飛んでイスタンブールFTBバージョン in トルコ

♪いつか わすれていぃったぁ♪1978年のヒット曲である庄野真代の一発屋ソング(http://www.youtube.com/watch?v=PN2QKZcR3Os)を耳にして以来、必ずイスタンブールを訪れなければならないと考え続けてきた。ついに30年の時を経てその野望を果たす機会を手にすることになったのである!!!

5月3日(土)

ボンジュール マサよ! サバ!(鯖?)

ということで、ANA205便にておなじみのパリ、シャルル・ド・ゴール空港に到着するとそのままエールフランス航空AF2390便に乗り換え目的地であるイスタンブールに到着したのは深夜12時前であった。すでに♪夜だけ~の~パラダイス♪の様相を呈しているイスタンブールであったが、それだと曲のエンディングになってしまうので気を取り直して空港に乗り入れているハフィフ・メトロに乗り込み、何とか1時前には本日の宿泊先であるHoliday Inn Istanbul Cityに無事に到着した。

5月4日(日)

早朝ホテルをチェックアウトし、イスタンブール市内の主要部を走っている路面電車トランヴァイに乗り込みスルタンアフメットというイスタンブール旧市街(世界遺産)の観光の中心地に降り立った。早速撫でようとすると前足で攻撃をしかけてくる気位の高い三毛猫が門番を務めているアヤソフィア博物館(YTL10)を訪問させていただいた。

西暦360年にギリシア正教の大本山として竣工したアヤソフィアは幾たびかの焼失と時代の流れに翻弄されながら、後にイスラーム寺院へと変貌を遂げたイスタンブールを象徴する箱物である。内部には多数のビザンツ文化を象徴するモザイク画が残っており、また聖母マリアの手形といわれている柱にはくぼみがあり、そのくぼみに親指を入れてあとの4本の指を柱から離さずにぐるりと円を描ければ願いがかなうと言われているので観光客は一様にグリグリおよびグルグルに興じていたのである。

3大陸を制したスルタンの栄華を今に伝えるトプカプ宮殿(YTL10)がマルマラ海を眼前に、ボスポラス海峡を望む小高い丘に建てられており、オスマン朝の支配者の居城として400年もの間、政治や文化の中心として栄え、膨大な秘宝が今なお収容されているとのことであったので見物しない手はないと思い侵入することにした。宮殿内の調理場は現在はクリームシチューを盛り付け出来そうな有田焼まで収蔵する陶磁器の展示コーナーになっているものの16世紀末には1200人あまりの料理人がいたといわれている片鱗がうかがえる巨大な鍋釜等の調理器具も目を引いた。また、宝物館には86カラットの大きなダイヤを49個のダイヤで取り囲み、ティアドロップ型に仕上げたスプーン屋のダイヤモンドが永遠の輝きを放っていた。尚、このダイヤの伝説として原石を拾った漁師が市場で3本のスプーンと交換したため、この名が付いたと言われているのだ。

トプカプ宮殿の最大の見所としてハーレム(YTL10)が別の博物館として扱われているので将来マサの資金を横領してハーレムを作る野望を持っている私の後学のために見学しておくことにした。入口を入るとまず黒人のヌビア出身者が多い宦官の部屋があり、その奥には妖艶な装飾を施されたスルタンの母や妻たちの住まいが次々と全貌をあらわした。また、鮮やかなイズニックタイル装飾の美しいムラト3世の間等のいくつかの大広間も目を引くものがあった。いずれにしても恐妻家で慣らしている川崎麻世には想像もつかないような居住空間が実現されているのだ。

イスタンブールの旧市街では、地下の貯水池が数ヶ所発見されているのだが、4世紀から6世紀の間にコンスタンティヌス帝からユスティニアヌス帝の時代に造られた地下宮殿(YTL10)が数多くのコリント様式の柱と巨大魚さえ生息させる水をたたえながら観光客を集めていた。宮殿の一番奥にはメドゥーサの顔が2体横たわり絶好の記念写真スポットとなっている。

