FTBSEAメコンの恵みラオス首都ビエンチャンツアー

ミャンマーの首都ヤンゴンのデモで長井映像ジャーナリストが殉職した。やんごとなきお方であったため、非常に悔やまれる出来事であったのだが、長いものに巻かれるマサの意思を汲んでFTBが満を持してミャンマーに乗り込むことも考えられたのだが、今回は隣国のラオスで勘弁していただくことにしたのだった。

10月5日(金)

午後6時10分発NH915便バンコク行きに搭乗し、機内映画のダイハードに主演するブルース・ウイルスの頭が眩しかったため、十分な睡眠が取れないまま午後11時頃にバンコクのスワンナブーム国際空港に到着した。空港からシャトルバス(THB150)に乗り込むと1時間程で繁華街のシーロム通りに君臨するホリデーインにチェックインし、そのまま今日のアクティビティを強制終了させることにした。

10月6日(土)

早朝5時半にホテルをチェックアウトすると通常であればTHB500程度しかかからないタクシー代をTHB800のお支払いで再びスワンナブーム国際空港に舞い戻ってきた。午前7時35分発のTG690便、B737-400機に搭乗すると1時間ちょっとでラオスの首都であるビエンチャン国際空港に到着した。

空港に到着するとラオスに入国するためには事前もしくは空港にてビザを取得するため、写真が必要だという衝撃の事実に直面してしまった。コピー用紙に印刷したしょぼい写真しか持ってなかった私はその写真でビザが取得出来るのか戦々恐々とした面持ちで1時間ほど列に並んでいたのだが、ビザの窓口のおばちゃんに日本人で3日間しか滞在しない輩にはビザは必要ね~ぜと言われたのでほっとすると同時にこの1時間の不安と焦燥は何だったのだろうと思わされた。

何とか入国を果たすと予約しておいたNovotel Vientianeホテルは空港からそんなに離れていないため徒歩で向かっていると雨が激しくなってきたので午前11時前にホテルにしけこみ、Early Check inにもかかわらず部屋を提供していただけたので社会主義国にもかかわらず放映されているESPNの大リーグ放送を見ながら雨が止むまで時間潰しをしていた。

午後になって天候も小康状態を取り戻したので雨上がり決死隊を結成して町に繰り出すことにした。ビエンチャンは首都とはいうもののバンコクのような毒々しい高層ビル群はなく、通常のアジアの田舎町の様相を呈していた。また人口も少なく、人民の性格も控えめなのでトクトク等の乗り物に対する勧誘もマイルドに抑えられているのである。仏教国であるラオスには数多くのワット(寺院)があるのだが、タートダムという苔むした黒色の塔が町の中心で異様な存在感を示していた。

ビエンチャンの中心をほぼ南北に貫く大通りであるラーンサーン通り沿いにタラートサオというラオス最大のマーケットがある。ここにはさおやサオ竹だけでなく、食料品から衣服、電化製品等あらゆるものが販売されているのである。ラーンサーン通りの終点にパトゥーサイというパリの凱旋門を彷彿とさせる塔が町のランドマークのいでたちで立ちはだかっている。これは戦死した兵士の霊を慰めるために建てられた戦没者慰霊塔であり、ビエンチャンのシンボルとして堂々とした威容を示しているのだ。

ラーンサーン通りを南下し、ホワイトハウスと呼ばれる迎賓館を横目にタイとの国境を形成するメコン川の河畔に到着した。河岸には夕暮れ時から屋台が並ぶとのことで原住民は設営や仕込みに余念がない様子であった。ここでも観光客に対する押しの弱い呼び込みが展開されていたのだが、もう一雨きそうだったので今晩は撤収し、ホテルのレストランで魚の揚げ物を食いながらお茶を濁すことにした。

10月7日(日)

今日もすっきりしない天候ながらも何とか曇り空を維持していたので、ホテルでUS$を現地通貨であるキープに両替していただき、本格的に町に繰り出すことにした。町の北東部に45mの黄金の塔がビエンチャンのみならずラオスのシンボルとして光り輝いているので見物を決め込むことにした。タートルアン(Kip500)の起源は紀元前3世紀までさかのぼるといわれ、当時はクメール様式の仏塔が建てられたらしいが、現在は何年かおきに黄金に塗り直されている眩しい建造物になっている。

ラオスの考古学的な遺品、内戦時代の武器と現在の社会や経済を展示したラオス国立博物館(Kip10,000)にて遅まきながらラオスの歴史を学習させていただくことにした。ここではフランス植民地時代から社会主義革命にかけて、ラオス人民が圧政とどのように戦ってきたかが時系列でわかるようになっているのだ。

