つい一週間前の古代エジプトツアーによりついにアフリカ大陸への扉をこじ開けることに成功したFTBであるが、その余韻も覚めやらぬうちに新たなツアーが企画され、実行される運びとなった。前回はアラビア半島との境界であるエジプトを制覇したのだが、今回はイベリア半島の南岸、地中海のジブラルタル海峡を挟んだ対岸に位置するモロッコに上陸する計画が立てられたのだ。
12月29日(木)
ボンジュール マサよ! サバ(鯖)!!
ということで、ANA205便にておなじみのパリ、シャルル・ド・ゴール空港に定刻午後4時半頃到着し、フランスへの入国を果たすとすかさずバスでターミナルを移動し、スペインが誇るイベリア航空IB3433便に搭乗し、スペインの首都マドリッドに到着したのは午後8時半を過ぎた時間帯であった。
空港で東京メトロを彷彿とさせる地下鉄路線図を入手すると、早速空港から地下鉄(1ユーロ)でマドリッドの中心部を目指した。午後9時を回った時間にPlaza de Espanaという市の中心部に降り立ったのだが、マドリッドは日本人を狙った強盗事件が頻発しており、♪シ~、Si♪と言って寄ってくる青春アミーゴ系の若者が集団で首絞め強盗などをプロデュースしているので注意しなければならないという情報を得ていたので今夜はおとなしく☆☆☆ホテルのBest Westernに引き払ってフテ寝をすることにした。
12月30日(金)
早朝より地下鉄でマドリッドの中央駅の1つであるアトーチャ駅に向かった。加藤茶をほうふつとさせるアトーチャ駅は列車でスペイン各地に旅行する輩が全員集合する場所であるのだが、屋内植物園のような吹き抜けの待合室が非常に印象的である。
8時15分発のアルへシラス行き列車で6時間程車窓に広がる広大なスペインの風景を眺めていると午後2時半頃目的地に到着した。列車を下車すると早速フェリーのチケットを販売している数ある旅行代理店の1つに飛び込みモロッコ行きのチケット(32ユーロ)を入手した。EuroFerrysが運行するカーフェリーは定刻4時に大きな汽笛とともにアルへシラス港を出港し、左手に巨大なジブラルタルロックを眺めながら、2時間半の船の旅がスタートした。
出航から10分くらい後に船内のPolice officeでモロッコへの入国手続きをすまし、1時間の時差を超えて午後6時前に船はモロッコの海の玄関口であるタンジェ港に入港した。港内の銀行で円をモロッコの通貨であるディラハムに両替し、暗くなったタンジェの町を軽く散策しながら、とあるインターネットカフェで今日宿泊する予定のホテルの位置の確認などを行った。
Hotel Ibis Tangerはダウンタウンから15km離れた空港近くに位置しており、公共交通機関でアクセス出来ないため、タクシーを見つけることにしたのだが、モロッコのタクシーシステムは市内の近距離を走るプジョー系のプチタクシーと遠距離まで行く、乗合ベンツタクシーであるグランタクシーに棲み分けされていることが確認された。ホテルへはグランタクシーしかなく、相乗りするモロッコ人もいなかったので仕方なく、DH150もの大金を支払ってホテルに移動し、モロッコに来たという哀愁を噛みしめながらホテルのレストランで地ビールである「カサブランカ」を飲みながら哀愁のカサブランカを歌ってモロッコの第一夜を過ごしていた。
12月31日(土)
早朝よりグランタクシーでタンジェ駅に移動し、窓口でレシート仕様の切符を購入し、9時発の列車でモロッコが誇る世界遺産都市フェズを目指した。途中Sidi Cacemという駅で列車を乗り換え、地中海性気候がはぐくむ雄大な遊牧風景を見ながら合計5時間半の汽車の旅で念願のフェズに到着した。
駅前のHotel Ibisにチェックイン後、軽くフェズの見物に乗り出すことにした。フェズの町は3つに分かれており、旧市街のフェズ・エル・バリ、フェズ・エル・ジェディド、新市街で構成されているのだが、手始めにフェズ・エル・ジェディドから様子を探っていくことにした。街路樹のオレンジがたわわに実っている道を歩いているといつしか城壁に行く手をはばまれてしまったので大きく迂回してスパ門から旧市街に侵入した。
気が付くと迷路の中をさまよっており、まとわりつく少年が道案内を買って出たが、金を要求されると癪なのであえて少年が示す道の反対方向に進んでいくとますます道がわからなくなってきた。動物的勘により何とか方向感覚を取り戻すと、フェズ・エル・ジェディド通りというにぎやかな通りに紛れ込んでしまった。ここは衣料品のアーケード街になっており、多くの原住民が大晦日の年末商戦にいそしんでいた。
さらに迷路を奥深く進むと観光バスとおびただしい数のプチタクシーが停車している美しい門の前に到達した。門の奥には入り組んだ通路の脇におびただしい数の店が営業しており、客と店主と物資の輸送手段である馬やロバの織り成すモロッコ独特の光景が展開されていただのであった!
