FTBEUベネルクス+蘭学事始

ボンジュール マサよ! 鯖(サバ!?)

ということで、秋も本番を迎えて青魚だけでなく、FTBツアーも油が乗ってきた今日この頃であるが、最近私の肉体を覆い始めてきた脂肪の燃焼も兼ねてヨーロッパ各国を過酷なスケジュールで巡りながら中世の古き良き時代に思いを馳せることにした。

9月23日(金)

マサよ、君は機内食のおかわりを要求する変わり者乗客に直面したことがあるか??

私は・・・直面してしまった・・・・・しかも2名様であった・・・・・・・・・・・

ということで、ANA205便パリ行きは定刻より10分程度遅れて離陸し、北方航路、シベリア上空を順調に巡航し、いつものように着陸約2時間前に軽いお食事が振舞われる段取りになった。32Dという通路側の絶好の座席をせしめていた私の右隣の二人組みの若者はやたらとジュース類を飲みまくっていたのが気になったものの平和に機内で過ごしていたのだが、一番最初に軽食をゲットした私の隣の隣の32Fに座っている若者Fはものすごい勢いで軽食を平らげると私の仕切っている逆サイド通路側から食事を配っているスチュワーデスに何とおかわりを要求するという暴挙に出やがった。

この事態に動揺を隠し切れないスチュワーデスは数を確認するといって一旦エスケープしたものの若者Fはまんまとおかわりをゲットしてしまったのだった。さらに私の隣の32Eに座っていた若者Eはこの勢いをかって別のスチュワーデスにおかわりを要求したのだが、数が足りないという理由で却下されてしまったので私の心の中で大きなガッツポーズと「残念!」という雄たけびが沸き起こっていたのであった。

夕方5時ごろにお馴染みのシャルルドゴール空港に到着するとそのままRERという列車に乗り込みパリ市内を北から南に縦断し、なぜかオルリー空港に向かっていた。HiltonHHonorsのポイントが余っていたのでマサであれば140ユーロくらいかかるところを私はただで泊まることが出来るHilton Paris Orly Airportに引き払うと夕刻の空港の喧騒を窓越しに眺めながらごゆるりと休息させていただくことにした。

9月24日(土)

早朝よりオルリー空港からバス(EURO5.8)と列車(EURO1.6)を乗り継いでパリ北駅までやっきたものの私が乗車すべき列車は500m離れたパリ東駅から出発することになっているので徒歩でとぼとぼと移動してきた。8時52分発のフランクフルト行きの2等車両に乗り込み世界の車窓からの気分を満喫していると11時40分ころにMETZという町に到着した。

フランス西部の歴史的情緒を感じさせるMETZにMETZ Cathedralという伝統のありそうな教会があったので軽くお参りし、今回のツアーの成功を祈願させていただくとMETZから列車を乗り換えてルクセンブルグを目指した。小学校のよい子の社会科でベネルクス3国のことを学んで以来、必ずベネルクスを訪問しなければならないと考えつづけてきたのだが、ついにベネルクスへの足跡の一歩となるルクセンブルグに午後2時半頃到着することに成功した。

ベルギー、フランス、ドイツに囲まれたルクセンブルグ大公国の首都ルクセンブルグは”ヨーロッパの緑のハート”と呼ばれているのだが、市内はその名に違わないすばらしい環境と風景で観光客を喜ばせているのだ。ルクセンブルグ中央駅から北側に10分程歩くと緑で覆われた深い渓谷に架かっている高さ46mのアドルフ橋に着く。橋の上から見事なまでの深い谷間を覗き込んだ後、そのまま橋を渡り17世紀に建立されたノートルダム寺院に向かった。寺院の階段を利用したおびただしい数のスケボー練習野郎どもをかわして寺院の中に入ると美しい宗教画等を十分に堪能させていただいた。

