ジャンボ~ マサよ!
ということで、2007年の1月に南アフリカ共和国の誇るクルーガー国立公園にてFTB史上初のサファリツアーを敢行したことは記憶に新しい快挙であるのだが、当時はベジタリアン系の動物にしか遭遇出来ず、ライオンと一緒にライオンハートを合唱することさえままならなかった。今回はそのリベンジを果たすべくサファリの殿堂ケニアに乗り込み、勇猛果敢なマサイ族の狩猟技術を参考にし、財務省のマサを盾に取りながら国民からの非難の矢をかわす技術を習得するために立ち上がったのだ。
2007年12月27日(木)
午後5時25分発のNH901便シンガポール行きに搭乗すべくANAのカウンターを訪れるとお約束通りにエコノミークラスが満席のため、ビジネスクラスへのアップグレードの権利を得ると7時間の快適なフライトで深夜12時前にはシンガポール、チャンギ国際空港に到着した。
12月28日(金)
草木も眠る丑三つ時である午前2時半にシンガポール航空SQ478便ヨハネスブルグ行きに搭乗すると9時間程の長時間フライトでヨハネスブルグ、ORタンボ国際空港に到着した。ここからさらに南アフリカ航空SA182便ナイロビ行きに午前9時50分に乗り込むと4時間のフライトでナイロビ、ジョモ・ケニヤッタ国際空港に午後3時過ぎに到着した。
マサよ、君は「地球の歩き方」でさえ、決して歩いてはいけないという危険地帯に果敢にも足を踏み入れたことがあるか!?
というわけで、ケニアの首都ナイロビは昨今治安の悪化が著しく、ジャンボ~!と言いながら乱暴なことをする不貞の輩が多いと聞いていたので今回のツアーではあらかじめすべての旅程をDoDoWorldという日本人経営の旅行会社にまかせていた。空港に迎えに来ていたDoDoWorldの送迎車に乗り込むと自分で予約しておいたHilton Nairobiまで送っていただき、日本を発ってから30数時間後にとうとうベッドに体を横たえることと相成った。
12月29日(土)
午前8時にダニエルと名乗るDoDoWorldのドライバーがワンボックスサファリカーで迎えに来てくれたので早速実車するとケニアの代表的な国立公園の1つであるアンボセリ国立公園へ向かった。長時間のドライブのため、途中休憩所兼土産物屋に寄ったのだが、そこの店員であろう若人は物品を押し売りする気配もなかったのでしばらく雑談に花を咲かせていた。彼はケニアに来てもう動物は見たのかい?と聞いてきたので、ここに来る道すがらすでに牛、ヤギ、ロバは見てきたぜ!と答えておいた。
サファリカーがナマンガという町のタンザニアとの国境ゲート近くに差し掛かるとそこから道はオフロードになり、4WDのポテンシャルがいかんなく発揮されることとなった。アンボセリ国立公園のゲートに到着すると数台のサファリカーが入場のための列をなしていた。その間土産物売りの原住民が車の窓にへばりついてきて盛んに実はMade in Chinaかも知れないハンドクラフト品を彼らの言い値で売りつけようと躍起になっていた。公園のゲートを抜けるとそこから先は砂嵐舞い上がる不毛な世界が広がっており、わずか数頭の草食動物がたそがれながら歩いていた。やがて車は広大なサバンナに突入し、見渡す限り平坦な台地に芝生に毛が生えたような草が生い茂っている景色となった。
午後1時前にアンボセリの宿泊先であるソパ・ロッジにチェックインするとビュッフェタイプの昼食で空腹を満たした後、3時半より念願のゲームドライブがスタートした。ワンボックスタイプのサファリカーは屋根を上に押し上げてサイドをオープンにすることが出来るので立ち姿で動物観察に励むことが出来るような構造になっている。とある高い木が繁茂している地域に差し掛かるとふと「ホームレス中学生」を著してベストセラー作家となった漫才師の感覚を覚えさせられた。すると目の前にはギザギザ模様を持つマサイキリンが葉っぱを引きちぎりながら咀嚼している姿が飛び込んできた。
