FTBSEAべトコンツアー in ホーチミン

マサよ、君は20世紀以降、世界で初めて戦争でアメリカに黒星をつけた国を知っているか!?

2004年9月23日(木)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば14~15万くらいかかるところを私はただで入手していた成田-ホーチミン間の往復チケットを手に混雑する成田空港第二ターミナルから颯爽と午前10時発のJL5133便に乗り込むとベトナム航空が運行するコードシェア便のB777-200機内で真紅のアオザイを身にまとったエスニック系スチュワーデスに迎えられた。

5時間40分程度のフライトで2時間の時差を超えてホーチミンのタンソンニャット国際空港に午後2時ごろ到着した。空港で円をベトナムドンに両替する必要があったので両替所で¥5,000を提出すると何と670,000ドンもの大金がド~ンと渡されて一瞬の内に大金持ちになってしまった。空港の出口に売店があり、8,000ドンのコーラを50,000ドン札で買うと42,000ドンであるはずの釣りが32,000ドンしか返ってこなかったのも私の中では折込済みだったので黙って見逃してやることにした。

空港バス(2,000ドン)で市内に向かうまでの道のりは数え切れない程のクラクションとバスを取り巻く無数の原チャリ系バイクとの格闘の時間であったが、40分程我慢すると市中心のベンタインパスターミナルにつつがなく到着することが出来た。バスを降りるころには折から降り始めていた雨が激しくなり、ついには厚い積雲を切り裂く雷鳴がとどろきはじめたため、仕方なくバスターミナルで雨宿りをしながらベトナム人観測を行うことにした。町ゆく人はほとんど原チャリ系のバイクにまたがっており、降りしきる雨もなんのその、いつのまにか取り出していた合羽を羽織って落雷の轟音の中を爆音を轟かせて走っており、マサにホンダ丸儲けの図式が提供されている町並みであった。

雨が小降りになってきたのでベンタインバスターミナルからベンタイン市場を抜けて今回の宿泊先である☆☆☆☆☆ホテルのエクアトリアルに徒歩で向かうことにした。ホテルへ向かう道は大通りであっても信号が整備されていないところが多く、絶妙のボディバランスと身のこなしを駆使してひっきりなしに向かってくるバイクの波を避けながら何とかホテルに到着することが出来たのであった。

9月24日(金)

午前中から30℃を超える猛暑の中、早速ホーチミン市内の観光に乗り出すことにした。南ベトナム政権時代に独立宮殿と呼ばれた旧大統領官邸である統一会堂(10,000ドン)が市の中心部に君臨しているので見学させていただくことにした。ここは1975年4月30日に解放軍の戦車がこの宮廷の鉄柵を突破して無血入場を果たし、事実上ベトナム戦争を終結させたことから後に統一会堂と呼ばれるようになったのだ。建物の中は大統領や副大統領の応接室や内閣会議室、宴会場、映画館等があり、最上階は展望台となっており、ここからかつて解放軍の戦車がやってきたレユアン通りを見通すことが出来る。また、建物の地下には秘密の軍事施設が設置されており、大統領の司令室や暗号解読室、アメリカと連絡を取り合った放送局などが残されているのだ。

ホーチミン市博物館(10,000ドン)がフレンチコロニアル風の威風堂々とした建物づらで観光客を集めているので覗いて見ることにした。ここでは古代からのホーチミン周辺の暮らしぶりや動物の剥製、各種民族グッズ等が展示されている。

米粉で作ったベトナム名物の麺であるフォーを24時間煮込んだスープで提供する店であるフォー24でスペシャルフォー(29,000ドン)を食った後、ベトナム歴史博物館(10,000ドン)を見物することにした。ここには原始時代からの遺功としてメコンデルタの古代石器やチャンバ芸術の仏像等が数多く展示されているのだが、余興として中庭でベトナム名物の水上人形劇($1)を見物することも出来るようになっており、人形のコミカルな動きを見ながらほっと胸をなでおろすことが出来るように取り図られているのだ。

夕飯時になったので食文化の発達したベトナムでも地元の人にも人気のあるクアンアン・ゴンというレストランでベトナム式パリパリ皮の中に海老とかが入った食い物を前菜にカニの丸揚げをにんにく、塩コショウで炒めた贅沢な一品と格闘しながらホーチミンの夜をパクチーとともに更かし、英気を養ったのであった。

9月25日(土)

マサよ、君はべトコンのゲリラ戦の真髄を見たことがあるか!?

