去る3月30日と31日にニューヨーク・ヤンキースとタンパベイ・デビルレイズを東京ドームに迎えてMLB開幕戦が挙行され、ゴジラ松井が大活躍したのは記憶に新しいところである。日本有数のMLB評論家として名高い私は巧みなYahooオークションさばきで入手したチケットを手に当然のことながら2試合とも観戦することに成功した。ところで今年フィラデルフィアとサンディエゴに新しい野球場がオープンしてしまったので、先週挙行された裏の仕事の海外出張を利用してフィラデルフィアのCitizens Bank Ball Parkを訪問し、さらにリトル松井率いるニューヨーク・メッツの本拠地であるシェイ・スタジアムにて早くもリトル松井の活躍ぶりを確認するに至ったのだが、サンディエゴまでは足を伸ばすことは出来なかったので今回のFTBツアーにてカバーしなければならなくなってしまったのだ!
2004年4月30日(金)
GW2日目とはいえ、平日とあって成田空港第二ターミナルは予想したほどの混雑状況は呈していなかった。ANA006便ロサンゼルス行きは定刻どおりの午後5時10分に出発し、当日午前11時前にはロサンゼルス国際空港に到着した。ハーツで真紅のGM小型車をレンタルすると早速I-405San Diego Highwayを南下して一路サン・ディエゴを目指した。風光明媚な港町として有名なサンディエゴの湾岸沿いの小さな半島にカブリヨ・ナショナル・モニュメント($5)という米国National Park Serviceが管理している国定公園が存在しているので早速訪問してみることにした。このポイントはコロンブスが新世界に上陸してから50年後にホアン・ロドリゲス・カブリヨというおっさんがスペイン王およびメキシコ副王の名の下に、この地を占領するに至った歴史を記念して制定された公園である。ここからは太平洋の雄大なパノラマとサンディエゴ港の全景を見渡すことが出来る。
HiltonHHnorsのポイントが余っていたのでマサであれば$150くらいかかるところを私はただで宿泊することが出来るHampton Inn Del Marにチェックインした後、Interstate Highway 5 (I-5)を南下してサン・ディエゴのDowntownにあるPETCO Parkを目指した。今年からサン・ディエゴ・パドレスの本拠地としてグランドオープンされたPETCOParkはDowntownはずれのConvention Centerの向かいに位置しており、Trollyと呼ばれる路面電車の停車駅から徒歩で簡単にアクセス出来るため、今後毎試合多くの観客を集客出来ることは間違いないと思われた。
リトル松井率いるニューヨーク・メッツとの対戦となったこの試合は午後7時過ぎにプレーボールとなり、先攻のメッツはリードオフマンのリトル松井を打席に送り込んだ。松井はパドレスのエースピッチャーのローレンスからいきなり三遊間を破るヒットを放ち、1回表に5点を奪ったメッツの猛攻の足がかりを作り、サンディエゴ市民の度肝を抜いたのであった。試合はその後、パドレスが徐々に追い上げていく格好で4回裏には2死満塁から松井の今季5個目の痛恨のエラーにより、その後パドレスに逆転を許す結果となってしまった。松井のその後の打席は2三振を喫するなどパッとしない内容で結果的には5打数1安打に終わってしまった。
マサよ、君はサンディエゴ・パドレスに所属する日本人投手の存在を知っているか!?