イスタンブールがヨーロッパとアジアの架け橋と言われているのはマルマラ海から黒海につながる長さ約30kmのボスポラス海峡で分断され、数多くのフェリーと2つの大橋で結ばれているからである。ボスポラス海峡をゆっくりクルーズするフェリーもイスタンブールの観光の目玉のひとつであるのだが、今回は時間の都合で旧市街とアジア側を結ぶ連絡船で往復することにした。旧市街のエミノニュという桟橋を出航したフェリーは高台のトプカプ宮殿を背にしながらわずか15分程度の航海でアジア側のハーレム桟橋に到着した。多くの車に引き続いて船を下船し、20分程度アジアの滞在を楽しんだ後、再びフェリーに乗りヨーロッパ側へと帰っていった。

イスタンブールは金角湾を境に旧市街と新市街に分かれており、多くの釣り人で賑わっているガラタ橋で結ばれている。出来損ないのイワシのような魚がバケツの中で瀕死状態になっている光景を横目にガラタ橋を渡りきると高台にあるガラタ塔の脇を抜け新市街の中枢であるイスティクラール通りをお散歩させていただいた。この通りにはノスタルジックトラムの別名もあるチンチン電車が走っており、新市街のシンボルのひとつとなっている。

新市街の散策を終えてガラタ橋を旧市街に向かって歩いていると靴磨きの若者が商売道具であるハケを落としたので親切に拾ってやるとお礼のつもりなのか奴はいきなり私に台の上に靴を載せろと言ったのでその通りにすると頼んでもないのに靴磨きを始めやがった。しょうがないのでいくらかの金をはらってやろうと思って5YTLを差し出すと彼は小銭でいいと言いつつも私の財布から日本円の千円札を抜き取りやがった。どこかに両替に行くと言って姿を消した彼を深追いしなかった私は図らずもイスタンブール発たとえ騙されても♪うらまないのがル~ル♪を実践することとなったのだった。

5月5日(月)

トルコ航空のTK266便にて深夜の1時過ぎにカッパドキア(世界遺産)の空の玄関口となっているカイセリ空港に到着し、タクシーで宿泊先であるヒルトンカイセリに移動した。翌朝トルコ語でオトガルというバスターミナルの場所を探すのに手惑い何とか正午のバスに乗り込むと1時間ちょっとのドライブでネヴシェヒルにたどり着いた。

ネヴシェヒルはカッパドキア地方の中心都市であるが、この町自体には見所がないので市内バスで観光地に移動しようと町はずれをさまよっていたときに巨大な亀が広い自動車道を無謀にも横断しようとしている光景が目に飛び込んできた。協栄ジムの金平会長であれば亀田兄弟の愚行を案じて見殺しにするところであるが、浦島スピリットを持つ私は竜宮城への入城券を手にするために体長30cmはあろうかと思われる亀を抱え上げたところ奴は手足をバタバタして抵抗し、しかも糞尿を撒き散らして威嚇するという亀田式のパフォーマンスを展開した。何とか安全な草地に着陸させたものの亀は私に命を助けられたことに対する感謝の意さえ表明することもなかった。ちなみにカッパドキアでは河童の代わりに亀が多いらしく「亀横断注意」の看板をいたるところで目にしたのだ。

亀の救済に思わぬ時間を費やしてしまったため、とりあえずタクシーを拾ってカッパドキアの観光の中心であるギョロメ村にあるギョロメ屋外博物館(YTL10)に向かった。ギョロメ谷には30以上の岩窟教会があり、その中の保存状態のよい多くのものが屋外博物館として公開されている。それぞれの教会には壁画やフレスコ画が見られ、特にDARK Churchの異名を持つカランルク・キリセ(YTL5)にはキリスト像や受胎告知等の鮮やかな色合いのフレスコ画が残っているのだが、迫害を受けた名残のためか人物画の顔や目の部分は無残にもかき消されているものが多かったのも事実である。

ちなみにカッパドキアの名前の由来に関するFTB考古学チームの独自調査の結果によればフランシスコ・ザビエルを彷彿とさせるカッパヘアーの修道士を追放するために洞窟にやってきた侵略者が「カッパどきや~ァ!」と言ったことが始まりだそうである。

トカル・キリセというカッパドキア随一の広さを持ち、天井や壁のフラスコ画の青が美しい2階建ての教会を見物した後、奇岩群を見ながらギョロメ村に戻り、そこからバスに乗ってカイセリへの帰路についた。