ということで、ホーチミン市の中心部から北西へ約70kmの位置に南ベトナム解放民族戦線(通称べトコン)の拠点となっていた地下トンネルが200km以上にわたって難攻不落の要塞状に掘られていたという情報を聞きつけたので早速現状確認に向かうことにした。ベンタインバースターミナルからサイゴンバス(2,000ドン)で1時間ほどかけてクチバスターミナルに到着するとそこからライトバン状のミニバス(10,000ドン)に乗り換えてクチトンネルの観光施設があるベンユオックに向かった。原住民乗客ですし詰め状態になったミニバスは水牛やスタンダードな牛が開墾を行なっているのどかな田園風景を走り抜けると途中で原住民を降ろしながら1時間ほどでベンユオックに到着した。

サイゴン川近くに位置するベンユオックは戦争当時枯葉剤が大量に撒かれたゴムの木の熱帯雨林だったため、異常に蒸し暑く、立っているだけでも汗がにじんでくるほどであった。クチトンネル(65,000ドン)はベトナム戦争が終わって30年経った今でもクチ果てることなく、革命歴史遺跡として数多くの観光客を集めている。まずはチケット売り場で入場券を買うと迷彩服を着た謎の係員に林の中を案内され、ベトナム戦争のビデオとクチトンネルの構造やサイゴンとの位置関係を説明したパネル等が設置されたファシリティに案内された。ビデオが終わるころには観光客も適度に集まっていたのでいよいよクチトンネルへのツアーがスタートした。

最初に見せられたのは巧妙にカモフラージュされたトンネルへの入り口でそれはスリムなベトナム人の体系に合わせた非常に狭いもので米兵のブタ野郎が容易に侵入出来ない微妙な大きさに掘られていたのだった。さらにゴムの木林のいたるところに大きな陥没が見られるのは米軍戦闘機B52が爆撃した跡なのだそうだ。また、要所要所にトンネル内に空気を供給する換気用の穴が蟻塚風にこじ開けられているのが印象的でもある。ガイドを先頭にいよいよトンネル内への侵入となった。観光用のトンネルは毛頭のブタ野郎も何とか侵入可能なように多少広げられていたのでガイドに続いて入っていった米国人もツアーのプログラムに参加することが出来たのであった。蒸し暑い熱帯雨林のさらに地下に存在するトンネル内部は天然のサウナのようでみるみる体中が汗と壁面に接触したときの泥にまみれていったのであった。

トンネル内部には作戦会議室や病院、司令官室等、数多くの部屋があり、マサに闇の中に地下都市が形成されていた。観光用に広げられているとはいえ、トンネル内部を移動するときは腰をかがめたり座ったまま進むような体勢を取らされるのでツアーはかなり過酷なものとなった。最後に地下の台所と食堂に出るとそこでお茶と当時べトコンが食料としていたタロイモの一種が試食出来るように取り図られていたのであった。また、このクチトンネル一帯のファシリティには数多くのべトコン土産物売り場や当時数々の米兵のブタ野郎を落とし入れたであろうさまざまな落とし穴の展示やおまけに体重130kと書かれたビルマニシキヘビまで飼われていた。さらに林から広場に出ると射撃場で射撃も楽しむことが出来、地雷を踏んで大破した戦車や装甲車も周辺に数多く転がされているのであった。

ということで、ここで得た教訓はマサ率いる悪徳財務省のような圧倒的勢力に対抗すべく、ゲリラ戦を展開するためにはとりあえず穴を掘って「王様の耳はロバのみみぃ~」と叫ぶことであったろう。

9月26日(日)

ベトナム戦争が終結するまでホーチミンはサイゴンとよばれていたのだが、私もさいごんの力を振り絞って最終日の観光に精を出すことにした。ホーチミンくんだりまで来てここに来なければべトコンを語る資格がないとまで言われているであろう戦争証跡博物館(10,000ドン)を訪問した。ここではベトナム戦争の歴史をビデオや実際に使用された戦車や大砲、爆弾などの戦争遺物、写真などで綴った博物館である。ここで多くの観光客の目を釘付けにする代物は従軍写真家が撮影した悲惨なベトナム戦争の写真や枯葉剤がこの国にもたらせた悲惨な状況証拠の展示である。また、屋外には拷問の島と呼ばれたコンソン島の牢獄「トラの檻」を復元したファシリティもあり、ギロチン台の実物やべトコンに課された様々な拷問の数々をリアルに学習することが出来るようになっていた。

その後、19世紀に建てられた赤レンガ造りのサイゴン大教会と19世紀末のフランス統治時代に建てられた中央郵便局を軽く見た後、サイゴン川にかかる橋を渡ってホーおじさん記念館(10,000ドン)を訪問することにした。ここにはホーチミン主席の革命活動の写真や記念品が展示されているのだが、一方でホーおじさんは若い頃からFTBと同様に世界各国を歴訪した実績を持っていることが確認出来た。

ホーチミン市の目抜き通りとしてドンコイ通りが君臨しており、おびただしい数のレストランやブティック、土産物屋が軒を連ねており、日本人をはじめ多くの観光客を集めていた。すべてのブティックにはお約束のアオザイがディスプレイされており、日本人ギャルも血眼になって物品の物色をしているのだが、大阪生活も板についてきたマサであればアオザイ物色ギャルに対して「いつ着んねん!?」と激しいつっこみをかましていたのではないかと思われた。

深夜11時50分発のJAL750便にて帰国の途に着き、翌朝7時半ごろ成田空港にて流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,760

総宿泊費  VND 4,249,547 (¥1 = 約160ドン)

総バス代  VND 26,000

総空港までの帰りのタクシー代  $10

総空港使用料  $12

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