♪インドの山奥で しゅ~ぎょ~をしてぇ~ ダイバダッダのたましいやどしぃ♪http://www.urban.ne.jp/home/ak1go/tvhero10.html
というわけで、かつてタケチャンマンとよばれたこともある私であるが、当時相手にしていた敵はブラックデビル、妖怪人間しっとるけ、なんですか~マン、アホちゃいまんねんパ~でんねん等の単なる色物系に過ぎなかった。さらなる強敵「死ね死ね団」http://www.urban.ne.jp/home/ak1go/Rein2.htmlに対抗するためにはインドへ行ってダイバダッダの下で修行をしてレインボーマンにならなければならない。なぜなら、ダイバダッダではなく台場程度でしか修行をしていないであろう財務官僚であれば、不祥事を起こしたときにせいぜい「レ陰謀マン」の土の化身に変身して地中深くもぐることしか出来ないと思われたからだ。
2005年3月16日(水)
ANAのマイレージが余っていたのでマサであれば14~15万くらいかかるところを私はただで入手していた東京-バンコク往復チケットを手にANA953便にて定刻10時20分に成田を出発した。午後3時頃にはB767-300機は着陸体制に入り、眼下を見ると何と空港の敷地内に紫外線対策を施したキャディを従えてクラブを振り回している輩を多数発見してしまった!今までタイ国際空港には夜しか来たことがなかったので気がつかなかったのだが、ここには滑走路と滑走路の間にゴルフ場が展開されており、飛行機の離着陸の騒音に悩まされながらダブルボギーで回ることが出来るのだった!!
バンコクはインド各都市との乗り継ぎ便が多いため、今回はタイ国際航空を利用してデリーを目指すことにした。TG315便、A330機は定刻より少し遅れて午後8時15分頃離陸し、3時間強のフライトで深夜デリーのインディラ・ガーンディー国際空港に到着した。早速空港内の銀行でUS$70を提出するとインドルピー(Rs)2,950になって返ってきたので、札束を握りしめて空港バスに乗ることにした。EATS社というオンボロ系の空港バスが停泊していたので早速乗り込み出発を待っていたのだが、何と客が私以外にいなかったのでおっさんが運行をキャンセルするので他のバスを待てと言いやがった。30分くらいするとDTC(Delhi TransportCorporation)社のバス(Rs50)が現れて今度は多少インド人の乗客も増えていたのでバスは無事に走り出すことになったのだが、空港を出ると深夜にもかかわらずひどい渋滞に巻き込まれてしまったのだ。
20km程度の道のりを1時間半程かかったのであろうか、バスがデリーの中心部のコンノートプレースに到着するとバスを降りて予約しておいた☆☆☆☆☆ホテルであるメトロポリタン・ホテル・ニッコーを探すことにした。暗がりの中地図と方位磁石を頼りに街中をさまよっていると地面に人が寝ていたり、犬が追いかけて来たり、怪しいオートリクシャーの運転手がしきりに客引きしようと迫ってくるので最高レベルの注意をしながらホテル方面に早足で歩いていた。
30~40分くらい歩いているとうまく方向感がつかめてきて、Hotel Nikkoへの道のりを示す道看板も現れてきたので多少安心感が広がったころ思いもつかぬ出来事に遭遇してしまった。とあるインド人のおっさんががしきりに「Where are you going?」と何度も声をかけてきてしつこく付きまとって来たので無視して歩いていると奴はいきなり背後から私の後頭部をはたくという暴挙に出やがった。「早速死ね死ね団の手先の登場か!?」と思い、延髄斬りナマステバージョンで応戦しようかと思ったが、インドに来ていきなり引導を渡すか渡されるかの大立ち回りを演じるにはまだ修行が足りないと思ったのでここは六本木のマハラジャで鍛えたカレーな!?ステップを駆使して攻撃をかわし、一目散に逃げることにした。
何とか死ね死ね団員?の魔の手を逃れてホテルにしけこみ、落ち着いた頃には深夜の2時を回った時間帯であった。いずれにしても深夜のデリーを徘徊することが非常に危険な行為であることが教訓として深く刻み込まれたのであった。
3月17日(木)
