奥東南アジア ラオスの桃源郷ルアンパバーン

水島上等兵に敬意を表してビルマの竪琴ツアーを実施するためにミャンマー行きの航空券をすべて手配し、満を持してミャンマー連邦大使館に観光ビザの申請に行ったのだが、、申請窓口の不機嫌そうな女性事務員が言うには何とビザの発行に一週間も要するというではないか。しかも私が大使館に出向いたのは出発の2日前だったのでもはやビザの発行を待っているとANAご利用券を使って購入したE-ticketが紙くずならぬEくずと化してしまい、マサに竪琴の弦が切れかかった窮地に陥ってしまった。。私の経験則から言うとブラジル大使館は人情にほだされてビザを予定より早く発行してくれた実績があったのだが、軍事独裁政権主義のミャンマーは頑として融通を利かそうとはしないので水島上等兵に「いっしょにニッポンへ帰ろう!」と呼びかけるミャンマー行きは延期せざるを得なくなってしまった。

高級官僚のマサであればその権力を盾に八百長をしてでも即日でビザを発行させたであろうが、ガチンコで勝負しなければならない私はすかさずバックアッププランの検討に取り掛からなければならなくなったのだった。バンコクから短時間で移動が可能だという要件から2007年の10月にラオスの首都ビエンチャンを訪問(http://www.geocities.jp/takeofukuda/2007laos.html)し、雄大なメコン川を眺めながら再びこの地に戻らなければならない望郷の念に駆られていたので、今回はラオス北部の世界遺産都市ルアンパバーンに急遽足を踏み入れる決断が下されたのだ。

2011年2月24日(木)

夜中12時半出発の羽田発NH173便バンコク行きに乗り込むと同時に目隠しを装着し、どうしても私に挨拶をしないと気がすまないスチュワーデスの干渉を避けていると午前5時過ぎにはバンコクのスワンナブーム国際空港に到着した。次の便の乗り継ぎ迄の間に広い空港内を闊歩したのだが、巨大な免税ショッピングモールに設置された古代仏教のフェスティバル系のオブジェが圧倒的な存在感を示しているのを目の当たりにした。

バンコクエアウェイズが運行するPG945便ルアンパバーン行きは定刻13時30分に離陸すると約1時間40分のフライトで国際空港に到着した。空港のATMでラオスの通貨であるキープを引き出して当座の生活資金をキープすると、早速タクシーチケットカウンターでタクシーを発注し、20分程度で今回の宿泊地であるバン・ランカーン・ゲストハウスにゲストとして迎えられることと相成った。チェックインの手続きもそこそこにメコン川とその支流のナムカーン川に挟まれたルアンパバーンの中心地を彷徨うことにした。

ラオスの北部は、そのほとんどが山岳部で形成されており、その山々の間に世界遺産都市ルアンパバーンが桃源郷のように存在し、その魅力から多くの欧米観光客の楽園となっている。なるほど川べりには多くのホテルやゲストハウスが軒を連ね、皆一様に川を見下ろすようにバーやレストランを開業させている。水深の浅いナムカーン川ではたくさんの児童たちが水遊びに興じており、マサに古き良き時代の日本の田舎の風景を思い起こさせてくれるのであった。

大河メコンに多くのスローボートが繋留されているのを確認し、メインストリートに移動するとそこはナイトマーケットの出店準備をしている原住民で賑わいを見せ始め、大事な売り物を足蹴にしないように注意をしながらゲストハウスに引き上げていった。

2月25日(金)

ルアンパバーンでは特定の建造物ではなく、町全体が世界文化遺産に登録されているのだが、今日は大小あわせて70以上もの寺院のうち、代表的なものをお参りさせていただくことにした。

ルアンパバーンのシンボルになっているワットシェントーン(Kip 20,000)は1560年に建立された寺院でラオスの寺院の中で最高の美しさを誇ると言われている。本堂は「ルアンパバーン様式」といわれるスタイルで建造されており、屋根が大胆に湾曲しているのが特徴とされる。

