FTBロッキー4ゴジラの逆襲

ロッキー 2000年4月フィラデルフィア美術館の階段を登りエィドリア~~ンと叫びながらガッツポーズを達成

ロッキー2 2000年10月コロラド州デンバーからロッキー山脈国立公園を制覇

ロッキー3 2003年5月フィラデルフィア美術館内部に侵入し、美術品を鑑賞しながらアメリカンドリームを実感

ロッキー4 2003年8月??????

例年より13日も遅い梅雨明けを迎え、日本列島に猛暑の季節が訪れる。ところで今まで公にはしてこなかったが、FTBは水面下でロッキープロジェクトを進行させており、今回その総決算と避暑を兼ねてロッキーの総本山と言われるカナディアンロッキーで山ごもりと修行を行い、調子の上がってこないゴジラが逆襲するように願をかけるという壮大なプロジェクトを遂行されることになったのだ!

8月2日(土)

NH006便、B777-300機は十分な追い風を受けることが出来ず通常よりも長い10時間もの時間をかけてロサンゼルス国際空港に午前11時25分に到着した。エアーカナダが運行するAC744便は午後2時45分に出発し、2時間50分程度のフライトで午後7時前にカナダのカルガリー空港に到着した。空港でフォードのトーラスをレンタルすると通常であればカーステレオから畑中葉子と平尾マサ!晃の歌が♪ラブレタ~フロ~ム、カナァ~ダ~♪と「後ろから前から」聞こえて来るはずであったが、この歌はカナダのどの場所かが特定されていない大雑把でいい加減な歌なので地元では相手にされていない様子であった。http://www.ne.jp/asahi/sgmori/mitarashiya/hirahata.htm

今日は到着した時間が遅かったのでHiltonHhonorsのポイントを使ってただで宿泊することの出来るHampton Inns & Suitesに引き払い、近くのベトナム料理屋で生春巻きと麺類を食って時差調整を行うべくテレビを見ながら夜更かしすることにした。

8月3日(日)

ユネスコの世界自然遺産に指定されているロッキー山脈国立公園を形成する公園群はバンフ、ジャスパー、クートネイ、ヨーホーの4つの国立公園とマウント・ロブソンやアシニボイン山などを加えた山岳エリアから成っており、これらを総称してカナディアン・ロッキーとして世界中からおびただしい数の観光客をおびき寄せている。

カルガリーの西128kmにバンフという町があり、ここがカナディアンロッキーの表玄関になっており、今回のFTBはここを拠点にして活動することになっている。カナダ国道1号線を西に走っていると道の両端からゴツゴツした岩山が迫ってくる。この岩山がマサにロッキーと言われるゆえんであり、その後しばらく道なりに進むとバンフ国立公園のゲートに差し掛かるのでここでCA$7/人を支払うと念願のカナディアン・ロッキーに晴れて侵入することになる。

ロッキーには氷河の溶水によって形成された無数の湖があるが、その中でも誰もが代表としてあげるのがレイク・ルイ-ズである。ビクトリア女王の娘ルイ-ズ王女にちなんで名付けられたこの湖はバンフの北西約55kmの場所に位置しているのだが、さすがにカナディアン・ロッキー観光のハイライトとして君臨しているため、駐車場には止めきれないほどの車があふれ返っていた。何とかイリーガルなポジションに車を押し込むことに成功し、生い茂っている針葉樹の林を抜けるとそこにはこの世のものとは思えないほどの幻想的な風景が目の前に広がっていた。氷河によって削られた細かい泥により、エメラルドグリーンに色付けされた湖の背後に標高3,464mのビクトリア山が立ちふさがり、その山肌には真っ白なビクトリア氷河が覆い被さっている。運が良ければ光と水面の微妙なあんばいにより、湖面に氷河が写りこむ様子を垣間見ることも出来るのだが、今日は残念ながらそのような光景を見ることが出来なかった。しかし、ここを訪れる観光客のすべてがこの景色に感嘆と驚愕の声を上げていた。