朝8時半頃目を覚ますとここデリーは日本との時差が3時間30分という中途半端な時間体制を取っていることに気づかされた。早速ホテルを出て昨夜恐怖を演出した町並みが朝方どのように変化しているかを確認するために昨日通った道筋に沿ってコンノートプレイスを目指した。ホテルから出てほどなくすると何がしかの客引き系の輩が入れ替わり立ち替わり話かけてきて目的地のコンノートプレースではない路地の方向に私を導こうと躍起になっており、1人あたり平均100mはくっついて来たので適当にいなしながら進んで行った。
ニューデリーのヘソと言われ、リング状に繁華街を形成しているコンノートプレースはイギリスの植民地時代の都市計画によって建設されたニューデリーの中心のひとつでここから各方面に放射状に道が伸びているのだ。恐らくインドで最も発展した地域であるのは間違いないのだが、歩行者用の信号が機能していないので道を横断するのにリスクを犯さなければならないのだ。コンノートプレースをぐるっとひと周りしながら落ち着いて地図が見れる人気の少ない場所を探したのだが、あるはずもなかったのでとりあえずホテルに戻り体制と行動計画を仕切りなおすことにした。
強固な城壁とガードマンにより外界から隔離されたホテルのロビーは市内の喧騒とはかけ離れた別天地であるので地図を大きく広げて観光地を物色し、今日はニューデリー市街地の南部方面を散策することにし、気を取り直して民衆の渦の世界に再び舞い戻ることにした。1時間ほど歩いて国立博物館(Rs150)に到着した。ここにはインダス文明から中世、近代にかけての貴重なお宝が数多く展示されているのだが、中でもゴダイゴが喜びそうなガンダーラの仏像やヒンドゥー寺院の彫刻、神像等が目を引いた。国立博物館から東に目をやると高さ42mのインド門が第一次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑としてそびえているので見物しに行ってきた。さらに逆方向の西側の丘の上には大統領官邸が鎮座しており、その近辺には陰謀渦巻くであろう国会議事堂の円形の建物が建ち、一大官庁街を形成していた。
午後4時頃にコンノートプレースに戻り、マクドナルドで遅い昼飯を食うことにしたのだが、ヒンドゥー教徒が仕切っているマックのメニューには牛を殺生して挽肉にしたハンバーガーのメニューはなく、チキン、フィッシュ、べジーやカレー等のオリジナルメニューが幅を利かせていたのでMac Curry Panセット(Rs99)という長方形のナン系の土台にインドカレーが流し込まれた物を発注した。尚、メニュー表で燦然と輝いていたマック・マハラジャ・チキンという代物がビッグ・マックに相当する物であろうと予想された。
インドの街中を歩いていると当然のように民族衣装であるマハリク・マハリタ系のサリーを着こなした女性が闊歩している姿を見かける。私も少しでもインドに溶け込むためにサリーにあやかり、せめてサリパパ(サリーのパパ)ヘアーの寝ぐせをつけるために無意識にホテルのベッドで頭を枕に擦りつけながら奮闘したのだが、成果物は単なるカブの後ろ髪にとどまってしまった。
3月18日(金)
昨日は主に新興のニューデリーを散策させていただいたのだが、今日は恐怖の人間のるつぼと言われるオールドデリーに満を持して足を踏み入れることにした。デリーは言わずと知れたインドの首都であるが、それがニューデリーを指すのか普通のデリーなのか素人には判断が付きにくいものであろう。原住民がオールドデリーと呼ぶ普通のデリーはニューデリーに隣接しており、それらの位置的関係は横浜と新横浜というよりもむしろ大久保と新大久保に近いと思われたのだが、一歩オールドデリーに足を踏み入れると町の雰囲気が一変してしまうのだ。
コンノートプレースのすぐ北側はすでにオールドデリーであり、ニューデリー駅でさえ、オールドデリーの一帯に組み入れられているのだが、そこには無数の人間とオートリクシャー、サイクルリクシャー、野良犬、牛等が交差する一大無法地帯の様相を呈していた。牛の中には荷物引きとしての定職に就いて活躍しているものもいるのだが、多くの牛はフリーターとして道端でだらだらした生活を送っているようで、この地域はほこりと人いきれと牛でマサにモ~モ~とした空気に満ち溢れていた。但し、野良犬にとっては食い物がたくさん落ちているのでワン!ダーランドと言えるのではないだろうか?
