尾形大作推薦FTB無錫旅情

♪上海、蘇州と汽ィ車ァに乗ォり~ 太湖(たいこ)のほとりィ 無錫(むしゃく)の街へ~♪

Happy New マサよ!

ということで21世紀はアジアの世紀と呼ばれているが、その中心的な存在が中華人民共和国である。今回FTBが厳選した訪問先は中国の起点となる上海とその周辺であるが、この選定理由は決して他の地域への航空券が取れなかったためではないことをあらかじめ申し上げておかなければならないだろう。

ところで、演歌通のマサであれば知っていると思うが、1986年~1987年にかけて尾形大作という若手演歌歌手が「無錫旅情」という曲をヒットさせ、紅白歌合戦にも白組の貴重な戦力として出場している。当時はバブル時代を謳歌している中年オヤジのカラオケの定番ソングとなっており、そのカラオケビデオには尾形大作自身も出演してプロモーションに一役買っていた。そのカラオケビデオを一目見た瞬間、私も必ず無錫旅情を実現しなければならないと思っていたのだが、苦節15年目にしてこの野望をかなえることに成功した。

1月1日(水)

ボーイング社が誇る最新鋭ジェット旅客機B777-200を就航させているANA919便にて上海が誇る最新鋭のインテリジェント空港である浦東国際空港に12時過ぎに到着すると入国審査を済ませ、そそくさと空港の銀行で円を元に両替して、バスで上海駅に向かうことにした。バスの窓越しに景色を見渡すと開発が進んでいる浦東地区を抜け、高層ビルが立ち並ぶ上海の市内を一望することが出来た。

今日は汽車で南京まで移動しなければならないので切符を入手するために上海駅周辺をうろうろしていると今まで経験したこともないような人間模様に遭遇してしまった。道行く人民は信号機があるにもかかわらず信号を無視して道を横断し、車は絶え間なくクラクションを鳴らしながら走行し、たまに人民や自転車やバイクに接触したりもしていたのだ。また、人民の中には道端で手鼻をかむ者もおり、器用に鼻水を道路に撒き散らしていた。駅周辺の店先ではおばちゃんが道行く人民に中華まんを売りつけようと盛んに手招きをしていた。

集票所と呼ばれるチケット売り場でスキがあれば横入りをしたり押しのけようとしたりする人民と格闘した末、何とか南京行きの片道切符を入手すると駅の待合室にたどり着くことが出来た。ところで中国の汽車の切符の種類であるが、硬座とよばれる普通席と軟座というグリーン席系のものと硬臥という2等寝台、軟臥という1等寝台、さらには席が無い者のために無座という切符が存在しているのだ。

上海から南京までは快特という一番早い列車でも3時間はかかり、今日は観光が出来ないため、FTB世界の車窓からをお送りすることにしよう。硬座の指定席に座り、発車の時間を待っていると次々に人民が車両に乗り込んできた。人民の中には巨大なズタ袋を抱えた者や重そうなダンボールを2人がかりで運んでいる者等がおり、さまざまないでたちをした輩が車内を我が物顔で闊歩していた。汽車は上海駅を出ると車窓から住宅地帯を抜け、田園地帯を走る様子を見ているうちに日が暮れてきた。その間に車内では様々な出来事が起こっていた。汽車が発車するとまもなく新聞売りのおばちゃんがぎゃ~ぎゃ~言いながら歩み寄ってきた。おばちゃんの攻撃をさけると次はワゴンの物売りが無座客を押しのけながらワゴン車を転がしていく。汽車が蘇州に停車すると巨大な布製かばんを背負ったおっさんとダンボール2人がかり運搬野郎がいきなりケンカをおっぱじめて、乗客が罵声を浴びせながらも止めに入っていた。

南京駅に到着したのは夜の7時過ぎになっていた。駅を出るとおびただしい数のホテルか何かの客引きと思われる連中が私にとっては意味をなさない勧誘トークを投げかけていた。今日は南京のヒルトンホテルを予約しておいたので路線バスに乗ってホテル方面に向かうことにした。

日中外交史に詳しいと思われるマサであれば知っていると思うが、南京では日本人は非常に嫌われていると言われている。私もホテルに到着すると南京たますだれで仕切られた、南京虫のいる狭い部屋に軟禁していただけるのではないかと期待していたのだが、以外にもヒルトンは部屋とサービスをアップグレードするなど私に対して最高レベルのホスピタリティを提供してくれたのだった。

1月2日(木)

南京の主要観光スポットとして中山陵(25元)が君臨しているので早朝より散策に向かった。ここには革命の父と言われ三民主義を唱えた孫文の陵墓が設置されている。孫文の遺体は中山陵の一番上の祭堂の中の大理石で作られた棺桶の中に安置されていた。また、中山陵の敷地内の中山記念館(10元)には孫文の銅像と孫文直筆の書が数多く展示されていた。