レイク・ルイ-ズの近くにモレイン・レイクという風光明媚な湖があり、ここの景色はカナダの20ドル紙幣の図案として採用されているという話を聞きつけたのでついでに見物に行って来た。テン・ピークスと呼ばれる山々に囲まれたこの場所は青空と白い雪と湖の緑のコントラストが非常に美しく、多くの観光客がカヌー遊びに興じていた。

夕暮れ時にバンフに戻り、予約しておいた★★★★ホテルのバンフパークロッジにチェックインすると近辺の探索に乗り出すことにした。バンフのダウンタウンから南に2kmほど外れた位置にバンフ名物のひとつであるバンフスプリングスホテルが中世の古城のいでたちで君臨しているので予約もしてないのに見物させていただくことにした。フェアモントホテルグループが総力を結集して建設したこのホテルはロッキーから切り出したと思われる石垣のようなレンガをふんだんに使用しており、内部にはアンティークな家具が絶妙に配置され、数多くの高級ショップが軒を連ねていた。

マサよ、君はバンフの目抜き通りであるBanff Avenueに君臨しているOKギフトショップの経営者を知っているか??

11PM、クイズダービー、世界まるごとHow Much、こんなものいらない等のテレビ番組を仕切り倒し、暴利をむさぼった大橋巨泉が業界をセミリタイアしてからすでに何年も経っているのだが、儲けた金で土産物屋を開業し、さらなる暴利を貪りつづけている。しかもOKとは大橋巨泉のイニシャルであるが、実はテレビに出ていたころおびただしい数のNGを出していたため、その腹いせにOKにしたのではないかと言われている。ところで財務省のマサが天下りをせずにセミリタイアを試みてもセミのように早死にするのは確実視されていることは火を見るより明らかであろう。

8月4日(月)

マサよ、君は太陽にほえろの殉職シーンのロケで誰が一番金を使っていたか知っているか!?

神奈川県警のような通常の日本の警察であれば犯人を追って海外に出ることはまずないが、石原プロがバックについている七曲署であればロッキー刑事を殉職させるためだけの目的でロッキー山中でロケを行った実績を持っているのだ。繁華街のため、ロッキー刑事にしっかりと守られたバンフをカナディアン・ロッキーの表玄関とするとジャスパーという町が裏玄関になる。バンフ~ジャスパーを結ぶ300kmのハイウエイのうち、レイク・ルイ-ズからジャスパーまでの93号線230kmは通称アイスフィールド・パークウエイと呼ばれており、このルート沿いにはロッキーを代表する山々と氷河、湖が次々と姿を現すのだ。

今回のツアーは日程的に余裕があるのでじゃ~スパっとジャスパーまで行って帰って来ようと思ったので車を飛ばしてロッキー最北部を目指すことにした。アイスフィールド・パークウエイのすばらしい景観に包まれながら3時間ちょっとのドライブで午後12時過ぎにジャスパーに到着した。ジャスパーのダウンタウンはバンフと比べて小じんまりとまとまっているもののその分静かな佇まいで自然環境と町並みが一体となっている様子であった。

ジャスパーのダウンタウンの南西7kmの地点に標高2,464mのウイスラー山が控えている。この山の頂上近くにある展望台へは30人乗りのロープウエイ(CA$20)を使って約7分でアクセス出来るので早速登頂してみることにした。地上の乗り場の標高は1,304mで標高差973mをロープウエイで登りきると2,277mの地点に達するのだが、気温も8℃ほど下がるので観光客は上着を羽織らないとこの場所では凍えてしまうのだ。展望台から頂上へはなだらかなトレイルが形成されており、老いも若きも澄み切った空気の中で元気にトレッキングに興じていた。ここからはジャスパーのダウンタウンが一望出来るのはもちろんのことカナディアン・ロッキーの最高峰であるロブソン山(3,954m)のピラミッド状の独立峰も目にすることが出来る。

バンフに帰る途中でアイスフィールド・パークウエイの名前の由来となっているコロンビア大氷原のビジターセンターに立ち寄り、数日後に行われるであろう本格的な探索を前にした下見と情報収集を実施し、その後夕暮れで観光客の数も少なくなっているレイク・ルイ-ズを一目見て撤収することにした。