オールドデリーを代表する観光地としてRed Fort(赤い砦)と呼ばれるラ-ル・キラー(Rs100)が17世紀のムガル帝国の栄華を偲ばせるような出で立ちで君臨しているので入ってみることにした。赤砂岩で造営された堂々たる城壁の内部は緑の芝生と重厚な建物群のコントラストが美しく、その上、外界から隔離されているので観光地というよりも人込みに揉まれて疲れきった観光客が自分を取り戻すための避難所として有効に機能しているのではないかという気さえした。
ラ-ル・キラーから距離的に近いのだが、人込みをかき分けなければならないので到着するのに時間がかかる場所にジャマー・マスジッドというイスラムのモスクが町を見下ろす高台にそびえているので靴を脱いでお邪魔させていただくことにした。1658年に完成し、インド最大の規模を誇るイスラムのシンボルは赤砂岩と白大理石を配した美しいドームやミナレット(塔)から成り、中庭は2万5000人を収容可能な広さを誇っている。金曜日は集団礼拝の日ということもあり、本堂の前には安物のじゅうたんをはじめとした礼拝体制が敷かれていた。
3月19日(土)
今回のインド入門ツアーの予定としてインド北部の3主要都市の徘徊が組まれていたので、早朝ホテルニッコーをチェックアウトするとインド門にほど近い、ジャイプル行きバスターミナルへ向かった。一昨日下調べをしておいたにも拘らずFTBのコンピューターを狂わすインドの魔術にはまったおかげでバス停の場所を探し出すのに大変手間取り、予定のバスよりも遅い午前11時発のGold Line Volvo(Rs435であるはずなのにRs500取りやがった)に実車することになった。
ところで、インドは暑いのでスポーツはインドア系のものが盛んであると思っていたのだが、バスの待合室では皆インド対パキスタンのクリケットの試合に夢中になっており、広場では大人も貧乏そうな子供もクリケットに興じていた。
エアコン付きの高級バスであるため、外国人観光客と裕福なインド人を乗せたVolvoバスは定刻通りに出発し、デリーから南西へ266km離れた広大なラジャースターン州の州都であるジャイプルを目指した。乾燥した砂漠の州であるラジャースターンの内部に踏み込むにつれてラクダが荷物や建築資材を載せた荷車を引っ張っている光景を頻繁に目にするようになる。バスは途中休憩所での30分程度の停車を含めて6時間余りの時間をかけてジャイプルの中央バススタンドに到着した。
バスを降りるとお決まりのオートリクシャーの客引き攻撃をかわし、持っていた地図を頼りに今日の宿泊地の位置のあたりをつけるために鉄道駅近くの州政府観光局を目指して歩き始めた。デリーよりも整然とした町並みを北に向かって歩いていると思いがけず赤褐色ピンク色の城門を持つ城壁に囲まれた町に行き当たってしまった。とりあえず目的地は北だと思い、さらに進んでいると町中にはおなじみの牛だけでなく、豚、やぎ、にわとりがうごめいており、マサにわくわく動物ランドの様相を目撃してしまったのだ。
地図を慎重に見ながら夕暮れ時のジャイプルの町を縦横無尽に歩き回ったのだが、なかなか目的地を見出すことが出来なかったので仕方なく、近くの高級ホテルで客待ちをしているタクシーに頼ることにした。老人ドライバーにホテル名を告げると彼はすぐにホテルの場所を理解しなかったため、次の順番待ちの怪しげな若者ドライバーが割って入るように私が持っていた地図を覗き込みながら場所の指南を始めた。老人が場所を理解し、古いセダンに乗り込むと横から若者ドライバーがいい土産物屋を知っているので寄っていかないかとか窓を空けてくれたりとかのおせっかいを焼きやがった。私を乗せた老人のタクシーが走り出してしばらくするとホテルまで何分くらいの時間がかかるか調べようと思って左手首にふと目をやるとそこにあるはずのFTB仕様のダブル時間帯高級ウォッチが忽然と姿を消していることに気づいてしまった。そ~か、若者ドライバーもきっと死ね死ね団の一味に違いないと後々から気づかされる羽目に陥ってしまったのだった。