ノートルダム寺院を出て市の中心部に入るとそこから右に折れてボックの砲台(EURO1.75)を目指した。ここの断崖絶壁からの景色はマサに絶景であり、おびただしいほどの観光客がそこから谷底の川や教会等を見下ろしていた。また、ボックの砲台は要塞として必要なすべてを備えており、”陸のジブラルタル”と言われるほど堅固で難航不落を誇っており、その古い町並みと要塞群は世界遺産に指定されているのだった。

9月25日(日)

ルクセンブルグ市内の中心から8kmほど離れた空港近くのシェラトンホテルに宿を取っていたのでバス(EURO1.2)で早朝より、市内に向かうことにした。峡谷は朝もやで覆われていたものの内部に下りて見ると緑があざやかで数多くの人間を引き連れた犬たちが散歩に興じていた。

緑の王国ルクセンブルグに別れを告げ、午前10時52分の列車に乗り込むといつのまにかドイツに入国し、周りをドイツ人トランプ野郎どもに囲まれてしまっていた。トランプの仲間に入れてもらえない屈辱感を引きずりながら列車は午後2時前にケルン駅に到着した。

なぜ私が今回わざわざケルンくんだりまで来なければならなかったのか?その謎はアディダスケルンというスポーツシューズにあった。私が中高生として優秀な成績を収めていた当時は現在のルイヴィトンやシャネルを凌ぐ勢いでアディダスというブランドが普及していた。当時の運動部に所属している輩は皆アディダスのウインドブレーカーやバッグを持って悦に入っていたのだが、貧乏人はAddodasというバッタ物で我慢するしかなかったのだ。幸いにも本物のアディダスのウインドブレーカーを持っていた私はついでにシューズも物色していたのだが、その時私の目を引き付けたのがアディダスケルンという靴であった。しかし当時の私のバジェットでは高すぎて買えないという屈辱を味わったため、いつかケルンに行って溜飲を下げてやろうと思っていたのであった。

ルール工業地帯の中核都市であるケルンの巨大な駅から一歩出ると目の前に巨大なゴシック建築が怪しい黒光りで来るものを威圧していた。黒光りを避けるように川辺リに向かって歩を進めると大河にはかの有名なライン川下りの船が行き交っていたのだった。川辺には多くのカフェやバーが営業しており、昼間からビールを飲んでいるドイツ人やビールを飲んでいないドイツ人で溢れかえっていた。

ローマ時代の歴史も色濃く残しているこの地にそれを証明するようにローマ・ゲルマン博物館(EURO5.0)が観光客を集めていたので入館してみることにした。館内には石像や石柱、装身具、ガラス器、貨幣などが展示されており、ローマ時代の生活の様子が現代に伝わってくるかのようであった。

ケルン駅周辺を歩いているといつも何者から見下ろされているような気分に苛まれるのだが、満を持してその正体を解明するために黒光りに接近することにした。1248年着工、1880年に完成したカトリックの大聖堂であるケルン大聖堂(世界遺産)は通称Domと呼ばれ、高さ157mを誇り、来るものを圧倒している。調度雨が降って来たので奥行き144m、幅86mの内部にエスケープさせていただいたのだが、内部には荘厳な祭壇画や美しいステンドグラスが輝いていた。午後5時から日曜日のミサがはじまってしまったので、しばらく賛美歌のリズムに耳を傾けていたのだが、飽きたので外に出て町歩きをしている人の靴のアディダス比率のサーベイを行った。しかし意外にもライン川のほとりで3本ラインを見つけることは困難を極めたのであったのだ。

9月26日(月)

午前9時から開業するDomの正面右側の入り口から509段の螺旋石段がのびていたのでEURO2.0を支払って高みを極めることにした。尖塔の最上部には到達することは出来ないものの高さ100mを超える展望所からケルンの町並みを見渡すのには十分であった。

ドイツが誇る国際列車ICEに午前10時18分に乗り込み、約2時間半の汽車の旅で念願であったオランダのアムステルダム中央駅に到着した。歴史を感じさせる重厚な建造物である駅舎を一歩出るとそこには街中を行き交うトラムやバス、運河を縦横無尽に行き来しそうな観光船で一種独特の雰囲気を醸し出していた。とりあえず周辺を軽くさまよった後、町の中心であるダム広場に向かうことにした。

マサよ、君はアムステルダムのダムがマサにダムを意味することを知っているか!?