今日は3時間ほどゲームドライブを楽しませていただいたのだが、今日の収穫はサバンナをマサに我が物顔で集団行動しているおびただしい数のアフリカ象であった。また、アンボセリの展望台としてオブザーベーション・ヒルが盛り上がっており、公園内で唯一徒歩で外に出られる場所となっているのでそこから園内の遠景を見渡すことが出来たのであった。本日のサファリが終了し、夕食を終えた頃にはあたりは漆黒の闇夜となっていた。空にはこれでもかと言うほどの満天の星が今にも降ってくるかのように輝いていた。
12月30日(日)
アンボセリはキリマンジャロの山麓の北に広がる原野であり、アーネスト・へミングウエイがハンティングを楽しみ、「キリマンジャロの雪」を執筆した場所として名を馳せている。尚、キリマンジャロがその勇姿を現すのは雲のない早朝の時間に限られているため、午前6時にはいそいそと起き出してロッジの敷地内のビューポイントに向かった。そこには万年雪を抱いた標高5,895mのキリマンジャロが朝日に輝いており、キリマンジャロブレンドであるはずのコーヒーを飲みながら、その霊験あらたかな姿に思わず合掌してしまったのだった。
午前8時より2日目のサファリの開始となった。本日の最大のハイライトは昨日見つけることが出来なかった百獣の王をこの目にしかと焼き付けることに他ならない。通常であればアンボセリでは水場近辺で容易にライオンを見つけることは可能であるとのことであったが何故か今回はなかなか姿を現そうとはしないのだ。サバンナを遠巻きに眺めていると何とか仰向けでだらしなく片足を上げた不貞寝雄ライオンを辛うじて発見出来たにとどまった。それ以外は相変わらずのバッファローや象の集団に遭遇するのが関の山であった。
マサよ、君はサファリパークではお目にかかることは出来ない野生のライオンを至近距離で目撃したことがあるか!?
ということで、ドライバーのダニエルが5.0以上であるはずの脅威の視力でついにブッシュに隠れているライオンを見つけ出した。早速接近遭遇を試みるべく車をライオンの目と鼻の先に横付けにしていただいたのだが、ライオンは全く動じることなくその場で車の挙動を見やっているだけであった。この好機を捕らえてライオンハートを大合唱しようとしたのだが、メンバーがメス2頭とオス1頭だけであったので5人組のSMAPを形成することが出来ずに断念したのだった。
公園内の1等地に君臨しているアンボセナ・セレナロッジで昼飯を食った後、マサと何らかの血縁関係があってほしいマサイ族の集落を見学するプランも考えられたのだが、マサイ族と堅気のケニア人の見分けがつかないためにプライドの高いマサイ族から槍を投げられるのを恐れて断念した。その代わりに早々とロッジに戻り、プールサイドのデッキチェアに横たわりながらいかりや長介とアダモステの幻影でお茶を濁しておいた。
12月31日(月)
今日は朝からどんよりと曇っており、時折小雨が落ちてくるような天候だったので早朝のキリマンジャロに向かって拍手を打つことは出来なかった。午前7時半にソパロッジを後にするとアンボセリ国立公園内を軽くミニゲームドライブをしながら抜けていった。途中タンザニアとの国境近くのガソリンスタンドで給油待ちをしているとお約束のマサイのいでたちをした原住民の土産押し売り攻撃にあってしまった。その中で1人民族衣装をまとっていない女性がマネージャーよろしくお金のぼったくりを取り仕切っており、土産を買わないと見ると異なる戦略を展開してきたのだ。まず写真を撮っていいというので1枚取るとここに9人そろっているから1人あたり50シリングとして合計450シリングをよこせと言ってきやがった。写真のレイアウトの関係で9人全員が入らなかったことも手伝って財布の中の小額紙幣と小銭をかき集めて200シリング程度でお茶を濁そうとしている間に給油も終了したので原住民とのコミュニケーションもあえなく強制終了となったのであった。
昼頃に一旦ナイロビを経由してナクル湖に向かう道すがら地球の溝と言われるグレート・リフト・バレーの大景観を見渡すことに成功した。この溝はモザンビークからレバノンまで6,500kmにもわたっており、バレーの底には無数の動植物たちがひしめいているのだ。
