FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 利尻島

♪僕の先生は~、フィ~バ~♪

ということで、現在巷で嵐を巻き起こしている水谷豊扮する熱中時代の北野広大は礼文島出身であるのだが、今回はその隣に浮かぶ利尻島に「あららららら~」と引き込まれることになってしまったのだ。

6月13日(金)

ジェイソンのメモリアルデーとなっている13日の金曜日に会社に行くと斧で首を切られるのを恐れて仕事場からエスケープすると7:00発ANA51便に乗り込みキャンプ場が多いはずの北海道を目指した。新千歳空港の2階は一大ショッピングセンターとなっており、北海道の名産品の見本市の様相を呈しているのだが、牧畜成金の田中義剛率いる花畑牧場(http://www.hanabatakebokujo.com/)がフル稼働で生産する生キャラメルはどこも入荷待ちの品薄状態であった。

空港内の花畑牧場の直営店が田中義剛が馬に乗って配達に来るはずの11時、14時、17時の時間限定で生キャラメル(¥850)の販売を行っているのだが、11時からの販売は既に長蛇の列となっていたので、近辺のANA FESTAの土産物屋に場所を移すと意外とあっさり購入出来たので早速試食してみることにした。口に入れた瞬間に溶け出すというのがキャッチフレーズなのだが、ギャグの切れ味の鋭い私の口の中が寒いせいか溶け出すのに多少のタイムラグが感じられた。肝心の味の方は当然のことながら森永ハイチューやアーモンドグリコが束になってかかってきても適わないものとなっている。

義剛のビジネスに貢献しながら空港で時間を潰した後、午後1時15分発のANA4929便利尻行きに乗り込むと1時間程度で夢の浮島である利尻島に到着した。早速島内を運行する宗谷バスに乗り込んだものの乗るべきバスの方向を間違えたため、沓形というこじんまりした港町に到着してしまった。沓形港で丁度礼文島から到着したフェリーが利尻山を背景に入港する光景を見て気を取り直すと周囲60kmあまりの島を南に向かって歩き出すことにした。

あいにく気温11℃の曇り空でしかも強い風が吹き抜ける中を利尻山を見上げながら歩いていると人面岩や寝熊の岩といった奇岩や北のいつくしま弁天宮といった海の守り神的なファシリティが相次いで姿を現した。とりあえず弁天宮に無事にホテルに到着出来るように祈りを捧げたのが功を奏したのか首尾よく自由乗り降り路線バスが追っかけてきてくれたので午後5時前には今回の宿泊先である旅館富士にしけこむことが出来たのであった。

旅館富士を擁する鬼脇は利尻島の沿岸漁業の基地であり、旅館のおかみが近くにある温泉を紹介してくれたので総合交流促進施設「北のしーま」内の温泉(¥500)に浸かりながら冷え切った体を常温に戻すことに成功した。旅館に戻るとそこには地元の海の幸をふんだんに用いたご馳走が待ち構えていた。利尻昆布で煮込んだカレイの煮付けやタラバガニ、ムラサキウニやバフンウニ、利尻昆布水に漬け込んだアワビ等を腹いっぱい召し上がると海にもぐる勢いで布団に潜り込んでしまった。

6月14日(土)

早朝7時14分の宗谷バスに乗り込み30分程で鴛泊フェリーターミナルに到着した。鴛泊は利尻島最大の港町でここから稚内や礼文島行きのフェリーに乗船することが出来るのだ。小雨のぱらつく中、鴛泊港からゆるやかな上り坂を3km程歩くと日本名水百選の「甘露泉水」が昏々と湧き出していたのでここでペットボトルに給水すると念願の日本名山百選の「利尻山」に立ち向かうこととなったのだ。

