FTBSEAアンコールにおこたえしなくてもワット驚くアンコールツアー in カンボジア

ついに戦争が始まってしまった。戦争で悲劇を被るのはいつも善良な一般市民である。今回の戦争により、イラクでは新たな難民を生み出すことになり、これは大きな国際問題となって我々の前に立ちふさがる。今回FTBが厳選した目的地は難民問題解決途上でありながら、観光都市として復興を遂げようとしているカンボジアのアンコールワットを中心とした遺跡群であり、ここから貧しいながらも賢明に生きる力を学び取ることが目的であった。

3月20日(木)

米・英連合軍がイラクへの攻撃を開始した当日とは思えないほど、成田空港第二ターミナルでは平然とした雰囲気で日常業務が遂行されていた。ANA915便バンコク行きB747-400は何事も無く、定刻17時25分に出発した。今年の4月より2年連続2回目のANAマイレージクラブダイヤモンド会員として活躍することが約束されている私に与えられた席は通常のエコノミークラスよりグレードの高いプレミアムエコノミーという席でいっちょまえにフットレストと電源プラグが据え付けられていた。

いつものように客室乗務員の責任者が私のところに挨拶に来たら適当に相手をしてやならければならないと思っていたが、今回はキムタクドラマのGood LuckでANAのスチュワーデスを演じている黒木瞳を彷彿とさせる女優系のレィディが来るかも知れないと期待に胸を膨らませていた。もし彼女が「御用があれば何なりとおっしゃって下さい」と社交辞令を投げかけてきたら、「こちらこそ、私に出来ることがあれば何なりとおっしゃってやって下さい。何だったら、財務省に私の舎弟のマサという者がおり、そいつをどやしつけて財務省の出張をすべてANA便に切り替えさせてあげましょう」と言うところであったが、挨拶に来やがったのは通常のスチュワーデス顔のチーフパーサーだったので座席TVで上映される「ハリー・ポッター秘密の部屋」に集中しているふりをしてかわしておいた。

タイのバンコク国際空港に夜の10時半ごろ到着するといきなり気温31℃の猛暑に見舞われた。今日は着いた時間が遅かったのでおとなしくComfort Inn Airport($39.-)にチェックインし、そのまま寝苦しい夜を過ごすことと成った。

3月21日(金)

タイ-カンボジア路線を中心に運航しているバンコクエアウエイズのPG930便、B717-200機は午前8時にバンコク国際空港を出発し、50分程度のフライトでアンコールワットへのゲートウエイシティになっているシェムリアップ国際空港に到着した。入国審査を済ませ、空港の外へ出るとおびただしい数の客引き系の人種が目を血走らせながら金持ちの客を物色していた。その中で何も頼んでいないのにTAKEO FUKUDAという栄光の私の名前のボードを掲げている若者が居座っていた。そ~か、カンボジアではすでに私は有名人なのかと一瞬勘違いさせられそうになったが、よく考えて見るとAngkor HotelをWEBで予約していたのでホテルの関係者がわざわざ出迎えに上がっている様子であった。

多少英語を話すペーンと名乗る若者が転がすトヨタカムリに同乗すると早速シェムリアップ市内のホテルを目指して走り始めた。車窓から眺めるシェムリアップの町並みは典型的な開発途上国の様相を呈していたもののアンコールワットの人気にあやかり、たくさんのホテルが建設中であった。車中でペーンが簡単に町並みの紹介をしてくれていたのだが、同時に彼の車を1日あたり$25でチャーター出来るので是非観光に使ってくれとしつこく営業をしかけてきたので最後には根負けして承諾させられてしまった。