1月1日(日)
ハッピー ニュー マサよ!!!
ということで、昨日遭遇した雑然とした環境は何だったのかということを昨夜のうちにレビューし、再びその喧騒に足を運ぶことにした。まずは欧米観光客と一緒に美しき王宮の正門を見上げた後、世界遺産であるフェズ・エル・バリに向かった。フェズの旧市街メディナのフェズ・エル・バリは9世紀の初めにモロッコの最初のイスラム王朝、イドリス朝の都となり、そのときに造られた町が1000年を超えて今なお、市民の生活の場所として生き続けている所なのだ。
昨日入門して中の雰囲気に圧倒された門はブー・ジュルード門というメディナの入口にあるフェズ最大の門であることをすでに学習していたのであらためて幾何学文様によって彫刻された青色や緑色で彩られた門をくぐって見ることにした。世界最大、最強の迷路であるフェズ・エル・バリには2つの大通りがあり、そこに無数の枝分かれした袋小路がつながっているのだ。道は人が2人並べばいっぱいになるほどの狭さで日干し煉瓦と高い土壁により、昼間でも日の光が遮られている。道の脇の店は場所により、衣料や工房や食品売り場に分かれているようで、魚屋の前では切り落とされるイワシの頭待ちの猫が数匹正座している様子を垣間見ることが出来る。
メディナを颯爽と闊歩している私に対して様様な土産物屋から郷ひろみでもないのに容赦なく♪ジャァパ~ン♪という歓声が浴びせられるのであるが、その♪出会いはァ、億千万のむなさわっぎぃ♪を感じさせるものだったので立ち寄らずに人間模様の観察だけにとどめておいた。フェズ・エル・バリも奥の方に入り込むと染色された牛皮を背負ったロバとすれ違ったり、強烈な異臭を放つ区域がある。ある原住民がいきなり私の腕をつかんで「NAMESI~GA~WA~」「ナメシ皮~」と叫んで工房に引き込もうとしたのだが、なめされる恐怖を覚えたのでモ~という捨て台詞を残してその場を後にした。ちなみに川べりにはなめされたばかりと思われる牛革が数多く干されていた。
フェズ・エル・バリの迷路で閉所恐怖症の逆療法に成功したのでフェズ駅から約1時間の汽車の旅で古都メクネス(世界遺産)に移動した。メクネスは今も続く現モロッコ王朝アラウィー朝が17~18世紀に都と定めた街である。フェズに比べ建造物は新しく、色鮮やかでメディナも整然としており、王都の入口に構えているマンスール門は北アフリカで最も美しく、有名な門として君臨しているのだ。
堅く閉ざされているマンスール門の向こうにモロッコ少年達が草サッカーにいそしんでいるエディム広場があり、しばらく歩くとリフ門に到着した。この門を抜けると両側をどっしりとした高い壁で囲まれた直線の道が現われた。この長い道は通称「風の道」と呼ばれ、又三郎系の強い風が吹き抜けていくのである。
壮大な王都建設を夢見て、その完成を待たぬままこの世を去った王ムーレイ・イスマイルの墓が安置されているムーレイ・イスマイル廟を訪問させていただいた。ここはマンスール門と同様、メクネスで最も重要な見所として君臨しており、美しいモザイクやしっくい彫刻のすばらしさを堪能出来るイスラム文化の傑作である。
メクネスからフェズに戻り、フェズ駅のレストランで夜飯を食うことにした。適当にカバブ系の肉料理を発注したのだが、小太り系のウエイトレスが頼みもしないのに安物系のミネラルウォーターやパンやサラダを次々と運んできやがった。最終的に金を払う段になって、ペテン師づらした店主がマイルドなボッタくり値段を要求し、モロッコ通貨のディラハムがなくなってしまったので「ユーロでどや?」と言ったところ「両替出来るぜ!」という返事だったのでユーロで支払うことにしたのだが、両替マジックによりマイルドから通常のボッタくりプライスに値上げされたような屈辱感を覚えさせられた。
1月2日(月)
「こんな夜中にどこいくねん!?」というようなHotel Ibisのフロント担当にチェックアウトを申し出ると午前1時半にホテルを出て1時50分のタンジェ行き夜行列車に乗車した。夜行列車とはいえ、寝台ではなく昼間走っている列車が単に夜走っている代物なので、6人乗りの一等車両のコンパートメント内には白人旅行者達が無理な体勢で睡眠にいそしんでいた。