私の隣の席で観戦していた小太りのおやじはシーズンチケットを友人とシェアする形で持っており、パドレスの試合を数多く見ているのだが、彼の一番の推薦は今年セットアッパーとしてパドレスに入団した大塚である。この日のパドレスは連投のクローザー、トレバー・ホフマンを休養させるために1点リードで迎えた9回の表のメッツの攻撃に対して新人の大塚をマウンドに送り込んだ。心臓に毛が生えていると思われる大塚はメッツの誇るクリーンアップの攻撃を3人で退け、見事に今季初セーブを飾り、地元パドレスファンを歓喜の渦に巻きこんだのであった。
5月1日(土)
1998年の夏場に初めてサンディエゴを訪れた時に、ハイウエイに「CAUTION」という親子3人連れの夜逃げバージョンの看板を数多く見かけた。ハイウエイの路肩に違法駐車してマサとともに看板を背景に大蔵省(当時)の省内報に載せるための写真撮影を行ったのが、昨日のことのように思える今日この頃であるが、なんとこの看板がハイウエイで激減しているという非情な現実を突きつけられてしまった。何とかI-5上のメキシコとの国境の近くで看板のデジタル撮影に成功したので、その後安心してLA空港まで戻り、満を持してメキシコの心臓部であるメキシコシティを目指すことにした。
UA1003便は定刻通り午前11時30分に出発し、2時間の時差を越えて午後5時過ぎにメキシコ・シティのベニト・ファレス国際空港に到着した。入国審査と税関を経て自動扉が開くとそこには異様な光景が広がっていた。いきなりオリコンチャート1位に登場したNew CD「強い絆」を引っさげて衝撃的な芸能界復帰を果たした鈴木亜美系のおびただしい数のアミーゴ達がサインを求めるようないでたちで彼らの友人であるはずのホセやサンチアゴ等を迎える様はこれぞマサにラテンの雰囲気そのものであったのだ!
メキシコ・シティ滞在中の宿泊先として空港の国際線カウンターの4階に内蔵されているヒルトンホテルを3日間宿泊すれば日曜はただというスペシャルプランで予約しておいたので早速チェックインし、その足で空港内と空港周辺の散策に乗り出すことにした。まずは空港内でUS$をメキシコペソ(N$)に両替し、故障したコカコーラの自動販売機にN$10を飲み込まれてしまった後、空港の外に出るとそこには緑色の旧式ビートル型フォルクスワーゲンのタクシーが2ドアーにもかかわらず、アグレッシブに客待ちしている状況が散見されたのであった。
5月2日(日)
早朝目を覚ますと言いようもない眠気とけだるさに包まれ、何度も生あくびを繰り返してしまった。それそのはず、ここは標高2,240mの高地で空気が薄いのと昨日からの時差ぼけがいい具合にブレンドされて私の強靭な肉体から一晩にして生気を奪い去ってしまっていたのだった。
何とか気を取り直して空港から徒歩でメキシコ・シティの中心部を目指すことにした。メキシコではほとんど英語が通じず、皆スペイン語を話しているため、ありがたいときには「グラシャス」、むちゃくちゃありがたいときには「むっちゃ、グラシャス」の2語を引っさげて意気揚々とダウンタウンに乗り込んだ。人口2,000万人を誇る、世界最大の都市であるメキシコ・シティの中心はソカロという広場(世界遺産)である。ここは1,500年代まで栄えていたアステカ帝国の中心地をスペイン占領軍が支配し、アステカ帝国の神殿や宮殿を壊し、その石材でスペイン風の市街地を築き、湖を埋め立てて完成した町である。ソカロ横の巨大な教会はメトロポリタン・カテドラルといい、メキシコにあるすべての教会を統括する大教会で、ラテン・アメリカ最大級の教会建築物である。今日はたまたま日曜日だったので中では荘厳なミサが執り行われており、賛美歌と神父が降り掛けて回っている聖水であふれかえっていた。
カテドラルのすぐ隣にテンプロ・マヨール(N$38)というアステカ遺跡の寺院が古びたいでたちで観光客を集めていた。1450~1500年ごろのものと推定されるこの遺跡は1913年にビルの工事中に偶然に発見されたもので1984年の発掘終了後、一般公開されるようになったという。遺跡横にはテンプロ・マヨール博物館があり、発掘された貴重な遺品が数多く展示されている。カテドラルとテンプロ・マヨールの間のちょっとした広場におびただしい数の食い物屋や土産物屋、日用雑貨屋の露天が店を広げており、観光客と原住民で大変な賑わいをみせている。食い物は衛生状態に難がありそうな5枚でN$10のタコスや3個でN$10のホットドッグやわけのわからん乾き物系の巨大せんべいがメインであった。
