アテネオリンピックで金メダル確実と言われた長嶋ジャパンがオーストラリアに連敗し、銅メダルに甘んじてしまった!球界再編に揺れる日本プロ野球はこの事実を最大の教訓とし、今後の野球界発展のための糧としていかなければならない今日この頃であるが、それに先んじてFTBがまずオーストラリアの軍門に下り、地球環境問題をカンガェルーと同時にオーストラリアのスポーツ躍進の秘密を解明すべく赤道を越えることにした。
9月5日(日)
9月3日(金)発の飛行機に搭乗するつもりであったのだが、何とFTB史上初となるチケットの買い間違いにより日曜日発を余儀なくされたJAL5143便はカンタス航空とのコードシェア便だったため、真紅の垂直尾翼に白抜きのカンガルーのシルエットをあしらったカンタス航空機についに搭乗することに成功した。B767-338機メルボルン行きは定刻20時15分に離陸すると適度に空いている機内で快適な空の旅の旅が提供されることとなったのだ。
9月6日(月)
メルボルン空港が霧に覆われていたため定刻よりやや遅れたものの午前8時前には到着し、スムーズに入国手続きを済ませると空港バス(A$13)で早速今日の宿泊場所であるHilton on the Park Melbourneに向かった。ホテルに荷物を預けると早速目の前に広がるオリンピックパークを散策することにした。1956年に南半球で最初に開催されたオリンピックの会場は今ではすっかり緑多き公園へと生まれ変わっており、10万人を収容するメインスタジアムは野球の祖先と言われているクリケット場へと変貌を遂げていた。また、周囲にはラグビー場やテニスの全豪オープンが開かれるロッド・ラバー・アリーナ・アット・メルボルン・パークが異様な存在感を示しており、アテネオリンピックで惨敗した杉山愛選手もこの雰囲気に飲まれないだろうかを心配になるほどであった。
オリンピックパークからやや北上すると「公園の都」メルボルンを代表するフィッツロイ・ガーデンに迷い込んだ。芝生グリーンの眩しいこの公園にキャプテンクックの小屋(A$4.0)なるものが建っていたので侵入してみることにした。メルボルン市100周年を記念し、1934年に買われ、イギリスのヨークシャーから運ばれ、この地に復元されたこの小屋の前には家主のキャプテンクックの銅像がお約束の♪ようこそここへクッククック♪といういでたちで望遠鏡片手に観光客を迎えているのだった。
フィッツロイ・ガーデンの西に堂々たるゴシック建築のセント・パトリックス大聖堂が105.8mの尖塔を天に突き刺すようにそびえさせており、そのさらに西側にオーストラリア2番目の大都会であるメルボルンのダウンタウンが広がっている。英国風の街づくりが白豪主義でならしているオーストラリアの人々が闊歩する光景にマッチしており、非常に優雅な雰囲気を醸し出しているのだが、一方では街のいたるところに公衆便所が設置されており、尿意や便意の近い人であっても安心して買い食いしながら街歩きが出来る優しい都会であることが確認出来た。
9月7日(火)
ダウンタウンのハーツでニッサンパルサー5速マニュアル車をレンタルするとメルボルンの南東137kmに位置するフィリップ島を目指すことにした。自然の宝庫といわれるフィリップ島では数多くの野生動物を目にすることが出来るのだが、それらをより確実に目にするためにまずコアラ保護センター(A$8)を訪問した。センター内はおおよそ3つのエリアに区切られており、最初に入ったエリアは遊歩道に沿って生えているユーカリの巨木の手が届きそうな場所にふんだんに葉っぱのついたユーカリの枝が移植されており、観光客が間近にコアラを見物出来る配慮がなされていた。そこには4頭ほどのコアラが住んでおり、通常動物園で見るような動かないぬいぐるみ状ではなく、アクティブに枝から枝へとジャンプしたり、ユーカリの葉っぱを貪り食うコアラの姿を見ることが出来る。3番めに侵入したエリアはマサにユーカリの自然林になっており、数10mの高さのユーカリの木のてっぺんにコアラがひっしとしがみついている姿を遠巻きに眺められるようになっていた。
コアラセンターのすぐ近くにワイルドライフ・パーク(A$11)が開園されており、カンガルーに引き寄せられるようについつい入園してしまった。入場料を支払うと同時に動物用の餌が入った小袋を渡されると早速園内を巡回してみることにした。まず最初に目についたのはディンゴという古代犬の群れであった。今から8,000年ほど前にアボリジニがオーストラリアに渡ってくるときに連れてきた犬が野生化したものだそうなのだが、どう見てもその辺を散歩している普通の犬にしか見えなかった。園内にはウォンバッドやワラビー、タスマニアン・デビル、コアラ、各種鳥類が飼育されており、中でも放し飼いにされているカンガルーは餌を見せるとピョンピョンと飛び跳ねながらやって来て隙あらば観光客の餌を奪うことに余念がない様子であった。ちなみにカンガルーという名の由来だが、白人入植者がアボリジニに初めてカンガルーを見たときに「あの動物は何?」と訪ね、アボリジニはそいつの言っていることが理解出来ずに「カンガルー(何言ってるんかわからん!)」と言ってしまい、白人入植者のカンガェルー暇もなくその名前になってしまったという間抜けな話が残っているそうだ。
マサよ、君はペンギンパレードに参加したことがあるか!?