ホーラーサロットと言われる車庫には実際に1960年に行われたシーサワンウォン王の葬儀で使用された霊柩車が収められており、その金の装飾が王の圧倒的な権威を示しているように思われた。敬礼をしている寝仏が納められた祠は「レッドチャペル」との異名をとり、その名の通り、ピンク地モザイク画で彩られている。

ルアンパバーンの中央にそびえる高さ150mの小高い山プーシー(Kip 20,000)はかつて神様に導かれてこの山に辿りついたという仙人の山で頂上にタートチョムシーという塔が建っている。頂上からはメコン川とナムカーン川の間に広がるルアンパバーンの町を見下ろすことが出来、町の構造を鳥瞰的に把握するのに一役買っているのだ。

プーシーから下山して麓にあるこじんまりした寺院の古い壁画に目を通した後、かつて王宮だった建物を利用して王朝時代の歴史を展示しているルアンプラバーン国立博物館(Kip 30,000)を見学することにした。ルアンプラバーンはこの町の旧名称であるのだが、館内には王族が使用した家具調度品や日本を含む各国使節からの贈答品などが展示され、当時の繁栄を偲ばせてくれるのだ。

当博物館の裏手にラオスと日本の共同プロジェクト10周年を記念して修復仏像展が開催されていた。仏教学科を主体にした身延山大学の指導で修復された仏像の展示物もさることながら、ここでは仏像修復所も公開されており、タバコを吸いながら修復を見守るけしからん輩や「自然に古く見せるようにしなけりゃだめだよ!」と厳しい指導をする大学関係者の権威も垣間見ることが出来るのだ。

メコン川の向こう岸に沈む夕日を背景にスローボートで到着した欧米人客を獲得しようと躍起になっているゲストハウスの客引きとの攻防戦が終盤に差し掛かった頃には日もとっぷり暮れてしまったのでナイトマーケットの物産を物色することにした。出店者は周囲の村々の少数民族で織物やお茶や日用雑貨を交渉に欠かせない電卓片手に適正価格で販売し、ボッタクリ店との汚名を着せられないように配慮しているようだった。

2月26日(土)

ルアンパバーンの早朝の象徴的な光景となっている托鉢を見学するために夜も明けきらない5時半にとある寺院の前で待ち伏せをすることにした。托鉢とは、坊主頭の寺院の僧侶が喜捨を受けに町を歩く儀式でラオス全土で行われているのだが、世界遺産の町ルアンパバーンではほかの町とは比較にならない規模で実施されているのだ。

托鉢が行われるのは早朝5時半~6時半と聞いていたので満を持して5時半に集合したのだが、托鉢の始まる気配さえ感じられなかったので暗闇の中でしばらく時間をつぶさなければならなかった。しかし周囲が明るくなった6時半頃にはタクシーやトクトクで多くの団体観光客が参集し、それぞれのポジションに着くとほどなくプレイボーズとなった。

世界遺産に登録されて以来、観光化されてきた宗教儀式とはいえ人々は僧侶に敬意を示さなければならないので基本姿勢は正座となっている。また、フラッシュ撮影が禁止されているのは決して僧侶の頭からの反射光が眩しいからではないのである。

僧侶は各寺院の行列毎におのおの金属製の壺を持って裸足で練り歩き、貢物は主にもち米ご飯やバナナ等の食べ物であるのだが、すぐに壺が一杯になるので青少年少女が合掌しながら路上に控え、あふれた貢物を回収するシステムになっているのだ。

托鉢をプレイ坊主からゲームセットまで見守り、仮想的に徳を積むことが出来たのでさらなる悟りを開くために寺院巡りを再開することにした。1821年に建立されたワットマイ(Kip 10,000)はラオスにおける仏教芸術が最盛を誇った頃を髣髴とさせる絢爛さを誇っており、五重に折り重なった屋根はワットシェントーンよりも美しいと言われている。

