ボンジュール マサよ! サバ(鯖)!!
というわけで、マサが悪徳官僚に成り下がっているのであれば、将来地獄にいちばん近い島に流れることが約束されているはずであるが、ブレンディコーヒーを飲みながら時をかけてきた原田知世は天国にいちばん近い島を訪れて以来、今だにその若さと美貌を保っている。
今回はその舞台となったニューカレドニアの島々がどれほど天国に近いのかをこの身をもって確認するために赤道を超えてはるばる南太平洋までやって来たのだった。
2012年7月8日(日)
角川事務所が原田知世を擁して開拓したリゾート地であるニューカレドニアへの日本からの直行便のフライトは曜日により成田と関空から出発する便があるのだが、ニューカレドニアの国際航空会社であるエアーカランのWEBサイトを精査しているとソウルから飛んだ方が割安になることが判明したので10:55発NH907便でまずは成田からソウルの仁川に移動することにした。
午後1時過ぎにアジアのハブ空港としての勢力を拡大している仁川国際空港に到着すると空港バスで東大門に向かったニダ。東大門を横目にHotels.comに予約させておいたアパート風の宿であるウルジロコープレジデンスにチェックインすると久しぶりにソウルの街中を散策してみることにした。
東大門はアパレル系の卸売と小売で賑わう一大商業地区で巨大なデパートと商店街では日本よりも勢いを増しているソウルっ子と円高という追い風に乗って日本からやってきた観光客が仁義なき財布の紐の緩め合いに没頭していたのだニダ。
明洞まで移動して韓流系の美女がいないかニカと思って群衆に揉まれてみたのだが、大した成果が見られなかったのでホテルに戻ってテレビを見ることにした。K-Pop系の番組では日本でお馴染みのグループが日本語で歌っていないのに違和感を感じたのでそそくさとNHKにチャンネルを変えて平清盛を見ながら身を清めることにしたスミダ。
7月9日(月)
早朝地下鉄と空港鉄道を乗り継いで仁川空港まで移動するとニューカレドニアの首都であるヌメア行き10:30発SB701便に乗り込んだ。ニューカレドニアはフランス領であるために機内はパリからエールフランス機を乗り継いでやってきたムッシュー、マダム、マドモアゼルで溢れており、すでに高貴なフランスの雰囲気を漂わせていた。
約9時間の長時間フライトでヌメアのトントゥータ国際空港に到着したのは2時間時計の針の進んだ午後10時くらいであった。つつがなく入国審査をパスし、空港のATMで現地通貨であるフレンチ・パシフィック・フラン(CFP)を20,000ほど引き出すと空港送迎サービスのシャトルに3,000フランもの大金を払ってヌメアの中心部に向かった。
agodaに予約させておいたヌメアの中心街に位置するベスト・ウエスタン・ホテル・ル・パリにチェックインしたのは日付も変わろうかという時間帯であったので何はともあれベッドに横になって天国の夢でも見ることにした。
7月10日(火)
ニューカレドニアはシドニーの北東約1970km、南回帰線のやや北に位置している南の楽園であり、細長い本島であるグランドテール島は南太平洋でニューギニア、ニュージーランドに次いで3番目に大きい島である。ニューカレドニアの首都は本島のほぼ南端の小さな半島を覆うように広がるヌメアで地球の裏側にあるもうひとつのパリとも称されるほど洗練された雰囲気を持っている町である。
プチ・パリとも言われるヌメアの食生活を支えている朝市に朝一から繰り出してみると、そこには新鮮な魚やカラフルな果物や野菜が高値で取引されているのだが、物価レベルは本国のフランスや日本よりも若干高いのではないかと感じられた。
ヌメアのへそであり、人々の憩いの場所となっているココティエ広場を通り過ぎて自動車通り沿いを北東に向かって歩いていると海沿いにモクモクと煙を発している巨大な工場が現れた。これはニューカレドニアの経済を支えるニッケル工場で日本が輸出先の筆頭になっているという。おそらくマサが桜宮造幣局で500円硬貨を製造していた時の原料となっていたニッケル銅のニッケルはここで発掘されたものだと予想される。
