FTBSEA逆ジャパ行きツアー in マニラ

昨年のワット驚くアンコールワットより恒例となった年度末の東南アジアツアーの目的地として総統選挙でそ~と~盛り上がった台湾よりさらに南のフィリピンの首都マニラが晴れて選出された。アルカイダによるテロに脅える日本よりもさらに治安が悪化しているフィリピンの都市部をあえて選んだのは実はまだ行ったことがなかったからに他ならない!

3月26日(金)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば10万くらいかかるところを私はただで入手していたマニラ行きの往復航空券を手に颯爽と成田空港第二ターミナルのJALのカウンターでチェックインを行うと、私が通常搭乗するANAの便では見たこともないような大きな数の座席番号を手にしてしまった。午後6時頃にJL745便、B747-SR機に搭乗すると機内はルビー・モレノを彷彿とさせるジャパ行き風の出稼ぎ里帰り系フィリピーナが英語、タガログ語、カタカナ日本語等でお互いの意思の疎通を図っていた。

南国フィリピンの首都であるマニラのニノイ・アキノ国際空港に登場したのは午後10時を回った時間であった。入国審査を経て空港の外に出ると月はどっちに出ている(http://www.inagawamotoko.com/tarebox/tare-01/rubi.html)かを確認する暇もなく、クーポンタクシーの客引きのおやじに捕まってしまった。深夜便の到着で空港からマニラのダウンタウンに向かう途中で強盗に遭うケースが増えているので気をつけやがれという外務省の通達をしっかり守るために割高のクーポンタクシー(450ペソ)であらかじめ予約しておいた高級ホテルであるマンダリンオリエンタルに引き払うと今日はホテル内のフィリピンバーに繰り出すすべもなく、とっととフテ寝を決め込むことにした。

3月27日(土)

マニラというと貧困と混沌、退廃と危険というイメージが強いのかも知れないが、今回私が宿泊しているマカティはメトロ・マニラの経済と商業の中心であり、数多くの高層ビルと超高級ホテルが林立している比較的安全な地区である。年間平均気温が25℃を楽に越え、なおかつ毎日のようにヒートアイランド現象を起こしてしまいそうなマカティを歩いていると目が回って来たので間違いなく冷房が効いているフィリピン最大のショッピング・センターであるランドマークやグロリエッタ等で涼を取ることにした。数多くのブランド品が軒を連ねるショッピングセンターであるが、さすがに貧しい国だけあって日本の2分の1から3分の1で物品の購入や飲み食いが出来ることが確認出来た。

グロリエッタからインターコンチネンタルホテルを超えるとMRTのアヤラ駅がある。自動販売機が発達していないので窓口でチケットを買い、自動改札機を抜けてキンキンに冷房が効いているMRTの車両でケソンへ向かった。第二次世界大戦後しばらくケソンはフィリピンの首都として君臨していたのだが、その後周辺の17の市や町が統合され、メトロ・マニラが誕生してしまったので現在ケソンはその一部分と成り下がっているのだ。

ケソン・アベニュー駅で下車してアベニュー沿いに2km程進むと市民の憩いの場所となっているケソン・メモリアル・サークルに行き当たる。その中央に初代大統領のマニュエル・ケソンを記念して建てられたケソン・メモリアル・モニュメントがそびえている。公園内では間違いなく30℃を越す暑さの中で元気に遊びまわっている親子連れや日射病、熱中症状態でベンチや芝生に横たわっている虚弱現地人等をウォッチング出来るようになっている。

ケソン・メモリアル・サークルに隣接する形でニノイ・アキノ公園(8ペソ)が存在していたので入ってみることにした。園内に入るといきなり歯を見せて笑っているベニグノ(ニノイ)・アキノの銅像に遭遇するシステムになったいるのだが、ここでは判官びいきのフィリピン国民が不正蓄財にいそしんだマルコスよりも暗殺されて英雄になったアキノ氏を溺愛している様子を嫌がおうにも実感させられてしまうのだ。尚、園内には野生動物救助センターも併設されており、ここは鳥類や哺乳類や大蛇やワニを救済するどころか狭い檻に閉じ込めて虐待しているのではないかと思われるほど普通の動物園状態であった。

3月28日(日)