8月5日(火)

バンフから国道一号線を西に向かって進むとアルバータ州からブリティッシュ・コロンビア州の州境に差し掛かる。ヨーホー国立公園はそのBC州側に位置する小じんまりとした国立公園である。ナチュラル・ブリッジという長年に渡って川床のライムストーンを削り続けたキッキング・ホース川が作り上げた自然のアーチがある。また、そのさらに奥の方へ車を走らせるとエメラルド・レイクというその名の通りのエメラルドを彷彿とさせる美しい湖がある。エメラルド・レイクの周辺にはトレイルが形成されており、1時間半ほどかけて一周して見たのだが、湖のエメラルド色の美しさはもちろんのこと、湖面に映し出された周囲の山々の風景により、湖はクリスタル状に輝いている感じがした。

ヨーホー川を源流とするタカカウ滝が400m近い落差で豪快に落ちているので武者修行にと思ったが、あまりにも水量が多く、水しぶきがかかってしまうトレイルまでの接近にとどめておいたのだが、マサを筆頭とする財務官僚は税金を使い込みたいという煩悩を排除するために是非ここで滝に打たれるべきだと思われた。

ヨーホー国立公園からバンフに帰る際に高速からバイパスに入り、自然の景色に見入っていると巨大な鹿であるエルクが道端で草を食っており、時おり顔を上げてこちらの様子をうかがっていた。さらに進むと薄汚い羊のビッグホーンが若芽をあさっている光景を目撃した。さすがに夏場のロッキーだけあり、動物たちも活発に活動している様子であった。

バンフの町外れのサルファー山の麓にアッパー・ホットスプリングスという温泉(CA$7.5)が開業しているのでバンフで是非ババンバ・バン・バン・バン・アビバ・ノンノンをやりたかったので入湯することにした。しかしながら、ここはサルファー山原産の硫黄を含んだ温泉であったもののそれ以上に塩素を添加しており、しかもここでは入湯者は水着着用、監視員付きの39℃の温水プールに成り下がっていたので「たまにはババンと」と思って大金を払ってここまでやって来た日本人観光客の満足のいくものとは思えなかった。

地球の北部に位置するカナダだけあり、さすがに夜9時半頃まで明るいので観光客はバンフの繁華街でぶらぶらしながらコーヒーやアイスを買い食いしていた。しかも標高1,380mに位置しているため、気温は涼しく景色や町並みが美しいので歩いているだけで楽しいのだ。とあるボウ川沿いの公園では正装した若者がソフトウエアの欠陥のような名前の楽器であるバグパイプを吹きながら小金を稼ぎ、バンフの夕べを彩っていた。

8月6日(水)

ここ3日間のロッキー山中での滞在により、ほぼカナディアン・ロッキーの全容が解明されつつあるので今日はツアーのハイライトに乗り出すべく再びアイスフィールド・パークウエイを北上することにした。空が真っ青に晴れ上がっているせいもあったのかも知れないが、2日前にジャスパーまで行ったときの状況とは打って変わってこの日のアイスフィールド・パークウエイから見上げる山々や氷河は光り輝いていた。とはいうもののツアーの資金が底をついてきたのでそろそろどこかで金を仕入れなければならない。ロッキーには無数の湖があるのだが、ほのぼのレイクといった消費者金融は存在しないので金はバンフの銀行のATMでおろしておく必要があるのだ。

高利貸しはしてくれない代わりに旅行者に深い印象を刻み付ける美しい湖が存在しているので立ち寄ることにした。巨大な鳥の足のような氷河であるクロウフット氷河の解けた水が流れ込んで出来た湖であるボウ・レイクは午前中の静かな時間帯であれば湖面が氷河や山々や青い空、雲を映し出し、人々をボウ然とさせるほどの異様を誇っており、金には換算出来ないほどの景色を提供してくれるのだ。