ということでアムステルダムという名前は、13世紀にアムステル川をダムでせき止めて町を築いたことに由来すると言われている。その中心であるダム広場には水が轟々と流れるダムはないものの王宮や新教会が君臨しており、観光客や鳩が轟々と流れるように行き来していた。

時代が時代であったなら私のライター仲間であったろうアンネ・フランクの家(EURO7.5)がミュージアム的なおももちでアムステルダムに君臨しているのでお邪魔させていただくことにした。1944年にナチスの秘密警察であるゲシュタポに発見され、アウシュビッツに送られるまでの2年間、アンネをはじめ計8名様が潜んでいた家は表の家と回転式本棚で仕切られた裏の家にはっきりと区別されている様子を生々しく残しており、ここを訪れる者ははかなさとやりきれなさで皆涙にくれながら戦争の悲惨さを実感させらるのであった。尚、アンネが実際に暮らしていた部屋はたまに差し入れてもらえるわずかな写真等で飾られており、潜伏生活の中でのささやかな楽しみを見出そうとしている様子が伝わってきた。

美術館広場というただっぴろい敷地の中に3つの美術館が営業しており、その中で一番面白そうな国立ゴッホ美術館(EURO10.0)を見物することにした。精神病に苦しみ、最後には非業の自殺を遂げてしまい、しかも彼の作品が評価され始めたのは彼の死後であったという悲劇を絵に描いたようなゴッホが描いた絵が年代別に並べられている館内の中で私の目を引いたものはゴッホが葛飾北斎の浮世絵を模写したものだった。きっと彼も浮世のはかなさを感じながら絵を描き続けたのではないかと思われた。

とりあえず、本日の観光プログラムを終了したので、飛行機に乗る気もないのにアムステルダム国際空港であるスキポール空港まで汽車で向かうことにした。KLMオランダ航空が仕切っているスキポール空港は世界有数の国際都市であるアムステルダムの名に違わずインテリジェントなファシリティを誇っていた。空港に併設されているワールドトレードセンターにさらに併設されているヒルトンホテルに宿を取っていたのでネクタイ姿の国際ビジネスマンとともに国際舞台での成功を夢見て眠りにつくことにした。

9月27日(火)

7つの海を制覇した海洋王国オランダの歴史が見て取れるオランダ海洋博物館(EURO9.0)に開館時間の午前10時より見学に訪れた。ここでの見所はおびただしい数の年代別船の模型もさることながら、日本の形もままならない古い世界地図やさらに江戸時代における日本との交易に関して「日本人は俺らを出島に閉じ込めやがって将軍にも会わせてもらえへんかったぜ!」といったような歴史的史実も紹介されているところである。さらにJapanというコーナーには一万円札の神様福沢諭吉が大々的に取り上げられており、諭吉が蘭学に傾注していたころにはオランダを第二の故郷と言っていたことやペリー来航後、横浜に英語があふれているのを見て蘭学を捨てて英語を学び始めた「福翁自伝」のエピソードも紹介されているのだった。

博物館で蘭学を始めることに成功したので実施研修としてオランダの伝統的家屋や風車を見るためにザーンセ・スカンスという町に汽車に乗ってやってきた。ここでは伝統の切妻家屋や工場に動力を供給している数多くの風車を間近で見物しながら村下孝蔵の♪かざぐるま♪を口ずさむことに成功した。また、偶然にも川に架かったアスファルトで覆われた橋が跳ね上がり船を通している光景を目撃することも出来たのであった。

マサよ、君はかの有名なハイネケンビールはオランダが発祥の地だということを知っているか!?

