ということで、今回のFTBGWスペシャルはこの時季恒例となったゴジラの近況調査に加えてはるか大西洋をまたぎ、音楽の都ウィーンとビールの都ミュンヘンまで足を伸ばし、最近生活コスト削減のために発泡酒より安いビールもどき雑酒飲料である大豆ペプチド発酵飲料を痛飲している現状のうさを晴らしに行くことにした。
2005年4月27日(水)
ANA002便ワシントンDC行きB777-200機は定刻出発、定刻到着を果たし予定通りこの日の午前中にアメリカの首都ワシントンDCに進出することに成功した。早速空港バス($8)で最寄のMetro Stationまで移動し、そこから地下鉄でスミソニアン地区に向かい、さわやかな快晴の空を天に向かってのびているワシントンモニュメントを横目に今回はメモリアルシリーズを挙行することにした。
まず、ポトマック川沿いにたたずんでいるThomas Jefferson MemorialとFranklin Delano Roosevelt Memorialの見学を立て続けにかました後、白亜のギリシャ建築の柱の奥に鎮座するリンカーンに会いにLincoln Memorialを訪れ、FTBのFTBによるFTBのためのツアーの成功を祈願させていただいた。そこからさらにツアー業界ではベテランとなったFTBはKorean War Veterans MemorialとVietnam Veterans Memorialまで足を伸ばしベテランを敬うことの重要さを肝に銘じることにした。
かつて大リーグ随一の集客能力の低さを誇るモントリオール・エキスポズという球団が存在した。モントリオール人のあまりの野球に対する無関心さに頭を痛めていたMLB機構はワシントンDCへの移転を画策し、今年34年ぶりにワシントンにMLB球団が戻ってくる運びとなったのだ。ワシントン・ナショナルズの本拠地であるRFKスタジアムはDCの中心から地下鉄でアクセス出来る便利な立地条件のために平日の4時35分からの試合開始にもかかわらず数多くの集客に成功していた。フィラデルフィア・フィリーズを迎え撃つナショナルズの打線はこの日は沈黙し、3対0でフィリーズリードの9回裏フィリーズの守護神である左の豪腕投手ビリー・ワーグナーが登場した。交響曲の作曲家を彷彿とさせるワーグナーは得意の100マイルの速球は出さなかったものの見事なタクトさばきでナショナルズ打線を簡単に封じ込めてしまったのであった。
本日の宿泊先であるDAYSINNにチェックインしようとしたところ脆弱なコンピューター予約システムが不具合を起こしてオーバーブッキングが多発したため、グレードの高いマリオットホテルにDAYSINNのコスト負担で移動させられ、ひょんなことから高級ホテルでの一夜を過ごさせていただくこととなってしまった。
4月28日(木)
米国内を網目のように張り巡らせているグレイハウンドのバス路線を使ってニューヨークに向かうためにユニオン駅の北にあるグレイハウンドバスディーポに向かった。あらかじめワシントン-ニューヨーク間($29)をウエブで予約しておいたのでWill Call用の券売機でチケットを引き出すと早速グレイハウンドの関連会社であるピーターパンが運行する午前9時発のバスに乗り込んだ。
ヤンキースの帽子を被った黒人肥満おやじの運転するバスは予定通り、午後1時20分頃に42nd Streetにある巨大なポートオーソリティバスターミナルにすべりこんだ。そこから徒歩でタイムズスクエアからブロードウエイを抜けてLowerManhattanに到着し、地下鉄でBrooklinまで抜け、今日の宿泊先であるDAYSINNにチェックインを果たすと再び地下鉄でBronxを目指した。
開幕からの低迷にもかかわらず51,000以上の観客で膨れ上がったヤンキースタジアムのネット裏の上段席に腰を落ち着けると不振にもかかわらず今日も4番に座っているゴジラの打球が右翼席に吸い込まれていく光景をイメージしながら試合開始時間を待ちわびていた。ロサンゼルス・エンジェルスのラッキー投手と相対したゴジラは1打席目にあわやホームランという大飛球を打ち上げたものの2打席目もチャンスに痛烈なファーストライナーで凡退してしまった。3打席目で待望のタイムリーツーベースを放ったものの結局この日もヤンキースは試合に敗れてしまったのだった。
4月29日(金)
マサよ、君はテディベアの正体とは何だったのか知っているか!?
