皆様ご承知の通り、FTBの主要業務の一つとしてMLBツアーの開催がある。もうすでにMLB30球団の球場をすべて制覇してしまっているので今さらやることはないだろうと思われるかも知れない。ところが今年ゴジラ松井が鳴り物入りでニューヨークヤンキースに入団してしまった。日本では先輩チームメートからゴジという愛称で恐れられていたのだが、長きに渡って開催されたFTBのMLBツアーも回を重ねて5次ということになるので今回は何としてもアメリカに進出したゴジの動向を追跡すべく立ち上がる必要があったのだ。
5月3日(土)
ゴールデンウイーク後半戦3連休の初日にもかかわらず、成田空港第2ターミナルは閑散とした様相を呈していた。しかも依然として下火にならないSARSの影響か、数多くの旅行客はマスクをして飛散したウイルスが体内に入り込まないように無駄な努力をしているようだった。
日本最強レベルの観光大使に成り上がっているゴジラのおかげなのかANA010便ニューヨーク行き、B747-400テクノジャンボはほぼ満席状態で出発し、定刻どおり午前10時半前にはニューヨークJFK空港に着陸した。ここから流れるような作業で入国審査、カスタム、ハーツレンタカーでの日産車の入手を行い、正午前には約1年ぶりとなるヤンキースタジアムに到着することが出来た。あらかじめwww.ticketmaster.comでオンラインでチケットを購入していたため、Willcallという窓口でスムーズにチケットを受け取るとゴジのホームランが飛んで来るであろう右中間スタンドで試合開始を今か今かと待ちかまえていた。
松井率いるニューヨーク・ヤンキース対オークランド・アスレチックスは午後1時10分にプレーボールとなった。2回の裏に先頭打者として回って来た松井は好投手ティム・ハドソンからいきなりライト前にヒットを放った。しかし、打席での今日のゴジラの見せ場はこれだけで結局4打数1安打に終わってしまった。試合の方も9回裏にジェイソン・ジオンビが同点2ランを放ち一瞬ニューヨーカーを興奮のルツボに陥れたものの、結局延長10回を戦い5対3で敗れてしまった。
試合終了後、ヤンキースタジアムから5th Avenueをマンハッタンに向かって南下することにした。車を走らせているとここ10数年来ニューヨーク市内の治安が著しく改善されている様子を実感することが出来る。ジュリアーニ前ニューヨーク市長が実施したブロークン・ウインドウ効果(割れた窓ガラスを放置しておくとそこから犯罪の輪が広がってしまう現象)の低減により、街中の落書き等は消されており、柄の悪いブロンクスやアッパーマンハッタンのハーレムであっても安心して車を転がすことが出来るのである。しかしながら、セントラルパーク以南の繁華街では相変わらずおびただしい数のイエローキャブが幅を利かせており、巨乳系タレントを数多く抱える芸能事務所であるイエロー・キャブのギャルに取り囲まれるのと同等の緊張感で運転することを余儀なくされるのだ。
今日の宿泊地はニューアーク空港近くのDaysinnを予約していたので午後7時ごろ早めにチェックインして休むことにした。今回は首尾よく会社をサボることに成功し、ニューヨークで羽を伸ばすことが出来るため、フッフッという含み笑いを浮かべて風呂に入りながら八神純子のヒット曲を♪パープルタウン、パープルタウン、つばさ広げて、フッ、フッ、フッ、ワッ!ニュ~ヨ~ク(入浴)♪と上機嫌で歌っていたのだが、何となく違和感を感じていたのは♪なんでだろ~♪と思った瞬間にテツアンドトモが購入した新しいジャージのことが頭をよぎり、ここはニュージャージー州であることに気づかされたのだった!