ということでフィリップ島、いやメルボルン観光のハイライトとなっているペンギンパレードが夜な夜な開催されるサマーランド・ビーチにやって来た。コアラ保護センターのおっさんに売りつけられたペンギンプラス(A$25)といういい席でペンギンが見られるチケットを片手にまずビジターセンターでペンギンの生態を学習した後、日没近くの午後6時ころにペンギンが漁を終えて上がってくるであろうビーチで待機することにした。しとしとと降りしきる雨の中を防寒対策を万全に施した観光客たちは辛抱強く暗い海を眺めながら今か今かとペンギンパレードが始まるのを待ちわびていた。ビーチにカモメの群れが集まりだした6時40分ころについに1羽目のペンギンが姿を現した。その後、次から次に海から姿をあらわしたペンギンは5~6羽ほどの隊列を組みながら、観光客の見守るスタンドの前をいそいそと行進していった。この場所でコロニーを形成しているペンギンはフェアリー・ペンギンといって体調30cmほどの世界で最も小さいコビトペンギンとも言われる種類のものであるのだが、海から内陸の潅木地帯まで1km近くの道のりを時間をかけて行進していく様は、ディズニーランドのパレードよりも何百倍も見る価値があることは間違いないであろう。尚、巣の近くまで戻ったペンギンは何故か異様な泣き声を放っていた。
9月8日(水)
フィリップ島のBest Western Motelでペンギンを数えながら眠りに落ちた後、今日は早朝からメルボルン市内まで戻り、さらにビクトリア州西部のグレート・オーシャン・ロードを目指すことにした。オーストラリアが誇るベストドライビングルートであるグレート・オーシャン・ロードはサーフィンの町トーケーを基点とする。さらに海岸に沿って走るとローンという借金をしている人々には聞き苦しい名前のリゾートタウンを通過する。この町の山岳部にレインフォレストが開けており、アースキン・フォールという滝で軽くマイナスイオンを浴びた後、さらに沿岸部をひた走りアポロ・ベイという町のパン屋で店員のおね~ちゃんがおすすめだというカレー風味のポテトビーフパイで昼食を取ることにした。
ここまでの沿岸部の道のりは普通のオホーツク街道と大差ない通常の海沿い道のように思われた。しかしながら、グレート・オーシャン・ロードが佳境を迎えるポート・キャンベル国立公園に差し掛かったあたりから状況が一変してしまった。
マサよ、君は「12人の使徒」という神様がこの世に使わせた奇跡に近い絶景を見たことがあるか!?財務省が使い込んでいるであろう「12億の使途不明金」とはマサにレベルの違う代物なのだ!!!
