FTB炎の離島デスマッチ第?弾バリ

♪見つめあ~うと すな~おに おしゃ~べり できな~い♪ (Song by S. All stars)

ということで、昨年末のスマトラ島沖大地震によるTsunamiの被害によりインドネシアをはじめとする東南アジアの各国は莫大な経済的損失を被ってしまった。金銭的や人的な援助もさることながらいち早くリゾート地として観光客を取り戻して欲しいと考えたFTBはみずからバリ島まで足を運び観光大使としてインドネシアの復興支援に尽力することを決意して日本を後にしたのであった。

1月28日(金)

日本航空の誇りとする憧れのハワイ航路に使用される機体としてお馴染のリゾッチャ紋様をあしらったB747-SR機はデンパサール行きJL729便にもお目見えした様子で現役ギャルや元ギャルが圧倒的に多い乗客は皆リゾート気分を満喫する気満々で定刻午後4時の離陸を今か今かと待っている様子であった。しかし、無常にも機内を流れるアナウンスは1人の乗客をお待ちするために出発が遅れるというものであった。この発表により機内は騒然となるかと思われたのだが、以外にも皆「スクールウォーズ」が推薦するOne for All, Allfor Oneの精神で乗り遅れたマヌケ野郎を咎める者は誰一人としていなかったのだ。

そのマヌケ野郎のおかげでバリ島、デンパサールのグラライ空港に着いたのは定刻より多少遅れた夜11時過ぎの時間帯であった。空港でインドネシア入国ビザをUS$25で売りつけられた後すんなり入国を果たすと早速日本円を現地通貨であるインドネシアルピアに両替するためにいちばん手招きの振り幅の大きい両替所に向かい、軽く\10,000を提出すると大枚860,000ルピアになって返ってきた。

料金前払いの明朗会計空港タクシー(60,000ルピア)で今回のツアーの宿泊先であるヒルトングループが誇る最高級ホテルであるConrad Hotel & Spaに到着したのは深夜12時半くらいであったのでチェックイン後、Tsunamiも届きそうもない最上階の4階の部屋に引きこもり,リゾート気分を引きずったまま休ませていただくことにした。

1月29日(土)

朝起きて総大理石張り床の部屋からテラスに置いてあるデッキチェアで南国気分を味わい、Hilton HHonorsのゴールドメンバーのみが招待されているクラブラウンジで朝飯を食らった後、ビーチに出てみることにした。インド洋の青い海が広がる白砂のビーチにはデッキチェアとヤシの実の繊維で作られた屋根を持つ巨大な日よけ傘がたくさん据え付けられており、ひときわ大きな屋根つきのファシリティでリッチに読書をしながら午前中の時間を過ごすことにした。

バリ島は東京都の2.6倍の面積を誇る巨大な島でリゾートエリアは特に南部に集中している。今回FTBが宿泊地として選定した地区はブノアという昔漁村であったが今は新興高級リゾート地区として君臨している現世の喧騒とはかけ離れたような静けさを持った場所である。ビーチには当然高級リゾートホテルが林立しているのでそれらを物色するために軽く散歩に出ることにした。長さ5kmほどの小さなブノア半島を先端部の北に向かって歩いていると数多くのレストランやHotel & Spaが姿を現した。グランド・ミラージュ・バリというホテルに併設されているSpaでタラソ・バリというバリ島で最も人気のあるエステがある。ここでは日本のB級タレントが日夜取材に訪れ、緑色の海草系のペーストを全身になすりつけられて悶絶している様子が視聴率の悪い時間帯に放映されるための段取りが組まれているものと思われた。

ブノア半島の最北端はいまだに漁村の雰囲気を残しており、漁の終わった原住民がだらけた午後のひと時を過ごしていた。今度はビーチ沿いを南下してみると次第にマリンスポーツの種目が増えてきて観光客はジェットスキーやパラセイリングやバナナボート等の遊興に耽っていたのであった。ブノアに隣接するリゾート地として名高いヌサ・ドゥアという地区まで足を伸ばすとそこではひとつの町のように巨大なグランドハイアットのファシリティ群やバリ・ヒルトン・インターナショナル等の老舗リゾートがシーズンオフの観光客の少なさのために有り余る設備を持て余している様子が稼働率の低い客室とともに確認されたのだった。

1月30日(日)

バリのリゾート開発の先駆けとなったビーチとしてクタという地区が君臨しているとのことだったのでトレーニングも兼ねて軽くブノアから徒歩でやって来ることにした。南緯8度の熱帯性気候が醸し出す炎天下の中を10kmほど歩くと目の前を飛行機が着陸していく様子が確認出来たので空港をスルーしてさらに2~3km北に向かって歩を進めると何とかクタに到着することが出来たのだが、そのころにはマサにクタクタの状態になっていた。クタのビーチにはインド洋の豪快な波を求めてやって来やがったサーファーで溢れかえっており、その辺の砂地にはおびただしいほどのサーフボードが突き刺さっていた。

