建国50周年を記念したVisit Malaysia 2007というキャンペーンにより、観光客集めに躍起になっているマレーシアの国土はマレー半島だけでなく、ボルネオ島の北東部にも広がっている。高温多湿の熱帯雨林を育むボルネオ島は野生動植物の宝庫となっているのは言うまでもないのだが、豊富な天然資源にも恵まれ、それを発掘するための起点となる都市も発達しているのである。
2007年11月21日(水)
午後1時30分発のNH5851便、全日空とマレーシア航空のコードシェア便は満席の乗客を乗せ、午後8時過ぎには世界のベストエアーポートに選ばれたクアラルンプール国際空港(KLIA)に到着した。明日の早朝便に対応するため、今夜はホテルにしけこまずに空港内のベンチにごろんと横になり、意識朦朧のうたた寝状態で時間をやり過ごすことにした。
11月22日(木)
まだ意識が十分に回復していない午前4時にMH2638便に搭乗すると2時間半のフライトでボルネオ島の北東部に差し掛かったのだが、ふいにみそ煮や塩焼き、酢でしめられる青魚の感情がこみ上げてきた。飛行機から降りるとそこには「ようこそサバ!州」の横断幕がかけられており、観光熱のエネルギーとなるはずの油が乗ってきた感覚を覚えたのだ。
曇天の空模様の下、空港からコタキナバル市街地までの8kmの道のりを徒歩で移動し、汗とともに油を飛ばした後、スターバックスでカフェインを補給し正常な意識を取り戻した。早速サバ州の歴史をレビューするためにサバ州立博物館(RM15)に進軍することにした。原住民であるルングス族とムルト族のロングハウスを模した4階建ての本館にはサバ州の自然、動物、昆虫、サバ州がたどった歴史に関するものが展示されているのだが、第二次世界大戦中には日本の大東亜共栄圏の一部として天然資源を供給していた様子も垣間見ることが出来るのだ。また、隣接する伝統村には実際に使われていたロングハウスや伝統家屋を移築し、それらが周囲の池の水周りの環境にマッチするように屋外にモデルハウスよろしく展示されていた。
マレーシア国内で多数の信仰者を誇るイスラム教徒の心の拠り所になっている州立モスクに靴を脱いでお邪魔させていただき、信者の邪魔にならないように気をつかいながら内装の見学を実施した後、今回のツアーの宿泊地となっているル・メリディアン・コタキナバルにチェックインすると長旅と寝不足による疲れを取るためにダラダラと過ごさせていただいた。
11月23日(金)
コタキナバルから88km北東に東南アジアの最高峰として有名なキナバル山が頭を雲の上に出していると聞いていたのでミニバス(RM15)で2時間程かけてキナバル公園(世界自然遺産)まで足をのばすことにした。午前10時半頃に現地入りするとまず国立歴史ギャラリー(RM3)にてキナバル山の地形、植生、地質などを学習することにした。ここでは火山でないにもかかわらず、毎年数ミリづつ隆起しているキナバル山の色つき模型やムシキングに登場するであろう巨大色鮮やかカブト・クワガタムシの標本等を凝視することに成功した。
続いて山岳植物園(MR5)にて熱帯雨林に繁茂する木や草花を愛でた後、登山ゲートまでの4kmの道のりを歩くことにした。数多くのバス、タクシー、自家用車に抜かれながらも1時間程度で何とか標高1,890mの登山ゲートに到着した。キナバル山の登山道はよく整備されており、標高4,095mの頂上まで気軽に登ることが出来るのだが、登山のためには登録やガイドを雇ったりする必要があるので今回は固く閉ざされたゲートの前に立ち尽くして我慢するしかなかったのだ。尚、ゲートの近くに展望台があり、登山が出来ない輩はリュックを抱えて登山道を行き来する山男、山女を壁女の面持ちで指を加えて眺めることが出来るのだ。
登山ゲートからぬかるんだ川沿いのトレッキング道を経由してビジターセンターに戻り、そこでキナバル山のスライドショーや資料館を見物した。ボルネオ島にはここでしか見られない固有の植物があるのだが、食虫植物であるウツボカヅラや花びらが1mにもなるラフレシアが代表的なものである。尚、本物のラフレシアを見るためにはジャングルの奥深くにヒルに血を吸われながら侵入する必要があるので今回は近くに野ざらしにしてあるオブジェで我慢しておいた。