ということで、今日も朝から地下鉄に乗りニューヨーク巡りに繰り出すことにした。Upper ManhattanにHamilton Grangeというニューヨークにゆかりのあるハミルトンという偉いアメリカ人の住居を見物した後、ハドソン川沿いに建つグラント将軍の墓兼記念碑を訪問した。ちなみにグラント将軍は南北戦争で名声を博した輩でアメリカではジョージ・ワシントンやアブラハム・リンカーンと並び賞されるほどの人気者となっており、わざわざニューヨークのど真ん中に巨大な墓が建造されるほどの英雄なのである。
パークアベニューの南にTheodore Rooseveltの生家($3)が摩天楼に囲まれながらも今でもRooseveltファンを集めているので見物に行ってきた。National ParkServiceが管理するこのファシリティはレンジャーによるツアーで家の内部が案内されることになる。ツアーの最後にかのレンジャーが展示されてある古いテディベアのルーツについて説明をかましてくれた。テディとはTheodoreのニックネームであり、テディベアはテディに敬意を表して日本で作られたという歴史的背景があるとのことだった。また、テディはポーツマス条約という形で日露戦争の仲介も果たした実績も持っており、日本の偉い人から毛筆で書かれた読めもしない感謝状さえも送られていたのだった。
テディべアの正体の解明に成功したのでかつてパンナムビルとしてアメリカ横断ウルトラクイズの決勝が行われていたMetLifeビルを眺めながらManhattanを北上し、ロックフェラーセンターで高いマンゴー生ジュースを飲んだ後、セントラルパークに向かう道すがら吉田兄弟のように3本の弦で全米を熱狂させるような野望を持った若者たちの集いを横目に再び地下鉄でJFK空港に向かいニューヨークを後にすることにした。
4月30日(土)
昨夜6時50分発のUA956便にて今朝7時前にロンドンヒースロー空港に到着していた。午前9時半発ルフトハンザLH4751便に乗り換えるとお昼過ぎにはミュンヘン国際空港に到着した。空港からミュンヘン中央駅に出るべく汽車の切符を買おうとしたが、買い方がわからなかったのでルフトハンザが運営する簡単な空港バス(EURO9.5)で駅に向かうことにした。
ミュンヘン中央駅でいかにしてオーストリアへの侵入を果たすべきか現地調査をした結果、結局正攻法であるドイツ国鉄が民営化されているドイチェ・バーンの鉄道を使って一路ウィーンを目指す事にした。午後2時半頃中央駅を出発した列車は新緑がまぶしい田園地帯を疾走し、気がつくといつのまにかオーストリアへの侵入を果たしており、約1時間半後にザルツブルグに到着した。ここで列車を乗り換えてさらに約3時間半の汽車の旅でついに音楽の都ウィーンへの到着を知らせる列車のドアがウィ~~ンと開いたのであった。
列車はウィーン西駅に到着していたのでそこから地下鉄(EURO1.5)に乗り換えて国立オペラ座が鎮座する町の中心部へ向かった。今回ウィーンではANAマイレージクラブダイヤモンド会員に提供されている全日空ホテルズの無料宿泊券を利用してマサであればEURO290/泊くらいかかるところを私はただで泊ることが出来るグランドホテルウィーンに乗り込むことになっていたので、古き良き時代の豪華さを残しているロビーでチェックインをさせていただくことにした。
夜8時を過ぎてもまだ明るさが残っていたのでウィーンの繁華街を軽く練り歩くことにした。さすがに音楽の都の土曜日だけあって街のいたるところに音楽用の簡易ステージが設置されており、おびただしいほどの人々がミュージックに酔いしれていた。世界遺産にも指定されているウィーンの旧市街をさまよっているといやがおうでもヨーロッパの伝統と格式を叩き込まれてしまっている自分に気付かされるのだった。
5月1日(日)
マサよ、君は天使の歌声を生で聴いて舞い上がったことがあるか!?