昨日ちら見した凱旋門もどきのパトゥーサイは展望台(Kip3,000)も兼ねているのでらせん状の階段を登り、内蔵されたみやげ物売り場を抜けて頂上からビエンチャンの景色を一望した後、オアシスというラオス伝統マッサージ屋でフットマッサージ(Kip40,000)を受けながら足に溜まった乳酸を拡散させることに成功した。

オアシスで一服の清涼剤のような爽快感を得ると丁度夕暮れ時になってきたのでメコン河岸を散歩がてらぶらぶら歩いているとメニュー片手に私の前に立ちふさがる青空食堂の客引きに捕まってしまったのでしょうがなく川べりの特等席につかせていただくことにした。とりあえず地ビールであるビア・ラーオとトムヤム系のスープと焼き魚と白ご飯を発注すると、出てきた瓶ビールはこの青空環境では信じられないほどキンキンに冷却されていた。川を眺めていると長尺のボートを駆る2人組みの漁師が川に網を投げ込んでしきりに魚を引っ掛けようと躍起になっていたのだが、私に供された焼き魚は明らかに目の前の川で水揚げされたものであった。私の口にしたものは普通の魚の塩焼きには違いないのだが、その白身魚は驚くほど美味であった。尚、その食堂とは関係のないおばちゃんやおね~ちゃんが常にあたりをうろついておりスルメとスルメあぶりキットをぶら下げて虎視眈々とイカの売り上げ増を狙っていたのだった。

10月8日(月)

タラートサオのバスターミナルからおんぼろバスに乗り、45分程でタイとの国境を形成するメコン川に架かる友好橋に到着した。その後、道は未舗装の凸凹道になり、合計1時間程かけてブッダパークに到着した。ここは正式にはワットシェンクワンという寺院だが、多くの仏体が無造作に置かれているところからいつの間にかブッダパークと呼ばれるようになったという。なるほど巨大な寝仏をはじめ数多くの仏体にお目にかかることが出来たのだが、所詮は出来損ないの箱根芸術の森美術館だとブッタ切られても仕方のない代物であると思われたのだ。

バスでビエンチャンに戻り、ワットホーパケオ(Kip5,000)、ワットシーサケート(Kip5,000)といった正統派の寺院を見学し、何とかブッダパークの残像を消し去ることに成功した。これらの寺院は博物館になっており、本堂は歴史的価値も高く、寺を守る仏像たちも細い目を開けながら侵入者が入ってくれば「ぶつぞ~」というような雰囲気を醸し出していた。

マサよ、君はぬるまビールを片手にメコン河畔に沈みゆく太陽を見ながら郷愁に耽ったことがあるか!?

ということで、ラオスの最後の晩餐を飾るべく、メコン河岸をさまよっていると座敷を供えた青空食堂のおに~ちゃんが控えめに客引きしてきたので誘いに乗ってやることにした。座敷童子になった気分で特等席に陣取り、正三角形背もたれ座布団に体を預けようとすると汗臭いすえた香りが漂ってきたので前かがみの体勢で接触を避けることにした。早速ビア・ラーオとポテトフライと鶏肉のしょうが焼きを発注したのだが、出てきたビールは昨日の他の食堂のものとは打って変わって生ぬるいものであった。しかしながら、それは郷愁を誘うような生ぬるさであり、大河の暮れなずむ風景と相まって再びラオスへ来なければならないのではないかと思わせるようなセッティングとなってしまった。

午後9時30分発TG693便にてバンコクへ戻り、成田へと帰るANAのNH916便はお約束のビジネスクラスへのアップグレードとなった。同便は早朝に成田に到着するため、スチュワーデスからたたき起こされて朝飯を食わされるのがよいのか、そのまま寝過ごす方がよいのか選択を迫られたのだが、とりあえず飯は食うぜと注文しておいた。

10月9日(火)

午前8時過ぎに成田に到着、そのまま流れるような勢いで会社に出社。

FTBサマリー

総飛行機代 ANA = \7,540  タイ国際航空 = THB8,340

総宿泊費  THB3,204.97  $151.8

総空港バス代 THB150

総タクシー代 THB800

総ラオスバス代 Kip4,000

ラオス国際空港使用料 $10

協力 ANA、タイ国際航空、PriorityClub(http://www.ichotelsgroup.com/h/d/6c/490/ja/home

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