午後3時過ぎにナクル湖国立公園に到着し、早速ゲームドライブを始めることとなった。この場所は湖を抱える公園とあって草原が広がるサバンナとは異なる生態系を有している。数多くの草食動物がたわむれているさんま系の樹木であるはずのアカシアの林を抜けるとふと♪背番号1のすごい奴が相手♪のような感覚に見舞われた。気がつくと目の前にはピンク色に染まった湖が広がっており、何とそのピンク色の正体は♪わ~たしピンクのサウスポ~♪ではなく無数の1本足打法のフラミンゴであった。
ソーダ性の湖であるナクル湖には体は白く、くちばしは黒い先端以外はピンクのオオフラミンゴとピンクがかった羽と赤黒いくちばしを持つナガシマフラミンゴではなく、コフラミンゴが生息している。また、宅急便を配達出来そうなほど大きなくちばしを持つ日通系のペリカンやリーブ21が必要だと思われるアフリカハゲコウというみすぼらし系のコウノトリも存在感を示している。
さらにゲームを続けるとゴルフ場のグリーンのように短く刈り込まれた芝生のような草原に到着し、何かしら巨大な物に遭遇しそうな不安感にサイなまれた。するとそこには色白で鋭い一角を尖らせている巨大なシロサイがその偏平足で草地を踏み慣らしながら、食事と排泄を同時に行っていた。
再びから騒ぎを期待してアカシアの林をドライブしていると遠めにさんま好みであるはずの柄をまとった獣の気配を感じた。そこにはヒョウが飄々と木の枝に寝そべっている姿があったのだった。さらにその近くのブッシュには体はシロサイよりも小さいがよりアグレッシブに攻撃をしかけてくるクロサイの親子が散歩している姿があった。
夕方6時過ぎに今日の宿泊基地であるサロバ・ライオン・ヒル・ロッジにチェックインした。高級感溢れるロッジはクリスマスから新年の雰囲気で盛り上がっており、バーの野外ステージでは紅白歌合戦に匹敵するであろう白組対青組のケニア人ダンス大会が繰り広げられており、観光客の喝采を浴びていたのだが、ダンスが終わりダンサーがCDを売ろうとすると何故か拍手が小さくなっていったのだった。また、当然のことながら夕食後の宴は深夜まで続き、宿泊客を巻き込んだケニア人従業員の狂乱ダンスは新年のカウントダウンでクライマックスを迎えたのだった。
2008年1月1日(火)
ハッピーニュー マサよ!
というわけで、昨夜の喧騒にもかかわらず、今朝は6時半から早朝のゲームドライブを開始した。バブーン・クリフというナクル湖を一望出来る高台にはその名の通りさかりのついたバブーンの楽園となっており、その隙間をイワハイラックスという岩場で群生しているウサギに似た小動物が駆け足で蠢いているのだ。
めくるべく快感を与えてくれたナクル湖を後にすると、昼過ぎにナイロビに戻り、ウイルソン国内空港で4日間のドライバーを務めてくれたダニエルに別れを告げるとAIRKENIAのDash 7というプロペラ小型機に乗り込みマサイ・マラへと飛び立った。機上から果てしなく広がる大草原を見渡していると飛行機は徐々に高度を下げ土色の滑走路の小さな空港へ着陸した。そこで乗客の入れ替えを行った後、再び離陸し3分後に他の草原空港に到着した。さらに3番目の空港で飛行機を降りると迎えのジープに乗り込み、すぐにイブニング・ゲーム・ドライブのスタートとなった。マサイ・マラ国立保護区はタンザニアのセレンゲティ国立公園と繋がっており、パスポートの提示の必要ない動物たちは自由に国境間を行き来することが出来、ヌーの大移動は一大イベントとなっているのだ。ジープのドライバーによると通称アフリカンマッサージと呼ばれる揺れを発生させながら、車は草原の中の轍や川さえも渡りながらサファリはサンセットまで続いた。
夕暮れ時にダチョウ倶楽部に遭遇したせいか、送迎されたロッジに「聞いてないよ!」と言われ、間違ったロッジに到着したことが発覚したものの、無事宿泊すべきキャンプからの使いのジープで旅程にはないナイトサファリを楽しみながら午後7時半過ぎにはマサイ・マラのキャンプ地であるフィグ・ツリー・キャンプに到着した。今日は新年のスペシャルイベントとしてブッシュ・ディナーが催行されるというので早速送迎大型四駆車に乗り込みブッシュに向かった。尚、ブッシュ・ディナーと言うものの決してジョージ・ブッシュ大統領の失政を糾弾するためのディナーではないことは明らかで星空の下シェフがその場で調理する高級そうなディナーに宿泊客は皆舌鼓を打っていた。やがて舌鼓が本当の鼓のリズムに変わるとお抱えの契約ダンサーであるはずのマサイ族が「鍛えれば全身バネになる!」系のダンスを始めてしまった。当然のことながら千葉ロッテ・マリーンズのファンが球場で見せるジャンプよりも確実に高く跳んでいたのだ。