おばあちゃんが現役看板娘として取り仕切っているスイカ売り場の奥にベトナム風寺院のワットパバートタイ(Kip 10,000)がひっそりと存在している。さすがに建物の建築様式は他の寺院とは異なっており、中には巨大な黄金の寝仏が薄目を開けながら寝たふりをしていた。

ナーントランニーという仏を守る女神の像が躍動しているワットタートルアンをちら見し、さらに町中を歩いていると衣料品店の店先では現代風の娘が不自然に笑顔を取り繕っていた。

ついさっき目にした大量のスイカの幻影を消し去ることが出来ないままワットビスンナラート(Kip 20,000)に到着した。タートパトゥムという塔がスイカを半分に切ったような形をしていることからこの寺にはスイカ寺という別名が付けられているのだ。

ワットビスンナラートに隣接するワットアーム(Kip 20,000)の本堂正面の両脇には力士のような鬼が股を割って構えており、内部の仏画は八百長をした力士の将来を暗示するかのような地獄絵図がデザインされているのだ。

ここ数日間ルアンパバーンの町中を歩き回ったわけだが、体内には当然疲労が蓄積し、それを解消するための癒しが求められるのだが、この地には数多くのマッサージ店が軒を連ね、しかも1時間500円程度の安値で施術してくれるので毎日通っても財政難に陥る懸念はないのである。

大通りの中央のとあるカフェの奥にカム族に伝わるマッサージを体験出来るマッサージ屋が開業していたので試しにカムマッサージ(Kip 55,000)を受けてみることにした。カム族ということで歯を使った甘噛みが駆使されるのかと思ったのだが、女性施術士が施した技はカム族秘伝のツボマッサージということだった。

2月27日(日)

マサよ、君は無免許であるにもかかわらず象の運転を強制され、何とか無事故無違反で乗り切ったことがあるか!?

というわけで、ルアンパバーンは現在のラオスの礎を築いた「ラーンサーン王国」の都として発展を遂げたのだが、ラーンサーンは百万頭の象を意味し、それを国名にしてしまうほど象との関係が深いのである。そういう背景からこの地では多くの優秀な象使いを輩出しており、養成のための教育体制も充実しているのだ。今回はその実態を確認すると同時に私にとっても将来上野や旭山動物園で再就職する際の賃金交渉を有利に進めるために象を運転するトレーニングに参加させていただくことにした。

All Lao Camp & Resortが提供するメニューで2 Days Mahout Courseという2日間で象使いに成り上がるコースにあらかじめ申し込んでおいたのでゲストハウスに迎えに来たバンに乗り込むと山中に展開されているキャンプ&リゾート地に向かった。尚、Mahoutを辞書で引くと「象の御者で飼い主(the driver and keeper of an elephant)」となっている。

All Lao Camp & Resortのファシリティはルアンパバールから車でわずか20分程度、ナムカーン川の両岸に展開されている。最初にとあるElephant Riding Platformに到着すると休む間もなくElephant Ridingの火蓋が切って落とされた。象には背中に2人掛けの座席がインストールされており、ドライバーも含めて3人乗りがスタンダードとなっている。出発当初は象使いが象を運転し、私とオーストラリアから来たおばちゃんが後部座席で余裕をこいて座っていたのだが、ふいにその象使いは、子供や動物やヘッドハンターから絶大な人気を誇っている私の特性を見抜いた様子で私に運転を代われと言いやがった。

象の背中を伝って何とか運転席にたどり着いた私は象の首周りの筋肉の動きを内太もも内転筋に感じながら、これがラオスで最も効果的なマッサージだと思っていた。シートベルトもなく安定感の悪い象の運転席に座り続けるのは意外と体力を消耗するもので体勢を安定させるための唯一のよりどころは象の頭しかないのであった。また、エアーバッグもないので象に振り落とされて落象したあかつきには大怪我は免れないことであったろう。

