FTBJ中居正広推薦 砂のウッ!ツアー

マサよ、君は天然砂むし温泉で遠赤外線攻撃を食らってふらふらになったことがあるか!?

私は・・・何とか持ちこたえることが出来たぜ!!

ということで、3月に入って一段と寒さが厳しくなった今日この頃であるが、2月の最終週に地元のサンフランシスコに出張に行って土日も休まずに裏の仕事に精を出し、疲労が蓄積してしまったため、かねてより体験しなければならないと考えていた砂むし温泉でいい具合に蒸しあがるため、わざわざ鹿児島くんだりまで足を伸ばすことになったのだ。

3月6日(土)

早朝7時10分発のANA619便にて午前10時半ごろ鹿児島空港に到着すると空港バス(¥2,100)で一路指宿に向かった。九州南部をえぐるように入り組んだ錦江湾に沿って走る高速道路と国道を南下すると薩摩半島最南端に位置する指宿に正午前に到着することが出来た。

鹿児島の雄として名高い南国交通グループ、有村産業をしのぐ勢いで暴利を貪っている鹿児島で最大級の財閥である岩崎グループが展開するいわさきホテルズで最も伝統と格式のある指宿いわさきホテルはチェックインの時間が2時からということだったので適当に指宿市内で時間をつぶすことにした。駅の近くに適当なラーメン屋があり、田舎のラーメン屋のくせに¥700も取っているのはけしからんと思ったが、煮込みラーメン風の鍋で登場した薩摩ラーメンを目の当たりにして度肝を抜かれてしまった。錦江湾に面する沿岸部に砂むし会館「砂楽」というファシリティが多くの観光客を集めており、建物から出てきた浴衣姿の老若男女を目で追っていると屋根で覆われた砂むし場に消えていってしまった。

待望の午後2時近くになって指宿いわさきホテルにチェックインすると念願の砂むしを体験することに相成った。いわさきホテルが経営する砂むし温泉はホテルの宿泊客でさえ、定価の¥1,050を支払わなければならないほどの格調高さを誇っており、地下4階の受付でトロピカルな文様をあしらった浴衣を受け取る際に簡単なオリエンテーションが施される仕組みになっている。ここでは主に途中で着替えなければならない浴衣のローテーシンや50℃という高温のため、低温やけどを起こす可能性のある砂の中での身のこなし方、とくにかかとやケツのさばき方を懇切丁寧に解説していただけるのだ。

砂むし場は対岸の大隈半島や晴れた日には種子島、屋久島を見渡せる浜辺に位置しており、冬季のため、巨大テントが張られた一角が中居正弘も推薦する巨大な砂の器と化しており、もうもうと煙る湯気の中で砂に埋もれている観光客や早く砂に埋まりたい順番待ちの老若男女の熱気で満ち溢れていた。そしてついに私の順番が回って来てしまった。数多くの人々が埋まった実績があり、人型に掘られた砂の器に身を横たえるといきなり摂氏50℃の熱気が私の肉体のB面から突きあがって来て思わず砂のウッ!ツアーと叫びそうになるのをぐっとこらえているとバイト風の砂かけ要因が少しずつスコップで黒砂を体にまぶしてきた。となりにいた子泣きじじいとその隣の砂かけられババア等が厚さに耐え切れずに早々と退散するのを尻目に私は推奨時間の10分~15分以上も砂の中でもがき苦しむことになったのだった。ちなみにこのファシリティにはどっきりカメラを彷彿とさせる野呂圭介のような専任カメラマンがうろついており、ハンディタイプの砂むし温泉の看板を枕元に突き刺してに写真を取られチェックアウト時にその写真を高値で引き取るシステムになっていた。

いい具合に蒸しあがった観光客はテントのとなりにある露天風呂に浴衣のまま浸かり、砂を落とすと男女別々のシャワールームでさらに汚れを落とし、湯上り用の浴衣に着替えた後、オプションとして地上4階の空中温泉で錦江湾を眺めながら優雅な時間を過ごすことが出来るのだ。