高架鉄道のMRTとLRTを乗り継いでメトロ・マニラの中心であるマニラ地区に向かう車窓から飛び込んでくる景色は都会的な高層ビルと疲弊したバラックの集合住宅等であった。マニラ地区で最強の観光地となっている場所は16世紀にスペイン人がフィリピン統治の根城とした城塞都市であるイントラムロスである。周囲を城壁で囲まれているイントラムロスの中央にカトリック教徒の多いフィリピンで最も重要な教会とされているマニラ大聖堂がそびえていたので侵入してみると中で結婚式が行われていたので成り行きで新郎新婦を見守り、且つ小銭の寄付までさせられてしまった。

イントラムロスの最北部にパッシグ川というマニラ湾に注ぐドブ川系の汚染された川が流れており、そこに面した形でサンチャゴ要塞(40ペソ)が位置していた。サンチャゴ要塞はかつてのこの城塞都市の中で、戦略上最も重要な場所としての役割を果たしていたそうで第二次世界大戦中に日本軍が占領している間に多くのフィリピン人が命を失った所でもある。この中にフィリピンの国民的英雄であるホセ・リサールの記念館があるので見学させていただくことにした。リサールは医者、詩人、小説家等、私と同様に多彩な才能を誇っており、剣よりも強いとされているペンの力でスペイン支配の偽善性をついた小説を執筆したものの結局迫害に会い、ここサンチャゴで銃殺されてしまったという。ただし、彼の処刑は民衆による反政府運動に火をつけ、それはフィリピン全土に広がっていったそうで、英雄としての彼の業績を讃えるためにこの地にリサール像と記念館が残されているのである。

ユネスコ世界遺産にも指定されている16世紀に建立されたフィリピン石造建築のなかで最も古い教会であるサン・オウガスチン教会に入ってみると、なんとここでも結婚式が催されていたので何とか寄付を免れるべく、適当に壁画や祭壇を鑑賞してとっとと撤収することにした。

3月29日(月)

熱帯性気候が醸し出す暑さと湿気に耐えられず午後2時20分発のJL744便にてジャパ行きの人となる。

マニア垂涎のマニラ情報

*フィリピン最強の路線を持ち、かつ最もコストパフォーマンスの高い公共交通機関としてジプニーが君臨している。ジプニーは米軍の使っていたジープを15人ほど乗れる乗り合いバスに改造したもので乗り降りに関してはかなりフレキシブルであるが、止めるときはある程度命をかけなければならないだろう。尚、3月29日(月)付けまにら新聞ではジプニー運賃値上げをめぐって、業界団体の「全国運転手運行者組合」がストを実施する構え  であることが報じられていた。

*現在マニラでもっともホットな犯罪は睡眠薬強盗である。これは薬局から睡眠薬を盗む強盗ではなく、観光客をたぶらかして食事に誘い、飲み物や食い物の中に睡眠薬を混入させてバク睡状態に陥ったころを見計らって金品を盗むという財務省系の先行投資型接待式の高等犯罪だと言えよう。

*若王子元三井物産支店長誘拐事件(http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200301/26/20030127k0000m040079000c.html)に代表されるようにマニラでは治安がよくないので注意しなければならないのだが、街中のここかしこで武装した警官が張り込んでおり、ホテルやショッピングセンターの建物や空港に入るときには金属探知つき手荷物検査が厳しく実施されるのでスカスカ警備の日本よりも却って安全であるのかも知れない。

*毎朝食卓で”フィリピン”が読める日刊まにら新聞が私が宿泊しているホテルの部屋に届けられていた。この新聞にはフィリピンの情報だけではなく、日本の記事も載っており、また、飲み食い屋やフィリピンパブの情報も豊富なので便利な情報源となっているのだ。

*まにら新聞によるとフィリピンのルバング島で発見された元日本兵である小野田寛郎が帰還して30年になるというではないか!日本では英雄扱いされた小野田氏も現地では原住民を襲った悪者として復讐さえも考えているフィリピン人が多いことを決して忘れてはいけないのだ!

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,760(税金のみ)

総空港使用料 P550(1ペソ=約¥2)

総宿泊費 P17,439.56

総タクシー代 P1,000

総MRT代 P53.-

総LRT代 P30.-

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