マサよ、君はかつて「俺たちひょうきん族」で幅を効かせていたお笑い芸人であるウガンダ(http://yakitoriugachan05.hp.infoseek.co.jp/)が先日病で永遠の眠りにつき、その追悼のためにわざわざウガンダまで足を運ばなければならないという義侠心に駆られたことがあるか!?
というわけで、伊丹幸雄(http://supercools.fc2web.com/itami.html)のホラ貝の音色に引き寄せられるかのようにタケチャンマンははるか東アフリカの台地まで飛行機を飛ばして行かなければならなくなってしまったのだが、そこにはブラックデビルのような数多くの霊長類の恐怖が待ち受けているのであった。
2008年8月9日(土)
18時40分発のNH911便にて香港に22時20分に到着し、南アフリカ航空SA287便に乗り換えて13時間にも及ぶ深夜の長旅が始まった。
8月10日(日)
早朝6時30分頃ヨハネスブルグのO.R.タンボ国際空港に到着し、6時間もの長時間を空港でやり過ごした後、午後2時発のSA160便に乗り換え、さらに4時間のフライトでウガンダのエンテベ空港に到着したのは午後7時を過ぎた時間であった。空港で$50を支払ってウガンダ入国のビザを取得し、タクシーでウガンダの首都カンパラの中心地にさらに40分程かけてやってきた。スターウッドのポイントが余っていたのでマサであれば$200くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るシェラトンホテルにチェックインするとビュッフェディナーで空腹を満たした後、念願のベッドでの睡眠となった。
8月11日(月)
早朝7時に今回の現地ツアーのアレンジを任せておいたGreenleafツアーが日程の説明兼ピックアップにやってきたので適当に説明を聞いてガイドのクレアが運転するサファリカーに乗り込みカンパラを後にすることになった。大都会カンパラを一歩出ると道路の舗装状態が極端に悪化し、あちこちにあいている陥没をかわしながら車はウガンダ西部のコンゴとの国境付近に向かった。
6時間程のドライブでウガンダでチンバンジーの生息密度が最も高いと言われているキバレ国立公園に到着した。園内のヘッドクオーターの食堂で多少ぼったくり系のランチセットを食った後、ガイドの先導でチンパンジートラッキングがスタートした。日本の森林公園と見間違えるようなスタンダード系の森に入り、草木を分け入っているとわずか20分くらいで木の上でフィールドアスレチックをやっているチンパンジーに遭遇した。その後地面でくつろいでいるチンパンジーの群れを見つけ、ガイドの指示により絶妙の距離感を保ちながら野生のチンバンジーをじっくり観察することに成功した。
1時間程チンパンジーの生態を研究していると激しい雨が降ってきたのでやむなく撤収し、公園を後にすると今日の宿泊先であるクレーター・バレー・キバレへと非難した。CVKで名の通ったこのロッジの目の前には昔の火山活動によって形成されたクレーター湖が広がっており、レッドテールモンキーをはじめとする野生動物も元気に飛び跳ねていた。夜になるとロッジの女主人が手塩にかけたビーフシチューに舌鼓を打ち、夕食後は即席キャンプファイヤーの前でガイドとウガンダの歴史を語り、かつ冥福を祈りながら静かに過ごしていた。
8月12日(火)
早朝CVKを後にすると、かつてこの地を牛耳り、強大な王国を作ったトロ王国の首都が置かれていたフォート・ポータルに向かった。高台に君臨する建物に向かって車を走らせていると次第に脂の乗ったマグロの最高級の鮨ねたの感覚を覚えた。すると目の前に最近新築されたトロ王国の新宮殿が姿を現したのだが、あいにく武装した警備員に今日はガイドがいないので見学出来ないと言われ、セリが終わった後に築地に魚を仕入れに来たような屈辱感を味わされたのだった。
最高級の鮨ねたは逃したものの、気を取り直して東アフリカで最も多様性のある環境保護を誇っているクイーン・エリザベス国立公園に向かった。途中の道のりで♪ドキッ、ドキッ、♪という鼓動と♪思考回路はショート、燃え尽きそうなヒューズ♪の状態に陥った時、目の前にEQUATORという文字をあしらったまあるいオブジェが姿を現した。そ~か、マサにここが地球を南北に二分する赤道であるにもかかわらず、赤い線が引かれていないということは、♪恋はあつあつ亜熱帯♪と歌いながら布袋寅泰との結婚生活に短期間でピリオドを打った山下久美子(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E4%B9%85%E7%BE%8E%E5%AD%90)も赤い糸で結ばれてなかったのだと納得しながら、EQUATORにぶら下がっている日焼けした赤道小町を眺めていた。
