、W4,000)に到着した。3国に分かれていた朝鮮が新羅により統一された751年頃に建立されたと伝えられている仏国寺は高い築台の上に平地を造り、そこに殿閣を建てた伽藍である。殿閣に入る前に33段の石組みがあり、その上が仏国になっているのだが、早速私も何かをぶっこくためにトイレを使用させてもらった後にゆっくりと観光にいそしむことにした。

仏国寺からさらに山を登った吐含山の頂上に石窟庵(世界文化遺産、W4,000)という最高峰の新羅仏教彫刻が鎮座しているので見物に行ってきた。自然石を成形した人口のドームの中で八部神衆のレリーフに守られたご本尊は保存のためにガラスで仕切られており、観光参拝客はかろうじてガラス越しに本尊仏に対面することが出来るのだけにとどまっていた。

慶州中心部に大陵苑(W1,500)という新羅1000年の古墳23基が散在する公園がある。その中の天馬塚は内部が公開されており、古墳の構造を観光客が学習出来るようになっている。高さ27.7m、下部の直径が47mにもおよぶ古墳の中心には王の棺桶が設置されており、その周りは石垣で厳重に覆われている様子を垣間見る事が出来、また金銀財宝の出土品は慶州国立博物館や古墳内部に展示されたりしているのだ。

マサよ、君は韓国の食い物屋のメニューにキムチが存在しないのを知っているかニカ!?

ということで、バスで釜山に戻りホテル近くの韓国食堂で夕飯を食う運びとなった。メニューはすべてハングルで書かれていたのでおばちゃんに日本語のメニューを要求すると「ン」であるべきものがすべて「ソ」になっていることが気になったものの無事に「サムゲタソ」をW8,000で発注することに成功した。私が実際に発注したものは鶏にもち米を詰めて高麗にんじん等の薬膳で煮込みまくったサムゲタソだけだったのだが、その回りはキムチ、カクテキ、ニラ、青とうがらし、生にんにく等で完全包囲され、テーブルは色とりどりのカプサイシンワールドと化していたニダ。

5月29日(日)

日本から密輸した手持ちのガムの在庫が切れてしまったので補充のためにロッテという大百貨店にやってきた。韓国女性の花形職業として駐車場ガールという車で来店した客を誘導兼悩殺する業務があり、開店前の振り付け練習を軽く見学した後、デパートの中に侵入したのだが、ここではついにお口の恋人であるガムやチョコは発見出来なかった。

釜山市立博物館(W500)で豊臣秀吉から近代までの日韓関係の歴史を紐解いた後、海雲だいという釜山きってのビーチリゾートに向かった。オンザビーチには水族館やウエスティン、マリオットといった特1級ホテルが立ち並んでおり,さらに数棟のホテルの建築も進んでいた。またシーフードレストランも数多く、関釜フェリーで交流のある下関と漁場をシェアするふぐ料理も名物のひとつとなっていた。

韓国に来て韓国エステを体験しないと決して垢抜けることがないと言われているので博多港で入手したパンフレットを頼りに山庭というエステ専門店にやって来た。ここではW70,000で基本コースを受けることにしたのだが、まずは黄土汗蒸幕オンドルというサウナに閉じ込められ体の毒素を出された後,アカスリルームに向かった。ルームでは下腹の出たおやじが手ぐずねを引いて待ち構えており、アカスリ用の布を右手にぐるぐる巻きにして私の敏感もち肌をこすり始めた。おやじが日本のアカスリに関して逆取材してきたので日本ではアカスリ用のミットを両手にはめてゴシゴシやるぜと答えると彼は本場の韓国ではミットを使わないからといってミットもないと思うなよニダと言わんばかりに擦る手に力が込められたのであった。その後、足マッサージ療法を受け睡眠ルームで休憩した後、山庭を後にして下界におりることにした。

ロッテ百貨店やホテルを要する西面(そみょん)という若者の流行発信基地にロッテ一番街という屋台街がある。そこに釜山B級グルメを代表するテジクッパプ(W4,500)というご飯に豚骨ベーススープをぶっかけた食い物屋が軒を連ねていたのでエステで減量した体重を取り戻すべく庶民の味に舌鼓を打ちながら釜山のラストナイトは更けていった。

5月30日(月)

釜山を代表する温泉として東莱温泉があり、そこからさらに8km北へ進むと梵魚寺(W1,000)という新羅時代創建の山寺がある。国宝に指定された本堂やその他の堂の建築様式のすばらしさを堪能しながら木魚のポンポンサウンドを聞いて軽くお参りをすることが出来たので下山してプサンの伝統的繁華街である南浦洞に向かった。

龍頭山公園という市民の憩いの場所である小高い丘の上に高さ120mの釜山タワー(W3,000)が君臨しているのでエレベーターで登頂し、釜山の全景を目に焼き付けながらこれでチョー・ヨンピルも浮かばれることだろうと安心してプサンを後にすることにした。

帰りはJR九州の運行する海飛ぶカブトムシとの異名を持つビートル(¥13,000)というジェットフォイルでわずか2時間55分で博多港に帰還し、博多に来た足跡として長浜ラーメンを食ってお茶を濁し、ANAの最終便で東京への帰路へ着いたのであった。http://www.jrkyushu.co.jp/beetle/index.jsp

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,900

総船舶代 ¥21,500

総博多港国際ターミナル利用料 ¥400

総釜山港港湾利用料 W2,200(¥1=W10)

総韓国バス代 W12,200

総釜山地下鉄代 W7,800

総宿泊費 W174,240

協力 ANA、カメリアライン(株)、JR九州

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