FTBスペシャル マヤの聖地にマサの正体を見た!!!

コモエスタ マサよ!!

ということで、長年にわたり私の裏の仕事であったシマンテックからFA宣言して1ヶ月あまりの歳月が流れてしまった。その間、リクルート業界の目玉を獲得するために様々な業界各社の間で壮絶な争奪戦が繰り広げられてきたのだが、FTBの次の活動資金源となる移籍先との交渉が佳境を迎えてきたため、移籍を完了させる前に古代の遺跡を巡って身を清めておく必要があると考えたので遺跡巡りに最適な環境が提供されているユカタン半島まで羽を伸ばすことにした。

2005年2月23日(水)

今月2回目の搭乗となるANA006便ロサンゼルス行きは機材到着の遅れにより、定刻より1時間半ほど遅れて離陸となったため、現地に到着したのは正午に近い時間帯であった。早速ハーツでヒュンダイ小型車をレンタルして太平洋湾岸通り1号線を北に向かって走っていたのだが、サンタモニカ近辺で崖崩れ系か何かのインシデントにより道が通行止めになっていたため、迂回してUS101号線を北上することにした。

サンタ・バーバラ沖合に野生動物の宝庫となっている4つの美しい島々が浮かんでおり、Channel Islands National Parkとして君臨している。そのビジターセンターが101号線沿いのVentura Harborに付属しているので見物してみることにした。おびただしい数のヨットが停泊している港の脇の建物の中にはChannel Islandsの各島の説明資料や動物達の剥製やレプリカが展示されていた。ビーチからはChannel Islandsの姿が遠巻きに写し出され、寒風の中をBodyボードに精を出している若者の姿も見受けられた。尚、Channel Islandsへは近隣の港から定期船が出ているのだが、今回はスケジュールの都合で訪問を見送らせていただいた。

夕飯時になったのでサンタモニカに戻り、今、日本の貧乏人に対して最も貴重なご馳走を提供する食い物屋であるYoshinoyaで牛丼を食うことにした。ここでは吉牛は供されているものの生卵と味噌汁やおしんこのオプションがなかったので仕方なく、クラムチャウダーとぺプシと一緒に米国産ばら肉を賞味した。日本の国民食である吉牛を久々に食った感激を胸に車に乗り込むとその勢いを買ってブレーキとアクセルを踏み間違えて店に突っ込むパフォーマンスをやろうかと思ったが、何故かそのままロサンゼルス空港近くのMotel6に引きこもり、玉葱の甘さをかみしめて夜を更かすことにした。

2月24日(木)

早朝6時発のUA1296便にてデンバーに飛び、そこからUA968便に乗り換えてメキシコ最強のリゾート地として多くの行楽客をかき集めているカンクンへ向かった。午後3時半頃カンクン国際空港に到着したのだが、入国エリアには見たこともないような人数のリゾート待ちの観光客でごった返していた。軽く1時間以上の時間をかけて何とか入国を果たし、US150$を1,500メキシコペソ(N$)に両替すると空港の出口近くに停泊していたセントロまでのシャトルバス(N$15)に乗り込み、カンクンのバスターミナルに向かった。

バスターミナルでユカタン州の州都であるメリダ行きの1等バス(N$191)のチケットを購入して待合スペースでADO社のバスを待っているとむさくるし系の日本人男子が「Where are you from ?」と英語で話し掛けてきやがった。私が日本人であることを把握すると奴はなつかしそうに中南米を長らく旅してきたが、初めて日本人に会ったぜと言いやがったのだが、私にして見ればいきなり会った奴が日本人であるという非常に不本意な状況が提供されてしまったわけであったのだ。

6時半にカンクンを後にしたバスはハイウエイをひた走り4時間の時間をかけて夜10時半頃にメリダのバスターミナルに到着した。着いた時間が遅かったため、町は闇夜に包まれているのではないかと懸念されたが、テキーラを要する酒飲み大国メキシコの都市は宵っ張りでソカロを中心とした町のいたるところで人々が溢れかえっていた。とりあえず、ソカロの北300mに位置するコロニアル風の中庭がきれいだが、部屋がしょぼいことが発覚したHotel Montejo(N$325/night、エアコン付き部屋)に引き払い、出来るだけ早く意識を失うように苦心することした。