午前7時過ぎにタンジェ駅に到着し、出勤体制に入ったモロッコ人とともに朝日を浴びながらタンジェのメディナを目指した。フェリー乗り場を見下ろす高台に位置するカスバ門からはジブラルタル海峡を隔てたスペインの山並みを見渡すことが出来、憂いを帯びたモロッコ人イスラム教徒と犬が絵のような景色に見入っていた。
迷路や軽いボッタくりその他もろもろの貴重な経験をさせていただいたモロッコを後にすべく正午発のフェリーに乗り込むと午後3時半頃にスペイン、アルへシラスに戻って来ることが出来た。すでに乗るべき列車に乗り遅れていることが発覚したので仕方なくアルへシラスを観光し、アンダルシア気分を満喫することにした。
とりあえず駅と港のほど近い場所に中心街であるセントロがあったので、小高い展望場所から夕日を浴びているジブラルタルロックを眺めながら感慨に耽ることにした。夕飯時になり、港の近くのスペイン料理の飯屋に入り、スペイン語で書かれた意味のわからないものを発注すると美味なシーフード系のスープと車海老系のエビを辛く揚げたものが出てきたのだが、何故か付け合せのパンが高いという軽いボッタくり感を味わってしまった。
午後9時15分発マドリッド行き寝台夜行列車に乗車すべくアルへシラス駅に戻ると自分の肉体に匹敵するサイズのバックパックを抱えた欧州人ギャルペア等の旅行客に混じりながら列車待ちをしていた。乗車券込みでわずかEURO46.5の2等寝台、6人寝のコンパートメントの中段に潜り込むとほどなくして青春アミーゴ系の若者に取り囲まれてしまったのだが、彼らは夜中に♪シ~、Si~、お~れたちはいつで~も♪といった唄を歌ってドンちゃん騒ぎをすることもなかったので割と平和に寝台車内生活を満喫することが出来たのであった。
1月3日(火)
列車は11時間以上の時間をかけて午前8時前にマドリッドチャルマンティン駅に到着した。早速地下鉄で市の中心部に移動し、プラド美術館(EURO6.0)を目指した。大橋巨泉も推奨する世界的に有名なプラド美術館の見所はスペインが誇るグレコ、ベラスケス等の巨匠が描いたスペイン絵画であるが、特にゴヤの作品に関しては様様な絵画がチャンプル風に展示されたひとつのコーナーとして観光客の目を引いていた。
マヨール広場というスペインを代表する広場にいつのまにか入り込んでいたのだが、ここでは年末年始のイベントが行われたであろう会場設定の撤収作業が行われていたのでそのまま私もスペインから撤収すべく地下鉄でマドリッド国際空港に引き払い、そのまま流れ解散と相成った。
ということで、前回のエジプト、今回のモロッコと立て続けに北アフリカを制覇した訳であるが、これらアラブ諸国ではサンコンさんやニカウさん、ブッシュマン、クンタ・キンテ、ルーツ等の典型的なアフリカ人に遭遇することが出来なかったので次回はもっと深いアフリカに行かなければならないと思われた。
また、モロッコ最大の経済都市であるカサブランカへも行けなかったかわりにFTBがジュリーと共同開発している♪TOKIO♪発♪ダーリング♪以外の♪危険なふたり♪で行くモロッコ♪カサブランカダンディ♪現地観光と帰りは♪勝手にしやがれ♪、ツアコンが♪寝たふりしてる間にぃ~、出て行ってくれ~♪ツアーを財務省の慰安旅行向けに提供したいと考えている。オプションとしてトリプルボギーをたたいた後に♪ボォギ~、ボォギ~~、あんたの時代はよかったァ~♪と泣き言を歌っている三流ゴルファー見学ツアーも考えられよう。移動バスのカラオケ大会では盛り上がることまちがいなし!!http://music.yahoo.co.jp/shop?d=p&cf=52&id=233731
マサよ、必ず実行しろよ!!!
FTBサマリー
総飛行機代 \197,560
総フェリー代 64ユーロ
総スペイン国鉄代 100.5ユーロ
総マドリッド地下鉄代 4ユーロ
総モロッコ国鉄代 DH314.5(DH1=\13程度)
総モロッコバス代 DH5.0
総グランタクシー代 DH300
総宿泊費 64.2ユーロ、DH1,095
協力 ANA、イベリア航空、ルフトハンザ航空、スペイン国鉄、Tanger – Algesirasフェリー会社モロッコ国鉄(ONCF)www.oncf.org.ma/、Best Western、Hotel Ibis