5月4日(日)
今回はMLBツアーということであるが、今日は午前中の時間を持て余すことになっていたのでついでに観光もしておくことにした。ハドソン川を挟んでニューヨークの対岸に位置する場所にLiberty State Park New Jerseyという公園がある。ここからCircle Lineというフェリーが1時間おきに出ており、エリス島と自由の女神の遊覧船($10)として営業しているので乗船を試みることにした。
埠頭から川越しに見るロウアーマンハッタンはマサに八神純子が歌ったように♪むらさきに煙る夜明け♪の様相を呈しているのだが、以前その地に君臨していたワールドトレードセンターの勇士はなくなっていた。フェリーは出航後わずか10分ほどでエリス島に到着した。エリス島は昔U.S.移民局があったところであるが、今回は時間の関係上この島への上陸はスキップすることにし、次の目的地であるLiberty Islandに向かった。フェリーは自由の女神の正面に回りこむ感じで航行し、わずか10分程度で船着場に到着した。Liberty Islandのビジターセンターで自由の女神にまつわるフィルムが上映されていた。その中で化学者の私の心に残った内容は銅像である自由の女神は建立された当時の色はブロンズだったそうだが、徐々に酸化が進み、ついには現在のような緑青を身にまとった姿になったということであった。
ニュージャージーからニューヨークに車で侵入するためにはホーランドトンネルかリンカーントンネル、またはワシントンブリッジを通過しなければならないのだが、いずれも$6をぼったくられてしまうのだ。何はともあれ今日も昨日と同じデーゲームなので正午前にはヤンキースタジアムに帰って来た。今日の試合はオーストラリアの首相がわざわざ観戦に来ていたのでアメリカ国歌を斉唱する前にオーストラリアの国歌が高らかに演奏されていた。
ところで試合の方であるが、ヤンキースの先発は通算300勝まであと3勝に迫った豪腕投手であるロジャー・クレメンスを立て、一方アスレチックスは昨年のサイヤング賞(投手のMVP)投手である左腕のバリー・ジトという豪華な先発陣で始まった。初回クレメンスはいきなりホームランを食らいながらも7回まで何とか2失点でしのいでいたのだが、ジトの方は何度かむかえたピンチもジット我慢して8回まで豪打のヤンキース打線を0点に抑えて9回を抑え投手に託すことになった。今日のゴジラは5回の裏の1死2,3塁の絶好機に強いあたりのピッチャーゴロに倒れ、ヤンキースファンのブーイングを浴びていた。しかし3打席目には三遊間をしぶとく抜けるヒットを放ち連続試合安打を6試合に伸ばしていた。
9回裏の攻撃は4番のバーニー・ウイリアムズが死球で1塁に歩き、ここで5番の松井を迎えることになった。アウトコースの速球で2ストライクと追い込こまれた松井はチェンジアップ系のボール球を2球見逃した後、5球目の甘い速球を強振したのだが、無常にも平凡なライトフライに終わってしまった。後続も凡打に倒れ、結局ヤンキースはアスレチックスに対して2連敗を喫し、ヤンキースタジアムにはおなじみの♪ニューヨーク、ニューヨーク♪が無常に響き渡っていた。
あくまでも現場主義を貫くFTBの取材により、テレビ画面では判断することの出来ないニューヨークにおけるゴジラの状況を垣間見ることが出来た。まずゴジラはヤンキースというチームに完全に同化しており、心配されていたチームメートとのコミュニケーションの問題も全くないように見受けられた。ただ、まだまだ相手投手のボールとのコミュニケーションが不足しており、なかなかバットがボールにコンタクトしない状態であるが、これを解決するのも時間の問題と思われ、今年は50本以上のホームランは約束されたも同然である。また、広報的な要素ではビニール製のゴジラ人形が出回っており、餓鬼どもが人形欲しさにダダをこねている状況をあちこちのみやげ物スタンドで見ることが出来るのだ。
5月5日(月)
