FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in サイパン

ハファダイ マサよ!

ということで、2月のサイパンの風物詩となった大阪近鉄バッファーローズが誇るいてまえ打線の打撃音は合併球団オリックス・バッファローズの誕生によりもう響かなくなってしまう。猛牛中村紀洋は遠く大リーグに渡ることになり、大阪芸人のタフィー・ローズはすでにジャイアンツの軍門に下ってしまい、いてまえ打線もどっかにいってまえと在阪野球ファンの断末魔の叫びが聞こえてきそうな今日この頃である。このような状況を鑑みて日本からわずか3時間のフライトで常夏気分を満喫することが出来るサイパンの実力を再確認し、楽天野球団のキャンプ地として売り込むためにわざわざ調査に乗り出すことにした。

12月9日(木)

ノースウエストのマイレージが余っていたのでマサであっても3~4万くらいしかかからないところを私はただで入手していたサイパン行き往復E-Ticketを手に成田空港第一ターミナルに乗り込んだ。ANAやスターアライアンスの便であれば三顧の礼のVIP待遇で迎えられる私もノースウエストでは凡人に成り下がっている手前、通常のエコノミーカウンターで軽くチェックインすると早速午前10時35分発のNW76便、B747-200機に登場し、機内でスパイダーマン2を見ながら、一路サイパン国際空港を目指していた。

午後3時前にサイパン国際空港に到着し、入国、通関を済ませて外に出ると12月の東京とは打って変わっていきなり28℃の熱気に包まれてしまった。北マリアナ諸島特有の熱帯性熱帯気候に体をなじませるためにタクシーで$30くらいかかるホテルまでの道のりを徒歩で向かうことにした。島の南部に位置する空港からサンホセという海辺の町に出るとそこから海岸沿いに美しいビーチロードの遊歩道が続いていた。ここから見るサイパンの海は遠浅のエメラルドグリーンでそのむこうにある深い海には大型の船舶が何隻か停泊しているのが確認された。

わずか12~13kmの距離を2時間ほど歩いて午後5時過ぎにはガラパンというサイパン最大の繁華街に足を踏み入れることになり、思わず自分のパンツのガラを確認しないではいられなくなってしまいながらも何とか予約しておいたハファダイビーチホテルにしけこむことに成功した。現地語で「こんにちわ」を意味する「ハファダイ」という言葉をホテルの冠名にしているこのホテルはサイパン最大の規模を誇り、白砂のマイクロビーチのオンザビーチにありながら、玄関前にはDFSギャラリアが構えているという絶好のロケーションを持つ総合レジャーリゾートである。部屋はすべてビーチに面していたので、今夕は7階の部屋から水平線に沈む太陽を眺めながら郷愁に浸らせていただくことにした。

12月10日(金)

早朝よりホテルの前に広がる白砂のマイクロビーチを散歩していると原住民系のビーチレジャー客引きが「今日は何するの?」と次々に声をかけてくる。軽く彼らをかわしながら同じビーチサイドに建つ第一ホテル、ハイアット・リージェンシーホテルのプライベートビーチを抜けてアメリカ記念公園に紛れ込んだ。この公園には第二次世界大戦における、アメリカ軍の犠牲者の慰霊碑のモニュメントが建立されており、緑豊かなビーチ沿いでは散歩やバーベキュー等を楽しむことが出来るようになっている。

ガラパンのダウンタウンのはずれに北マリアナ諸島歴史・文化博物館($3)がかつての日本病院跡の立地にひっそりとオープンしていたのでサイパンの秘められた歴史を解明するために入場してみることにした。ここには約400年にわたって北マリアナ諸島で生活する人々の遺物が数多くの展示品として公開されていた。特に1638年に沈没したスペインのガレオン船コンセプシオン号から引き揚げられた、金、陶器、貴金属装飾品は高い評価を受けている収蔵品である。また、第一次世界大戦後、日本の統治時代が長いこともあり、砂糖王として原住民から尊敬されている松江春次に関する資料やビデオも放映されているのであった。