2月25日(金)

碁盤の目のような完全な条里制が敷かれているメリダの町を練り歩き、町の南部の2等バスターミナルに向かった。「マヤ」というキーワードで街づくりがなされているユカタン半島の代表的な遺跡であるウシュマル行きのOriente社の2等バス(N$32)は9時半に出発すると途中のバス停で原住民を乗り降りさせながら、11時ごろに遺跡のゲート前に到着した。メインゲートのチケット売り場で入場料N$88を支払うとマヤ・プウク様式の代表的な遺跡であるウシュマル(世界文化遺産)の散策に乗り出すことにした。

鬱蒼とした森の中に忽然と出現するウシュマルは7世紀初頭のマヤ古典期に栄えた遺跡であり、プウク様式と呼ばれるマヤ色の濃い建造物で有名である。まず最初に目の前に現れた巨大な建造物は高さ38mを誇る魔法使いのピラミッドである。小人が一夜のうちに造りあげたという伝説を持つこの建造物には様々な彫刻が施されており、頂上は神殿になっているのだが、残念ながら、観光客は神殿に登ることは許可されていなかった。しかし、遺跡内を我が物顔で徘徊するイグアナは自由に行き来することが許されているようだったのでどうしても登頂しなければならない輩はイグアナの着ぐるみが必要ではないかと思われた。遺跡内を巡回していると建造物の壁面のいたるところに彫られている像がある。これは雨神チャック像と言って河川がなく、生活用水を雨水に頼っていたマヤ人に非常に崇拝されていた雨乞いの神様で決して「世界まるごとハウマッチ」に出演していたクラークハッチ体育研究所のウイルソン系のチャックではなかったのだ。

大ピラミッドという高さ32mの大神殿には何とか登頂することが出来たので国指定爬虫類のような面持ちで勝ち誇ったように首を上にもたげているイグアナと一緒に遺跡の全景を見下ろしているとマヤ建築で最も調和の取れた建造物である総督の宮殿や今では壁だけしか残っていない鳩の家や尼僧院、球戯場等のファシリティがすばらしいコントラストで配置されているのが確認出来たのであった。

ウシュマルからATS社のバス(N$35)を拾ってメリダまで戻ってきた。メリダは黄熱病の研究で有名な野口英世が足跡を残した地でその研究を行っていたオーラン病院には野口博士の銅像が建っているそうである。1万円の神様である諭吉の足跡であれば草の根分けても探し出すのだが、所詮千円の価値しかない英世の銅像は差し置いてダウンタウン北部のユカタン人類博物館(N$33)に入館することにした。ユカタンのマヤ文明を学習するのに最適な場所である博物館内にはマヤ人の奇習として知られている変形させて平べったくした頭蓋骨の実物とその作成方法や遺跡から出土した古代地図や彫刻の数々が展示されていた。

夕暮れ時にソカロの広場を歩いている観光客や原住民がベンチに腰掛けながら夕涼みにいそしんでいる姿を目撃することが出来る。ホテルに戻り、付属のレストランで丸刈りになった巨人の清原の頭を思い起こしながらマルガリータを飲み、ユカタン料理のスペシャルを発注すると清原の好きな鳥のささみをほぐして煮込んだものとあずきをすりつぶしたような豆料理とともにメキシコの主食であるトルティーヤが出てきた。この日はのちにトルティーヤの正体を知りマサに愕然とした状況になることも知らずに相変わらずメキシカンはまずいな~と思いながらディナータイムを過ごしていたのであった。

2月26日(土)

2日間お世話になったHotel Montejoを早々に引き払うと、今日も朝から2等バスターミナルを目指してメリダの町を練り歩いていた。チケット売り場でN$51を支払い、8:30発カンクン方面行きのOriente社のバスでチチェン・イツァーまでの2時間半の旅が始まった。メキシコ・マヤ文明が残した最高傑作と言われるチチェン・イツァー(世界文化遺産)の遺跡は昨日訪問したウシュマルよりも規模が大きく、鈴なりに連なった観光バスで訪れているおびただしい数の観光客で賑わっていた。チケット売り場でN$88を支払い、壮大な遺跡群の調査をスタートさせた。