ということで、アムステルダムに戻るとその足でハイネケン・エクスペリエンス(EURO10.0)というアトラクション系のファシリティに向かった。ここではお決まりのビールの製造工程からハイネケンがいかに世界で飲まれているかを主張するフィルムやバーチャルな乗り物で工場の中でのビール瓶の流れを追いかけたり、馬車に揺られている気分を味わったりする事が出来るのだが,最大の得点は何とヘイネケンが3杯飲めるチケットと最後にお土産として缶入りのグラスがいただけることであろう。

アムステルダムは北方のベニスと言われるほど、運河が発達しており、街中のあちこちで運河クルーズ(EURO8.5)が展開されているのでたそがれ時を見計らってそのうちのひとつに参加することにした。クルーズは1時間以上かけて市内のいたるところを解説付きで回り、水辺から美しいアムステルダムの風景を眺める事が出来るのだが,運河を航行していて運が良ければ跳ね上げ橋が跳ね上がる光景を目撃することも出来るのだ。

♪今日はよしわら、ほりのうちぃ、なかす、すすきの、ニューヨークゥ♪と歌われたのはタケチャンマンの主題歌であるが、世界的に有名なオランダのその手の地域として「飾り窓」が君臨している。飾り窓地区はダム広場や駅から近く、マサに繁華街の中心に位置しており、姿見のような大きな窓の中には世界各国から荒稼ぎに来ている下着姿の色とりどりの女性が待ち構えている。尚,窓にカーテンが引かれているとすでに客が入っているということなのだそうだ。また、飾り窓の入り口には13世紀に建立された旧教会がそびえており、快楽と懺悔をセットでこなすことが出来るように取りはかられていることが確認された。

9月28日(水)

スキポール空港から汽車に乗り、ライデンという14~15世紀の町並みが残る美しい古都で下車した。この町は日本とのゆかりも深く国立民俗学博物館(水曜日なのでタダ)には、シーボルトが持ち帰った数多くの日本コレクションが展示されていると聞いていたのだが,展示品は仏像や大工道具等であり、シーボルトも鳴り物入りで日本に来ていたわりには大したものを持ち帰っていないと思われた。

昼過ぎにオランダ第二の都市ロッテルダムに到着した。ここは蘭学の学習に最適な伝統的なアムステルダムやライデンとは異なり、近代的なメトロポリタンの様相を呈しており、数多くの高層ビルが立ち並んでいた。昼飯時になったのでマサかどこかにロッテリアが・・・?と思ったが、無かったのでバーガーキングでお茶を濁しておいた。尚,繁華街の半径100m以内に3件の日本食屋が展開されていたのだった。

9月29日(木)

福沢諭吉が習得するのに数10年かかったであろう蘭学を3日で吸収することに成功したのでその勢いでベネルクスツアーの最後の目的地ベルギーに向かった。ベルギー国鉄の運行するタリスという真紅の新幹線系列車であっ!という間にブリュッセル南駅に到着するとそこから汽車を乗り換えてブリュージュという有名な観光都市に向かった。

「天井のない美術館」と形容されるブリュージュ(世界遺産)の町並みを歩いているとまるで中世にタイムスリップしたようなブルーな感覚に包まれてしまう。レンガ造りの建造物に囲まれている石畳の道を馬や犬のウンコに気をつけながら歩いていると中心部のマルクト広場に到着した。その中心には13~15世紀に建立されたブリュージュを代表する建造物である鐘楼がランドマーク的な存在感で居座っている。EURO5の支払いで366段の階段を登って頂上に達することが出来るので登頂してみることにした。15分毎に見事な鐘の音を鳴らすこのファシリティの仕組みは巨大なオルゴール構造になっており、曲のレパートリーも何曲かあるようだった。広場は観光馬車のターミナルとなっており、オープンカフェでは観光客がランチやビールを飲み食いしながら回りの美しい建造物に見入っていた。