坂道を数キロ駆け上がると標高167mのモンラベルの丘に到着した。ここからはヌメアの町並みだけでなく、ニューカレドニア南部を取り巻く環礁なども遠巻きに眺められ、ヌメア屈指の展望台として格好の労働者の休憩場所になっているのである。
動物園、植物園、自然公園を融合したニューカレドニアを代表する施設が森林公園(CFP400)として地元民と観光客の憩いの場所になっているので入ってみることにした。動物園エリアにはニューカレドニアの島々をはじめ、世界各国から取り寄せられたカラフルな鳩、インコ、オウム、コウモリ等がカゴの中で自由を奪われているのだが、孔雀だけは自由に園内を動き回る権利が与えられているようだった。
ここでの最大の見ものはニューカレドニアの国鳥カグーであるのだが、空を飛べない奴らは絶滅の危機に瀕しているため保護が必要で、犬猫のような獣系の鳴き声を発しながら家具のない飼育エリア内を元気に走り回りアイドル的な人気を誇っているのだ。
ヌメア中心部のベスト景観スポットとしてエフ・オー・エルの丘が小高く盛り上がっているので登ってみると丘の上のショッピングセンターは閉鎖されている様子で、ここも少なからずヨーロッパの不景気の影響を受けている現実が示されていた。しかし、丘の上からモーゼル湾を望んだ絶景は普遍の美しさでこの風景が観光パンフレットに使われているのもうなずけるのだった。
丘を降りて2本の尖塔が天を指すセント・ジョセフ教会を礼拝し、さらに下ってふと教会の方を見上げるとその背後のエフ・オー・エルの丘の上に立つ潰れたショッピングセンターが助けを求めているように感じられてならなかった。
ヌメアの市街地の先にアンスバタというビーチリゾート地があり、今日はそのエリアに宿泊する予定になっているのでリゾートホテルとショッピングセンターの立ち並ぶ楽園を目指して歩いていた。道行く途中でタバコを所望する原住民に断りを入れると奴は地団駄を踏んで悔しがるオーバーアクションを示したものの何とかagodaに予約させておいたホテル・ル・サーフにたどり着いた。
チェックインするとほどなくサンセットが迫ってきたのであわただしくビーチに飛び出し、太陽が水平線に沈むのを見守っていた。太陽が沈んだ瞬間に緑色の光を見ると幸せになれるという伝説があるため、まばたきもせずに西の空を見守っていたのだが、心なしか淡い緑が私のまぶたを横切った気がして仕方がなかったのだ。
7月11日(水)
早朝ホテル・ル・サーフをチェックアウトして目の前のバス停からバスに乗り、ヌメアの中心部に向かった。そこからバスを乗り換えて国内線専用のマジェンタ空港に向かう腹積もりだったのだが、バスがタイムリーに来なかったので3km程の道のりを歩いて8時前にマジェンタ空港に到着した。9:00発Air Caledonieが運行するTY307便に乗り込み、離陸すると眼下にヌメア周辺の環礁の絶景が広がった。
ヌメアの環礁を見た興奮も覚めやらぬ間に飛行機は高度を下げ、雲が切れるとそこには緑色のヤシの林と抜けるような青のグラデーションとどこまでも続く白い砂浜がまるで天国への扉が開かれたかのようにその全貌を露にした。時をかける少女の尾道とともに原田知世の聖地と称されるはずのウベア島こそマサに「天国にいちばん近い島」と定義されているのだが、この島はヌメアから北に40分程飛行して到着する半月形の陸地と世界遺産に登録された環礁が織り成す夢の世界である。
何もない典型的な離島の空港であるウベア空港に10時くらいに到着するとこの島での宿となっている民宿ココティエのバンに乗り込み、島の最南端に向かった。ひと口にウベア島といわれている所は、中央がくびれた細長いウベア島と南端のムリ島から成り立っているのだが、ココティエはムリ島に位置しているので橋を渡ってしばらくするとムリ湾に面する質素な宿に到着した。
ヌメアではたいていどこへ行っても英語が通じたのだが、ここではフランス語しか通じなかったため、宿に到着し、部屋があてがわれると後はひたすら放置プレイとなったのだった。とりあえず、宿の目の前のムリのビーチに出てみたのだが、そこには真っ白なパウダーサンドのビーチがはるか天国に向かって続いているかのようであった。