昨夜の内にニューヨークを抜け出し、メリーランド州のElktonのMotel6に宿泊していた。そこを拠点にして今日はボルチモアとワシントンDCの探索を行うことにした。ボルチモアのウォーターフロント地区にFort McHenryという昔戦争で使用していた砦が歴史的景勝地として君臨しているので見物に行ってきた。ここは1814年のイギリスとの戦争の際や1861年の南北戦争のときに重要な役割を果たした要塞である。砦の形状は函館の五稜郭を彷彿とさせる星型の5角を持ち、中には弾薬庫やタコ部屋のような兵隊の宿泊所も完備されており、海に面した方角には多くの大砲も据え付けられていた。どんよりとした悪天候にもかかわらずここは「ご老体むち打ちツアー」というキャッチフレーズが似合いそうな老人の団体客でごった返していた。彼らは棺おけに片足を突っ込んでいるにもかかわらず、冥土の土産にと言わんばかりにパークレンジャーが行っている説明に熱心に耳を傾けていた。
FTBがワシントンDCに帰って来たのは約2年ぶり、同時多発テロ後ははじめての訪問となった。今回わざわざここにやってきた目的はほかでもなく、戦争を起こした国のお膝元で反戦運動を展開することであり、プロレス界におけるハンセン運動の第一人者であるスタン・ハンセン直伝のウエスタンラリアートをブッシュ大統領の首筋にお見舞いしてその証を立てることであった。
ジョージ・ブッシュ大統領の居所を探るためにDC観光の拠点となるホワイトハウスビジターセンターで情報収集を試みたのだが、単なるビジターセンターにもかかわらず警備体制が強化され、エックス線と金属探知の検査をされてしまった。結局ここではDCの観光地図を入手しただけで何も成果をあげることが出来なかった。ジョージつながりということで繁華街のジョージタウンにも繰り出してみたのだが、小雨の月曜日の昼間ということもあり、山本譲二の歌が似合いそうなみちのくの雰囲気を醸し出していたに過ぎなかった。しかたがなかったので今日のところはFords Theater National Historic Siteで演劇と劇場の学習をしてお茶を濁しておいた。
5月6日(火)
ベンジャミン伊東と言えば電線音頭を立ち上げた伊東四郎のことであるが、ベンジャミン・フランクリンとはアメリカの独立に多大なる貢献をもたらせた偉人であり、その功績は彼が$100札の肖像画になっていることからも明らかである。一昨日ヤンキースタジアムで$20札を拾ってそのお金でIchiro v.s.MatsuiのTシャツを買うことが出来たので今日そのお礼にわざわざフィラデルフィアまでやってきた。
フィラデルフィアで必ず見物しなければならないスポットは他でもないIndependence Mallという1776年前後の独立宣言に関連したファシリティが集中しているエリアである。ここはアメリカの国立公園の管理化におかれているのだが、3年前に訪問した当時よりもかなり様子が変わっていた。まず、当時は建設中だった最新鋭のVisitor Centerが完成しており、こういった歴史地区には必ず団体で姿を現すガキどもやジジ、ババ等が気軽にモニターやコンピュータでアメリカ建国史を学習出来る仕組みが整備されていた。また、テロリストの攻撃を警戒してLiberty BellやIndependence Hallといった人気ファシリティは厳重なアクセス制限がしかれ、おなじみの金属探知機とX線による検査が施されるようになっている。
というわけでアメリカの建国はここから始まったのであるが、アメリカンドリームもフィラデルフィアから始まったという紛れもない事実がある。Philadelphia Museum of Art(フィラデルフィア美術館、)が町の中心部にそびえており、3年前の訪問の際には階段を駆け上がってガッツポーズをしながら「エイドリア~~ン」と叫ぶことしか出来なかったのだが、今日は入場料($10.‐)を払って中に入ることが出来た。ここにはアメリカの美術品だけでなく、中世ヨーロッパや東南アジア、中国、韓国、日本等の貴重な美術品がところ狭しと展示されている。また、絵画のコーナーに入ると一瞬スターバックスのような新種のカフェに押されぎみの東京都内に点在するクラシックな喫茶店に入り込んだような感覚を覚えるのだが、やはりここには多くのルノアールの力作が展示されていた。またゴッホのひまわりのようなオークションにかければ数千万から数億で落札されること間違いなしの貴重な絵画の宝庫にもなっている。ということでシルベスター・スタローン原作のロッキー発祥の地であるこの美術館はロッキーシリーズの興業収入でも買収出来ないほどの価値ある秀作の宝庫となっていることが確認された。
マサよ!君はニューヨークで暮らしているもう一人の日本人大リーガーがマスコミからも見放され、不遇な生活を送っている事実を知っているか!?