1月2日(水)
フィグ・ツリーキャンプは周囲をタレク・リバーに囲まれており、深夜にカバがやってきた様子でブフォー、ブフォーと水を吐き出す騒音のため熟睡することが出来なかった。早朝6時前に従業員にたたき起こされた頃にはカバはすでにチェックアウトしていたのでその姿を見て苦情を言うにはサファリでの出会いまで待たなければならなかった。
6時半より念願のケニア最大の野生動物の宝庫となっているマサイ・マラ国立保護区でのサファリがスタートした。数多くの種類の草食動物はすでに他の公園で見ているのでマサイ・マラでは肉食獣が至近距離で見物出来ることを期待した。ところで、ケニアのサファリの目玉としてバルーン・サファリという熱気球で低空飛行しながら動物達を見下し、おまけにバブーンにさえ邪魔されない草原にバルーンを不時着させ、シャンペン付き朝食をご馳走になるという催し物のためか空にはいくつかのバルーンが浮かんでいた。
ライオンはすぐに私の目の前に姿を現した。草原に伏せている単独の雌ライオンは遠吠えで群れの仲間を呼び寄せており、ブッシュでくつろいでいる2頭の雄ライオンはさわやかな朝の空気の中リラックスした雰囲気でくつろいでいた。
朝食後10時より2回目のサファリがスタートとなったのだが、♪いちねんさんびゃくろくじゅうごにち♪のスタート早々、幸先良くチーターに遭遇することに成功した。数台のサファリカーがチーターを取り囲んでいる中、あたりを見渡しているチーターは365歩のマーチがバカ売れしたわけでもないのに何でこんなに人気があるのだろうといぶかっている様子であった。
マサイ・マラを流れるマラ川にはいくつかのヒッポプールと呼ばれるカバの入浴ポイントがあり、そこでは車から降りて川を見下ろすことが出来るのだ。川にはダンディーなクロコダイルも暮らしているがシャイなためか見つけてもすぐに川の中に姿を消してしまった。昨夜にキャンプで安眠妨害したブフォー者のカバを罰として蒲焼にでもしてやろうかと思ったが、個体が特定出来ないので断念するしかなかった。
午後4時よりイブニング・サファリのスタートとなった。早速茂みの中に10数頭のライオンが眠っているスポットを発見し、そこはマサに青空ライオンホテルの様相を呈していたのだ。
というわけで、今日はおはようからお休みまで暮らしを見つめるライオンの提供でサバンナの脅威を実感することに成功した。
さらに川沿いを走っていると巨木の枝でヒョウが昼寝している姿を真近で目撃してしまった。熟睡しているとはいえ、いつ何時猛獣に豹変するかも知れないので注意しながら観察を行わせていただいた。
1月3日(木)
午前6時半より今回のツアーでの最後となるモーニング・サファリが敢行された。日の出とともに1頭のメスライオンが草原に佇んでいる姿を発見したのだが、そのライオンは獲物からの返り討ちのためか足に傷を負っているため車の接近に非常にナーバスになっていた。手負いの獅子は非常に危険なのでサファリカーは足を引きずりながら遠ざかるライオンをこれ以上追うことはなかった。
ここ2日間何事もなくサファリは遂行されたのだが、ここに来て突然トヨタ・ランドクルーザーサファリカーの右後輪が前触れもなくパンクしてしまった。原住民ガイドは持っていた短剣で近くに生えている木から枝を切り落として即興のタイヤ止めを作ると運転手は手際よく大型ジャッキで車を持ち上げて短時間でスペアタイヤに交換してしまった。
パンク修理でのタイムロスを補うかのように朝のさわやかな空気の中を♪ワンツー、ワンツー♪と元気よく歩いているチーターとの近距離接近遭遇に成功した。
今回のサファリツアーの締めくくりとして狩りに向かうライオンの群れが現れた。サバンナを悠々と練り歩くライオンの姿はマサに百獣の王と呼ぶにふさわしい荘厳な雰囲気を醸し出し、途中子どもをブッシュに残して親ライオン達は獲物に向かって突進していったのだった!