今回のツアーのハイライトであるコロンビア大氷原へのツアーの拠点となっているアイスフィールド・センターに昼過ぎに到着した。日本でコロンビアというと売れないレコード会社やお笑い芸人が参議院議員に転進した走りであるコロンビア・トップといった冴えない印象をぬぐい切れないが、北米大陸では発見者のコロンブスに敬意を表してコロンビアという敬称はアメリカの首都やスペースシャトルや雄大な自然にしか使われていないのである。

1892年からカナディアン・ロッキーのツアーを事実上支配しているブリュ-スター社が催行するコロンビア・アイスフィールド・スノーコーチツアー(CA$29.95)に参加させていただいた。アイスフィールド・センターのターミナルから大型バスに乗り込むと小太りのデイビッドの運転兼ガイドでスノーコーチと呼ばれる雪上車が停泊しているポイントまで連れて行かれ、そこからのガイドは中年女性のスノーコーチのドライバーであるタニヤに引き継がれた。タニヤに言わせるとブリュ-スター社は世界中にあるスノーコーチ23台のうち22台を保有しており、彼女は行く手にいきなり立ちふさがった32%の下り坂をスーパーローギアを使って安定した走行で巨大なスノーコーチを自在に操っていた。

コロンビア大氷原は325k㎡に及ぶ、北極圏以外では北半球最大の氷原であり、ここから流れ出す川は北極海、太平洋、大西洋に注ぐ、マサに大陸大分水嶺である。ブリュ-スター社のツアーで接近出来るのは大氷原から流れ出すいくつもの氷河の一つである、全長6kmのアサバスカ氷河の標高2210m地点である。ツアーの参加者はスノーコーチから降りて20分ほど氷河の上で過ごすことが出来、タニヤはマイペットボトルの水を携帯しており、いきなり氷河から流れ出している水を汲んで飲んでいやがった。ちなみに8月いっぱいであればツアーの参加者は無料でタニヤのサインがもらえるとのたまっていた。

コロンビア大氷原を十分に堪能した後、アイスフィールド・パークウエイを南下してボウ峠に到着した。アイスフィールド・パークウエイの最高地点(2,070m)であるボウ峠からはペイト・レイクを見下ろすことが出来、展望台では多くの中国人団体旅行客と一般白人旅行客が記念撮影のベストポジションをめぐって仁義なき戦いを繰り広げていた。

午前中に遭遇したボウ湖の美しさが忘れなれなかったので夕方再び立ち寄って見たのだが、湖面に立っているさざ波と光の影響のために景色の反写が見られず、全く異なる湖と化していた。

今日はバンフでのラストナイトとなるため、11PMでお世話になった若者(私はトゥナイト派だったのだが・・・)を代表して大橋に義理立てするためにOKギフトショップでメープルシロップとメープルシロップで作った砂糖を買ってやることにした。しかも合計金額はトゥナイトが始まる時間と同じ11.25ドルもしやがった。

8月7日(木)

ビクトリア氷河を映し出すレイク・ルイ-ズの姿を見ないとロッキーに来てもラッキーではないと言われているので早朝より、三たびレイク・ルイ-ズへと向かった。早朝の冷気を残している湖面は予想通り波立つこともなく静かな雰囲気をたたえており、そこにはくっきりとビクトリア氷河の姿が写し出されていた。尚、ボート乗り場が開業してしまう午前10時にはこの景色は消されてしまうのでボ~としているとロッキーのハイライトを見逃すことになるので時間選定には最新の注意を払うべきであろう。

バンフの近郊にも数多くの見所があり、今日は城のような形の山であるキャッスル・マウンテンやジョンストン川が大地を削り取って形成したジョンストン渓谷や冬季には人気スキー場と化すマウント・ノーケイからバンフの町を一望したりもした。さらに侵食によって形造られた不思議な土柱フードゥーやボウ滝、サプライズポイントから見下ろすバンフ・スプリングス・ホテルが森林と一体化している姿も堪能することが出来た。

