FTB炎の離島デスマッチ in グアム

新年が明けてプロ野球も自主トレの季節に入ってきた。今年も数々の過酷なツアーをこなしていかなければならないFTBも長い1年を乗り切るための体力作りをしておかなければならないということでグアム島でミニキャンプを張ることになった。ちなみにグアム島とキャンプの関係は新人の原辰徳を用し、藤田監督、王助監督、牧野ヘッドコーチのトロイカ体制を敷いたジャイアンツが1980年にはじめてこの地でスプリングキャンプを行い、その年は見事に日本一になったという実績を持っているのだ。

1月10日(金)

12月8日にグアム島を襲ったスーパー台風ポングソナの影響で観光客が激減しているため、午後10時発のANA923便の機内はガラガラではないかと思っていたのだが、少なくとも半分以上の席は埋まっている様子だった。

1月11日(土)

1時間の時差を越えてグアム国際空港に到着したのは午前2時半頃であった。ところで私がひいきにしてやっているハーツレンタカーは台風の影響で1月中は営業を停止しているということで予約を拒否されてしまっていたので今回は飛び込みで空港のエイビスレンタカーのカウンターを訪れることになった。何とかコンパクトカーの空きを見つけることが出来たので、今夜は車中泊を決め込み、車でグアムの繁華街方面に向かった。

とあるホテルの駐車場で夜を明かした後、午前9時頃から早速島内観光を開始することにした。アサンの海岸沿いに面したところに太平洋戦争国立歴史公園アサンビーチという公園があり、そこで太平洋戦争の歴史を学習していたときのことであった。体格が良く、ケツのでかい数人の若人が上半身裸、下は短パンのいでたちで芝生の上でランニングを始めていた。若人が持ってきたと思われるバッグが車の近くに無造作に置かれており、そこにはTigers 27という刺繍が入っていたので彼らは阪神の山田捕手を中心とする若虎たちであり、暖かいグアムの地に自主トレをしに来ていることが確認出来た。星野監督の目が届かないとはいえ、随分とタラタラとした練習ぶりだったので今年もBクラスは間違いないものと思われた。「仙一参上!」と書いたポストイットをバッグにでも貼っといてやろうかと思ったが、今回は見逃してやることにした。

マサよ、君は日本を代表するサバイバーである横井庄一を知っているか?

島の南東部タロフォフォという地域のタロフォフォフォールズリゾートパーク($20.-)の内部に横井ケーブという洞窟がある。これは元日本兵の横井庄一が28年間に渡って潜伏生活をおくっていた洞窟のレプリカであり、日本人としてここに来なければグアムに来た意味がないと言われている重要な歴史を証言するスポットである。1972年2月に原住民によって発見されるまで横井庄一は魚やエビを取ったりしながらこの穴でサバイバル生活を送っていたとのことで園内には当時の状況をしのぶ博物館や穴の断面図等が展示されており、ここに来ればジャングルでのサバイバル生活のノウハウを身に付けることが出来るのだ。

当時大蔵官僚であった独身時代のマサが居住していたのは京阪京橋駅徒歩5分のホテルオークラ館寮であったのだが、グアム島のホテルオークラは今は全日空ホテルズによって経営されている。ANAマイレ-ジクラブダイヤモンド会員の私は全日空ホテルズの無料宿泊券を2枚持っていたので今日と明日はホテルオークラに無料で宿泊することになっていたのだ。ホテルの部屋は当然のことながら海に面しており、広さは45平米と非常にゆったりしており,伊達に税金を浪費して造ったものではないことが確認出来た。

マサよ~、君はいつの間に指圧の免許を取得していたのか!?