午後のゲームドライブでは主にベジタリアン系の動物をウオッチしながらビタミンCを仮想的に吸収し、目の前で草を食んでいる角の長い牛の肉の消化吸収の一助になればと思いながら、4時前には宿泊先のヒッポ・ヒル・キャンプ・カトゥエに到着した。ここはヒッポ・ヒルの名の通りクレーター湖を見下ろす小高い丘の上を根城をしており、時折カバも訪れるということであったが、夕食にはカバの蒲焼が供されることはなかったのだ。
8月13日(水)
夜明け前の午前6時半よりゲームドライブをスタートさせるとあいかわらずイボイノシシ、アンテロープ、ウォーターバックといった単調なヘルシー系の動物のウォッチングで時間が過ぎて行った。ふとサファリ・カーが集結しているポイントに目を奪われ、脱兎のごとくそこに参加するとブッシュの奥でシャイなライオンがこちらを伺うように佇んでいる姿が発見されたのだった。また別の場所ではジャイアントモリイノシシが鋭い牙とブタ鼻で威嚇するようにすごんでいた。
クイーン・エリザベス国立公園にはエドワード湖とジョージ湖という二つの大きな湖があり、それらがカジンガ運河という細めの水路で結ばれており、そこをボートで往復しながら動物見物をするというボートサファリがこの公園のハイライトになっている。午後4時発のボートに乗り込むとここでボ~とした2時間を過ごさなければならないのかと思っていたが、そこには想像を絶する動物模様が繰り広げられていたのだった。
救命胴衣を身にまとった観光客を満載したボートが出航し、岸べりを航行しているとおびただしい数の動物が水浴びをしている姿を垣間見ることが出来る。ここで確認された生態はカバとバッファローは混浴仲間であり鳥を背中に乗せながら仲良く♪ババンバ バン バン バン♪状態を共有して平和に過ごしていることだった。
マサよ、君は象が目の前で泳いでいる姿を見てゾ~として目が泳いでしまったことがあるか!?
ということで、ここでは日中の暑さを避けるためにおびただしい数のアフリカ象が水浴びおよび象かきで泳いでいる姿を瞼とデジカメのメモリーに焼き付けることが出来るのである。
ボートは運河を往復し、漁民の集落が点在する地域を航行すると近くにダンディーなクロコダイルが潜んでいるリスクを省みず、少年たちは湖ではしゃぎ泳いでいた。また、漁民は各自の船で漁に繰り出し、それを日通系のペリカンやアフリカハゲコウが興味ないふりで見守っていた。
8月14日(木)
夜中の3時過ぎにキャンプの敷地内やテントの周辺を練り歩くようなミシミシという謎の足音で悩まされ熟睡することが出来なかった。宿泊責任者にその足音の実態を尋ねると案の定15頭ほどのカバがおいしい草をたべにわざわざここまで遠征に来られたということであった。尚、カバは夜行性で夜中に草を食べるため数キロもの道のりを歩き、走れば以外に早いという生態がすでにこの目で確認されていたのだった。
眠い目をこすりながら早朝ゲームドライブを開始するとキャンプから地元の湖に戻るカバの集団に遭遇した。サバンナ地帯に入り、昨日ライオンを発見したブッシュ近くで同じメスライオンを発見した。さらに2頭のカブを連れたメスライオンがサファリカーから子供を守るようなしぐさでカメラに向かってポーズを取ってくれた。
マサよ、君は象のパレードに道をふさがれ、その迫力にたじろぎ固まったことがあるか!?
早朝ゲームドライブを終えてキャンプに戻る途中で道端から1頭の象が姿を現した。今となっては象も珍しくなくなったので軽く記念写真を撮ってあげてやりすごそうと思っていたところ、草葉の陰から次から次に老若男女の象が大挙して出現し一気に道路を埋め尽くしてしまった。アンカーの象が道を通り過ぎ集団が湖に去って行ったのを確認した後、正気を取り戻して再びキャンプへの帰路を急ぐことにした。
キャンプの手前の原住民の居住地では子供が旅行者に手を振ってくれるシステムになっていたので軽く記念写真を撮り、その出来栄えを見せ付けた後チェックアウトし、次の旅程へと移動することにした。その道すがら道端で巨大なヘビとトカゲの死体を弄んでいる学童達がいた。聞くところによるとウガンダの人は毒を持つ爬虫類が嫌いでそれらが繁栄しないように死んだ後も徹底的に痛めつける行動形態があるとのことであった。
大いなる驚異と感動とやすらぎを与えてくれたクイーン・エリザベス国立公園を後にすると、グレート・リフト・バレーという大地溝帯を見下ろす山間に向かって車を走らせた。午後3時過ぎに今日の宿泊先であるキチュワンバのカタラ・ロッジに到着し、部屋に電気を通していないためランプの灯火で自然の音に耳を傾けながら蚊帳を吊ったベッドの中ですでに蚊に食われた手足を掻き毟り、マラリアの恐怖におびえながら夜を明かした。
8月15日(金)