夕刻にコタキナバルに戻ってくると、シグナル・ヒルというダウンタウンと海や近隣の島を見渡せる高台からヒルに血を吸われる心配なく景色を堪能させていただいた。下界に戻り、沿岸部埋立地に広がるセントラルマーケットに焼鳥の煙に吸い寄せられるように舞い込んだ。夕方のマーケットには数多くの屋台が出店しており、地元で水揚げされた数多くの種類の魚や海老が炭火の上で焼かれたり、焦がされたりしており、椅子に座って格安ディナーを満喫することが出来るようなシステムになっていた。
尚、今夜は屋台ではなく、バナナ・リーフ・レストランというバナナの葉が皿代わりのインド料理屋に入店し、名物フィッシュヘッドカレー(時価)をRM18で発注した。この食い物は普通のカレーに地元で獲れたそれなりの大きさの魚の頭部と上半身が浸されており、小骨のハンドリングさえ苦にならなければ魚の頭部の髄から出たエキスとインドカレーの絶妙なコラボレーションを十分堪能することが出来るのだ。
11月24日(土)
コタキナバルの市街地は南シナ海に面しているものの埋立地が多く、海水浴を楽しむためには近郊の島々までボートで行くことが一般的になっている。トゥンク・アブドゥル・ラーマン公園という大小5つの島から成る海洋公園があり、その中のサピ島に最もきれいなビーチがあると聞いていたのでボート乗り場から高速ボート(往復RM17)を泳がせて上陸を試みることにした。ボートは高速モーターが付いているものの6人程度しか乗れない小型船なので波の影響をもろに受け、木の葉のように翻弄されながらも波の上をジャンプし、そのたびにケツに大きな衝撃を受けることとなった。
荒波でずぶ濡れになり、ボートのジャンプとケツを浮かせるリズムがかみ合ってきた頃、サピ島の船着場に到着した。ボートのパイロットからシュノーケルを受け取り、サービスかと思っていたがRM10を要求されたので支払いに応じながらサピ島への上陸を果たすことと成った。島の入り口で上陸許可料(RM10)を巻き上げられた後、ベンチの場所取りをして早速波に揉まれることにした。尚、レンタルしたシュノーケルは管を加える部分が噛み切られていたため、通常の水中めがねに成り下がっていた。
土曜日の島内には多くの地元イスラム教徒女性もにわかバカンスに来ており、彼女らは頭にスカーフを巻いたまま泳ぐ実態が確認出来た。ビーチとサンゴ礁が美しいサピ島とのふれ込みであったが、今回はサンゴ礁の死骸が足に食い込んできただけで生きたサンゴ礁に水中でお目にかかることは出来なかった。また、海の透明度はそんなに高くなく、魚も白身魚系のものを数尾目撃しただけであった。
マサよ、君は官僚組織内でトカゲのしっぽ切りに興じる輩に成り下がってないか!?
ということで、サピ島のビーチ自体は目を見張るほどのものでもないのだが、島の深部にはおなじみの熱帯雨林が広がっており、そこからバーベキューの残飯を求めて奴らがやって来るのだ!面長の顔にうろこに守られた流線型のボディ、腕立て伏せの出来ない短い手足をゆっくりと動かしながら体長1mにも達するほどのオオトカゲが数匹バーベキュー場を我が物顔で歩き回り、観光客に愛嬌と脅威を与えているのだった。
再びコタキナバルへの帰路へ着くためにボートに乗りこんだのだが、乗客はボ~として海に落ちても差し支えないようにライフジャケットが着せられているのだ。何とかトカゲやサメの餌にならずに生きながらえて帰って来れたので、今日はセントラルマーケットの屋台でディナーを満喫することにした。とりあえず名も知れぬ白身魚を指名し、車海老系の海老を2尾とパサパサのライスをプラスティックの器に盛っていただき夕飯としたのだが、トータルでRM18程度の支払いであった。尚、屋台の焼鳥系の串物の相場は1本でRM1(¥30)、3本でMR2なのだ。
11月25日(日)
早朝6時35分のMH2637便でKLIAに戻り、NH5852便にて午後7時くらいに成田に到着。切り取ったトカゲのしっぽをマサへの手土産にすることもかなわずそのまま潮が引くように流れ解散。
FTBサマリー
総飛行機代 ANA = \2,180、マレーシア航空 = RM778.- (RM1 = \30)
総宿泊費 RM870.-
総バス代 RM30.-
総ボート代 RM17.-
総タクシー代 RM30.-
協力 ANA、マレーシア航空、STARWOODS