メキシコ・シティは東京メトロや都営線と同等の地下鉄網を誇っており、一回改札をくぐってしまえばいくら遠くへ行っても乗り換えても一律N$2で済んでしまうため、地下鉄車内では日本では考えられないような人間模様が繰り広げられている。車内では非公認と思われるポマード売りや電池、CD等を携えた現地人が独特の口上で無視を決め込む乗客に何とか物品を売りつけようと歩き回っている。また、ギターと民族楽器を抱えた素人系ミュージシャンの下手な歌を無理やり聴かされ、なおかつ小銭を巻き上げられそうになるリスクにも対応しなければならないのだ。
というわけで地下鉄に乗って向かった先は国立人類博物館(N$38)というここにこなければメキシコ・シティに来た意味がないと言われている世界でも有数の規模と内容を誇る大博物館である。この博物館ではこの地に栄えたテオティワカン、マヤ、アステカなどの各遺跡から、永遠に保存すべき重要物を選りすぐったものが展示されており、日本から来た団体観光客も来たるべきマヤ遺跡訪問前の事前レビューのために真剣にガイドの話に耳を傾けていたのであった。
5月3日(月)
地下鉄でメキシコ・シティ北方面バスターミナルに行き、そこからバス(N$25)に乗り込みメキシコ最大の都市遺跡であるテオティワカン(N$38、世界遺産)に向かった。独自に高度な文明を生み出していたテオティワカンは、メキシコ盆地を中心として350年から650年の間に繁栄の頂点に達しており、20万人以上の人口を擁していたと推定される大都市である。ここには高さ65m、底辺の1辺が225mの世界で3番目の大きさを誇る太陽のピラミッドと高さ42m、底辺150m x 130mで多少小さめではあるが、宗教儀礼上もっとも重要である月のピラミッドがそびえている。メキシコ・シティで最も有名な観光地だけに中に入るとたくさんのストリート土産物売りたちが観光客を待ち構えていた。ある者は布から取り出した置物をこれ見よがしに提示し、ある者は「コンドルは飛んでいく」系の笛の音色を響かせていたり、またある者はきらびやかな敷物を広げて観光客を待ち伏せしたりしているのだが、中には日本語を操る上級者も存在し、奴は「タッタのヒャクエン!」と言って日本人をおびき寄せ、そっけない素振りを見せると「ビンボー!?」という捨て台詞を吐きやがったので思わずその辺に生えているサボテンを引っこ抜いてぶん殴ってやろうかという衝動に駆られてしまったのだ。また、中には「ホトンド、タダ」という私の心の琴線に触れるようなセリフを吐く売り子もいたのだが、観光地でほとんど土産を買うことがないと恐れられている私の財布の紐はついに開くことはなかった。
ちなみにテオティワカンの2つのピラミッドは観光客が自由に登頂可能になっており、遺跡の中央を貫く死者の道のエンドに位置している月のピラミッドからはテオティワカンの伽藍配置が一望出来るすばらしい景色を眺めることが出来るのだ。ここ数日ろくな物を食っていなかったので久々に日本食でも食おうと思い、私にふさわしい名前を持つJapaneseレストランである「ミカド」でミカド定食(N$195)を発注すると刺身、てんぷら、とんかつ等が次々に運ばれて来て存分にみかど気分を味わうことが出来た。
5月4日(火)
メキシコ・シティ最終日の今日はまず地下鉄で北部にあるグアルターべ寺院に向かった。グアルターべはメキシコ人の母なる寺院と言われているのだが、熱心な信者が膝行参拝といって、石畳の境内をずっと堂内の祭壇まで膝立ちで進み特別な願をかける様子を常に垣間見ることが出来る場所である。ここには1709年に建立され、今は地盤沈下のために傾いてしまっている旧聖堂と1976年に建設され、現代的な機能美を持っている円形の新聖堂が軒を並べている。2万人の信者を収容出来る新聖堂は、メキシコ・カトリックの象徴的主座であり、ローマ法王もここを訪れミサを行った実績も持っているそうだ。