サファリでの全旅程を終了すると再び草原空港からプロペラ機に乗り、ナイロビへと帰って行ったのだが、ナイロビ市内は数多くの警官により厳戒態勢が敷かれていた。年末に行われた大統領選挙で与党の現職大統領が再選されたのだが、選挙結果の開票遅れをいぶかった野党が不服を申し立てたことが発端となり、大きな暴動が引き起こされ数百人の原住民が命を落としてしまったのだ。ウイルソン国内空港に迎えに来てくれたDoDoWorldのドライバーの顔にも緊張感がみなぎっており、何とかHilton Hotelまで送っていただいた後、ホテルの部屋から官庁街を見下ろすと人も車もほとんど通ってない状況だったので今日はホテルのテレビニュースで行く末を見守るしかなかったのだ。
1月4日(金)
昨日の喧騒から一夜明けると街は多少落ち着きを取り戻し、人も車も官庁街に戻ってきていた。午前10時にホテルをチェックアウトし、DoDoWorldの迎えで一旦DoDoWorldオフィスに寄った後、空港へ帰る道すがらウタマドゥーニという土産物屋で物品を購入した。
マサよ、君は旅の途中の空港でイエローカードをもらったことがあるか!?
私は・・・・・ある!!!
ということで、無事ジョモ・ケニヤッタ国際空港に到着し、南アフリカ航空のチェックイン・カウンターで搭乗券をもらっているといきなりケニアに7日以上滞在した輩が南アフリカに行く際には黄熱病予防接種のイエローカードが必要だと言われ、カウンターの後ろで乗客の荷物をベルトコンベヤーにぶん投げていた原住民に空港内のクリニックまで強制連行されてしまった。事務所らしき所には同じ目に遭っているいる乗客が数人待機しており、手数料KSH450を支払い、パスポートを提示すると別室に連れて行かれ野口英世の業績さえ知らなさそうなおよそ看護婦らしくない女性から左肩にブスリと注射をかまされてしまった。しばらくして首尾よくイエローカードの入手に成功したのだが、本来はケニア入国の12月28日には接種していなければならなかったため、イエローカードの発行の日付が28日に調整されていた。しかも、事務所のおばちゃんに領収書の日付は1月4日になっているのでその領収書は人目にさらすことのないように注意された。
何とか午後3時45分発のSA183便の搭乗に成功し、午後7時前にヨハネスブルグに到着した。入国審査では案の定イエローカードの提示を要求されたので「この紋所が目に入らぬか!?」という勢いでカードを提示すると何事もなかったように南アフリカ共和国への入国を果たしたのだ。
1月5日(土)
The Airport Grand Hotelの中庭のプールで上空を轟音とともに着陸態勢に入っている飛行機を眺めた後、送迎バンで空港まで移動し、午後1時30分発のSQ479便にてシンガポール行きの機上の人となる。
1月6日(日)
夜も明けきらぬ午前6時前にシンガポールに到着し、午前8時35分発のNH112便に乗り込むとチーターに教えられた♪じ~んせいは ワンツー パンチ、汗かき、べそかき、あるこ~よ♪を胸に成田に帰国、そのまま流れ解散。
総飛行機代 ANA = ¥78,070、シンガポール航空 = S$2,116.-、南アフリカ航空 = ¥73,140
総宿泊費 KSH18,956.7、ZAR924.15
総ロッジサファリツアー代 $2,650
総ケニアビザ代 ¥6,000
総黄熱病予防接種代 KSH450 (KSH1 = ¥1.9)
協力 ANA、シンガポール航空、南アフリカ航空、HILTONHHONORS、DoDoWORLD(http://www.dodoworld.com/)、PORT PUBLIC HEALTH OFFICE JOMO KENYATTA AIRPORT