ヤンキースの松井を巨人に例えるとすると、新庄のいるニューヨーク・メッツは例年の阪神のような状況で今年就任した名将ハウ監督の采配にもかかわらずナショナル・リーグ東地区最下位と地をハウような成績に低迷している。メッツは今日からロサンゼルス・ドジャーズを本拠地シェイ・スタジアムに迎えて3連戦を行うことになっているので新庄の見舞いがてら見物することにした。スタジアムに到着してメッツのスターティングメンバーを見ると驚いたことに新庄が7番センターでラインアップに名を連ねていた。試合は午後7時10分に開始され、新庄は2回の裏に回ってきた1打席目でいきなりライト線に2ベースを放ち、次打者の3塁打で先制のホームを踏んだ。
1対1のタイスコアで迎えた4回裏のメッツの攻撃は大学時代にバスケットをやっていた2mの長身を誇る5番のトニー・クラークから始まった。ナイターに強いと噂されるクラークはまだ明るさの残っている1打席目は凡退したものの、日もとっぷり暮れてくら~くなったこの打席でセンターオーバーのホームランを放ち、その勢いを買って次打者の連続ホームランも誘発し、続く7番の新庄を向かえた。目立ちたがり屋の新庄は豪快なスイングで3打者連続ホームランを狙ったものの、結局2ストライクと追い込まれた後にセンター前にヒットを放った。この日の新庄は3打席目も鋭いライナーのセンター前ヒットを放ち4打数3安打で打率を2割5分に上げてメッツの勝利に貢献したのであった。
5月7日(水)
ニューヨークのラガーディア空港からシカゴを経由して約2年ぶりにオハイオ州シンシナチくんだりまでやってきた。Cincinnati Northern KY Int’l Airportはフライドチキンの殿堂ケンタッキー州の最北部に位置し、オハイオ川を挟んで北側にはオハイオ州シンシナチという大都市が控えている。シンシナチは石炭産業の町として有名であり、また世界初の紙おむつパンパースを生んだP&Gの本社もここにあるので赤ちゃんを持つ親も安心して子育てに専念出来るのである。
シンシナチの東約80マイルの所にHopewell Culture National Histric Parkという古代Native Americanが暮らしていた遺跡が保存されているので見学に行ってきた。ここでは白人が入植するはるか以前のアメリカインディアンの暮らしぶりを出土された道具やパネル、ビデオ等で学習することが出来る。
MLB最古のチームであるシンシナチ・レッズの本拠地は昨年までダウンタウンを背景にしたオハイオ川のリバーフロント地区に位置するシナジー・フィールドであった。しかしながらシナジー・フィールドはすでに解体され、その隣に今年からレッズの本拠地としてオープンしたグレートアメリカンボールパークが君臨している。MLB30球団のすべての球場を制覇したことを誇りとする私に許可なく勝手に新しい野球場が開業されてしまったのでわざわざ飛行機を飛ばしてこの地にやってくることに相成ったわけである。
グレートアメリカンボールパークはレッズの本拠地にふさわしくスタンドの座席はすべて赤一色に染められている。外野席の後ろにはオハイオ川が雄大に流れており、遊覧船がサンセットクルーズしている様子をネット裏の高台の座席から見晴らすことも出来るのだ。セントルイス・カージナルスを本拠地に迎えたレッズはアーロン・ブーンのホームラン等で終始リードを保ち、4対2で勝利をものにした。この球場ではレッズの選手がホームランを打つと右中間スタンド後方に設置してある船の煙突をかたどったオブジェから花火が打ち上げられる仕組みになっている。
5月8日(木)
早朝Cincinnati Northern KY Int’l空港を出発し、再びシカゴ空港を経由して3時間の時差を超えてはるばる西海岸のシアトルに午前10時半頃到着した。シアトル・タコマ空港から車を飛ばしてワシントン州の北部にあるノースカスケード国立公園にやってきた。ここでは何万年も降り積もった雪から形成される氷河によって削られた山々がおりなす景観と深い森から自然の生気を吸収することに成功した。
自然界で魂の洗濯を行った後、イチロシアトルのセーフィコ・フィールドを目指して来た道を引き返した。イチローv.s.ゴジラの頂上決戦2ラウンドのマリナーズ対ヤンキース戦は午後7時5分プレーボールとなった。イチローの見せ場は1回の裏にいきなりやってきた。ヤンキースのエースであるデイビッド・ウエルズの速球を捕らえたイチローの打球は平凡な一塁ゴロとなってニック・ジョンソン一塁手の前に転がっていった。ニック・ジョンソンが一瞬自分でベースに入るべきかカバーに入ろうとしている投手にトスするべきか迷ったそのわずかな隙をぬって猛然と加速してきたイチローの動きに動揺し、ベースタッチが一瞬遅れイチローと同時になってしまった。判定としてはアウトになってもセーフになってもおかしくないタイミングであったが、一塁塁審もイチローのスピードに押され、思わず両手を広げてしまった。マリナーズファンの歓喜も覚めやらぬうちに4番のエドガー・マルチネスの2ランホーマーによりマリナーズが2点を先行した。イチローは2打席目も1,2塁間にゴロを転がし、アルフォンゾ・ソリアーノ2塁手の悪送球による内野安打でヤンキース内野陣を恐怖のどん底に陥れていた。