というわけで、ビクトリア政観のポスターでもお馴染みの「12人の使途」を何故かさらっとスルーしてその先のロック・アード・ゴージに向かった。このあたりの海岸線は波と風の浸食により複雑に入り組んだ絶壁が形成されており、そのせいで昔ロック・アード号というロンドンからメルボルンへ向かっていた移民船がこのあたりで難破してしまったそうだ。ここにはその船で亡くなった人たちのメモリアルがあると同時に数多くの自然が作る湾岸芸術作品を間近に見物することが出来るようにトレイルが作られてある。さらに10数キロほど進むとロンドン・ブリッジという波の侵食によって形成されたかつてのダブルアーチが君臨していたのだが、10年ほど前にさらなる侵食により橋の真ん中が落ちてしまったという洒落にならなくもない奇岩が多くの観光客の興味を引いていた。
薄曇の中サンセットの時間を迎えることになった。気がつくと再び「12人の使途」を見渡せる展望台で強い海風に打たれながらたたずんでいた。このあたりには絶壁沿いに遊歩道が形成されており、「12人の使途」の色々な側面が見られるようになっていた。夕日を浴びて浮かび上がるひとつひとつの奇岩は垂直に切り立った数10mの高さの絶壁と絶妙のコントラストを奏でており、数多くの観光客が太陽が完全に沈んでしまうまでその場を離れられないでいたのであった。
ということで、オーストラリアを代表する景観を提供するグレート・オーシャン・ロードを心ゆくまで堪能した後、杉山清隆よろしく♪さよならオーシャン♪を口ずさみながらメルボルンへの長く、暗い帰路についたのであった。
FTBスペシャルレポート 怪鳥エミューとの仁義なき戦い
フィリップ島を代表する自然公園であるワイルドライフ・パークには数多くの動物が放し飼いにされている。持っていた餌のせいでカンガルーから絶大な人気を誇っていた私の前に巨大な影が長い首を前後上下にゆっくりと振りながらひたひたと忍び寄ってきた。バビル2世のしもべである怪鳥ロプロスの3分の1はあろうかと思われるその巨体の持ち主はケンタッキーフライドチキンを1店舗分ほどまかなうことが出来るほどの肉量を誇る怪鳥エミューであった。私が手にしていた餌に目をつけた怪鳥は全体像をカメラに収めることが出来ないほどの至近距離を保ちながらもカメラ目線で近づいてくるように思われた瞬間、防御が手薄になっていた左手の餌袋がくちばしの一撃によってたたき落とされてしまった!あわれな餌袋は怪鳥のなすがままに食い荒らされるのを余儀なくされると思ったそのとき、FTBが開発した地球に最も優しい武器である「肩掛け背中に回したカバン前屈み重力爆弾(右回り)」の安全装置が解除された。怪鳥の動揺を見て取った私はすばやく餌袋をガードし、カンガルー達の喝采のジャンプを背中に感じながら何とか餌を守り通すことに成功したのであった。
バビル2世の住居であるバビルの塔は♪コンピューターに守られた♪と歌われているが、私のカバンが、常に携帯されているThinkPad X31で守られていたとしたら、エミューもひとたまりもなかったであろうと思われた。
9月9日(木)
オーストラリア南東部、北半球で言うと北海道に相当する緯度にあるタスマニア島は面積は北海道より一回り小さいものの自然環境という点ではオーストラリア大陸とは一線を画す多様性を提供しているのでその実態の解明のためにわざわざメルボルンからカンタス機を飛ばしてタスマニア州の州都であるホバートに着陸することにした。午前10時頃、ホバート空港のハーツで後に坂道を登るパワーの無さに苦労することになるヒュンダイ小型5速マニュアル車をレンタルすると早速200kmほど北に位置するタスマニアのもうひとつの主要都市であるロンセストンに向かった。
タマー川が入り組んでいるロンセストンから海岸部に向かう地域はタマー・バレーと言われているエリアで数多くの種類のフルーツやタスマニア・ワインの産地として名高い場所である。タマー川の入り口にあたるジョージタウンからさらに海側に向かうとロウ・ヘッド・ペンギン観測所というフェアリー・ペンギンがビーチから上がってくる浜があるのだが、ここでもA$14を観光客からふんだくって毎夜ペンギンツアーが行われている実態が確認出来た。昼間の時間帯だったため、浜に下りることが出来たのだが、砂地には無数のペンギンの足跡が残されていた。
ロンセストン観光のハイライトとして名高いカタラクト渓谷がダウンタウンからほんの徒歩10数分のところに開けている。タマー川の侵食によって形成された切立った岩や崖の周囲にはメイン・ウォークと対岸のジグ・ザグ・トラックという遊歩道により地元のジョギングランナーや観光客ハイカーのための絶好のロケーションとなっている。渓谷の奥には美しい公園が開けており、数羽の孔雀がジュディ・オングよろしく羽を広げながら観光客を魅了している様子も楽しむ事が出来る癒し系のファシリティであった。
