FTBSEAインド洋の真珠スリランカツアー

マサよ、君は外務省の海外安全情報(http://www.pubanzen.mofa.go.jp/)でスリランカに「十分注意して下さい」という警告が出されているにもかかわらずスリルを味わうために強行渡航し、刑事コロンボの活躍により、思いがけず現地が安全であることに気づかされた経験をしたことがあるか!?

2006年11月23日(木)

午前10時45分発ANA111便シンガポール行きB767-300ER機は定刻通り成田空港を離陸すると午後5時過ぎにはシンガポールチャンギ国際空港に到着した。空港からMRTに乗り込み、ハーバーフロント駅で下車するとシャトルバスにてセントーサ島を目指した。シンガポール最強のリゾートアイランドであるセントーサ島にS$2の入場料の支払いで侵入すると島内巡回バスに乗り、マーライオンタワー前で下車した。日もとっぷり暮れた闇の中で不気味な目を光らせているマーライオンタワーは本家のチャチなマーライオンよりもワイルドな作りとなっているのだが、それでも安っぽい印象をぬぐいさることは出来なかった。

チャンギ空港へと戻り、午後10時45分発SQ468便、シンガポール航空が誇るB777-200機に乗り込むと2時間半の時差を超えて深夜12時前にコロンボのバンダーラナーヤカ国際空港に到着した。空港のArrivalを出るとHilton Colomboの看板を掲げたおっさんが客待ち兼客引きのアクティビティを行っていたのでシャトルバスはないか聞いたところ、勝手に車を手配しやがったのでRs2000の支払いで午前1時過ぎには安全にホテルに到着することに成功した。

11月24日(金)

HiltonHHonorsゴールド会員の身分制度により17階のExecutive floorにアップグレードされていたので起き抜けに窓から外を見渡すとスリランカ随一の大都会であるコロンボの喧騒と目の前に広がるインド洋の洋々たる景色が広がっていた。ホテルはフォートという昔は島を防衛する砦があったのだが、今は行政と経済の中心になっている要衝地区に位置しているので街中では至るところに軍隊と刑事コロンボによる厳戒な警備体制が敷かれていた。

インドの喧騒を彷彿とさせるぺター地区では至るところがバザールでござ~るになっており、人ごみをかきわけて何とかセントラルバスターミナルにたどり着いた。排ガス規制のなされていない赤色の国営バスに乗り込み、エアコンなし窓全開状態で112kmの距離を3時間半もの時間をかけ、顔中すすだらけ状態になりながら古都キャンディに到着した。

世界遺産に認定されているキャンディはシンハラ王朝最後の都であり、遷都を繰り返したシンハラ王朝が16世紀末にたどり着いたのがこの地であり、それからイギリスの植民地となる1815年まで300年間の間、首都として繁栄したそうだ。キャンディの中心に19世紀初めに造られたキャンディ湖が佇んでいたのでまずは湖岸を一周してみることにした。

マサよ、君は陸の王者もびっくりするインドリクオオトカゲが水陸両用である事実に直面したことがあるか!?

ということで、キャンディ湖周辺を歩いていると♪そばかすなんて気にしない♪ほど色黒の少女に数多く遭遇することは想定の範囲内であったのだが、体調1mを超える巨大な爬虫類が水辺をノシノシ歩いたり、湖水浴をしている光景を目撃したことはマサに予想外であり、熱帯野生の王国スリランカの実力をマザマザと見せつけられた気がした。

キャンディ湖畔に佇んでいるスリランカを代表する仏教寺院として仏歯寺が君臨しており、ここに来なければスリランカに来たことにはならないと言われているので参拝させていただくことにした。土足厳禁の宗教ファシリティのため、靴を物じちにとられる必要があるのだが、靴を預けていると誠実そうに見える青年が仏歯寺の方ではなく、別のヒンドゥー寺院の方へ行けという合図をしたので黙って従うと彼が後からついてきやがった。観光地区恒例の頼んでもいないのにガイドを始めるという古典的観光商売の手法に乗せられていると気づきながらも心の優しい私は邪険には出来ないと思ったので奴のガイドに乗ってやることにした。

さすがに昔セイロンと言われていた島だけあり、彼の説明はすべて正論だと思われたので、とある寺院で日本人旅行者がRs2,000の寄付をしたというわざとらしいノートを見せつけられてそれがサクラ系だとうすうす感づいていたものの私もつられてRs1,000のお布施をしてしまった。その後シンハラ王朝の王宮系のファシリティ等を見学した後、ついに仏歯寺の境内(Rs500、写真撮影Rs150)に侵入することと相成った。