ホテルオークラの部屋に設置されている机の上にとあるマッサージ屋のチラシが据え付けられていた。そこで私が目にしたものは何と「マサ指圧院」という文字であり、これはマサにマサが天下りする時の就職先として確保されていたものだと確信した次第であった。

夕暮れ時にジャイアンツがキャンプを張った実績のあるパセオ球場を見に行ったのだが、ここにも台風の被害が顕著に見られており、2基の照明塔が無残にも倒壊していたのだ。

1月12日(日)

グアムで最も有名な観光スポットとして恋人岬($3.-)が君臨しているので話の種に見に行って来ることにした。一般人はタモンビーチのホテル街から車やシャトルバスでアクセスするのだが、私はトレーニングがてらに歩いて向かっていた。すると4WDトラックに乗っているおっさんがいきなり私の前で車を止めて逆ヒッチハイクされてしまったのでその車に乗り込みいろいろと話をしたところ、やはり台風ポングソナは原住民のおっさんが今まで経験した中でも最大の台風だったと恐怖の色を浮かべながら語っていた。

恋人岬の伝説は無理やりスペイン人兵士との結婚を決められていた娘が原住民の恋人と駆け落ちしようとしたところ追っ手に見つかり海に身を投げて心中したという呪われた伝説のはずなのになぜかハッピーなカップルが目白押しのスポットなのである。おまけに隣に挙式が可能な教会まであり、ここで式を挙げたカップルはモニュメントらしき壁にネームプレートが貼られるのだ!ちなみに岬からの眺めは聞きしにまさる美しさで100m以上の高さからタモンビーチの全貌を見下ろすことが出来るのだ。

グアムは熱帯に属しており、日中は日本の7倍ほどの紫外線を浴びてしまうので夕方の涼しい時間帯にタモンビーチの海に入り海中トレーニング行なうことにした。ABCストアで購入したコーラルリーフの上を歩ける靴($16.9)をはいて遠浅の海に入り、エメラルドグリーンの海水に身を任せながら、岩礁に接近するとカラフルな熱帯魚がゆらゆらと揺れるすね毛に対して攻撃を加えてきた。遠浅の海の向こうには世界最深のマリアナ海溝が控えているのでうっかりすると5年くらい浮かび上がって来れなくなる危険性もはらんでいるのだ。

アンダーウォーターワールドというグアムを代表する水族館($20.-)が夜10時迄営業しているので話の種に見物することにした。長さ100mのトンネル状の水槽のなかには数種類のサメやいかりや長介系の下唇を持った魚や、西川きよし系の目玉を持った魚や六輔系のエイ等が元気に泳ぎ回っている姿を自然環境に近い形で観察することが出来るように設計されているのだ。

1月13日(月)

ホテルオークラのチェックアウトの時間が12時だったので午前中は海中トレーニングに専念することが出来た。午後からパシフィックリゾートという会社に日本で予約させておいたホリディプラザというホテルに移動すると夕方は再び海でのトレーニングに明け暮れることにした。

夜は買い物タイムということでDFSで必要な物品を調達してとっとと引き上げることにした。

1月14日(火)

午前5時25分のANA便にて帰国。日本に着いたのが午前8時だったため、不本意ながら午後から会社に来てしまったのだ。

コストパフォーマンスの高いリゾート地グアム島情報

*グアムの平均気温は27~28℃であり、日本の猛暑のように30℃を越える日が少ないので日本の夏よりも過ごし易いといえよう。

*タモンビーチの形状はハワイのワイキキを模しているようでオンザビーチの高級ホテルが数多く建ち並び、高台にある恋人岬はあたかもダイヤモンドヘッドのようにそびえているのだ。

*通称ホテルロードといわれるタモンの繁華街にはおびただしいほどの実弾射撃場と足裏マッサージ、ストリップ等が出展しており、前を通ると原住民のバイト野郎がチラシを配布しているのだが、彼ら決して強引な客引きはしない紳士である。

*フジタタモンビーチホテルのフジタとは日本の球団として始めてキャンプを行なった藤田監督から拝借した名前であるのは日本全国の巨人ファンで知らない奴はいないであろう。

*グアムはフリーポートなので税金が全くかからないマサに買い物天国である。

*大型台風の影響でいまだに電力の復旧率は50%程度であり、信号機はほとんど停止していたので軍人が交通整理を行なっていた。また、昼間はWESTINだったはずの高級ホテルが夜はVEST Nホテルに見事に変貌を遂げていた。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥58,640

総宿泊費  \7,835

総レンタカー代 $102.57

総ガソリン代 $7.-

協力 全日空ホテルズ、パシフィックリゾート

今後の活動予定:マウイ島

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