FTB GWスペシャル ゴジラ v.s. Havana Express

マサよ、君は表彰盾とともに自分の栄光の名前が掘り込まれた高級ボールペンを航空会社から受け取ったことがあるか!?

ということで、ANAマイレージクラブダイヤモンド会員を5年間防衛している私にその栄誉を讃えるため、記念の盾と贈答品が送られてきやがった。これもひとえに私の努力の賜物であるので遠慮せずに納めさせていただくことにするとともにGWの喧騒を引き裂くようにニューヨークに旅立つことにした。

2007年4月28日(土)

ANAのファーストラウンジにてヤンキースの強力打線に立ちふさがる松坂の勇姿を見物しながら時間をつぶし、午前11時発のANA10便に乗り込むと11時間程度のフライト時間で同日午前9時過ぎにニューヨークに到着した。早速エアートレインと地下鉄を乗り継いでマンハッタンに侵入し、その勢いで2年ぶりのヤンキーススタジアムに乗り込んだ。

MLB最大の伝統の一戦ヤンキースV.S.レッドソックスは午後3時55分にプレーボールとなった。ヤンキースの先発投手のカーステンスが投じた1球目を振り抜いた先頭打者フリオ・ルーゴの打球は弾丸ライナーで投手の膝下を直撃し、カーステンスはスッテンテンになったかのように転倒してしまった。何とか立ち上がって2番打者に立ち向かったもののヒットを打たれそのまま降板し、先発からリリーフに格下げになっていた井川が急遽マウンドに向かうこととなった。マサに胃が悪くなるほどの状況でマウンドに上がった井川であったが、次打者のレッドソックス最強打者であるデイビッド・オルティスを併殺に打ち取り、次のマニー・ラミレス四球後、J.D.ドリューも三振に斬って取り、見事にピンチを切り抜けるとそのまま6回0/3を無失点に押さえ、降板時には念願のスタンディングオベーション浴びることとなったのであった。

一方、ゴジラ松井であるが、2回に回ってきた第一打席で見事中前安打を放ち、電光掲示板に「HIT-DEKI」の文字を躍らせていた。試合の方は4回に四球で出塁した松井を1塁に置いて打席に立ったホルへ・ポサダがライトアッパーデッキに特大ホームランを打ち込み、打球を取ろうとしたファンのビールがアッパーデッキからロウアーデッキにしぶきとなって流れ落ちる状況の中で2点を先行したヤンキースが終始試合をリードし、3対1で逃げ切って連敗を7で止め、井川が見事に今季2勝目を手にしたのであった。

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4月29日(日)

マディソンスクエアガーデンの近くに位置するエレベーターの反応が遅いHampton Innをチェックアウトすると再びヤンキースタジアムの喧騒に身を委ねることにした。怪我から復帰したエース王建民を先発に立てたヤンキースであったが、初回いきなりレッドソックスの主砲ディビッド・オルティスに先制の2ランホームランを打ち込まれ、ヤンキースのミンケイビッチのつかの間の逆転3ランの後にレッドソックスの伏兵アレックス・コーラのスカッとさわやかな逆転ホームランでマサにシーソーゲームの様相を呈していた。

多くの日本人に見守られたこの試合の最大の見せ場は6回の裏のヤンキースのチャンスにリリーフに立ったレッドソックスの岡島v.s.松井という巨人の紅白戦を彷彿とさせるような対戦であった。すでに左打者二人を三振に切って取り、2アウト1,2塁という場面で松井と相対した岡島は速球と変化球を駆使し、見事松井を投ゴロに打ち取ったのであった。続く7回の裏も三者凡退でヤンキースの攻撃を退けた岡島の勢いを買ってレッドソックスはこの試合を7対4で物にし、アリーグ東地区首位の座を不動のものとしたのであった。

4月30日(月)

Newark Liberty空港からAirCanadaの便でトロントに飛び、そこからキューバまで足を伸ばすことになっていたのだが、これはあくまでも急場しのぎの予定ではない。なぜなら、キューバに入国するためにはキューバ大使館で事前にツーリストカードを入手しておく必要があったからだ。