夕暮れ時のカイセリではウル・ジャミィというモスクやシンボルとして君臨しているカイセリ城の存在感が目を引いた。尚、カイセリは中部アナトリアを代表する商業都市なのでトルコ人のビジネスマンが颯爽と闊歩している姿にもお目にかかることが出来るのだ。

5月6日(火)

昨日カッパドキアツアーの予行演習をすでに終えていたので今日はスムーズにギョロメまで辿り着くことに成功した。早速オトガルの近くのレンタ乗り物屋でYAMAHAのスクーターを調達するとカッパドキアでの運転には気をつけろという店主に「屁のカッパや!」と最後っ屁を残しながら、観光をスタートさせた。

ネヴシェヒルとギョロメの中間にウチヒサルという鳩の家が無数にある高い岩峰の前でスクーターを降り、奇岩沿いを登っていると散歩風情の原住民がいろいろな場所を自主的に案内してくれた。鳩の家と言われる由来は岩の表面に空いている無数の穴が鳩の巣で住民は昔から鳩の糞を集めて畑の肥料として活用していたからだそうだ。原住民の案内が一通り終わるとお約束どおり金を要求してきたのでとりあえずYTL10を奉納していい気にさせておいた。

ウチヒサルの頂点には「尖った砦」と言う意味の巨大な一枚岩の城塞(YTL3)がそびえているのでここに這い上がり、絶景を見渡した後、ギョロメ・パノラマ地区まで移動し悠久の時の中で刻まれたカッパドキアの岩肌や地層を眺めていると雨が降ってきたので合羽を持ってこなかったことを今更ながら後悔することとなった。

ゼルヴェ峡谷に聖堂や住居が無数にあり、多くの人々がここで生活していたことを偲ばせるゼルヴェ屋外博物館(YTL5)を訪問させていただいた。実際にほんの30年ほど前まで村人が住んでいたそうだが、岩が崩壊の危機にさらされたため移住を余儀なくされたと言われている。多くの峡谷の壁面には洞窟や、山と山を結ぶトンネルが細かく巡らされ往時の生活を偲ばせる名残が残されている。

ゼルヴェの近くのパシャバー地区はカッパドキアを象徴する奇岩であるキノコ岩で有名な場所で観光のハイライトになっているのでキノコ狩りでもするような軽い足取りで歩き回ってみることにした。なるほど、ここは一面キノコ林のような様相を呈しており、天を突き上げるようにいきり立ったものやカリ首の太いもの、先っちょの割れたもの等よりどりみどりの一物系の岩の博覧会場として賑わっているのだ。

夕暮れ時にギョロメに戻り周辺を散策していると岩をくり抜いて作った洞窟ホテルが目を引いた。もちろんすでに営業中のホテルも多数あるのだが、現在建設中の物件も多く見られ、新たなリゾートと癒しを求めて今後も多くの観光客がこの地にやってくることが約束されている。

次の観光地に向かうため7時15分にギョロメのオトガルから長距離バスに乗り込み、途中サービスエリアに寄りながら10時間を車内で過ごすこととなった。尚、トルコ国内はバス路線が非常に充実しており、バスによる安価で快適に観光地を巡ることが出来るのだ。

5月7日(水)

早朝5時前にデニズリという町に到着し、眠い目をこすりながら2時間程やり過ごすと7時過ぎにミニバスに乗り込みパムッカレ(世界遺産)を目指した。トルコ語で「綿の城」という意味を持つトルコ有数の温泉保養地であるパムッカレ(YTL10)の南門から入場すると紀元前190年に始まった都市の遺跡であるヒエラポリスに向かって足を進めた。

ペルガモン王エウメネス2世によって建造された古代都市の一番の見所はスケールの大きな円形劇場である。紀元前2世紀に建てられたこのローマ劇場は非常に保存状態もよく、15,000人を収容したという観客席上部からの眺めはマサに見事と言える代物である。

円形劇場脇の道をさらに進み、春に咲き誇る花から花粉を集めようとしている蜜蜂のブンブン音をバックグランドミュージックに廃墟を歩き回っているとマルティリウムという西暦80年にこの地で殉職した使徒フィリッポとその息子の墓となっている八角堂に到着した。さらに丘を下り参道のようなところを歩いているとドミティアン門という3つの連続アーチと円筒形の石積みが美しい門に遭遇した。これはローマ様式をよく表しているため、ローマン・ゲートとも言われているそうだ。