ところで莫大な財力を誇る指宿いわさきホテルの全容であるが、おおまかに和室館と洋室館に分かれており、館内には巨大な滝が流れ、地下は巨大ショッピングセンターと化しており、また、暇人のためにゲーセンやパチンコ屋、カラオケボックス等が配備され、私のような芸術家肌の人間のためには岩崎美術館も隣接されており、レストランはフレンチ、中華、和洋食等何でもそろっており、当然オーシャンビューの客室にはバルコニーが設えてあるのであった。http://ibusuki.iwasakihotels.com/index.html

3月7日(日)

早朝より、露天風呂で錦江湾の風景を楽しんだ後、駅前のトヨタレンタカーに転がっていたヴィッツをレンタルすると薩摩半島南部の散策に乗り出すことにした。薩摩半島の本当の最南端に長崎鼻という尖った場所があり、その近くに世界にひとつだけの花を標榜するスマップ系のファシリティであるフラワーパークかごしまが開業しており、通常であれば¥600の入場料を徴収するところをフラワーフェスティバル開催期間中の特典として無料で開放されていたので入って見ることにした。ここは非常に有名なパークらしくロシアのエリツェン元大統領夫妻も訪問した実績が記念写真により誇らしげに展示されていた。ご多分にもれず園内には色とりどりの花が咲き乱れており、薬物中毒から見事に再生を果たした槇原敬之 であっても安心して創作活動に打ち込める環境が提供されていた。

日本百名山の一つに数えられ、標高922mながら富士山よりもすばらしい裾野の形状を誇る開聞岳の周りをぐるっと一周して枕崎を経由して知覧町に突入することにした。

マサよ、君は若き神風特攻隊員の悲哀を目の当たりにして絶句したことがあるか!?

ということで、知覧町は知る人ぞ知る太平洋戦争末期の沖縄決戦に人類史上類のない自爆テロの原点となった神風特攻隊が飛び立って行った飛行場のあった場所である。若き日本戦士の御霊を弔うために特攻平和観音像が祭られており、そのとなりに知覧特攻平和会館(¥500)が開業していたので日本の歴史に目をそむけることのないように見学を試みることにした。http://www.town.chiran.kagoshima.jp/touristinfo/heiwakaikan/

館内は観光バスで乗りつけたと思われるツアー客で賑わっており、中年のご婦人たちは特攻隊員の家族に宛てた遺書や絶筆等を見てむせび泣いていた。主な展示品は特攻隊員のメンバー表や遺留品、本物の神風の鉢巻やゼロ戦で名高い零式戦闘機等、中島飛行機や三菱重工、富士重工が製造した日本が誇る戦闘機の数々が所狭しと並んでいた。尚、神風特攻隊に参加した若者の年齢は最小17歳から28歳くらいまでで今時の高校生や大学生は必ずここに来てお参りしなければならないと思われた。

知覧町を後にして、ネス湖のネッシー、屈斜路湖のクッシー、琵琶湖のビッシー(まだ誰も見たことがないが・・・)に匹敵する未確認水生生物であるイッシーで有名な池田湖で世界最大のうなぎを垣間見た後、昨晩からの雪が残る指宿スカイラインを抜けて鹿児島空港に帰る途中に桜島の御岳が雪に覆われている斜面を横目に見ながらマサをはじめとする財務官僚の器の小ささを再認識しつつ帰路についたのであったが、鹿児島空港のANAのラウンジで悪役商会を取り仕切る八名信夫に遭遇していきなり、ウッ!つあ者がいると一瞬ひるんでしまったのは実は私の方であった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,600

総空港バス代 ¥2,100

総レンタカー代 ¥6,300

総ガソリン代 ¥1,227

総高速代 ¥1,360

総宿泊費 ¥16,800(朝食つき)

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