朝の9時ごろシェムリアップでは高級ホテルの部類に属しているAngkor Hotelにチェックインすると色黒のおね~ちゃんからホテルのロゴ入りのクロマーというカンボジア式スカーフを首に掛けられてしまった。1時間後にペーンを待たせてあるロビーに戻り、早速アンコール遺跡群の調査を開始することにした。まず最初に訪れたのはアンコール遺跡で2番目に人気のあるバイヨンという寺院である。バイヨンは王と神の都市と言われているアンコール・トムの中心に位置しており、ピラミッド形式に積み上げられた石の表面に刻まれたデバダーという女神が印象的な寺院である。また、周囲を取り巻く回廊に施されているレリーフが美しく、レリーフ近辺には決して触らないようにとの注意書きの立て看板が立っていた。私もレリーフを触ってバイヨン寺院の仏像の鼻がもげたりしたらヤバイヨンと思ったので注意して見物することにした。また、寺院内には観光客の身を守ってくれる警察官が見回りをしていたのだが、アンコール・トムとはいっても小柳トムのような警察官の制服を着ているわけではなく、かといってバブルガムブラザーズのブラザートムのようにファンキーでもなかったのだ。

午後から待望のアンコールワットを訪問することになった。ユネスコの世界遺産として君臨しているアンコールワットはクメール建築の最終形と位置付けられ、12世紀前半に建立された宮殿である。幾重にも重なっている門をくぐって最終的にたどり着いた中央祠堂に登るためには人々を寄せ付けないような急な階段を登る必要があり、登っている最中にワッと驚かせば観光客は落ちてくるのではないかと思われた。

アンコールワットの敷地内のとある一角に多数の売店が出店しており、冷たいジュース等を$1で売りつけようと営業に励んでいる原住民にあっという間に取り囲まれてしまうような環境の中で私の目にとまったものは水生昆虫である巨大なタガメの姿煮であった。原産地は目の前の聖池であると思われ、腹部を噛むといかにもプシューと液が出てきそうな雰囲気を漂わせていやがった。

3月22日(土)

昨日ひょんなことからチャーターするはめになってしまったトヨタカムリを操るペーンの粘りにより、今日も彼を雇うことになり、午前9時に観光を開始することになった。シェムリアップの北部40kmの地点にバンテアイ・スレイという非常に美しい彫刻が施された遺跡があるということだったので車を飛ばして見に行くことにした。「女の砦」の意味を持つこの寺院には東洋のモナリザと称される優美なレリーフが名声を博している。ここでは建築物や彫刻の美しさよりも地雷を踏んだと思われ、片足の無い人が物乞いをしている姿が脳裏に焼き付いてしまった。

午後から炎天下の中、東メボン、ニャック・ポアンという遺跡を立て続けに見学することになった。東メボンは今では干上がってしまった貯水池の中心部に952年に建立され、四隅の象の石像を配したピラミッド式の寺院である。ニャック・ポアンは「からみあう蛇(ナーガ)」という意味を持つ治水に対する信仰と技術を象徴する寺院である。

マサよ、君はカンボジアのジャングルの中にギリシャ建築の名残を見たことがあるか!?

私は・・・見た。

というわけで、ニャック・ポアンと同時期に造営されたプリア・カンという遺跡は「聖なる剣」の意味を持ち、創建者のシャバルマン七世がチャンバ軍との戦いに勝ったことを記念して立てた寺院である。プリア・カンの中央祠堂周辺は迷路のように回廊が巡らされており、その北東に立つ建造物はまるでギリシャ建築を思わせるような石柱二層構造になっている。

アンコールワットを中心とする遺跡群の中でサンセットスポットとして人気ナンバー1に輝いているプノン・バケンは高さ60mの丘陵の上に祠堂を配しており、そこから南東の方向に樹海の中に浮かび上がるようにそびえているアンコールワットを見下ろすことが出来る。プノン・バケンに登るには急な斜面を徒歩で登るか、なだらかな坂を象に乗ってゆっくり歩く(上り$15.-、下り$20.-)かを選択することが出来るようになっている。

私がプノン・バケンに到着したのは3時半頃で日はまだ高く、なおかつ敷き詰められている石畳が熱せられた状態で石焼ビビンバの具のような気持ちでサンセットを待っていた。しかしこの日は残念ながら、西の空に雲がかかった状態だったのでクメールの大地に沈む燃えるような夕日を拝むことが出来なかったので仕方なくサンセットを待たずに撤収を決め込んだ。ちなみに象に乗って来た人は100%の確率で象と記念写真を撮っており、それを見てゾ~とした寒気を感じたので何とか石畳の暑さに対処することが出来たのではないかと思われた。

3月23日(日)