北大浴場は古代の温泉で3つの連続アーチと円筒形の石積みは大通りの北端の門で、84~85年にドミティアヌス帝を称えて建造されたそうだ。また、その周辺にネクロポリスと言われる多数の墓が並ぶ共同墓地があり、様々な様式の棺おけを見比べることが出来るようになっている。

パムッカレ温泉というローマ時代の古代遺跡が水中にゴロゴロしている珍しい温泉プールが絶好のヒーリングスポットになっているのだが、入湯料が高いので見学だけすることにした。プールの周辺で和んでいる猫に見守られながら観光客はローマ遺跡を足蹴にして優越感に浸ることが出来るという効能により皆癒されているように見受けられた。

2世紀に建造された南大浴場を改築したヒエラポリス博物館(YTL2)に侵入し、現地で出土した彫像や石棺を見張り番と監視カメラの目を盗みながら撫で回して感触を楽しみ、温泉でローマ遺跡を足蹴にすることが出来なかった憂さを晴らした。

パムッカレの最大の見所は気の遠くなるような時を経て結晶し、台地全体を真っ白い雪山のように覆っている石灰棚である。人間のおせっかいを嫌いそうな孤独な犬が石灰棚に横たわっている光景を目にしながら下流のパムッカレ村近くまで伸びている歩道に靴を脱いでおじゃまさせていただいた。観光客は足場が悪い中を天然足底マッサージの要領で記念写真を撮りながら白い照り返しの光を浴びていた。

午後過ぎにデニズリのオトガルに戻り、バスで4時間かけてイズミルに移動した。エーゲ海地方最大の工業貿易都市であるイズミルに到着し、2707と2708号室の2部屋をぶち抜きにしたスイートルームにアップグレードしていただいたヒルトンイズミルの窓から外を眺めていると♪Wind is coming from the Agean♪というジュディ・オングの歌が脳裏をよぎり、思わず♪レースのカーテン引きちぎり、体に巻きつけ、踊ってみたくなる♪ような衝動に駆られたのだが、そのアクティビティは来る日のギリシャ・エーゲ海ツアーに取っておくことにした。

5月8日(木)

イズミルのオトガルからミニバスに乗り、1時間程走ると古代都市エフェスへの起点となっているセルチュクに到着した。オトガルから3km程歩くと地中海沿岸で有数の規模を誇る古代都市遺跡であるエフェス遺跡(YTL10)にたどり着いた。多くの土産物屋が店を構え、おびただしいほどの数の観光バスが列をなしている遺跡の北側の入り口から入場すると最初にアルカディアン通りという幅11m、長さ500mの大理石の道路に出た。現役時代には商店が並び、当時煌々とともされていたであろう街灯も今なお残されている。

アルカディアン通りの先にあるのが、ビオン山に沿って造られた大劇場である。2万4000人を収容出来たという大観客席の上部から舞台を見下ろすとお約束の剣士対猛獣の伝統の一戦が行われていた名残でもある猛獣の控え室も垣間見ることが出来る。

現在は建物は残ってなく床にモザイクのみが残っている娼館は古代の売春宿で足形の広告が目印になっている。ケルケス図書館は見事な2階建てのファサードが美しく、今世紀初頭に発見されたときには相当破壊されていたらしいが、1970年に修復され現在の姿になったという。尚、正面の女性像のオリジナルはウィーン博物館に拉致されており、ここにあるのはコピーだということだ。

マサよ、君は古代の公衆トイレを前にしてウンチクを語っている観光ガイドの説明に耳を傾けたことがあるか!?