遺跡は大きく新チチェン(10世紀以降)と旧チチェン(6世紀頃)のエリアに分かれていたのでまずはファシリティの整っている新チチェンの探索に向かった。メインゲートから遺跡エリアに出てまず最初にエルカスティージョ(ククルカン宮殿)の壮大さに圧倒されてしまった。9世紀初頭に完成したといわれるこの神殿は高さ25m、9層の基壇を持つ建造物である。傾斜角45度、91段の階段を這うように上がると先客のイグアナが高みの見物をしていたので邪魔しないように遺跡全体のパノラマと地平線まで広がる密林の景色を堪能した。また、神殿のふもとの入口から神殿内部も公開されており、蒸し暑い中、薄暗い階段を登りつめるとそこにはヒスイの目を持つ赤いジャガー像と生贄の心臓を置いたチャック・モール像が鋭い目でこちらをにらみながら鎮座されていた。

敷地内にユカタン半島最大の規模と神話を誇る聖なる泉セノテがたたずんでいる。日照りの時期になるとここに若い処女が人身御供として投下されたり、生贄や貢物が捧げられたそうである。とりあえず私も緑の水面に向かってマサが不正の口封じのための生贄にならないように祈願しておいた。

球戯場という全長150mあるファシリティが開けており、かつてここで豊穣の神に祈りを捧げる宗教儀式として何がしかの球技が行われていた。何でも勝ったチームのキャプテンが栄光をにない、生贄として捧げられたそうで、その様子が首を斬られ、その血が7条の蛇となってほとばしるレリーフとして残されている。日本でいうと北朝鮮を破ったジーコジャパンのキャプテン宮本がいちいち斬首されなければならないことになるだろう。ちなみにこの場所はマヤが誇る石組みテクノロジーにより、ニッポン、チャチャチャ!等をやると反響するように設計されており、外人ミーハー客を連れたツアーガイド達がそのパフォーマンスにいそしんでいた。

その他の見どころとして戦士の神殿やおびただしいほどの柱が立つ千本柱の間、旧チチェン側にはカラコルという天文台も残されている。また、ウシュマルもチチェン・イツァーも夜の時間帯に遺跡を幻想的にライトアップする神秘的な光と音のショーも毎晩行われているそうで昼だけでなく、夜も別途観光客から金を巻き上げるための効率的な遺跡の使い方がなされていた。

Oriente社の2等バス(N$85)で4時間半かけてカンクンバスターミナルに戻ってきた頃には日もとっぷりと暮れていた。カンクンはセントロというダウンタウンとホテルゾーンといわれるカリブ海とラグーンに挟まれた20kmにも渡る洲がかなり離れているものの市バス(N$6.5)が連なるように巡回しているのでバスに乗って今日の宿泊先であるヒルトン・カンクンに向かった。さすがに国際的なリゾート地の高級ホテルだけあり、カリブ海の白砂のビーチの美しさと巨大なプール群が群を抜いており、ビーチ脇のレストランで波の音を聞きながらシーフードのシチュー系のディナーを堪能させていただいた。

2月27日(日)

次の目的地を目指すために早い時間にヒルトンをチェックアウトしなければならなかったので早朝よりビーチの散策に励むことにした。世界で一番青く美しいといわれるカリブ海はその名に違わず非常に美しく、波打ち際では魚を捕まえようとしている首長系の水鳥がしきりに海中に向かってダイブを繰り返していた。

カンクンバスターミナルからMAYAB社のバス(N$48)でトゥルム遺跡に向かった。カンクンから130kmほど南、カリブ海を望む断崖にたたずむ遺跡トゥルム(N$38)は規模は小さいが、3方を城壁に囲まれた城塞都市としての面影を残しており、密林の王者と言われずっとジャングルで発展したマヤ文明が最後にたどり着いた地である。この遺跡内には真っ青なカリブ海を見下ろす切り立つ断崖の上に建っている神殿エルカスティージョやフレスコ画の神殿等、イグアナと一緒に見学出来る数多くの見どころもあるのだが、カリブ海の白砂のビーチに降りて海水浴も楽しめるため、多くの家族連れで賑わっていた。