電車でゴーの練習が足りない未熟な運転手が操る地下鉄で再びソカロ地区に帰り、アステカ時代にモクテスマ2世が居城としていた国立宮殿にパスポートを提示することにより侵入に成功した。この宮殿の最大の見所はメキシコを代表する壁画氏であるディエゴ・リベラの会心作であり、最大の壁画である「メキシコの歴史」である。広大な宮殿の2階の約半分はリベラの壁画で埋め尽くされており、アステカ時代から現代メキシコまでを巨大なパノラマで鳥瞰する雄大な抒情詩をこの場で十分満喫することが出来るようになっている。
ソカロから西に5分ほど歩いたところにメキシコ・シティのランドマークとなっている44階建てのラテンアメリカタワー(N$40)がそびえているので展望台まで昇り、そこからメキシコ・シティがソカロ中心に発展した町であることを確信した後、ドアを閉めるときに平気で人を挟んでしまう地下鉄でソナ・ロッサという地区に向かった。この地区は首都の繁華街であり、ブランド物屋やブティック、高級レストラン等が軒を連ねている。この地区で幅を利かせているJapaneseレストランである「ミカド」で中華やきそば(やわらかいやつ)を食った後、プラットホームの正しい停止位置に停止するために何度も切り返しを行う地下鉄に乗り、空港まで帰っていった。
5月5日(水)
昨夜UA1008便でメキシコ・シティからLAに戻ると早速レンタカーをピックアップして111マイルほど北のBakersfieldという町のMotel6で夜を明かした。観光地のメキシコで土産を買わなかったので原住民からセコいと思われているのをよいことに今日はセコイア&キングスキャ二オン国立公園($10/car)を目指すことにした。アラスカを除く北米大陸で最も高いシエラネバダ山脈の山中に隣接するこの2つの国立公園には樹齢2,000年を超える巨木の森が存在しているので、メキシコ・シティでの人いきれにうんざりした私の心と体を癒すのにはもってこいの環境が整っているのだった。
マサよ、君は現存する地球最大の生物を知っているか!?
高さ83.8m、根元の直径11m、根元の周囲31.3m、幹の体積にして約1,487㎥を誇るシャーマン将軍の木の樹齢は推定2,300年~2,700年と言われているのだが、この木は1879年にJ・ウォルバートンが発見し、彼が南北戦争中に中尉として仕えた将軍に敬意を表して命名したものである。このようなジャイアントセコイアの巨木がニョキニョキと生えているのがセコイア国立公園のジャイアントフォレストである。ジャイアント・フォレストの奥にクレセント・ミドウという美しい草原があり、そこへ行く道すがらに数多くの見所となる木がある。オート・ログは倒木の上を車が乗れるようにしてあるファシリティであり、倒木をくり抜いてトンネルを作り、車が通過出来るようになっているトンネル・ログやモロ・ロックといってこの一枚岩の頂上から美しいシエラネバダの大パノラマを一望出来る展望台もある。
クレセント・ミドウの周りを一周するトレイルを軽快に歩いていると、とある外国人カップルからトレイル沿いに熊を発見したので警戒して歩くように警告が発令された。あたりをぐるぐる見回しながら慎重に進んでいると花咲きそうな森の道で案の定熊さんに出会ったしまったのだ!気がつくと冬眠から覚めて若芽をあさっている茶色の毛に覆われたブラックベアの射程距離内に入ってしまっていたため、死んだふりをしてやり過ごすか、それとも勇敢に戦うかの選択を迫られるような状況になってしまったと感じたのだが、私の全身から発散される格闘家系の気迫に気圧されて熊が顔をそむけてしまったので今回は見逃してやることにしたのだった。
ということで戦わずして熊に判定勝ちした後、山道を縫うようにして車を北に走らせるとキングスキャニオン国立公園のグラントグローブに到着した。ここには1926年にアメリカのクリスマスツリーとして認定された高さ81mのグラント将軍の木をはじめ、倒れて中を人が通れるようになった木や火災で焼けかけた木を見物出来るトレイルが張り巡らされているのだが、ところどころに点在する茶色の切り株がどうしても熊に見えてしまうというトラウマを最後まで振り払うことが出来なかったのだ!