中山陵の隣に明孝陵(15元)という明王朝を築いた朱元璋の陵墓があったのでついでに見学しておいたのだが、敷地内に紫霞湖という池程度の大きさの湖があり、そこには「禁止遊泳」という看板が掲げられていた。湖の周辺ではおっさんから初老にかけての年代の人民がしきりに何かの準備運動をしていたかと思うとおもむろに服を脱ぎ捨ていきなり寒中水泳をおっぱじめやがった。しかも泳法はなぜか皆バタフライであった。

その後、南京博物院(10元)で見知らぬ中国人の山水画の個展らしきものを見物した後、南京訪問の最大の目的である侵華日軍南京大虐殺遭難同胞紀念館(10元)を訪れた。1937年12月、日本軍は南京に侵攻し、南京城を占領した。そのときに人民に対して無差別大虐殺を行なったというのが中国側の定説で、日本軍の残虐行為を後世に伝えるために造られたのがこの紀念館である。紀念館は残虐行為のオブジェ等が展示されてある庭園風のオープンスペースと生存者の証言や写真、旧日本軍の武器などが展示されてある建物から成っている。敷地内では尺八系の不気味な音楽が絶え間なく流れており、見物人は否が応でも憂鬱な気分を満喫することが出来るのだ。万人抗という1998年に発掘された遺跡が館内にあり、そこにはおびただしい数の虐殺された人民の人骨が横たわっていた。人骨は幼年者から老人にまでいたり、剣で刺された跡や弾丸の跡など非常に生々しい殺戮現場の様子を伝えていた。この紀念館発表の数字によると南京大虐殺で殺された人民の数は30万人に達しており、当時は揚子江は死体の山で埋め尽くされていたとのことであった。この紀念館を訪れた日本の要人は村山富一や土井たか子など社会党系の政治家が多いのであるが、税金を使って行く財務省の慰安旅行や教科書問題の対応を誤っている文部科学賞の官僚の研修地としてこの場所を推薦したいと思った今日この頃である。

南京一の繁華街であると思われる夫子廟は、明清時代の風格ある建物が並んでいるところであり、多くの観光客で賑わっていた。ここで少しは気分を紛らわそうと思っていたのだが、どうしてもムシャクシャした気分が晴れなかったのでそのまま汽車に乗って無錫に向かうことにした。無錫ではJHC Co.LTDという旅行会社に日本で予約させておいたHoliday Inn系のホテルに宿泊することになっていたので今日はそのまま撤収することにした。

1月3日(金)

早朝より市内中央部の錫恵公園内を散歩することにした。園内では老若男女が太極拳等の中国古武術の型をしきりに繰り返していた。私も大阪在住のマサをリモートで倒すために気功の奥義を聞こうと思っていたのだが、まだ中国語は餃子の王将で習った「コーテル イーガ(訳:焼餃子1個)」しかマスターしていなかったので断念せざるを得なかった。錫恵公園は錫山と恵山で構成される公園で園内では動物園や池、橋、回廊が見事に調和している名園等を見学出来る。ちなみに無錫という地名の由来であるが、昔この地では錫(すず)が大量に取れたのだが、漢の時代に取り尽くされてしまったため、無錫と呼ばれるようになったという。

午後から「無錫旅情」のハイライトであり、尾形大作も強く推薦する鼈頭渚(げんとうしょ)公園にタクシーで向かうことにした。入り口で観光用のパッケージになっているような入場券(60元)を購入すると早速尾形大作に成りすまして無錫旅情を実践することにした。中国で4番目に大きくまた、琵琶湖の3倍の広さを持つ太湖(たいこ)のほとりに位置する鼈頭渚公園は太湖から突き出ている半島がスッポンの頭に似ていることが名前の由来になっているそうだ。ここでのハイライトは遊覧船に乗って♪は~るか小島は三山(さんざん)か~♪と歌われている太湖仙島(三山島)に上陸することである。三山は遠目に見ると独立した3つの島のように見えるのだが、実際はそれぞれが陸続きになっているのだ。ここでの最大の見所は大覚湾石窟といわれる数多くの石仏群と巨大な孟子像等の宗教的遺物である。