カリンズ森林という世界でも類まれなアクセス環境の良いチンパンジーの観察に適した森林保護区を訪問させていただいた。ここはエコツーリズムを実践するために日本の援助も受けており、日本人の研究者も長期滞在してチンパンジーの生態解明に一役買っているのだ。
午前8時より早速チンパンジー・トラッキングを開始し、鬱蒼とした森に入って行った。キバレ国立公園内の森よりも起伏が激しいためか歩き始めて40分経っても動物の姿さえ発見することが出来なかったのでこの森で目にする霊長類は先導するガイドだけではないかという不安に苛まれたものの、先に森に入ってチンパンジーの居所を見つけてくれている先行隊からの携帯電話による誘導により9時ごろにはチンパンジーの鳴き声がけたたましいスポットに到着することが出来たのだった。
川口と名乗る青年海外協力隊によりウガンダのエコツーリズムのミッションで派遣されている横浜の動物園のインド象飼育担当係の説明に耳を傾けながら、チンパンジーの生態に関して詳細に理解することに成功したのだが、彼が私にウガンダを旅行先に選んだ理由を尋ねたとき、決してお笑い芸人のウガンダの追悼のため、お盆のこの時期を選んだやって来たのだという事実を告げることが出来なかったため、無邪気な動物好きを演じながらトラッキングは正午まで続けられた。
森の中ではチンパンジーが草木や枝を使ってこしらえたシングルベッドや高い木の上で細い枝を伝い起用に移動しながら木の実を探している行動形態を十分に観察することが出来た。また、森の中には他に6種類の霊長類も生息しており、そのなかでシロクロコロブスというロンゲの美しい猿は集団で姿を現し、チンパンジーに捕食される恐怖に怯えながらもその神々しい姿をさらけ出してくれたのだった。
川口氏に来年の3月迄の任期をまっとうするように励ました後、カリンズ森林を後にし、400km以上離れたカンパラへの帰路に着いた。道路のアスファルトはあいかわらず所々に陥没が見られるもののガイドのクレアは構わずにサファリカーをハイスピードで転がしていた。すると途中でけたたましい警告音とともに右前輪部から白煙が上がってきた。丁度町中にいたため、どこからか探してきた自動車整備工の若者に症状を確認させたところ、ブレーキパッドが破損し、ブレーキオイルが漏れるという重大な故障が確認された。
何とかブレーキの故障箇所を交換し、ブレーキオイルを充填すると車は何事もなかったように走り始めた。しかし、そこから200kmくらい走ったところであったろうか、突然車からパンクのような大きな破裂音が聞こえたため足回りをチェックしたのだが異常が見られなかったため再び走り出すと突然車はパワーを失い路肩への停車を余儀なくされてしまった。車内に充満する異臭の元を特定するために助手席の座席の下のエンジンを確認するとそこから黒い煙がもくもくと湧き上がってきやがった。
狼狽したクレアは本社に携帯で連絡を取り、道行く子供を小銭で買収して水を汲みに行かせるなど緊急対応を取っていたのだが、最終的に車を放棄して5km離れた最寄の町まで移動して、本社からの助けを待つという決断が下された。この5kmを移動する手段としてヒッチハイクが試みられたのだが、首尾よく荷台に小ぶりのスイカを満載したトラックが止まってくれたので♪ドナドナドナ ド~ナ~♪状態でスイカを一玉たりとも潰さないようにケアーしながら町に到着したのであった。
結局カンパラへの到着が予定より3時間以上遅れて午後10時過ぎになり、ツアー会社の和田氏に夜食をご馳走になりながら、今回の旅行の感想を語ることとなった。確かに何度かのトラブルに見舞われたのだが、ウガンダという国は困っている人がいると必ず誰かが助けてくれるという国民性を十分に理解出来たので不思議と不安に陥ることはなかったぜとリップサービスをしておいてやった。
8月16日(土)
再びただで宿泊したシェラトンホテルを5時間程度の滞在でチェックアウトすると早朝4時半にエンテペ空港に向かった。午前7時30分発のSA161便でヨハネスブルグに戻り、さらに6時間後に香港への機上の人となる。
8月17日(日)
午後12時過ぎに香港に到着し、引き続き午後3時10分発のNH910便にてビジネスクラスのアップグレードを受け、ウガンダに感謝しながら帰国し、そのまま川の流れのように流れ解散。
FTBサマリー
総飛行機代 ANA = ¥44,250 南アフリカ航空 = ¥198,700
総シェラトンホテル宿泊費 ただ
総ウガンダ旅行代 $1,950
総ウガンダビザ代 $50
総タクシー代、空港シャトル代 Ush 90,600 ($1 = Ush 1,530)
協力 ANA、南アフリカ航空、STARWOOD、Greenleaf Tourist(http://www.green.co.ug/index.jp.html)