12世紀に創立された聖ヨハネ病院の一部がメムリンク美術館(EURO8.0)として開業していたので、そこで数々のフランドル派の画家が描いた画を見物した後、小運河をクルーズするボートツアーを横目に街を練り歩き、ベギン会修道院に到着した。1245年創立のこの修道院の近くには愛の湖という池系の水溜りが佇んでおり、レンガ色の建物と緑色の森と湖が見事に調和している様子を醸し出していた。

9月30日(金)

あいにくの曇り空の下、ブリュッセルの市街を北上しているとサン・ミッシェル大聖堂に到着したので中に入ってみる事にした。13世紀から15世紀までの300年の年月をかけて建立された壮麗なゴシック様式の大聖堂では、1999年にフィリップ皇太子とマチルド皇太子妃の結婚式が執り行われた実績があり、その当時の写真が飾られていたのだが,その中には日本代表として裕仁天皇と美智子皇后の晴れ姿もしっかりと写真の中央に写りこんでいた。

チョコレートをぶっかけてもらったベルギーワッフル(EURO2.0)を買い食いしながらブリュセルの中心であるグラン・プラス(世界遺産)に向かった。”絢爛たる劇場”と呼ばれ、世界で最も美しい広場と賞賛されるグラン・プラスをさかなにワッフルを食っているとこれぞマサに王国ベルギーの真髄であると実感させられるのであった。

地下鉄で王立軍事歴史博物館(ただ)とオートワールド(EURO6.0)までやってきた。軍事の方には特に第一次世界大戦で使用された武器や戦車等が展示されていた。一方、オートワールドはかつてのベルギーの自動車産業の栄光を彷彿とさせるクラシックカーや名車の数々が処狭しと展示されていた。

マサよ、君は”ブリュッセルの最長老市民”が下ネタ系であることを知り、思わず股間を押さえ込んだ経験があるか!?

ということで、グラン・プラスの王の家にて開業されている市立美術館(EURO2.5)を軽く見学した後、ブリュッセルで最も有名な小便小僧に会いに行った。絶妙な角度で背を反らせ、見事な放物線の水流を描いている小便小僧はいちもつだけでなく、体自体も非常に小さく、割と質素な野郎だと思われた。また、小僧用に世界各国から衣装が贈呈されているのだが、それらを展示しているミュージアムさえ存在しているのだ。また、ブリュッセルには小便だけでなく、どう見てもゲロを吐いているようにしか見えないおっさんの像があることも発見された。

800以上の銘柄を誇るビール大国ベルギーであるが、それを証明するためのベルギービール博物館(EURO5.0)がグラン・プラスの南側に佇んでいたので喉を潤しにやってきた。館内は大したファシリティはなく、永遠とベルギービールを賞賛するフィルムを見せ付けられ、飽きたらチケットとビールを交換して溜飲を下げる仕組みになっていた。ビールを飲んだ勢いをかって小便小僧と是非「連れション」でも?と考えていたのだが,その代わりに日本で小便小僧のパクリとして「ウンコ垂れ」という像を作り、ソフトクリームを製造して一儲けをたくらみ始めた今日この頃であった。

今回ブリュッセルを訪問することにより我慢していた小便を出し切った時のような爽快感を覚えたのでその余韻に浸りながらパリを経由して日本に帰ることにした。

FTBサマリー

総飛行機代 \152,460

総宿泊費  EURO820.21

総汽車代  EURO297.90

総バス代  EURO2.40

総地下鉄代 EURO3.00

今回歴訪した国:フランス、ルクセンブルグ、ドイツ、オランダ、ベルギー

協力 ANA、HiltonHhnors、Starwood、フランス国鉄、ドイチェバーン、オランダ国鉄、ベルギー国鉄

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