仏歯寺は肌色の壁に茶色の屋根で、シンハラ建築様式の八角形の堂が美しいバランスを保って建っており、お堂の中にはタイ、インド、日本等、世界各国の仏教国から拉致された仏像が奉納されているのだ。尚、仏歯の由来であるが、紀元前543年にインドでブッダを火葬した際、その中からやっとの思いで入手したブッダの歯を歯科技工士の加工を施すことなく奉納されているからであるが、この歯はセイロンで都が転々とするたびに一緒に運ばれてきたそうだ。

また、仏歯寺の見所のひとつとして故プレマダサ大統領に愛された象の剥製があり、そいつはキャンディを賑わす夏の風物詩であるペラヘラ祭では仏歯を背に街中を練り歩くという大役を長年務めてきたそうだ。今にも動き出しそうな巨象の剥製を見てゾ~としたせいかお布施を要求する象番の攻撃を自動的にかわすことに成功し、そのまま仏歯寺の境内に突入することと相成った。境内は至るところが鮮やかな装飾で彩られているのだが、最も印象的なのはブッダの一生が描かれている10数枚の仏教パネルであった。ところで仏歯寺観光を終える段階で押しかけガイドにUS$20もの大金をくれてやったので、お布施とあわせて間違いなく徳を積むことに成功したのは疑いようのない事実であったろう。

マサよ、君は日本でお払い箱になった払い下げバスがどこで余生を送っているか知っているか!?

ということで、キャンディからコロンボへの帰路にはインターシティという民営のバスを使ったのだが、エアコン完備のそのバスは昔日本で活躍していた仕様、外観そのものであった。尚、スリランカにはXXXXスイミングスクール、XXXX自動車学校、XXXX工務店という装飾が施されたマイクロバス等がそこかしこで活躍しているのだが、スリランカ人の日本語理解には一役も買ってないのではないかと懸念しながら冷房の微調整が効かない寒い車内でコロンボへ帰っていった。

11月25日(土)

早朝Hilton Colomboをチェックアウトするとインターシティバスターミナルでゴール(GALLE)行き(Rs150)日本製マイクロバスに乗り込み、インド洋沿岸南下ドライブと洒落込むことにした。バスに揺られて3時間程度経過した頃、オフサイドなしに相手チームのネットを揺さぶった時の快感を味わった感覚を覚えるとゴールに到着したことに気づかされた

世界遺産に登録されているゴール旧市街と要塞はもともとはアラブ商人たちの中継貿易港として栄えていた港町であったのだが、16世紀末にポルトガル人が入植し砦が築かれ、17世紀になると今度はオランダ人がその砦を拡張し、砦の中に町を造り、それが要塞都市ゴールの原型となっている。ゴールの町は半島を囲む砦の中の旧市街と、その北側の新市街に分けられるのだが、見所は旧市街に固まっているので赤茶色の石造りの時計塔をたよりに歩を進めることにした。ゴールには特にキーパーの姿も見あたらないので勝手に侵入することが可能であったので、まずは砦の上に沿って一周してみることにした。

土曜日の昼下がりということもあり、透明なインド洋に面する石砦にはゴールイン直前だと思われるカップルやアベックが溜まっており、フリーキックで壁を越えてネットを揺さぶりそうな熱気を充満させていた。一方、ビーチでは家族連れがのんきに海水浴やマリンスポーツを楽しんでおり、マサに沿岸部のワールドカップ状態と化していた。

ゴールには雨でのロスタイムも含めて90分ほど滞在し、決着が付かなかったが、延長戦を戦う気力も残されていなかったのでバスでコロンボに帰ってきた。Hilton Colomboで晩飯を食った後、ホテルに手配させた車に乗り込み、刑事コロンボの治安維持に感謝しつつ、そのままコロンボ空港まで引き上げることとなった。

11月26日(日)

午前1時10分発のSQ469便に搭乗し、深夜の機内食に目もくれることなく意識を失うと早朝シンガポール空港に到着し、午前8時45分発のANA112便にて帰国し、日本では刑事コロンボが着用しているトレンチコートが必要なほど冷え込んでいる現実に直面し、そのまま流れ解散となった。

FTBサマリー

総飛行機代 ANA = ¥9,220, シンガポール航空 = S$951.-

総シンガポールMRT代 S$3.8

総スリランカタクシー代 Rs4,000(Rs1=約¥1.1)

総スリランカバス代 Rs546

総宿泊費 Rs20,488

総仏歯寺ガイド料 US$20

総仏歯寺お布施 Rs1,300

協力 ANA、シンガポール航空、HiltonHHonors

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