しかしながら結局イチローが活躍したのはこの2打席だけで大差をつけられた7回には早々と控え選手と交代してしまった。一方ゴジラの方は満塁で回ってきた3回表の2打席目にセンター前に同点タイムリーヒットを放ち、昨日のホームランと合わせて見事にゴジラの逆襲を果たすことに成功していた。また、5打席目にも右中間に2塁打を放ち16点目のホームを踏んだ。9回の表には腰痛から復活を期している大魔人佐々木が調整登板し、88マイルしかスピードが出なかったもののすでに打ち疲れていたヤンキースの攻撃を3人で締めていた。結局試合の方は16対5でヤンキースが勝利するという大味な展開になり、超満員の46,000人が陣取っていた観客席も試合後半には空席が目立つようになっていた。
5月9日(金)
午前8時発の飛行機で地元のサンフランシスコに戻ってきた。ゴールデンゲートブリッジを超え、US101からカリフォルニア1号線に入り、1時間ほど車を転がすとPoint Reyes National Seashoreという太平洋にに突き出した風光明媚な海岸地区に到着した。ここはホエールウォッチングが出来る美しい海と鹿、狸、狐、ウサギ等が生息している深い森と1869年からおびただしい数の牛を放牧しているHistoricな牧場からなっている。レンタカーのレンタル規約により、本当は運転することの出来なかったマサに無理やり車を運転させて実施したFTBツアーの起源であると言われているマウント・タマルパスをはじめこの辺の地域は山や谷による複雑な地形と深い森やきれいな海により米国有数のレクリエーションエリアを提供しているのだ。
今回の第5次MLBツアーの最終戦となるオークランド・アスレチックス対ニューヨーク・ヤンキースの試合は全米一ガラの悪いオークランドのネットワークアソシエイツコロシアムで午後7時5分より開始となる。この球場へは1年ぶりくらいに足を運ぶことになったわけであるが、何と駐車場代が$15に値上げされていた。ちなみに私が本拠地にしていた1998年当時はわずか$5だったのだ。当時のアスレチックスは弱小球団であり、観客も毎試合1万人そこそこしか入らなかったのであるが、ここ数年はマリナーズと首位を争うほどの強豪球団に変貌を遂げ、今日はヤンキース戦ということでガラの悪い輩が4万人以上詰め掛け、ここかしこで「Yankees Suck!」コールがこだましていた。また、1998年8月3日にマサとヤスを従えてNHK衛星第一放送に出演した実績のあるライトの外野席は今日も激戦区の様相を呈しており、不幸なヤンキースファンがオークランドファンの執拗ないじめにあい、早々と球場を後にする姿も目撃された。
ニューヨーク・ヤンキースにジェイソン・ジオンビーという2年前はオークランドのスーパースターでありながら金に目がくらんでニューヨークに移籍してしまった強打者がいる。当然のようにジオンビーが打席に立つたびに球場内はわれんばかりのブーイングで盛り上がっていた。ジオンビーはこのブーイングを自分に対する応援だと勘違いしたのか4回の表にレフトスタンドに同点2ランを叩き込みやがった。今日の松井は昨日イチローが放った2本の内野安打を手本として三遊間とサード前に2本の内野安打を放ち連続試合安打を10試合と伸ばしたものの豪快な1発を見ることは出来なかった。試合の方は7対2でアスレチックスが勝利を収めたのでオークランド紛争は何とか収拾の方向に向かっているようだった。
5月10日(土)
Hilton HHornorsのポイントが余っていたのでマサであれば$200くらいかかるところを私はただで泊まっていたHampton Inn Oakland Airportをチェックアウトすると帰りの飛行機が出発するまでの時間を利用してサンフランシスコベイエリア一帯を車で流すことにした。オークランドからI‐880を北に進路をとりバークレイ、リッチモンドを抜けて橋を渡りUS101を南下してゴールデンゲートブリッジで通行料金を払おうとすると驚いたことにToll Chargeが$5に値上げされていた。
サンフランシスコ国際空港は長年のうっとぉしい工事が終了し、空港エリア一帯を循環するモノレールが完成し、世界でも有数のインテリジェントな空港として生まれ変わっていた。
ANA007便にてサンフランシスコより帰国・・・
FTBサマリー
総飛行機代 \152,200
総宿泊費 $305.37
総レンタカー代 $537.11
総ガソリン代 $77.86
総走行距離 1567マイル
総Toll代 $39.8
総目撃したゴジラのヒット数 6
総20マイル制限のスクール区間を35マイルで走って警察からあやうくチケットを切られそうになった回数 1
今回訪問した州、および地域 ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルバニア、デラウエア、
メリーランド、ワシントンDC、イリノイ、、ケンタッキー、オハイオ、
ワシントン、カリフォルニア
今後の活動予定 鋭意検討中!
協力 ANA、Hilton HHonors、Days Inn、Motel6