罪のない人の良さげな老人の運転するセダンは器用に人込みを掻き分けて何とか宿泊先であるTrident Hilton Jaipurに到着した。ロビーで観光マップをもらい、私が頼りにしていた地図と見比べてみるとまたしても驚愕する事実に直面してしまった。何と通常は地図の上部は北を示すルールがあるにも拘らず、私が見ていたものは端っこに小さいマークで右方向が北だと示すNマークが付けられており、またしてもインドの魔術に引っかかってしまったような屈辱を味わってしまった。
3月20日(日)
腕時計をスられていたのでバックアップ用に携帯していたコンパクト目覚ましクロックをポケットに忍ばせてホテルをチェックアウトすると昨日訳もわからずさまよい歩いた城壁町である旧市街の中心にリベンジ観光に出ることにした。
世界最大の日時計が設置されたジャンタル・マンタル(Rs50)という1728年に建設された天文台で数多くの天文観測ファシリティを見物した後、今もマハラジャが暮らしていると言われるシティ・パレス(Rs180)に侵入した。この建物は時のマハラジャ、サワーイ・ジャイ・スィン2世により1726年に建立されたもので一部が博物館として公開されている。主な見所はTexitileという展示館でマハラジャ名物であろうお立ち台や羽毛の付いたジュリ扇は無いものの歴代のマハラジャの豪華絢爛な衣装が展示されている。
風の宮殿という異名を持つHama Mahal(Rs5)の彫刻を施したテラスが涼しげにバザールの大通りを見下ろしていたので裏通りから中に入って暑い砂漠の中の清涼剤のような涼しい風を受けるために工事作業員に気を使いながら上まで登り不毛の山に囲まれたジャイプルの町並を眺めた後、通り沿いのバス停から市バス(Rs5)に乗り、ジャイプル随一の観光地であるアンベール城に向かった。
市街地から北東へ11km、インド人と一緒に30分程ブーゲンビリアの花が咲く山道をバスに揺られると荒涼とした丘の上に要塞のような城壁が見えてきた。16世紀にはカチワーハ家の王国(アンベール王国)の首都であったこの地にジャイプルの威信をかけて築城されたアンベール城(Rs50)が建つ丘の上に行くには名物のゾウのタクシーが運行されているのだが、私はゾウの糞を避けながら徒歩で登ることにした。城内の敷地の中にはゾウのターミナルだけでなく、鏡をちりばめた幾何学的な模様の装飾が見事な勝利の間(鏡の間)や美しい庭園、堂々とした門構えのガネーシャ門等が目を引いた。
アンベール城からさらに30分程登った山上に難攻不落のジャイガール要塞(Rs35またはCityPalaceのチケットに含まれる)が構えているので炎天下の中、最後の力を振り絞って登頂することにした。この要塞は1036年に建てられ、アンベール城が完成するまでマハラジャが住んでいたそうだ。好立地条件?のおかげで一度も敵の手に落ちたことがないので非常に保存状態よく残っている。ここに美しい空中庭園があり、ここから見下ろすとアンベール城や市内が一望出来るのだ。また、この近辺にはガン黒系の尾長ザルが集団で生活しており、彼らも景色を見ながらサルとしての人生を考えているようであった。
美しいジャイプルの観光を終えると予約しておいた高級ホテルであるRajputana Palace Sheratonに引き払い、バイキングで提供されるインド料理を食いながらマハラジャの雰囲気に浸り、乾燥した夜を過ごすことにした。
3月21日(月)
外界から隔離された別天地のSheratonホテルをチェックアウトすると中央バススタンドにて9:30発のアグラ行きエアコンなし、デラックスバス(Rs125)に乗り込み、インド北部3都市トライアングルツアーの最後の目的地であるアグラを目指した。ジャイプル-アグラ間のバス路線は総じて片道一車線の田舎道でバスはトラックやトラクターやラクダを追い越しながら進み、時には将来マトンカレーの材料になるであろう羊の群れに行き先を遮られもした。6時間半ほどの時間をかけてバスはアグラのイートガー・バススタンドに到着したころには全開した窓から入ってくるほこりでそれなりに体中が汚れていることに気づいた。