というわけで、エフェス遺跡の中でマニア垂涎のファシリティはTOTOがなかった時代に存在した古代の公衆トイレである。これは長いすに単に穴が開けられているもので仕切りがないためプライバシーもなく多くの人々が連れ立って排泄行為に励むことが出来るとあってこれまた多くの観光客が顔をしかめながらのウンチングスタイルを決めて写真撮影に興じていた。

その他の見ものとしてはヘラクレスの門や本来はこの門のアーチとして飾られていた勝利の女神ニケのレリーフ等があるが、スコラスティカの浴場やヴァリウスの浴場等いくつかの入浴設備が充実しているのが印象に残った。これはマサに浴場で温まり欲情してしまったらすぐに娼館に駆け込むことが出来るという非常に効率的なシステムが古い時代から構築されていたことを証明するものに他ならない。

エフェスを後にし、セルチュクからバスでイズミルに戻り、トルコ第三の都市イズミルからTK335便にてこのツアーで2回目の♪飛んでイスタンブール♪を実行した。再びHoliday Inn Istanbul Cityにチェックインしたのは夜も遅い時間だったので♪ひと踊り風の藻くず♪になる間もなく就寝させていただくこととなった。

5月9日(金)

早朝トランヴァイに乗り、ベヤズット・カパルチャルシュで下車し、イスタンブール大学門をちら見した後、恒例の買う気もないのにグランドバザールという屋内市場では中東最大の規模を誇る市場に侵入した。ここでは揃わないないものはないと言われるくらい様々な物品の宝庫になっており、買い物をする所というよりは存在そのものが見ものになっているのだ。

ブルーモスクの名称で親しまれているスルタンアフメット・ジャーミィがイスタンブールの象徴としてイスラム教信者が集う神聖な場所になっているので厳粛なムードを体感するために入ってみることにした。オスマン朝建築の傑作のひとつとして高い評価を受けているその建物の内部は独特の雰囲気の丸天井とステンドグラスから差し込む淡い光と2万枚以上のイズミックタイルが絶妙のハーモニーを醸しだしている。

トプカプ宮殿の第一庭園の北側に国立考古学博物館(YTL5)が♪光る砂漠でロール♪しながら発掘されたトルコの遺跡を集めているので心して見学させていただくことにした。広い館内では多くの地元の美大生と見られる若人がいたるところでデッサンに励んでおり、中には不意にかかってきた携帯電話の着信音のため仲間から彫刻と同じ白い目で見られている学生もいた。

世界的にも評価の高いギリシャ・ローマ時代のコレクションの中でも特に目を引いたのはアレキサンダー大王の立像と石棺である。石棺は紀元前305年頃に製作されたものと考えられ周囲の彫刻はアレキサンダーにまつわる題材となっている。尚、製作時には鮮やかな色が付いていたらしくその様子はレプリカで再現されていた。

ということで、庄野真代に♪おいでイスタンブール♪と誘われたツアーもついに終焉を迎える時となった。イスタンブールから英国航空で飛んでロンドンヒースロー空港に着陸し、そこから乗り換えたANA202便の機内の中で来るべき庄野真代ツアーの第二弾としてモンテカルロで乾杯(http://www.youtube.com/watch?v=zL6L5BrW2L0)の実現性まで検討することとなった。

5月10日(土)

午後3時半頃雨の成田空港に到着し、そのまま川の流れのように流れ解散。

真代も選択に迷うはずの得々トルコ情報

1.トルコ風呂というとスペシャルサービスが提供されるこの世の楽園というイメージがあるかも知れないが、実際はハマムと呼ばれる蒸し風呂である。堀之内で開発された「泡踊り」等の過剰サービスはないがアカスリとマッサージははオプション提供されているのだ。

2.トルコではあらゆる観光地や市街地で野良猫や野良犬が我が物顔で闊歩しており、生類憐みの令が発令されている江戸時代のように動物が愛護されているのでやつらは気軽に食い物を求めて人類に擦り寄ってくるのだ。

3.トルコ行進曲で有名なトルコは後進国だと思い込んでいる輩がいるかも知れないが、実際は文明が発達しており、治安も良く人々も親切なので観光には最適な国となっている。

FTBサマリー

総飛行機代 ANA = \216,030、トルコ航空 = YTL258 (YTL1 = 約\80)

総宿泊費 YTL1,090.86

総バス代 YTL119.9

総メトロ、トランヴァイ代 YTL9.05

総フェリー代 YTL2.3

総タクシー代 YTL65.5

総レンタルスクーター代 YTL40

総ガソリン代 YTL8

協力 ANA、エールフランス、トルコ航空、英国航空、HILTONHHONORS、PriorityClub

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