昨日の観光でペーンに$40もの大金を払い、彼もいい気になっていたので今日は彼を首にして別の観光手段を検討することにした。まず、朝一にシェムリアップのダウンタウンの中心にあるオールド・マーケットを散策することにした。このマーケットは原住民の生活と非常に密着した市場で生鮮食料品や干物等がところ狭しとならんでおり、エスニックな雰囲気と異臭を漂わせていた。

カンボジアの主要交通手段としてバイクタクシーという乗り物がある。この国ではバイクを転がすのに特に免許は必要なく、バイクタクシーの営業もホンダの原チャリ等を下取りしたオンボロバイクさえ持っていれば誰でも出来るのである。とあるコミュニケーションが苦手そうな少年がしきりに私に対して乗って行かないかと営業をしかけてきた。それじゃ~ここから10kmくらい離れたタ・プロ-ムまで$1でどうだと交渉したが、彼は$2と言いやがったので他をあたろうとした。お金に困ってそうなその少年はしきりに私の後を追いかけてきて結局$1でいいと妥協したので彼の後ろに乗っかることにした。

タ・プロ-ムはアンコールワット、バイヨンに続いて日本人に人気のある遺跡でスポアンという木の根が蛇のように石にからみつき、いやがおうでも自然の驚異を感じさせられる寺院である。この遺跡の状態はわび・さびを美徳とする日本人の心を打つようで今でも仙人が住んでいるような魅力を持っているのだ。

遺跡の調査を終えてタ・プロ-ムから出てくると私を上客だと判断した少年が待っていやがった。別に彼をチャーターする気もなかったのだが、そのけなげな態度を見てさらに$1払って近場のタ・ケウという遺跡まで案内させてやった。「クリスタルの古老」という意味を持つタ・ケウ寺院は、アンコールワット造営の試金石とされている。寺院建築の依頼主であるシャバルマン五世の突然の死により、石材を積み上げた状態で未完成のまま放置されているこの建物からはピラミッド式寺院という新しい造形への挑戦が見て取れるのだ!

少年のバイクのケツにまたがってバイヨンに再び向かいながら、もしここで転んで怪我でもしたら保険効かないからヤバイヨンと思っていた。バイヨンでは相変わらず地元の少年少女などが無邪気に観光客に対して愛想を振り撒いていたが彼らは一応人畜無害であった。別にアンコールにお答えするわけでもないが、最後はやはりアンコールワットで締めたいと思っていたので再びアンコールワットを見物することにした。アンコールワットの敷地内に寺院があり、橙色の袈裟を着た僧侶が行き来しており、彼らは出家した身にもかかわらずタバコを吸ったりするなまぐさ坊主である。また、その寺院は孤児院も兼ねているらしく、小さな少年少女が愛想よく挨拶を交わしてくれるシステムになっていた。

私が宿泊しているHotel Angkorの対面にバイヨンマッサージというマッサージ屋が開業していたので旅の疲れを取るために受けてみることにした($9.-/1.5H)。シェムリアップのマッサージ屋は目の不自由な人の自立をサポートするための仕事となっているので非常に料金が安く設定されているのだ。

3月24日(月)

定刻通り、朝7時10分頃帰国。途中で自宅により、風呂でカンボジアの汗を流して会社に出社。

カンボジア情報はナンボジァ(強引か・・・)特集!

*アンコール遺跡へ入場するためのチケットは高めに設定されており、それで遺跡の修復等を行なっている。料金は1日券=$20.-、3日券=$40.-、7日券=$60.-という設定で長くいるほどお徳だぜ。

*シェムリアップにゲストハウス「タケオ」という宿があり、私の許可も得ずにソ~ト~安い宿泊料で日本人に人気を博しているそうだ。マサよ、財務省から圧力をかけて必ずマージンを取ってくれ!