5月6日(木)
FresnoのMotel6からCalifornia41号線、Yosemite Highwayに乗り1時間ほど車を走らせるとヨセミテ国立公園($20/car、世界遺産)の南ゲートに到着した。昨日のセコイアの大木の幻影に引きずられるようにマリポサグローブというヨセミテ国立公園内のセコイア原生林にふらふらと迷い込んでしまった。ここでもGrizzly Giantという園内最大のセコイアの木と遭遇し、忘れかけていた熊の幻影が昨日のことのように思い出されてしまったのだった。
ヨセミテ最南部のマリポサグローブから約1時間ほどのドライブでヨセミテの中心であるヨセミテバレーに1998年10月以来、約5年半振りに登場することと相成った。5月上旬とは言え、ここはまだやっと冬が終わったような状況で残念ながらヨセミテ一の眺望を提供するグレイシャーポイントへのドライブ道は封鎖されてしまっていたのでバレーの底からヨセミテのシンボルであるハーフドームやエルキャピタンを見上げるしかなかったのだ。
かつてある女性が、ベテランレンジャーに「ヨセミテで費やせる時間が1日だけあったら何をするか?」と問いかけたところ、レンジャーは「マーセド川の川辺に腰掛けて泣きますよ」と答えたというほど1日、2日ではとても見て回ることが出来ないほどすばらい景観とアクティビティを提供するヨセミテであるが、いつまでもメソメソしているわけには行かない私はヨセミテの散策を午後2時前には切り上げてオークランドへ急ぐことにした。
FTBのホームグラウンドであるオークランドのネットワークアソシエイツコロシアムの駐車場代は前回来たときの$8から$13に値上げされていた。ゴジラ松井率いるニューヨーク・ヤンキースを迎え撃つオークランド・アスレチックスはここ数年アメリカン・リーグ西地区で優勝するほどの強豪チームに成り上がってしまったことがインフレ傾向に拍車をかけていたのだ。午後7時5分にプレーボールとなった試合は2回表にいきなり4点を専攻したヤンキースの有利な展開で進むものと思われた。しかしながら、ヤンキースの先発ピッチャーであるバスケスがガス欠を起こした6回の表にはアスレチックスに7対4と逆転を許し、そのままゴジラの逆襲を見るまでもなく試合は終了してしまった。MLBで最も柄の悪い38,000人余りの観客のそれでも半分近くはヤンキースファンであったのだが、試合終盤間際には「レッツゴー・オークランド!」という大歓声で埋め尽くされていた。
5月7日(金)
San Joseよりやや北のFremontのMotel6で夜を明かし、早朝5時半から車を飛ばして午前11時前にはロサンジェルス国際空港に到着した。ANA005便でラストサムライをはじめ4本の映画を見ながら、渡辺謙もこの程度の演技ではハリウッドで通用しないなと思いながら帰路につく。
FTBサマリー
総飛行機代 ¥136,060 + $400.44
総レンタカー代 $176.40
総ガソリン代 $105.81
総走行距離 1,445マイル
総宿泊費 N$3,687.08 (N$1 = ¥12程度) + $104.09
協力 ANA, HiltonHHnors, ハーツレンタカー, Motel6(http://www.motel6.com/)