宿に向かう途中ですでに「天国にいちばん近い島」におけるウベアでのロケ場所の目星をつけておいたのでさわやかな風を受けながら徒歩でまっすぐ伸びる一本道を一時間程トボトボと歩いていた。観光地にありがちな商業主義的設備が一切ない素朴な島で貴重なカフェを見つけたので鳥肉とご飯の定食を食っているとそこで養われている白猫も海と同じ色の目を持っていることが確認されたので、これはマサに天国にいちばん近い猫に違いないと思われた。
ウベア島とムリ島を無理やりつないでいるムリ橋は1981年に架けられたものであるが、この橋のあたりから見るレキン湾や対岸のファヤワ島などがウベアで最も美しい所といわれている。
海の色は雲の流れとともに刻々と色を変え、そのまま紺碧の空まで繋がっており、今まで見たこともないような美しい青に包まれていると昇天しそうになったので意識をなくす前にココティエに引き上げることにした。
ココティエのすぐ先に映画にも登場したカラフルな教会が南洋杉の並木の向こうに静かに建っていた。さらに近辺を散策しているとすでに天国に召された方々はビーチ沿いのお墓に埋葬されている様子で、十字架がきれいな花々で彩られているところからこの場所と天国との距離がいかに近いかを実感させられるのだった。
7月12日(木)
昨日の放置プレーで宿主とほとんどコミュニケーションを取れなかったため、予約が必要な夕食を食い損ねたためビールで空腹をしのぎ、今朝は今朝でペプシの炭酸で胃の容積を満たすと颯爽と朝の散歩に繰り出すことにした。
ムリ島の最西端のムリ岬まで足を伸ばしてみたのだが、そこはムリ・ビーチで見た白い砂浜とは異なるゴツゴツした岩礁地帯で海の色がより透明に見えるため、心が洗濯板で洗われるような感覚に陥ってしまうのだ。
ムリ岬から戻る途中の民家に豚を囲っている柵があったのだが、そこで生を受けた子豚は小回りを利用して柵の間から自由に出入りを繰り返し、親豚をやきもきさせていた。豚を適当におだてた後、民宿に戻ると依然として放置プレイが継続されていたので天国のようなビーチを眺めながら空港への送迎の時間が来るまで十分に現実逃避させていただいた。
放置プレイの割には予約や客の管理がしっかりしているココティエのバンで空港まで送ってもらうと16:00発TY316便に乗り込み、名実ともに「天国にいちばん近い島」であることが実証された夢の世界を後にした。
5時前にヌメアのマジェンタ空港に戻り、引き続き17:50発TY417便に乗り込むとニューカレドニアで最も人気のある離島と言っても過言ではないイル・デ・パンに向かった。30分程度のフライトで全く何もなかったウベア島の空港よりもずいぶん商業化されているイル・デ・パンの空港に到着すると迎えに来ていたホテル・コジューのバンに乗り、そのわずか30分後にはすでにチェックインを果たしていた。英語が通じるホテルの受付嬢が気を利かせて時間外にも関わらず夕食の予約を勧めてくれたので今夜はホテルのレストランで割とまともな食事にありつけることが出来たのであった。
7月13日(金)
フランス語で松の島という意味を持つIle(島)Des(の)Pins(松)をヨーロッパ人として初めて訪れたのはキャプテン・クックと言われている。おっちょこちょいなキャプテンはこの島に群生している杉の木を松と勘違いしてイル・デ・パンと名付けたというスギちゃんもくっくっと笑いをかみころさなければならないほどのワイルドなエピソードが残っている。ところで、朝食でオーダーしておいたコンチネンタル・ブレックファストは特に「パンいるで!」とも頼んでないのにテーブルにはパンしか並んでなかったのだ。
今回宿泊させていただいた島の西部のワメオ湾のビーチ沿いに立つホテル・コジューで椅子の硬いマウンテンバイクをレンタルすると島を1周する全長40kmの舗装道路を通ってイル・デ・パンの見どころを一通りなぞってみることにした。この島の観光の中心は南部にあるクト湾とカヌメラ湾周辺で、このあたりにホテルや民宿が集まっている。クト湾にはヌメアからのフェリーが着岸する桟橋があり、それを取り巻く海は世界遺産の環礁にふさわしく、底抜けの透明度を誇っていた。