*主要な遺跡スポットには必ず飲み物屋とお土産屋が出店している。そこで私が耳にした言葉はツノもないのに「オニさん、オニさん」という原住民の営業文句である。詳しく説明すると「オニ(お兄)さん、オニ(お兄)さん、ツ・メ・タ・イ・オ・ノ・ミ・モ・ノ・ハ・イ・カ・ガ・デ・ス」と言っているのだが、おばちゃんもつぶらな瞳の子供も同じトーンで同じ言葉を喋っており、まったく応用の効かない奴らだと思われた。

*カンボジアの主要通貨はアメリカドルであり、補助通貨として現地のリエルが使われている。さらにカンボジア人は日本語でドルのことをダロだと言うものと思っており、日本人は皆心の中でそれは勘違いダロと思っているのだ。

FTBSEAスペシャルドキュメント「悲しきカンボジア少年物語」

これはわたしがバイヨン寺院に隣接するバプーオンという遺跡を見物していたときに起こった実話である。遺跡をゆっくりと歩きながら見ているとふいに少年が近づいてくる気配を感じた。みすぼらしい身なりの中にアグレッシブな雰囲気をたたえたその少年は頼んでもいないのにいきなり観光ガイドよろしく遺跡の説明を始めてしまった。特に話を聞く気のないふりをしながら歩いていたスキのない私に対して完全にロックオンをしてしまった少年はあくまでもマイペースで解説を続けていた。その間私の心の中ではどうやってこの少年を振り切るかもしくはいくらの支払いでケリをつけるべきかといった壮絶な心理戦が展開されていた。

巧みな英語を操る少年が言うことには彼は午前7時から10時まで学校に通っており、週$40の学費を稼ぐために自主的に観光ガイドをしている。また、彼の父親は地雷を踏んで死んでしまったので生活に苦労しているという話を巧みに織り交ぜてきた。日本有数の家なき子である安達裕美が取り入れたと言われている伝家の宝刀「同情するなら金をくれ!」作戦を少年が展開する前に何とか彼を振り切らなければならないと考えていた私に突然チャンスが訪れた。とある崩壊した遺跡を前にして少年が始めた解説はこの遺跡はカンボジアのある過激派組織が破壊したものだと言った瞬間に松田聖子よろしくブリッ子調で♪ピュアピュアリップス♪と歌い上げ、「それはロックンルージュや!君の言いたいのはクメール・ルージュやろ!」と関西伝統の一人ボケつっこみをかまして少年が動揺している隙に走り去る作戦を実行しようと思った矢先に少年の口からクメール・ルージュの言葉が出てしまったのでこの作戦は失敗に終わってしまった。

少年を振り切ることが出来ないまま、いくばくかの時間が過ぎてしまい、ついには少年の口からこの奥に僕の仲間がいるから一緒に来ないかい?との誘い文句まで出てしまった。しかし、驚いたことに少年がその文句を言い終えるか終えないかの瞬間に彼がいきなり林の中に走り去るのと同時にいくつかの人影が鋭く四方八方に分散する気配を感じた。何事かと後ろを振り向くとそこには現地の警察官の姿があった。警察登場のおかげで安心して遺跡見物が継続出来るようになり、非常に感謝していたのだが、結局警察の目を眩ませて先回りしていた少年に再度捕まってしまった。少年はここぞとばかりに学費を払うために$5ほどカンパしてくれよ!と言い寄って来た。私もその頃には少年の粘り強さに心を打たれていたので$5程度だったらと思い、めぐんでやることにした。ここで気をよくした少年はさらに$10を要求してきやがった。冷たく断ると「お兄~さんはバンコクから来たんだったら、タイバーツが余ってるだろ、それをくれよ!」とさらに食い下がって来たので、さすがに私も黒柳徹子のような度量の広さを示すことが出来なくなり、とっとと撤収することにした。

しかし、警察の出現なしに少年の案内する場所に連れて行かれてたら今ごろの私はどうなっていたのだろうかと思うと非常に不思議な気持ちである。(総)

FTBサマリー

総飛行機代 \77,820.-, THB11,700.- (THB 1 = \3.27)

総宿泊費 $203.8

総車チャーター代 $65.-

総バイクタクシー代 $7.-

総遺跡チケット代 $40.-

総カンボジアビザ取得費用 \3,000.-

総バンコク国際空港使用料 THB500.-

総シェムリアップ空港使用料 $15.-

今後の活動予定: 慶良間諸島、徳之島、ゴジラ等盛りだくさんです。

協力 ANA, Bankok Airways

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