マサよ、君は日本国内で宇宙に一番近い島に上陸し、発射系の遺跡やファシリティで快感に耽ったことがあるか!?
ということで、紀元前FTBに一度訪れた実績のある種子島に今回満を持して再上陸を果たした目的は他でもない。地球上をすべて制覇したしまった後のFTBツアーのターゲットとしてすでに宇宙への旅の検討をしなければならない時期に差し掛かってきているからである。
1月27日(土)
午前6時50分発ANA630便にて鹿児島まで移動し、さらに10時20分発JAC3765便に搭乗し、約30分のフライトで新種子島空港に到着したのは午前11時くらいであった。空港のバス停に丁度本日の宿泊先であるいわさきホテル行きのバスが佇んでいたのでそれに乗り込み1時間ほどかけて島の南東部に位置するコスモリゾート種子島いわさきホテルにしけこんだ。
種子島唯一にして最大のリゾートであるこのホテルの目の前にはサーファーを魅了する波の高いビーチが広がっており、岩陰にひっそりと荷物を隠している裏サーファーが一人、シーズンオフの波に揉まれながら精神修養をしている様子が見て取れた。ということで、今日はひがな一日マリンブルーと荒波に削られた岩の景観を見ながら島でのスローライフを十分に堪能させていただいたのだ。
1月28日(日)
ホテルからバスで空港に戻り、近くのトヨタレンタカーでヴィッツを仕入れると再び南種子方面に車を転がした。種子島観光のハイライトは当然のことながら種子島宇宙センターであり、ここに来なければ種子島に来たことにはならないので小雨そぼ降る中、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の看板もまぶしいセンターの敷地内に侵入することにした。
宇宙科学技術館(無料)で各種ロケットのパーツを見学したり、宇宙に関する知識を吸収した後、一日3便催行されている施設案内ツアー(無料)の2便 13:30発に参加させていただくことと相成った。定員50名のツアーは観光バスに乗り込み、日本人初の女性宇宙飛行士である向井と同じ名を名乗るうら若い美女ともう一人の女性ツアーガイドの案内でスタートを切った。ツアーの最初の目的地として通常であれば大型ロケット発射場でエクスタシーを感じることになるのであるが、今回は発射準備のため、接近できないということでロケットの丘展望台から発射場を遠めに眺めるだけにとどまってしまった。
大崎第一事務所の巨大な倉庫にH-IIロケット7号機の実機が眠っているので見物させていただいた。尚、この7号機は先にローンチした8号機が不具合のため、発射に失敗したためにお蔵入りとなり、不具合解析の目的と同時にツアー客のさらし者にするためにここに置かれているとのことであった。ちなみにロケットは三菱重工の愛知工場で製造され、船で種子島に着岸し、大型トレーラーによる深夜の時速3kmのドライブにより、組立工場に輸送されやがるという事実が確認された。
ツアーの最後の目的地は総合指令棟というNASAのヒューストンスペースセンター内ミッションルームと比較して各段に見劣りする指令室であった。ここではロケット打ち上げに関する情報がすべて集約され、打ち上げが成功すると軽く三本締め等の儀式が執り行われた後、ロケットの追尾をして切り離されたパーツがよからぬ場所に落下して人類に影響を及ぼさないように管理をしたりするのであろう。
ということで、ロケット打ち上げに関するノウハウを会得したFTBは、マサの埼玉県立浦和高校の先輩である若田光一宇宙飛行士をヘッドハントして宇宙に乗り出す日も近いことが確信された。ところでマサよ、当然若田氏からは「若っ田!」という快諾とともにメーテル級の添乗員の取り揃えは完了しているのだろうな!?
ところで、宇宙とは趣を異にする発射系の旧跡として鉄砲伝来紀功碑が島最南部の門倉岬におっ建てられているので見物に行って来た。1543年にたまたま流れ着いたポルトガル人にイ(1)ゴ(5)ヨ(4)サン(3)で作りますと啖呵を切って鉄砲製作の技術を入手した当時の様子を想像しながら、近くにいた黒猫の案内で碑や展望台からの景色を堪能させていただいた。
島の東岸、宇宙センターから数キロ北上した浜田海岸に千座の岩屋という干潮時に姿を現す海蝕洞窟が中に千人座れる広さを提供していたので洞窟探訪に繰り出した。洞窟内部は広さもさることながら、複雑な構造になっており、種子島の荒波に削られた景観が独特の宇宙観を醸し出しているように感じられたのであった!!
総飛行機代 ANA \1,200、JAC \16,400
総宿泊費 ¥19,500(2食付き)
総バス代 ¥2,540
総レンタカー代 ¥6,300
総ガソリン代 ¥697
協力 ANA、日本エアーコミューター、トヨタレンタカー、いわさきホテルグループ