象の大きな耳のパタパタを膝元に感じながら、ナムカーン川の浅瀬を渡り、今日の宿泊地となっているMahout Eco Lodgeに到着すると部屋に準備されていた囚人服のようなユニフォームに着替えなけれならなかった。尚、象に類する巨体を持つオーストラリア人のおばちゃんにフィットするユニフォームはなかったので必然的に彼女は私服での参加となったのだ。

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昼食後にコースの講師兼世話役のアットに案内されてボートで川を渡り、対岸のビレッジを軽く見学する運びとなった。尚、アットが居住しているあばら家もその村にあり、中では妻が新生児が眠っている揺りかごを揺らしていた。

象使いになるためにはMahout Training Schoolで講習を受けるのが必須となっている。ここでは講師のアットから象に対するコマンドが教授されたのだが、象は元々言語を持っていないのでこれは象を操るための造語に過ぎないのである。

基本的な象語を会得した後、再び象に搭乗し、Elephant Bathing Areaまで運転する運びとなった。川に象を沈めると水をかけて象を洗濯するという重労働を強いられるのだが、「Bone bone、ブン ブン」というコマンドで象は鼻で吸い上げた水を自らの背中にかけ、背中にしがみついている人類をびしょ濡れにして喜ばすというのが定番になっている。

Mahout Courseには象の相手だけでなくその他のアクティビティも含まれているのだが、象に水をかけられてびしょ濡れになった勢いを駆ってTubingという浮き輪にはまって川に流されるという1時間程度の放置プレイに参加することにした。このプレイにより観光客はナムカーン川のゆるやかな流れに乗り、田舎の桃源郷のような景色を眺めながら徐々に癒されていく感覚を覚えるのだった。

夕暮れ時にボートに乗ってアンリ・ムオというフランス人探検家の墓にお参りに行くことになった。アンリ・ムオはインドシナ半島のジャングルを探検しているときにアンコール・ワットを発見してワット驚いたという輝かしい実績を持っているのだが、マラリアに罹り、この地で終焉を迎えることになってしまったそうだ。また、ここはラオスの中心地とされ、Zero kmの碑も建てられているのだ。

ところで、世話役のアットにルアンパバール近辺のジャングルの野生動物情報を聞いたところ、コブラのような毒蛇がツイストをしながらやってくることはないが、虎はいるかも知れないとのことだった。現にアットの子供時代に親とボートで魚採りをしているときに六甲おろしに乗ってもいない猛虎が川を泳いでいる光景を見てアット驚いた恐怖体験を持っているとのことであった。

2月28日(月)

コース2日目は早朝7時に起床し、ジャングルまで象を迎えに行き、さらに朝の水浴びをさせなければならなかった。象を洗っているその脇を象の糞がどんぶらこと流れていくというようなコミュニケーションの継続により象との信頼関係が築かれ、将来的には地元の象使いのように象の上でタバコを吸ったり、運転しながら携帯メールを打つといった離れ業が身に付いていくものと思われた。

朝食後のアクティビティのオプションとしてエスニック・ビレッジへのトレッキングとカヤッキングがあったのだが、もう水に濡れたくなかったのでトレッキングを選択することにした。炎天下の山道をガイドの先導で2時間ほど練り歩くと正午前にしなびたビレッジに到着した。

竹で建築された粗末な家が並ぶ村の人間模様を軽く見学させていただいた後、村の重役とおぼしき人の家で昼食をご馳走になることになった。食事は川魚の切り身を油で炒めた物に指で丸めたもち米ご飯をなすりつけて食べるという素朴なものであり、子沢山の大家族の他のメンバーは米で作られているはずの麺を召し上がっていた。

電気もなく、NHKも放映されない素朴な村であるが、観光客のホームステイは受け付けているということで、八百長で廃業になった力士が人生をやり直すためのスタート地点としてこの上ない環境が提供されていることは確かであろう。