クト湾に隣接するカヌメラ湾はさらに景観が美しく、波に侵食されて空中に浮いているかのように見える小島まではパウダーサンドの細道が続いていた。南半球に位置するニューカレドニアの季節は冬で、この時期の最低気温は15°程度まで下がるために水温が低いので気軽にスノーケリングをする気分にはならないのだが、及び腰の日本人観光客を横目に若いヨーロッパ人はビキニで水面に浮いていたのだった。
岩場の近くは水生生物の格好の隠れ家と見え、カラフルな熱帯魚が元気に泳ぎ回っていた。また、自給自足で海から食材を得ているはずの原住民はルアーを海に放り投げてうまそうなイカを見事に引っ掛けやがったのだ。
クト地区から4km程東に進んだ島の南端にある集落はバオというイル・デ・バンの一番の中心となる村である。最南端のセント・モーリス湾のビーチには最初のカトリック教徒が上陸したという記念碑がうやうやしく建てられている。記念碑の周りをメラネシアの魔除けの木彫りが取り囲み、一種異様な風景に見えるのだが、木彫りの魔除けの表情はどれも個性的で微笑ましいものであった。
バオ村の中心には立派な教会や素朴な青少年を教育する学校もあり、ここで古来からのメラネシア文化とフランス文化が融合され、新たな歴史と伝統を作り上げているのであろう。
過酷なサイクリングによりダメージを受けている股間とケツに鞭打ってバオ村から一気に島の中央まで駆け上がり、そこから島の東部のオロ湾に向かった。島随一の☆☆☆☆☆ホテルであるル・メリディアン・イル・デ・バンを擁するオロ湾にはピッシンヌ・ナチュレルという天然のプールがあり、スノーケリングのメッカになっているのだが、ローシーズンのためか、ひとけがなかったのでそそくさと撤収することにした。
今でこそ「海の宝石」という異名で多くのリゾーターを集めているイル・デ・パンであるが、かつてフランス人たちはこの島を政治犯の流刑地として多くの囚人を集めていた。囚人は主にパリ・コミューン(パリの革命的自治政権)の政治犯で、当時のオルタンス女王の同意により、島の西部は流刑者が、原住民は東部に住むといった取り決めがなされていたのである。そのため、島の西側には流刑地の跡や共同墓地が数多く残っているのである。
夕暮れ時にホテル・コジューに帰還すると丁度サンセットが佳境を迎え、雲と水平線の隙間からわずかに太陽が沈んでゆく姿を拝むことが出来た。6時前に送迎のバンに乗り込むと空港まで移動し、18:50発TY418便を静かに待っていた。結局出発時間はこれといったアナウンスもなく1時間もの遅れを出したため、ヌメアに到着した時間は8時をかなり過ぎた頃であった。
マジェンタ空港から明朗会計で名高いタクシーに乗り、ベスト・ウエスタン・ホテル・ル・パリまで送ってもらうと隣のカフェで高値のサラダを食いながら時間潰しをすることとなった。9時過ぎにあらかじめ予約していたトントゥータ国際空港行きのシャトルバスに乗り込むと1時間弱で空港に到着し、いそいそとチェックインをした後、土産のコーヒーを買ってフライトの時間が来るのを待ちわびていた。
7月14日(土)
00:05発SB700便は定刻通りに出発すると行きの飛行機で会った時には私に韓国語で話かけていた韓流スチュワーデスが、飲み物サービスの時に一瞬躊躇したものの帰りの便ではすべて英語で話すという学習効果を発揮しながら9時間余りを機内で過ごしていた。
定刻の8時前に仁川国際空港に到着し、入国すると列車で金浦国際空港に移動した。12:40発NH1162便は定刻通りに出発し、3時前には羽田空港に到着となった。東京には夢の島があるが、天国とは程遠いと思いながら流れ解散。
FTBサマリー
総飛行機代 ANA = ¥10,230、Air Calin = W1,202,500 (W1 = ¥0.07)、Air Caledonie = CFP41,080 (CFP1 = ¥0.83)
総宿泊費 ¥19,025、CFP10,960
総ソウルバス代 W10,000
総ソウル地下鉄・鉄道代 W8,350
総ニューカレドニアバス代 CFP400
総ニューカレドニアタクシー代 CFP1,100
総空港送迎代 CFP9,800
総レンタサイクル代 CFP1,500
協力 ANA、Air Calin, Air Caledonie、Hotels.com、agoda、Caledonia Spirit (http://www.caledoniaspirit.com)