バンフの市街にいくつかの博物館があり、数多くの化石等を展示している自然史博物館で未確認生物であるビッグ・フットに遭遇し、カナダ最古の木造建築で1903年に建立されたバンフ公園博物館(CA$4.-)ではグリズリ-等野生動物の剥製を目の当たりにすることが出来た。

ということで、将来マサの退職金を横領する私がセミリタイアして避暑地として生活することになるであろうカナディアン・ロッキーの下見が無事終了したのでカルガリーに帰る道すがら、1988年に冬季オリンピックが開かれたカナダ・オリンピック・パークをチラッと見てなぜスピードスケートの清水宏保がワールドカップの500mで世界新を出すことが出来たのかを解明するまでもなくカナダを後にすることになったのだ。

8月8日(金)

マサよ、君はゴジラの逆襲を生で見たことがあるか?

私は・・・見た!!しかもぎりぎりのところだった!!!

朝8時15分のUA便でカルガリーを後にしてシカゴ経由、合計5時間以上のフライトではるばるニューヨークのラガーディア空港に午後5時半頃到着してすぐにレンタカーをピックアップし、ヤンキースタジアムを目指した。

今日は知っての通り、日本人の日本人による日本人のための頂上決戦の第3ラウンドがここニューヨークを舞台にして繰り広げられるので急がなければならなかったのだが空港からスタジアムまでのルート選択を誤ったため、渋滞にはまっていたヤンキースタジアムを目の前にして無常にもラジオからプレーボールの声が聞こえてしまった。しかも1回の表にヤンキースが最大のピンチを迎えるイチローとの対決も初球を打ってあえなく凡退してしまった様子であった。

あらかじめ予約していたライトスタンドの後方にたどり着いたのは2回の表の攻撃でマリナーズが1点を先行したところであった。2回の裏ヤンキースの攻撃は5番ゴジラからの打順であった。初対決となるフランクリン投手の初球ストレートを叩いたゴジラの打球はラインドライブの低い弾道でライトポール際に向かって一直線に飛んでいった。あまりの打球の速さに俊足のイチローでも追いつくことが出来ず、打球はそのままライトスタンド最前列のぎりぎりのところに飛び込む第14号のホームランとなったのだ。しかし、昼飯を食ってないせいでスタジアム周辺のホットドッグ売り場で立ち止まり、あと数分スタジアム入りするのが遅れていたらこの逆襲の場面を見落とすことになり、今回のツアーの意味がなくなってしまうところであったのだった。

ところで試合の方はゴジラの逆襲ホームランで同点に追いついたヤンキースが6回にニック・ジョンソンの満塁ホームラン等で大量5点を奪い、接戦にもつれながらも9回に守護神のマリアーノ・リベラがマリナーズの反撃を退け9対7でヤンキースに貴重な勝利をもたらしたのであった。今日の客の入りはチケットは完売状態だと思われるが、ダフ屋の営業努力が足りなかったためかところどころに空席が目立ち、入場者数は5万2千人程度であった。

試合終了後駐車場から車を出すために1時間ほど待たされた後、夜11時過ぎにヤンキースタジアムのあるガラの悪いブロンクスからマンハッタンを抜けてニュージャージー州ラガーディア空港のヒルトンホテルを目指して車を走らせていた。ヤンキースタジアムでは観客席のブルーが目に焼き付いていたのだが、ブロンクスからアッパーマンハッタンは黒の世界だった。時おり車のヘッドライトさえも映し出すことが出来ない黒い人影が、車の前や脇をすばやくすり抜けていく気配を感じるのだが、彼らはインラインスケートを履いた黒人青少年たちであった。さらにマンハッタンを南下するときらびやかなネオンが目に飛び込み、人と車で渋滞状況に陥ってしまう場所がある。ここはいわずと知れたブロードウエイのタイムズスクエア近辺である。このあたりから回りを走っている車はすべてイエローキャブになり、割り込みや急な車線変更に対応出来なければ生きていけない世界に迷い込むことになる。さらにこのまま朝を迎えてしまうと町は八神純子の歌うパープルタウンと化していくのであろうと思われた。