ANAのマイレージが余っていたのでマサであればCA$1,100.-くらいかかるところを私は税金のみの支払いで搭乗することが出来るAC964便に乗り込むと午後1時過ぎにはキューバの首都ハバナに到着した。ここハバナは私の最も敬愛するサングラス俳優である寺尾聡が歌唱するHAVANA EXPRESS(http://www.youtube.com/watch?v=cPli_1AaLSs)を耳にして以来必ず来なければならないと思っていたのだった。

ハバナ空港にてUS$を現地通貨であるキューバペソに両替し、客待ちしているOKタクシー(CUC25.-)に乗り込むと30分程度で首都ハバナの旧市街であるラ・アバーナ・ピエハ地区に位置するあらかじめ予約しておいたホテルイングラテーラに到着した。このホテルは1896年に建てられた由緒あるスパニッシュコロニアル様式を誇っているが、客室は建築年数相当のしなびかたをしていた。とりあえず3時間程度ホテルでダウンさせていただいて、夕暮れ時にユネスコの世界遺産にも指定されているラ・アバーナ・ピエハ地区こと旧市街の散策に繰り出すことにした。

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旧市街には19世紀後半のキューバ黄金時代に財力をつぎこんで建てられた見事な建造物が多く残され、町中が見所になっており、コロニアルな街並みのなかを1950年~60年代の米式クラシックカーが我が物顔で疾走している。社会主義国であるキューバは一般的に治安のよい国として知られているのであるが、私にとっては150kmの速球を投げる人材がごろごろしているので決して侮れない国だと思われた。その証拠に町中のあらゆる広場や道路上で子供が草野球に興じており、ここでは王・長嶋全盛時代の古き良き日本の原風景を垣間見ることが出来るのだ。早速私も松坂直伝のジャイロボールを伝授してやろうとストレッチを始めたのだったが、肘が痛いのでやめておくことにした。

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ハバナ港へ通じる運河を守るために造られたプンタ要塞近辺におびただしい数の観光客と夕涼み系の原住民がたむろしているので私もその仲間に加わることにした。プンタ要塞からは対岸のモロ要塞がモロ見えになっており、港から流出する油により汚染された海では原住民が釣り糸だけを垂らすという一糸釣り状態で小魚を釣り上げていくうちに日も暮れていったのだった。

5月1日(火)

私の宿泊地であるホテルイングラテーラの隣はガルシア・ロルカ劇場という1838年に建立されたキューバ・クラシックバレエの本部であり、その隣はカピトリオという旧国会議事堂で1929年に建築されたアメリカのホワイトハウスがモデルになっている旧市街のランドマークである。今日はメーデーのために中に入れなったため、近隣の華人街の門を見上げたりしながら、旧市街を散策することにした。

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昔ながらの面影を残すオビスポ通りには昔ながらのレストランやかつてアーネスト・へミングウエイの常宿となっていたピンク色がまぶしいホテル・アンボス・ムンドスが君臨している。「老人と海」の著作で有名なへミングウエイはこのホテルの511号室に引きこもって執筆活動を行っていたそうだが、確かにこの雰囲気は私にとって財務省に巣食う怪老人とそれに取り入ろうとするマサとの友情を描いた「老人とマサ」を執筆するためのノウハウを身に着けるにはもってこいの土地柄だと思われた。

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キューバの特産物としてハバナ・シガーという葉巻とともにハバナ・クラブというラム酒が有名であるのだが、その製造工程を学習出来るハバナ・クラブ博物館(CUC5.-)に酔ってもない勢いで立ち寄って見ることにした。とりあえず気つけのためのラム酒カクテルを飲んだ後、英語のツアーに参加し、サトウキビから作られるラム酒の製造過程を見学させていただいた。このファシリティには1930年のラム工場を再現したミニチュアがあり、沖縄からも輸入したというサトウキビを運ぶ蒸気機関車も走っているのだ。ツアーの最後はお決まりのバーでのラムのテイスティングとなっており、酔った勢いで物品を買わせるためのショップも待ち構えているのだ。

マサよ、君はキューバに最初に上陸した日本人の像が仙台育英学園の寄贈により、ハバナにおっ建てられている事実を知っているか!?