というわけで、早朝よりホテルを抜け出すとブルグ庭園にあるモーツアルト像を見上げ、頭の中でアイネ・クライネ・ナハトムジークのメロディーを奏でた後、ゴシック建築の荘厳な建造物である王宮に向かった。王宮の礼拝堂で日曜日のミサが行われることになっているのだが、そのミサにウィーン少年合唱団がレギュラー出演しているとの情報を入手していたので早速チケットの入手を試みることにした。チケット売り場と思われるところは多少の行列が出来ていたので周辺の様子をうかがっているとオーストリアレッドのジャケットを身にまとったツアーコンダクター系のおばちゃんが公認ダフ屋よろしく買い占めたチケットを道行く観光客に売りつけていた。入場券にはEURO14と記載されていたが、おばちゃんのコミッション込みの合計EURO19を支払ってチケットを入手することに成功した。
ミサ見物の座席は指定席になっており、係りの者に2階のレフト観覧席に案内された。ミサは定刻の9時15分からスタートし、神父のおことばとともに中年賛美歌隊の合唱が音響の良い礼拝堂に広がるとその後を追うように3階センターバックスクリーンの上部にミニオーケストラと中年コーラス隊を従えたウィーン少年合唱団の天使の歌声が参拝者を包み込み、神父と中年と少年の見事なコラボレーションが生み出されていた。約1時間のミサの終了間際に少年合唱団は1階の祭壇前にお目見えし、礼拝堂の中央に陣取っているミサのレギュラー参加者である地元クリスチャン達と2階と3階の観覧席に閉じ込められているひやかし観光客に向かって挨拶をすると大きなスタンディングオベーションが沸き起こったのであった。
天使の歌声により背中に翼が生えた感覚を覚えたのでその勢いでウィーン中心部をうろついているとふと運命的な出会いを感じた。するとそこには「エリーゼのために」や♪キッスは目にして♪http://homepage3.nifty.com/poptrip/single/ippatu/venus.htmlの作曲家として有名なベートーヴェンの銅像が睨みを利かせていた。その近くの緑多き市立公園にはシューベルト像やあの「トムとジェリー」にも採用されたことで有名なワルツの帝王ヨハン・シュトラウス像が黄金のヴィオラを弾きながらドナウ川へ誘ってくれたのでそのままドナウ運河に向かうことにした。かつて美しき青きドナウと呼ばれたドナウ川であるが、ウィーン市内を流れている運河の部分は屋形船が浮かんでいる♪春のうららの隅田川♪と何ら違いがなかったように思われた。
世界遺産であるウィーン市街はリンク(環状道路)の内部が主な観光エリアとなっているのだが、その中心にシュテファン寺院が高さ137mの尖塔をそびえたたたせている。13世紀の後半から300年の歳月をかけて建立されたこの寺院はオーストリア最大のゴシック教会である。寺院の塔では世界3位の高さを誇っている尖塔の73mの地点までEURO3の支払いで登れることになっていたので343段の狭い螺旋階段を駆け上がり73mの高みからウィーンの市街地を見下ろすことに成功した。
ウィーンを都とし、ヨーロッパに君臨、栄華を極めたハプスブルグ家ゆかりのシェ-ンブルン宮殿に地下鉄に乗ってやってきた。EURO8.9の支払いでインペリアルツアーに参加するとオーディオセットからドイツ語なまりの日本語が聞こえてきたのでおばちゃんの話に耳を傾けているとここは昔マリア・テレジアという田中真紀子の数百倍の権力を持つ女帝が仕切っており、かの有名なベル薔薇マリー・アントワネットは彼女の16番目の子供兼末娘で政略結婚のだしにされていたということであった。また、ここは6歳の鼻たれ小僧時のモーツアルトがマリア・テレジアやマリー・アントワネットの前で演奏し、拍手喝采を浴びた部屋を見物出来ることがひとつの目玉となっている。
ベートーヴェン、シューベルト、モーツアルトといったクラシックの巨匠が埋葬されている中央墓地がウィーン市のはずれで墓参り観光客を待ちわびているのでトラムという路面電車に揺られてやってきた。墓地は広大なため、ビジターセンターで巨匠の墓を確認しようと思っていたのだが、閉まっていたので墓地のレイアウトの把握が出来ず、仕方なく墓地のサイト内ではあるがリモートで巨匠達の墓参りを済ませておいた。
5月2日(月)