8月9日(土)

アメリカの国立公園管理局の配下にあるエジソンのラボラトリーがニュージャージーにあるので見物に行って来たのだが、長期メンテナンスの最中で残念ながら発明のノウハウを取得することが出来なかった。出来れば東京特許許可局に発明内容を登録してロイヤリティーで収入を確保してセミリタイアを実現したいと思っていたのだが・・・

今日の頂上決戦第2戦は午後1時25分にプレーボールとなった。試合が始まる直前に赤いヤンキースの帽子にJTBのマークを付けたツアーコンダクターの男女に引率された松井・イチロー対決見物ツアーの一団が大挙してFTBである私の周辺を取り囲み、あたりは東京ドームのライトスタンドかと見まがえるような状態に陥ってしまったので彼らのペースに巻き込まれないように細心の注意を払って試合を見なければならなかった。

ところで試合開始前にゴジラのバッティング練習を目撃することが出来た。5月に見たときと打って変わって明らかにオーバーフェンスの数が増えていた。3球に1球くらいの割合でスタンドインする打球はたまにアッパーデッキまで達していたのだが、同じ組で打っているジェイソン・ジオンビーの打球はほとんどがアッパーデッキを直撃していた。これもひとえに食い物の差ということだろうか?

日本人のために行われた今日の試合の主役はイチローであった。ヤンキースはマリナーズの若手スターターのギル・メッシュに完璧に押さえ込まれ、ニック・ジョンソンのホームランによる1点しか取れず、ゴジラもチームヒット数3本のうちの1本を打ったにとどまっていた。一方のイチローはヤンキースの左腕アンディ・ペティットに苦戦して1,2打席とも凡打に終わっていたのだが、3打席目に待望のライト線ツーベースを放ち、次打者のバントとブレット・ブーンの犠牲フライにより、勝ち越しのホームを踏んだ。4打席目のイチローはゴジラの守るレフト前にしぶとく落とすポテンヒットで打率を稼いだのだが、レフトスタンドのヤンキースファンは「Matsui, you are a bad man!」とイチローの打球を取れなかったゴジラを痛烈に批判おり、ニューヨークのファンの厳しさを目の当たりにしてしまったのだ。

大魔人佐々木の負傷によりマリナーズの守護神として君臨している長谷川滋利が1点差を守るべく、9回のマウンドに立った。5万4千人の大観衆が発する「Let’s go Yankees!チャ、チャ、チャチャチャ」に動揺してヒットを1本打たれたものの落ち着いたマウンドさばきで後続を討ち取り、今日はマリナーズが見事に雪辱を晴らしたのであった。

8月10日(日)

ニューアーク空港から早朝便でワシントンDCに飛び、飛行機の予約の都合でDCからANA001便で成田に帰国し、そのまま流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 \230,220

総レンタカー代 CA$534.23 + US$195.44

総ガソリン代 CA$117.05 + US$12.00

総宿泊費 CA$116.48 + US$160.46 +

総国立公園入場料 CA$21.00

(CA$1 = \94.71)

FTBレンタカートラブル情報その2

1998年8月にマサ等を率いてヨセミテツアーを敢行した際にフォードトーラスのタイヤがパンクしてしまったのをトラブルその1とする。当時代表であった私の冷静な判断により、JAFの救助員顔負けの修理能力でタイヤ交換を行い、無事サンフランシスコに帰還することに成功した。今回はカルガリーでレンタルしたフォードトーラスでアイスフィールド・パークウエイを疾走していた時に対向車が跳ね上げた小石がフロントガラスを直撃し、クラックが入ってしまった。これは人並みはずれた動体視力と反射神経をあわせ持つ私であっても避けられない出来事であった。正直者の私は返却の際にハーツの従業員にこのトラブルを報告したのだが、彼は状況を見るなり、「Who cares ?」と言って見逃してくれたのだが、後で請求書が回ってきたりしないだろうか??

今後の予定:秋は旅行のシーズンということで「なるほど・ザ・FTB秋の祭典」が再開されるかも知れません。

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