あいにくの天候の中、4合目付近の鴛泊登山道入り口を9時前にスタートするとぬかるんだ森の山道を慎重に踏みしめながら歩を進めた。道は次第に険しさを増し、足元にゴロゴロした岩の感触を感じながら濃霧の中を5合目、6合目、7合目と順調に登っていった。8合目を過ぎると山小屋があったのでここで冷え切った肉体を元に戻そうとしたのだが、汗の蒸発により気化熱を奪われ体がこわばってしまったので早めのゴールを目指し再スタートを切ることにした。

強風と濃霧の中9合目に到着するとそこには「ここからが正念場」という励ましにもならない無常な看板が掲げられていやがった。確かに火山礫が転がる急な斜面は一本尾根に沿って張られたロープを伝っていかないと登れない難所が続いており、強風にさらされながら凍える手でロープを握り締め滑落の恐怖と戦いつつ、何度も引き返そうと思いながらも何とか正午過ぎには標高1,721mの頂上に君臨することに成功した。

狭い頂上にはこじんまりとした神社が設えられており、天候の良い日であれば礼文島や遠くサハリンまで見渡せる景色を想像しながら、とりあえず無事に麓まで帰れるように切実に願をかけておいた。わずか数分間の頂上での滞在を堪能し、天候の更なる悪化による遭難を恐れてとっとと下山することにした。登りと同様に慎重にロープを使い、足場を確認しながら下山していると神社での5円の賽銭が功を奏したのか次第に霧が晴れていった。すると目の前には万年雪を湛えた山肌が姿を現し、遠く山麓には鴛泊の港町がうっすらと浮かんできた。

登りですれ違った前期高齢者で構成されているはずの山の会の登山者達をごぼう抜きしながら、何とか4時前には下山することが出来たのだった。尚、利尻山は利尻富士の名で親しまれており、雪の地すべりにより削られた山肌によってごつごつとした印象を受けるのだが、そこにはヒグマやヘビ等の危険な動物は生息していないのでまれに見かけるシマリスが食物連鎖の頂点に立っているのだ。

というわけで、一般的には登り6時間、下り4時間・全長8.4kmの鴛泊コースを短時間で制覇した私は麓の利尻富士温泉(¥500)で急速リハビリを実行し、バスで旅館へと帰っていった。旅館富士で再び毛ガニ、ホタテグラタン、サザエ、ウニ、アワビ、夕張メロン等のご馳走を堪能した後、部屋で一夜を明かしながら体力の回復を待たなければならなかった。

6月15日(日)

2日間にわたり、これでもかというほどの地元の海の幸を堪能させていただいた旅館富士を後にすると、バスに乗り込み野塚展望台に向かった。

マサよ、君はマクドナルドはハンバーガーの伝道師ではなく、日本で最初の英語教師であった事実を知っているか!?

ということで、野塚展望台には日本で最初の英語教師ラナルド・マクドナルドが捕鯨船からばっくれて漂着し、日本への密航を果たした地として上陸記念碑が建立されている。彼はその後長崎に護送され、牢獄生活中に多くの武士に英語を教え、日本初の和英辞典さえ作りやがったそうだ。

野塚から海岸線を歩き、さらに原生林の坂道を登ると姫沼という天気のいい日には湖面に逆さ富士を映し出す静かな人口沼に到着した。周囲には800mほどの木道が散策路として整備されており、お手軽な散歩道として利尻山に立ち向かうべく体力の無い老若男女に人気を博しているようだった。

姫沼からサイクリングロードを通り、フェリーターミナルから突き出した岬を見ながら鴛泊に向かった。利尻島の玄関口である鴛泊港に寄り添うように標高93mのペシ岬が異様な存在感を示しているので利尻富士登山で傷めた足を引きずりながら最後の力を振り絞って登頂することにした。頂上から見上げる利尻富士と眼下に広がるフェリーターミナルはマサに利尻島を象徴する光景であり、次回は北野広大を輩出した利尻島の相棒であるはずの礼文島を必ず制覇しなければならないと心に誓いながら利尻を後にしたのだった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥4,200

総宿泊費 ¥24,000

総利尻島バス代 ¥4,170

協力 ANA、楽天トラベル、宗谷バス

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