ADO社の1等バス(N$61)でカンクンへの帰路についた。バスは途中でプラヤ・デル・カルメンという都市に到着したのだが、ここからフェリーに乗って世界で一番透明度の高い海を持つコスメルという島に渡ることも可能である。尚、コスメルへの進出はスケジュールの都合で成らなかったのでまた来なければならないと思われた。

日没前に今日の宿泊先であるシェラトン・カンクンに到着した。早速チェックインカウンターに行くとまるで私がライバルヒルトングループのゴールドメンバーであることを察知しているかのようにプロモーション的に部屋がスイートにアップグレードされていた。5階角部屋の541号室はぶち抜きで543号室と繋がっており、巨大なテラスから見下ろすカンクンの美しいビーチの光景はまるでこの世の天国のようであったのだ。

ホテルの目の前にカンクンで最も新しいライラス・ショッピング・ビレッジが財布の紐のゆるくなった観光客を待ち受けていたので買う気もないのに軽く散策することにした。ビレッジのあちこちには橋が架けられており、まるでディズニーランドのような雰囲気さえ醸し出していた。不夜城となっているカンクンホテルゾーン内にはこのようなショッピングセンターが数多くあり、商業主義的リゾート地の側面を強く演出しているのである。

2月28日(月)

午後12時35分発のUA969便に間に合わせるために早朝より速攻で海水浴とプールをこなしてそそくさとスイートルームを後にした。セントロのカンクンバスターミナルからシャトルバス(N$15)で空港へ向かう道すがら物の本を読んでいると衝撃的な事実に直面してしまった!マサよ、その衝撃度に関しては以下のトレビアのFTBを参昭して見てくれよ!!

カンクン国際空港出発エリアは予想通りおびただしい数のリゾート済み元観光客でごった返しており、彼らは例外なく、引越し並の荷物を引きずっていた。デンバーで再び米国入国を果たし午後6時半頃に無事ロサンゼルスに戻ってくることが出来た。Motel6の中でも最高級の部類($57.44/night)に属するLAX International Airportはシャトルバスも運行させており、5分程で到着すると早速高層階の8階にチェックインした。部屋からはLAの夜景とともにひっきりなしに着陸滑走路にファイナルアプローチする航空機のライトが光り輝いていた。

3月1日(火)~3月2日(水)

ANA005便にて帰国、そのまま流れ解散~

マサお待ちかねの「トレビアのFTB」を食らえ!

ということで、今回のトレビアのFTBであるが、実は財務省の高級官僚兼FTBの斬られキャラとして活躍しているマサの正体がついに白日の下にさらされることになった。メキシコで最もポピュラーな料理であるタコスは主食であるトルティーヤが重要な役割を果たしている。実はこのトルティーヤは水でふやかしたとうもろこしを練り込んだ生地「マサ」!!を薄く円形状に延ばして焼いたものだったのだ!!!

http://www.e-food.jp/country/mexico/1/mexico.masa.htm
http://www.worldtradingk.com/new_page_4.htm

マサよ~ 財務官僚として北の新地でブイブイいわせているであろう君もメキシコでは単なるとうもろこし野郎にすぎなかったのだ~~ この事実を知ってショックを受けたマサが今後大阪のTACOBELLでやけ酒を食らい、泥酔して警察のお世話になり、「許しテキ~ラ!」と言い訳している姿が見受けられるかどうか要注目である。

http://www.tacobell.com/

FTBサマリー

総飛行機代 ¥33,210(ご利用券\40,000分使用)+ $641.81

総レンタカー代 $98.01(ガソリン代込み)

総宿泊費 $114.88 + N$49,15.59

総バス代 N$559

Presented by FTB Co. LTD

代表 Masa

取締役運転手 Masa, acting

シニアインターン Kazu

調達実施本部長 Masa, acting

総統 Takeo(FTBJ代表兼務、ソートーすごいらしい)

スポンサー 旧大蔵省

協力 ANA、ユナイテッド航空、HiltonHHnors、シェラトン・カンクン、ADO社、Oriente社、ATS社、MAYAB社

   Riviera社、Motel6

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