三山から船で元の船着場に戻りさらに園内を散策していると湖岸に「無錫旅情の碑」が建てられているのを発見してしまった。碑には無錫旅情の1番の歌詞である

♪君の知らない異~国の街でェ

 君を想~えば泣~けてくるゥ

 俺などォ忘れてェ幸せつかめとォ~

 チャ~イナの旅路を行ゥく俺さァ~

 上海ィ蘇州とォ汽ィ車ァに乗ォりィ~

 太湖のほとりィ無錫の街へ~♪

という意味であるはずのことばが見事な漢文で彫られており、あらためて尾形大作の無錫名誉市民という実力を思い知らされた気がした。

今日は大陸からの寒気の影響で気温が氷点下を切るという厳しい環境の中で観光に励んでいたのだが、最後は気力を振り絞って園内の最高地点である鹿頂山(92m)に登ることにした。ここの頂上にじょ天閣という三層の塔があり、そこに登って持参しているはずのカラオケセットで♪鹿頂山(ろくちょうざん)から~太湖を望めばァ~ 心の中ァまでェ広くなるゥ~♪と歌い上げて恍惚感に浸ろうと思っていたのだが、銭湯に空桶を忘れてきてしまっていることに気づき、私の無錫旅情はあえなく終了となったのであった。

1月4日(土)

昨夜のうちに汽車で上海に戻り、ローソンで購入したビールを片手にヒルトン上海の29階から凍った窓越しに夜景を堪能するなどの優雅な夜を明かした後、今日は再び蘇州に向かうことにした。

♪上海ィ(フッフ~!)、蘇州とォ~(フッフ~!)、汽ィ車ァに乗ォり~♪ 「注:この(フッフ~!)は私が大学時代に野球を引退してからバイトをしていた六本木の飲み屋のママやフロアレディがおっさん達が歌っているときに挿入していた合いの手で歌詞とは無関係」というリズムを繰り返しながら、汽車が蘇州の駅に到着したのは午前11時くらいであった。

水の都と呼ばれる蘇州は太湖や揚子江に囲まれた水郷の街でいたるところに水路が形成され、マルコ・ポーロにして東洋のベニスと言わしめた中国有数の観光地である。蘇州を世界的観光地たらしめているものは世界遺産に認定されている美しい庭園群であるのでそれらは観光コースからはずすことは出来なのだ。今回は蘇州四大名園である浪漫亭、獅子林、拙政園、留園とさらに総師園、虎丘を訪問した。尚、虎丘、拙政園、留園、獅子林、総師園の入園券はパッケージ販売(70元)されており、個別訪問するよりも多少お徳になっているのだ。これらの庭園群には例外なく太湖でしか取れない太湖石(穴がいっぱい空いていていろいろな形状の物がある)を配置しており、松尾芭蕉も仰天するほどのわび、さびの世界を醸し出し、日本が誇る兼六園、偕楽園、後楽園(今は東京ドームか?)等が束になってかかってきても敵わないほどその美しさは群を抜いている。

蘇州市内から北西へ5kmほど行ったところにある虎丘の上には高さ47m、8角7層の斜塔がある。これは蘇州で最も古い塔で400年前から地盤沈下により傾きはじめ、今では15度傾いている様子が遠目からでもはっきり確認することが出来た。

今日は蘇州観光に没頭したため、上海に戻ってきたのは夜になってからだった。気が付けば今回は上海に来た筈なのに全く上海の観光をしていなかったのでとりあえず上海で最も有名なバンドという地域に足を向けることにした。上海は1840年のアヘン戦争後に欧米列強と日本の租開地になっていた歴史的背景を持っており、このバンドには数多くの洋風のビルが立ち並んでいる。また、河をはさんだ向こう岸は開発が進んでいる浦東地区であり、数々の高層ビルによってライトアップされている。ここは上海で最もおしゃれなエリアであると聞いていたのでチャイナドレスに身を包んだジュディ・オングやマダム・ヤン系の美女が♪Wind is blowing from the Egeo(訳:エーゲ海から風が吹いてくるよ)おんなは海ィ~♪と孔雀の羽を広げながら歌っている光景を期待していたのだが、たむろしているのは一般の観光客と彼らを餌食にする写真屋ばかりであった。

1月5日(日)

午前10時過ぎの東京行きの便に搭乗すべく、ANAのチェックインカウンターで並んでいたところ、中国人どうしがすごい剣幕でケンカしている様子を目撃してしまった。中国人はいつでもどこでもケンカをしているのでケンカがひとつの文化となっているようだった。

ところでマサよ、財務省の新年会では必ず「無錫旅情」を熱唱しろよ!

FTBサマリー

総飛行機代 ¥120,060

総宿泊費 2,742元(1元=約¥15)、¥6、000

総交通費 274元(汽車 115元、バス 59元、タクシー 95元、地下鉄 5元)

総中国ビザ取得費用 ¥4,500

総空港使用料 90元

協力 ANA、尾形大作、ポニーキャニオンレコード、Hilton Hotels

次回はFTB炎の離島デスマッチ第?弾 in グアム島をお送りします。

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