ということで、独眼竜政(マサ!)宗の命により1613年に欧州へのパシリ出張に駆り出された支倉常長はメキシコよりキューバに立ち寄ったという縁で今では銅像になるほどの有名人になっているのだが、そのいでたちは羽織、袴に扇子を持っているというおよそキューバ人のセンスとはかけ離れたものだと思われた。それにひきかえ、1704年に建立されたキューバ風バロックスタイルのカテドラルはその風貌、趣により、最大の信仰を集めるにふさわしい重厚な雰囲気で観光客を圧倒していたのだった。

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運河を挟んで旧市街の対岸に二つの重要な要塞が君臨しているのでタクシーで海底トンネルをくぐって見物に行くことにした。ハバナ旧市街を見下ろすようにたっているモロ要塞はそのモロさによりかつてはイギリスに襲撃され、占領されてしまったのだが、フロリダとの引き換えにより再びスペイン領となった後、牢獄等その他モロモロの役割を経て今では灯台の役目まで果たしている。

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モロ要塞と並ぶように建てられている規模の大きなカバーニャ要塞(CUC6.-)に侵入を果たした。ここでの見所のひとつとしてキューバのカストロ議長と並び称される革命の英雄であるチェ・ゲバラの博物館があるのだが、メーデーのため休館となっており、「チェ!」という捨て台詞を吐いて撤退するしかなかったのである。カバーニャ要塞の人気は、毎晩21:00から150年間続けられている大砲の儀式である。日もとっぷり暮れた20時45分ごろからスペイン時代の制服を着た軍人たちが太鼓をたたきながら出現し、一連の能書き的な儀式の後で大砲に発火しやがった!一瞬鼓膜に突き刺さるような重低振動音をを発した大砲は暗闇を引き裂くような光を放ちながら空中に消え、意識を取り戻した観光客の喝采を浴びていたのであった。

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5月2日(水)

キューバ最大のビーチリゾートであるバラデロに移動するために新市街のバスターミナルに徒歩で移動し、スペイン語が分からない輩にはなってないと感じさせる運営により、乗るべきバスを探すのに苦労したのだが、何とか12時発のバラデロ行きのバスに乗り込み、途中休憩を挟み3時間くらいでハバナから140km離れた目的地に到着した。バラデロのバスターミナルにてホテルへの道筋を検討していたところ、原住民が白タクを買って出たので相場よりも高いはずのCUC10を支払って予約しているスーバー・クラブス・プンタレーナにたどり着いた。

マサよ、君はオールインクルーシブというリゾートにおける制度を熟知しているか!?

オールインクルーシブとは宿泊料金に食事、バー、マリンアクティビティ等すべての料金が含まれている体系のことで、チェックインの際にリストバンドを巻かれてホテルの宿泊客であるという認識のもとでサービスが提供されるシステムなのだ。早速マリンブルーが眩しいカリブ海のビーチに繰り出すことにした。通常の砂場色の砂が永遠に広がるビーチは結構波が高いものの遊泳には持って来いであったが海中には魚の姿を目にすることは出来なかった。その後プールサイドを散策してビールを飲みながらラテン系の貢物がもらえる催し物を見物した。尚、当然のことであるが、キューバくんだりまで来てスキューバダイビングを手がける輩のためにダイビングセンターも併設されているのである。

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5月3日(木)

バラデロからバスでハバナの旧市街に戻るとかつて大統領官邸として使われていた革命博物館(CUC5.-)に立ち寄ることにした。スペイン・コロニアル様式の博物館内には革命に関する資料や武器がところ狭しと展示されているのだが、最も人気のあるコーナーはベレー帽のカリスマ、チェ・ゲバラに関連する展示である。美人女優のチェ・ジウに匹敵する程の美男子であるチェ・ゲバラの生涯はゼンソク持ちにもかかわらず全速力で革命に明け暮れ、アルゼンチン人にもかかわらずカストロに次ぐキューバ革命政権の重鎮となり、キューバでは圧倒的な人気を誇っているのである。

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急場しのぎのツアーにもかかわらず社会主義とラテンイズムを堪能することに成功したキューバを後にすると夕刻には肌寒いトロントにいた。HiltonHhonorsのポイントが余っていたのでマサであればCA$200くらいかかるところを私はただで宿泊することが出来るヒルトントロントにチェックインすると窓越しに世界一の高さを誇るCNタワーを眺めながらとろんとした夜を過ごすこととなった。