その砂糖王を記念する公園が博物館の向かいにその名もSugar King Parkとして君臨していたので見物させていただくことにした。南洋興発(株)を率いてサトウキビ栽培と精糖を北マリアナ諸島の一大産業に育て上げた松江春次の銅像は太平洋戦争時にこの地に上陸したジェネラル・マッカーサーにして「松江の銅像は倒すな!」と命令されたほど威厳の高いものであったそうだ。

砂糖王が醸し出した甘い余韻に浸りながら午後のひとときを海をボ~と眺めながら過ごした後、ホテルのビーチ沿いで煙を出している鉄板焼きレストランパラパラでステーキ&ロブスタースペシャル($35)を夕食の肴として心地よい南国の夜をふかしていった。

12月11日(土)

韓国人系で日本語を話すレンタバイク屋で250ccのスクーターをレンタルすると景勝地の多い島の北部へ乗り出すことにした。緑豊かなマッピ山の崖下にバナデロという戦跡地が通称「ラスト・コマンド・ポスト」という名称で多くの観光バスを集めていたので立ち寄って見た。ここにある洞窟状のくぼみをコンクリートで補強したトーチカは日本軍最後の司令部であり、生々しい砲台の跡や破壊された戦車等が残っており、それらの遺品は当時の戦況の激しさを静かに物語っていた。

サイパンのワン・オブ・ザ・ベストの景勝地としてイスレタ・マイゴ・ファハンと呼ばれるバードアイランドの展望所がある。海鳥たちのサンクチュアリとなっているバードアイランドの周辺の海の色はサファイアブルー、ネイヴィーブルーがブレンドされた美しいハーモニーを醸し出しており、中国人団体観光客の一大記念撮影スポットとなっていた。

標高249mのマッピ山の北側は切り立った断崖となっており、通称スーサイド・クリフと呼ばれている。現在平和を祈る観音様を祭ってあるこの地は戦争当時はアメリカ兵の投降の呼びかけに応じることを潔しとしない多くの日本人が身を投げた悲しい場所なのであった。

美しい海に囲まれたサイパンには多くのダイビングスポットがあるのだが、その中でも人気ナンバーワンスポットとしてグロットが君臨している。リアス式海岸状に削られた島北部のマドック岬の崖下の駐車場にバイクを止め、さらに急斜面の階段を100段ほど下るとアーチ状の天井を持つ洞窟に到着する。ここは天然のプールになっており、水中では3ヶ所の横穴で外洋とつながっている。外洋から横穴に差し込む光が水面に反射し、洞窟の奥には神秘的なブルーの空間が広がっている。ここには重たいボンベを抱えたダイバー達が次々と降りてきて海の中に消えていったのであるが、アワビやウニやサザエを取るときしか潜らないことにしている私はなすすべもなく見守るしかなかったのであった。

12月12日(日)

マサよ、君はバンザイ・クリフという断崖から「天皇陛下バンザイ」と叫びながら身を投げた婦女子や老人たちに思いを馳せてむせび泣いたことがあるか!?

ということで、サイパン北部でくしくも日本に一番近いサパネタ岬とラグア・カタン岬の間の断崖は通称バンザイ・クリフと呼ばれており、1944年7月7日に決行された日本軍最後の玉砕突撃の翌日に追い詰められた弱者が米兵の制止の声を振り切って次々と80m下の太平洋の荒波に身を投げた場所である。この場所には戦没者の霊を慰める白亜の太平洋の塔と観音像がひっそりと建っており、おもわず手を合わせずにはいられない観光スポットとなっているのだ。

午後4時55分発NW75便にて帰国、定刻より早い午後7時前に成田に到着し、そのまま流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 \2,310(税金のみ)

総レンタスクーター代 $25

総タクシー代 $30

総宿泊費 \23,700

*サイパンだ!観光情報

  サイとパンダをかけあわせたサイパンダという動物がサイパンで幅を利かせていやがっている。観光バスにさえ、フロントに角を生やしたサイパンダバスが多くの無邪気な観光客を観光スポットに送り込んでいる様が目撃された。当然DFSギャラリアにもサイパンダコーナーが一席設けられており、ぬいぐるみ等のグッズが高値で取引されていた。

次回はドゥオ~モFTBEUイタリア~ノが発生する予定です。

協力: ノースウエスト航空、サイパンのレンタバイク屋

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