2日間無料宿泊させていただいたグランドホテルウィーンを後にするとウィーン西駅から列車に乗りザルツブルグを目指した。約3時間の汽車の旅で午前10時前にザルツブルグ中央駅に到着すると一目散に街の中心部を目指した。
アルプスの麓であり、音楽祭で有名なザルツブルグは映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台として世界各国から数多くのミュージカルファンを集めている。私もふいにボイストレーニングをしなければならない衝動にかられたのでミラベル庭園で踊りながら♪ド~はド~ナツぅのド~♪から始まるドレミの歌のフルコーラスを熱唱し、その勢いでモーツアルトの住居(EURO6)に向かった。
17歳~24歳にかけての8年間を過ごした住居は第二次世界大戦で破壊され、その後日本企業の寄付により96年1月に再公開となっていた。おなじみのオーディオでの解説を聞きながらモーツアルト自筆の楽譜や書簡や貴重なお宝である楽器を見ているとさらにモーツアルト出生の秘密を解明する必要性にかられてしまったので川を越えて世界遺産に指定されている旧市街に突入し、モーツアルトがおぎゃ~と生まれた生家(EURO6)になだれこんだ。1756年1月27日にこの地を支配する大司教の宮廷音楽家レオポルト・モーツアルトの子として生まれたヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトはその類まれなる才能から神童と呼ばれていたことはあまりにも有名であるが、ここに来るとその神童ぶりがひしひしと感じられるのだった。
岩山に囲まれたザルツブルグ旧市街はモーツアルトの生家の他にも音楽祭の会場や教会、墓地、大聖堂など見るべきものがたくさんあるのだが、岩山の上にホーエンザルツブルグ城塞(EURO8.4)が下界を見下ろすいでたちで構えているので急な坂道を這い登って入城を果たすことにした。1077年に大司教ゲーブハルトによって建立された中世の城塞建築からはザルツブルグの市街が一望出来るほか、遠く雪を抱いたアルプスまで見渡すことが出来るのだ。
城塞を下ったところで「サウンド・オブ・ミュージック」ゆかりのノンベルク修道院を発見したのでジュリー・アンドリュース系のシスターをストーキングして私の最大の悩みである民営化後の郵政と郵貯に代わる財政投融資の財源についての物語を語り尽くそうと思ったのだが、修道院は男子禁制なので♪エーデルワイス♪を歌いながら引き下がり、そのまま列車に乗ってミュンヘンまでエスケープと相成ったのだ。http://cinemakun.com/soundmusic/
5月3日(火)
マサよ、君はディズニーのシンデレラ城が手本としたドイツの古城を目の当たりにしたことがあるか!?
ということで、ミュンヘンからまたまた列車に乗ってロマンティック街道の最南端であるフュッセンまで2時間もかけてやってきた。ドイツは数多くの古城を観光の目玉としているのだが、ここにはその頂点に君臨するすばらしい城郭が存在しているのだ。
フュッセン駅からバス(EURO1.55)で数分走ると古城のチケット売り場に到着した。ここではホーエンシュウヴァンガウ城とノイシュヴァンシュタイン城を見物出来るのでEURO17を支払ってコンボチケットを購入した。城内はお得意のオーディオガイド付きツアーで回ることになるので城には決められた時間に行かなければならない。まず最初に見物したホーエンシュウヴァンガウ城はライオンの噴水に守られた一見すると普通のライオンズマンションのような外観であるが、一歩中に足を踏み入れると手抜き工事の得意な日本の大手ディベローッパーでは施工することが出来ないような豪華な内装が施され、また日本のホームセンターでは決して購入する事が出来ない高価な家具・調度品が絶妙のバランスで配置されていた。
ノイシュヴァンシュタイン城は道を挟んだ反対のさらに高い場所に位置しており、足腰の弱い観光客は金の力に物を言わせて2馬力の乗り合い馬車で坂を登るのだが,私は恒例の徒歩で城を目指した。かつてのバイエルン国王ルートヴィッヒ2世が1869年から17年の歳月と巨額の費用をかけて建立したこの城はディズニーランドのシンデレラ城や「恋のから騒ぎ」城http://www.ntv.co.jp/koikara/のモデルになったと言われており、ヨーロッパの中世の古城の典型的な建築スタイルに祭り上げられているのだ。ただし、この城のすばらしいところはアルプスの麓に位置する風光明媚なロケーションであると思われ、都会の真中に存在してしまうと普通のラブホテルに成り下がってしまうのではないかと懸念された。