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5月4日(金)

トロントからニューアーク空港に飛び、鉄道にてマンハッタンに帰ってきた。グランドゼロの状況が気になっていたので見に行くとワールドトレードセンターの跡地は相変わらず工事車両が行き来しながら新しいビルの基礎固めが入念に行われていた。

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ロウアーマンハッタンからブロードウエイを歩いていると溝を切った平べったい円筒形の物体に糸を巻きつけて中指からスナップを効かせて下に向かって投げたり、上に上がってくるような感覚を覚えたんで・す・YO♪ そしたら~、あ、そ~♪ ヒップホップ系の若者黒人たちが「ヨー、YO !」と言いながら闊歩していたぞ~!とりあえず、ぶつかりそうになったので「あ~い、とぅいまてぇ~~ん!!」http://www.youtube.com/watch?v=FEWI8WkqlQ8と言っておいた。

今回のツアーにてニューヨーク最後の夜を飾るにふさわしい一戦がヤンキースタジアムで繰り広げられるので地下鉄を転がして三たびヤンキースタジアムに出撃することにした。球場ではすでに試合前の打撃練習が行われていたのだが、外野守備に付いているシアトル・マリナーズのイチローは相変わらず背面キャッチ等のアクロバティックな動きを披露してヤンキースファンの喝采を浴びていた。また、球場の大スクリーンではヤンキースの栄光を語るビデオが毎試合繰り返されているのだが、ゴジラ松井も歯の浮くような台詞で栄光の賞賛に一役買っているのだ。

前回の好投により先発ローテーションの座を取り戻した井川の前に最初に立ちふさがったイチローであったが、簡単にレフトフライに斬って取られた。初回を0点に抑えた井川の勢いをかって1回の裏のヤンキースは一挙大量5点をもぎ取った。しかし、今日の井川は変化球のコントロールがなく、2回には城島との初対決で松井の頭上を超える本塁打を喫し、3回には一塁ゴロを放ったイチローとのベースカバー競争に負け、内野安打とした後、次打者ベルトレーに本塁打を打たれた。

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マサよ、君はゴジラのホームランにより、ヤンキースタジアムにゴジラの雄叫びがこだました瞬間を体験したことがあるか!?

ということで、5対3と追い上げられた3回の裏の先頭打者として登場したゴジラは右中間スタンドにライナーで叩き込み、1,999本目の日米通産安打は見事な井川への援護射撃となったのであった。しかし、今日の井川はそれでも調子が上がらず、4回の表にもタイムリー2塁打と本塁打でとうとう同点に追いつかれてしまった。4回の裏に再びリードしてもらった井川であったが、5回の表に2本のシングルヒットを浴びた後、胃が悪くなったヤンキースファンの雰囲気を感じ取ったトーレ監督は井川を諦め、ビーンにスイッチした。このミスター・ビーンもコメディのようにストライクが入らず、四球を連発するわ、城島にはタイムリーを打たれるわの火に油を注いだ状態でヤンキースファンの最大限のブーイングを浴びて早々とマウンドを後にした。結局15対11の乱戦を制したのはマリナーズでイチローと城島の健在振りを印象付けられた一戦であった。

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5月5日(土)

42nd Streetに位置するポートオーソリティバスターミナルから空港バス($15)に乗り、JFK国際空港からANA9便に搭乗すると待ち構えていたのはANAのパンフレットに登場しそうなほどの美人スチュワーデスであった。おかげで窓側に閉じ込められていた窮屈感も何とか我慢することが出来たのではないかと思われた。

5月6日(日)

機内でロッキー・ザ・ファイナルをはじめとする映画6本を鑑賞し、午後3時半頃に成田に到着、そのまんま流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代  ANA ¥189,010, Air Canada CA$375.26 + ¥12,520(税金のみ)

総宿泊費  $563.19, EU143.-

総ニューヨーク地下鉄代  $20.-

総ニューヨークバス、鉄道代  $42.-

総キューバタクシー代 CUC63.-

総キューババス代 CUC20.-

総トロント空港バス代 CA$33.90

総ハバナ空港出国料 CUC25

総キューバツーリストカード取得料 ¥2,100

協力 ANA, Air Canada, HiltonHHonors, Starwoods、キューバ大使館

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