トレッキングも無事終了したのでルアンパバーンに戻り、予約していたThe View Pavilion Hotelという高級ホテルで涼を取った後、夕飯を求めて町に出ることにした。村での質素な生活と食事を参考にして今夜は市場の露天で供される惣菜と焼き魚をBeerLaoで流し込み、わずか400円程度の支払いで済ませ、余った金はFoot Massageにつぎ込みながら桃源郷での最後の夜を過ごしていた。

3月1日(火)

ホテルがメインストリートの寺院の前に立地していることから図らずも再び托鉢のオレンジの隊列を見守ることとなった。地元の熱心な信仰者は毎日欠かさずお供えを与えるのかと思っていたのだが、今日路上で膝まづいている外国人観光客を除く地元の人々の顔ぶれを見ると3日前の参加者とは異なっているようだった。

メコン川のクルーズも兼ね、上流にさかのぼる事25km、メコン川がナウムー川に合流する地点にある洞窟を訪れるツアー(Kip 95,000)に参加することにした。午前8時半の集合時間にはすでにたくさんの欧米人観光客が参集しており、皆それぞれに指定された小型のスローボートに乗り込んでいった。私を含めた総員5名が乗船したボートは出航後しばらくすると水上IDEMITSUガソリンスタンドで燃料を補給した後、座り心地の悪い椅子の上でケツをよじりながら1時間以上の単調な水上クルーズが続けられた。

最初の上陸ポイントはバーンサーンハイという酒造りの村で、ここはラオスの焼酎である「ラオ・ラーオ」を蒸留している現場を見学することが出来る。また、売られている酒類の中にはお約束のコブラ等を漬け込んだ滋養強壮酒も並んでおり、見るだけで背筋の寒さを覚えるため、夏バテ防止に効果があるのではないかと思われた。

村ではラーオ・ルー族の女性があちこちで機を織っており、その華やかな成果物が多くの店先を飾っていた。世界的にも評価の高いラオスの織物だが、このような形で生産された物がルアンパバーンのナイトマーケットのテントの下で観光客の物色の対象となるのであろう。

船がさらに30分程上流に向かって航行すると巨大な絶壁の隙間に白い階段が伸びている光景が目に飛び込んできた。パークウー洞窟(Kip 20,000)はその岩肌の洞窟に安置された数千の仏像で知られており、ルアンパバーン市内の寺院中心の仏教施設とは趣を異にした光景を見学することが出来るのだ。

洞窟は2ヶ所あり、川に面した切り立った崖にくりぬかれた洞窟が「タムティン」、さらに上にある恰幅のよい仏像に守られた真っ暗な横穴が「タムプン」となっている。

正味4時間のツアーで上陸部分がわずか1時間程度の観光が終了するとThe View Pavilion Hotelに戻り、送迎車でルアンパバーン空港に帰って行った。午後4時10分発予定のPG946便は1時間以上の遅れを出したものの大勢に影響なく、7時過ぎにはバンコク国際空港に到着した。深夜便の発着が多いバンコク空港のショッピングモールは夜が更ける程に人出が多くなり、その喧騒を抜けて午後11時55分発NH916便に乗り込むとすぐさま瞑想状態に入らせていただいた。

3月2日(水)

午前7時半過ぎに成田空港に到着し、その足でミャンマー連邦大使館に向かったのだが、「農民の日」という祝祭日のため大使館は閉館となっており、ミャンマーへの道のりがいかに厳しいかを寒風の中で感じながら流れ解散となった。

FTBサマリー

総飛行機代 ANA = ただ、バンコクエアウェイズ = THB15,620

総宿泊費 $341

総タクシー代 Kip 50,000 (Kip 10,000 = 約¥100)

総Airport Transfer代 $6

総 2 Days Mahout Course代 $95

協力 ANA、バンコクエアウェイズ、All Lao Travel Service(http://www.alllaoservice.com/)

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