ところでこのあたりにはジゴロというギャルを食い物にして金を巻き上げて生計を立てている職業の方が数多くいらっしゃり、日本の負け犬ギャルたちも彼らの上客となっているという話を聞いていた。勝ち馬として欲望の食物連鎖の頂点に君臨するためにこの地にマーケティング活動にやって来たFTBは♪ひろしです♪って言うじゃな~い、ど~こ見てんのよ~、残念!!等の現代日本ナンパ用語の基礎知識を彼らに講義して負け犬から巻き上げた金を日本に還元するビジネスモデルの検討を始めたのであった。

日も暮れかけたのでクタでクタびれた肉体に鞭打って再び徒歩で12~3kmの道のりをConrad Hotelを目指して帰っていった。タクシーで20分もかかるところを私はわずか2時間で帰ってこれたので部屋で軽く汗を流した後、近所のエスニック食い物屋に繰り出すことにした。ホテルの目の前にLoco Cafe(http://www.lococafe.com/)というレストランがあり、付属のダンサーが決して自分の業務ではないはずの客引きをしているけなげな姿に打たれて思わず入ってみることにした。チャウダー系のシーフードスープとエビ・カニ・ロブスターが大皿を飾るシーフードスペシャル(180,000ルピア)を貪り食っていると運転手つきの4WD車で登場したこの店のオーナーがジョインしてきたので相手をしてやることにした。日本で修行?した経験も長いBudiというオーナーはシーズンオフの客の少ない時期に来てくれたということでバリの酒やフルーツやアイスクリームを無償で提供してくれた気前のいい実業家であったのだ。

1月31日(月)

マサに夢の世界を提供してくれたConrad Hotelをあとにするとタクシーでクタまで移動し、そこから本数は少ないが、外人観光客の貴重な交通手段となっているプラマ社のシャトルバスでバリ島中部にある芸能・芸術の中心地ウブドに向かった。

クタから大都会デンパサールを抜け、サヌールというリゾート地を経由してバスはバリ島中心部を目指して走っていたのだが、道幅が段々心細くなってきてついには中央の車線のない田舎道に入ってしまった。決して観光客が安心してレンタカーで走ることの出来ないような迷路を1時間程走るとバスはいつのまにかウブドのバスターミナルに到着していた。バリ・ヒンドゥー教が醸し出すバリ島本来の雰囲気を色濃く残しているウブドの町並みであるが、いたるところにJALパックとJTBのシャトルバスのバス停が設置されており、ここでも日本人観光客に侵略されている様子がありありと窺がえた。

バリ絵画の美術館であるプリ・ルキサン美術館(20,000ルピア)を訪問させていただいた。ウブドのメインストリートから橋を渡るとそこには緑の庭園に囲まれた芸術の世界が存在していた。ここにはバリ芸術の粋を集めた絵画や彫刻が展示されており、その歴史的重要性は計り知れないものであると言われているのである。

ウブドの中心の一角にモンキーフォレスト(10,000ルピア)という野生の猿が群生するこじんまりとした森があったのでひやかしに行くことにした。チケット売り場の脇で観光客に猿の餌として供給されるべきバナナを売りつけようとする原住民を軽くいなし、森の内部深くに分け入るとそこにはニホンザルより多少小柄の猿がその運動能力をいかんなく発揮しながら元気に暮らしていた。折からの小雨が強くなってきたので屋根のある休憩所で人類に興味のありそうな猿達を従えて♪おも~いでは いつも日も~あめ!♪と歌っていると乗り乗りになってきた小猿が次々と私の背中や頭に乗って来やがり、多少えらい目にあってしまったのだ。

午後7時過ぎにクタに帰って来て繁華街を歩いているとハロー、タクシー!?といういかにも有名人である私の名前がタクシーであるかのような声援が次々にあびせられた。中には”マヤク?、オンナ?”という修行をしていない若者であれば80%はひっかかるような甘言も飛び交っており、クタの風紀の乱れとアンダーグラウンドマーケットの大きさを実感させられた訳であるが、これではマサにテロリストの格好の餌食なっても仕方がないと思われた。

というわけで、今回はバリ島の下見を行ったわけであるが、ここでは各人の好みにより様々なスタイルのエンターテイメントが提供されている。但し公共交通機関は無いに等しく、レンタカーを転ばす場合には道が狭くてわかりにくいのでタクシーをチャーターしたりする必要があろう。ところでバリ島の北部の山岳火山地帯でキンタマーニという景勝地があるという情報を聞きつけ、思わず股間にボールが当ったような衝撃を受けてしまったので次は必ず乗り込まねばならないと思われた。

FTBサマリー

総飛行機代 \62,720

総宿泊費 3,481,806ルピア

総タクシー代 93,600ルピア

総バス代 40,000ルピア

総インドネシアビザ代 $25

総グラライ空港使用料 100,000ルピア

次回はどん底からの生還の予定

協力 日本航空、プラマ社、HiltonHHonors

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