耽美的芸術を愛してやまなかったルートヴィッヒ2世はワーグナーに心酔し、ワーグナーを招待するためにこの城を建立したとも言われているのだが,薄情なワーグナーは一度もこの城を訪れることはなかったそうだ。ちなみにこの城の美しい全景を写真撮影出来るスポットとしてマリエン橋というつり橋が掛けられており、その上で数多くのGW日本人観光客のミーハーな嬌声がこだましていたのだ。ドイツ観光の目玉となっているロマンティック街道ははるかヴュルツブルグから始まっており、日本人観光客は長年の缶コーヒーの飲みすぎで太ってしまったCCBを見て♪む~ねが、む~ねが、くるしくなるゥ♪とさもロマンティックが止まらない勢いで南下してくるのだが、皮肉にもロマンティック街道はこの地で終焉を迎えるという事実に直面してしまうのだ。http://music.yahoo.co.jp/shop?d=c&cf=10&id=upch5297
列車の車窓から牧草地の緑とたんぽぽイエローの牧歌的な風景に酔いしれながら夕暮れ時にミュンヘンに帰ってきた。ミュンヘン中央駅から街の中心であるマリエン広場へと向かう道すがらバーの軒先で会社帰りの労働者が楽しそうにビールを飲んでいる光景を見ながら、これぞマサに念願であったどいつもこいつもドイツ人という好環境に身を置いていることを実感させられた。また、ミュンヘンではストリートライブもオーケストラ風のクラシックを演じており、道行く人はヨハン・シュトラウスのワルツに酔いしれながらビールで悪酔いしていくのであった。
5月4日(水)
午前11時55分の飛行機に乗るために午前中にミュンヘン中央駅に向かった。日本では高嶺の花となっているベンツがドイツやオーストリアではクリーム色のタクシーとして庶民の足となっており、BMWはパトカーとして犯罪者の送り迎えをしてくれるような駅前のロータリーからバスに乗りミュンヘン空港への帰路を急いだ。
ミュンヘンからUA903便、B777-200機でワシントンDCにひとっ飛びし、DCからJFKに到着した時間は午後7時近くになっていたので今日は空港近くのBestWesternに引き払って明日の長時間フライトに備えることにした。
5月5日(木)
午後12時15分発ANA009便に搭乗すべく、JFKのファーストクラスラウンジにて今回のツアーでは私がそ~と~自信を持って使えるドイツ語である「ハイル・ヒットラー!!」を使う機会がなかったことを深く反省し、ナチス党のマークに思いを馳せていると何故か日本のお寺のシンボルである卍が私の脳内を駆け巡る衝動を感じ、ふとラウンジのソファーの方向に目をやると卍固めをかけられたように体が硬直してしまった。そこにはまるで闘魂が燃え尽きてしまったかのような猪木が巨体をソファーに沈み込ませていたのだった。
5月6日(金)
飛行機は定刻どおり成田空港に到着し,そそくさと入国審査の方に歩を進めた。私の列の隣の列に並んでいた猪木の直前で入国審査を受けていた外国人は間違って日本人用の列に紛れ込んでしまったと見えて何かの書類を書かされていた。このもたつきに剛を煮やした猪木が後ろから怒りの延髄斬りをお見舞いする光景を期待していたのだが、闘魂の燃え尽きている猪木には「元気ですかぁ~!」と叫ぶ気力も残されていないようであった。
FTBサマリー
総飛行機代 ¥88,190(ANA) + $614.81(UA)
総宿泊費 $215.2 + Euro156
総ワシントンDCバス代 $8
総ワシントンDC地下鉄代 $8.2
総GREYHOUNDバス代 $29
総ニューヨーク地下鉄代 $10
総AirTrain代 $5
総ルフトハンザ空港バス代 EURO19
総ドイツ・オーストリア鉄道代 EURO184.7
総オーストリア地下鉄・トラム・バス代 EURO7.55
協力 ANA、ユナイテッド航空、ルフトハンザ航空、DAYSINN、全日空ホテルズ、STARWOODS HOTELS、BestWestern、
ドイチェ・バーン、オーストリア連邦鉄道、猪木事務所http://www.inokiism.com/