バスを降りた際のお決まりの客引き攻撃はうまくかわしたものの、道行くヘビ使いが「俺の技を見ろ!」と言わんばかりにコブラの首を持って追いかけてきたのでコブラツイストで応戦するわけにもいかず、そのままロープに飛んだ勢いで逃げることにした。アグラの町並みを見ながら約7kmくらいの道のりを1時間ほどかけて宿泊先のTrident Hilton Agraに到着し、とりあえず最終目的地のアグラに着いてほっとしたので今夜は梓みちよの「二人でお酒を」http://norimitsu.cool.ne.jp/uta/hutarideosake.htmlの2番をあぐらをかきながら歌ってくつろぐことにした。
3月22日(火)
マサよ、君は世界で最も美しい建築物であるタージ・マハルの迫力にタジ、タジになったことがあるか!?
ということで、今回のツアーのハイライトとも言えるタージ・マハル(Rs250 + Rs500 for ADAチケット、いわゆるインド考古学局へのみかじめ料)をついにこの目で見ることに成功した。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃のために22年の歳月をかけて建立した白大理石の世界一豪華な墓であるタージ・マハル(世界文化遺産)はアグラの青空の下で圧倒的な存在感を示していた。その美しいシルエットを見るために世界各国から観光客が殺到し、皆裸足で大理石の上を歩いて足の裏から頭の先まで感動に浸っているようだった。尚、シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に自らの墓として黒いタージを建立してタージ・マハルと橋でつなぐという壮大な野望を持っていたそうであるが、自分の地位を狙うバカ息子に拉致されて叶わぬ夢となったといわれている。
タージ・マハルから2km程北西のヤムナー川の河岸に1565年に建立されたアグラ城(Rs250)がムガル帝国の権力を誇示するかのようにその赤砂岩の城郭をそびえたたせている。城の内部には当然のごとく宮殿や謁見の間や庭園等のすばらしいファシリティがあるのだが、シャー・ジャハーンがバカ息子に幽閉された塔(囚われの塔)からはタージ・マハルの姿を眺めることが出来るので観光客は「なんでわいがこんなめに遭わなあかんねん?」とシャー・ジャハーンの気持ちを代弁することも出来るのだ。
今回はスケジュールの都合で訪問できなかったのだが、アグラ近郊にファテープル・スィークリーという壮大な都城の遺跡がある。ここは莫大な金で築城したにもかかわらず、水不足が原因でわずか14年後に立ち去らなければならなかったという事情を持っており、中世インド版厚生年金基金の掛け金で建てた箱物の廃墟の様相を呈しているはずで今後社会保険庁の慰安旅行の目的地として役人は「ほれ見たことか!」と皆癒されに来ることが予想されよう。
3月23日(水)
早朝よりホテルからオートリクシャーでイードガー・バススタンドに移動し、そこからデラックスバスではない普通バス(Rs110)でデリーへの帰路につくことにした。川べりで連れ野グソをしている老人と少年等ののどかな光景を見ながらバスはより整備の進んだアグラ-デリー間の道路をこれまでよりも少ない数のクラクションを鳴らしながら疾走した。
普通バスの硬いシートにケツが馴染んできた6時間後くらいにバスはデリーに到着した。バスターミナルの近くにフマユーン廟(Rs250、世界文化遺産)という皇帝の墓が君臨していたので立ち寄ることにした。1565年に建立されたこのファシリティは庭園の中に廟を置く形式で、後に影響を受けて建てられたタージ・マハルのモデルとなったイスラーム建築の傑作である。
再びオールドデリーの喧騒の中に舞い戻ってきた。通常の都会であれば車で道が渋滞しているのであるが、ここでは人間とリクシャーと牛等で身動きが取れなくなってしまうという恐ろしい状況を体験することが出来た。小腹が減ったのでコンノートプレースのマクドナルドに寄ることにした。ここで野蛮な肉食獣に無理やり連れてこられた羊系のベジタリアンが食うに困らないために編み出されたメニューであるマックべジーを賞味させていただいたのだが、カレーコロッケ風で以外にも美味だったのだ!