タスマニアくんだりまできてタスマニア・ビーフを食わなければ狂牛病について語る資格がないと言われているので宿泊先モーテルでいただいた10%割引券を握り締めてJailhouse Grillというステーキハウスでディナーを楽しむことにした。さすがに流刑地の島の食い物屋だけあり、Jailhouseの名に違わず、手錠や鎖、かんぬき等の数多くの牢屋グッズに囲まれながら味わったステーキは配合飼料を一切使用せず、牧草のみで育った健康な牛の風味を漂わせていた。
9月10日(金)
タスマニア北海岸に少し出っぱった半島があり、そこにスタンレイという港町がゴールド・ラッシュ時の伝統的な面影を残しているので訪問してみることにした。スタンレイのシンボルとしてザ・ナットという海から突き出ている台形の山のような大地が君臨しているのだが、この岩山は”Tasmania’s Answer to Ayers Rock”と言われている代物である。ザ・ナットの頂上までは徒歩20分、リフトで10分かかるのだが、タスマニア北岸のきれいな海を見ながら徒歩で頂上まで登り、ザ・ナットの周囲に沿って一周してみたのだが、決してスパナやモンキーレンチで締め付けることが出来るような6角形をしていないことだけは確認出来た。
ザ・ナットの景観にナットくして北海岸を後にするとヒュンダイ車は島内部の山岳部に向かった。タスマニア西部はクレイドル山を中心に自然の宝庫となっており、1800年代の後半に絶滅したと言われているタスマニア・タイガーが今にも襲って来そうな林を抜けてクレイドル山/セント・クレア湖国立公園に入って行った。ここは数あるタスマニアの国立公園の中でも随一の景勝を誇っており、また野生動物が最も多い地域でもある。小雨がぱらついていたため、ブッシュ・ウォーキングは出来なかったが、神秘的なセント・クレア湖がぼんやりと霧の中に浮かび上がっている姿を何とか眺めることが出来た。ちなみにウォンバッドはそこかしこでマイペースで歩いており、人が近づいても関心なしといった達観した雰囲気を漂わせていたと同時にこのあたりの動物注意の黄色の看板のモデルにもなっており、実際に車に轢かれて成仏している個体もかなり多いのは確かであった。
9月11日(土)
島北部の町ロンセストンから一気に南下してホバート近郊のポート・アーサーに向かった。そもそもオーストラリアは流刑地としての歴史を持っているのだが、タスマニア島は流刑地オーストラリアでさらに罪を犯した札付きの罪人が送られてくる獄門島という負の歴史を持った島で横溝正史も小説に書ききれず、金田一耕助も決して解決出来ないような難事件を犯した罪人たちが余生を過ごした場所なのである。
ポートアーサー流刑場跡がちょっとしたテーマパークのいでたちで観光客を集めているので将来収賄罪で臭い飯を食う可能性があるマサに先んじて罪人気分を味わうために入って見ることにした。A$24で観光パッケージになったチケットを購入すると12時半から始まるウォーキングツアーに参加することと相成った。この場所は1830年から1877年まで「監獄のなかの監獄」として恐れられており、中年女性説明員によると特にセキュリティシステムが優れているとのことでカンガルーに変装して脱走を図った囚人も警備員にまんまと見破られ銃を突きつけられて御用となったというエピソードを披露して観光客の失笑を買っていた。また、日もとっぷりと暮れた夜の時間帯にはゴースト・ツアーも開催されるそうで暗く冷たい監獄の雰囲気とあいまって観光客を恐怖のどん底に突き落としてくれるのだそうだ。
尚、A$24のチケットにはフェリーによるお得なクルーズも含まれており、時間のある人は湾内近郊のDead Islandという墓場の小島を散策出来るように取り図られているのだ。
午後5時30分発のカンタス機でメルボルン航空に戻り、マサであればA$250かかるところをHiltonHHnorsの特典により私はただで宿泊することの出来る空港内のヒルトンホテルにチェックインしたところ、Gold VIP会員の私に用意されていた部屋は角部屋の非常に広い部屋でゴジラとイチローが同時に素振りをしてもかろうじて互いのバットが干渉しないほどの無駄な面積を誇っていた。また、無償のフルーツセットがテーブルの上に置いてあったのでそれを貪り食いながら空港からの夜景を楽しんでメルボルン最後の夜を満喫することとなった。
9月12日(日)
早朝の飛行機でメルボルンを発ち、シドニーを経由して午後7時半に成田着、そのまま流れ解散。
FTBサマリー
総飛行機代 \94,980 + A$207.34 (A$1=\80)
総宿泊費 A$575
総レンタカー代 A$364.8
総ガソリン代 A$161.94
総バス代 A$13
総エンスト回数 1回(5速からいきなりオートマ車の要領でクラッチを踏まずに停止してしまったため)
協力 日本航空、カンタス航空、ハーツレンタカー、HiltonHHnors
次回はマサが訪問したにもかかわらず私が行ったことがないホーチミンでべトコン三昧が予定されております。