3月24日(木)
深夜0:05発のタイ国際航空TG316便のチェックインをしている最中に実はインドの魔術により、搭乗日を一日間違えてしまったことが発覚した。すでに修行を積んでいる私はカウンターですっとぼけてまんまとこの日の便に潜り込むことに成功した。金に関することはマサに黄金の化身に変身して解決すれば良いだけの話であった。
早朝6時前にはバンコクに到着してしまった。成田行きの便の出発は夜になるので時間は有り余っているのだが、今回はタイに入国せずにタイ国際空港内で生きることにした。タイ国際航空の乗換えカウンターの近くにDay Room Serviceという空港内時間制ホテルサービスがあったので2,100バーツの支払いで6時間使用させていただくことにした。このファシリティにはベッド、テレビ、シャワーや飲み物が完備されており、深夜タイ空港に着いて翌朝早く出発する際には非常に有用であると思われた。
ANAの乗り継ぎカウンターで何とか便の調整をつけて頂き、空港内のマッサージ屋で握力の弱いおね~ちゃんに足裏をぐりぐりしてもらった後、22:25発ANA954便にて帰国、翌早朝流れ解散。
インドで引導を渡されないための有用な情報
*インドの季節について
インドには3つの季節があると言われている。それはHot!, Hotter!!, Hottest!!!だ。従って素人は11月~2月の冬に訪れるとよいだろう。
*インドの高級ホテル
財務省の出先機関である金融庁の陰謀ゼロ金利政策により銀行預金が意味のないものになっているのでHSBCインドオープンhttp://www.rakuten-sec.co.jp/ITS/topinfo/HSBC_20050207.htmlに投資している私は多少インドに金を落とすために今回は高級系のホテルに滞在してやったわけだが、城壁に囲まれた高級ホテルの中央にはプールとデッキチェアがあり、暑いインドでもスイミングと睡眠が同時に出来るようになっていることが確認出来た。
*インドの路上食い物屋について
インドのバザールでカットフルーツや生ジュース、揚げ物やカレーが群がるハエの中で売られているのだが、今回それらの食い物には決して手を出さなかった。なぜならコンピュータとモデムを使って通信を開始した時のようにお腹がピ~ひゃら状態になることを恐れたためだ。
*インドの路上トイレ
路上にトイレはある。しかしそれは男性用に限られ、かなりオープンな環境になっているので不幸にも不意にモデム通信が開始されてしまった場合は近辺のホテルか観光用のファシリティに駆け込むしかないのだ。
*インドで人間不信にならないために
インドでは観光客と見るとお金をごまかしたり、だまそうとする輩が次から次に襲い掛かってくる。隙をつくらないためにうそでも良いので何か目的を持って行動すべきである。私の場合は「ダイバーの友達のダイバダッダに台場でバーターする約束をしているので、てめ~の相手はしてられね~ぜ」というオーラを発して未然に危機を防いでいたのだ。
*インドの魅力について
とはいってもみんななりふり構わず一生懸命生きている姿に好感が持て、マサに人間の原点を取り戻すために皆インドを目指すという図式が出来上がっているようだ。
FTBサマリー
総飛行機代 ¥6,240(ANA税金) + ¥65,210(タイ国際航空)
総宿泊費 Rs33,499.27 + US$186.90 +2,100バーツ
総バス代 Rs755 (Rs1 = \2.6くらい)
総タクシー代 Rs300
総オートリクシャー代 Rs100
総インドビザ代 ¥1,200
協力 ANA、タイ国際空港、HiltonHHonors、Starwoodhotels、Delhi Transport Corporation他インドバス会社
非協力 ETAS社