富士山ご来光と八ヶ岳八つ当たりツアー

富士山の噴火の兆候が報告されてからもう何年も経つが、最近では富士山直下に活断層も発見され、地震の揺れで「山体崩壊」という大規模な山崩れの恐れまで出てくる始末である。火山噴火に関してはある程度の予知は可能なのだが、地震に関しては当局も自信を持った予知が出来ないため、本当にいつ山体崩壊が起こるのか分からないのが現状である。何はともあれ富士山が現形を保っている間に10年ぶりとなるご来光ツアーを敢行し、ついでに富士山ともゆかりのある八ヶ岳の最高峰まで制覇しておかなければならなくなったのだ。

2012年8月20日(月)

通常の富士山登山ツアーは日の高いうちに登山を開始し、途中の山小屋で仮眠を取った後、深夜から頂上アタックを開始するというパターンが一般的であるのだが、FTBでは最短時間での登山と下山を基本としているので午後7時に東京都日野市の自宅を出ると山梨県側の登山道を目指した。河口湖近くに差し掛かると暗闇の中を天空に向かって伸びる一筋の光が富士山登山の賑わいを指し示していた。富士急ハイランドの絶叫マシンが織り成す夜景を横目に有料道路である富士スバルラインを経由して午後10時過ぎに富士スバルライン五合目に到着した。

富士登山で最も多くの登山者を集める富士スバルライン五合目であるが、首尾よく駐車場に車を収めることが出来たので山頂までの距離6.9km、標準登山時間6時間半を念頭に置いて午後10時半より登山を開始することにした。暗闇の中を巨額の赤字にあえいでいるパナソニック製ヘッドライトの光を頼りに歩を進めていると眼下には太平洋沿岸部の夜景が広がり、頭上には都心では決して見ることの出来ない満点の星空が広がっていた。

8月21日(火)

いつしか日付も変わり、6合目、7合目をゆっくりとしたペースで登っていった。今登っている吉田ルートには数多くの山小屋があり、仮眠を終えた登山者がどんどん合流してくるため上に行けばいくほど登山道は渋滞してくるのだ。標高3,100mを超えると八合目に差し掛かり、八合目と名乗る山小屋の度重なる出現により、登れど登れど八合目が永遠に続くような感覚さえ覚えられた。途中の山小屋の休憩所では酸素缶を吸うシューシューいう音が響き渡り、一方で一服している煙草の煙が漂ってきやがるのだが、空気の薄い中で副流煙を吸わされるのはたまったものではないのでせめて登山道は禁煙にすべきだと思われた。

本八合目の胸突八丁にある山小屋トモエ館あたりから渋滞はいよいよ佳境をむかえ、周りの登山者が必然的にペースを作ってくれるので急な登り道を呼吸を整えながら無理なく進むことができる。糞尿を微生物の力で分解するバイオトイレから漂ってくる臭気を感じながら3,450mの八合五勺、3,580mの九号目を順調に通過すると午前4時15分過ぎについに山頂の鳥居をくぐることに成功した。

富士山頂の日の出時間は午前5時くらいなのでそれまでに山頂で適当なご来光スポットを物色しなければならないのだが、山頂が非常に混んでいることと最高峰の剣ヶ峰まで辿り着く頃には太陽が顔を出しきってしまっている懸念があるのでとりあえず人が集まっている場所に落ち着くことにした。すでに東の空はうっすらとオレンジがかり、夏の短い夜が終わりを告げようとしていた。徐々に光が大きくなり、まだ顔を出していない太陽が空を放射状に照らし始めるとあたりは幻想的な雰囲気に包まれていった。午前5時をちょっと回った時間についに太陽の上端が姿を現し、10年ぶり2回目の富士山頂でのご来光をこの目に焼き付ける運びとなった。

登りゆく太陽は富士山頂を赤く染め、寒さでガタガタ震えて待っていた登山者に生気を与えているかのようであった。太陽が登りきったところで山頂の火口を一周するお鉢巡りと洒落込むことにした。ところで富士山頂には午前6時から郵便局が開業しており、ATMでもあれば大金をおろして登山手形や土産物類を買い占めようかと思っていたのだが、民営化しているはずのゆうちょ銀行の努力がそこまでおよんでいないために断念するしかなかった。

日本最高峰、標高3,775.63mの剣ヶ峰にたどり着くためにはさらなる急坂を登らなければならないのだが、日本の頂点を目の前にして記念写真の順番待ちの長い列に並ばなければならなかった。お調子者の学生達は何を血迷ったのか、裸体で石碑を抱え込むというパフォーマンスを演じており、その段取りの悪さが疲れた順番待ちの登山者を苛立たせていた。

剣ヶ峰から少し下ると朝日を受けて富士山の美しい形がすそ野に影となって映る影富士が西の斜面の大沢崩れから樹海方面に見事な稜線のシルエットを写し出していた。遠く八ヶ岳を見渡した後、火口に目を転じると所々に雪も残っており、猛暑に苦しむ下界では想像できないような涼やかな景色を堪能することが出来たのだった。

お鉢巡りを終えて富士山頂上浅間大社奥宮に戻り、\300のチップを払ってトイレで用を足すと目の前の自動販売機で富士山天然水が\500で取引されている現状を目の当たりにした。下山の準備を始めている登山者は山中湖のはるか向こうの東京方面にスカイツリーの先端が見えるとはしゃいでおり、これはマサに10年前に富士山頂に来た時には見られなかった光景だと思われた。

おびただしい数の登山客の交通整理のために吉田ルートでは登山道と下山道が分かれており、下りは九十九折になった急なガレ地の坂道を灼熱の太陽にさらされながら延々と歩くことになる。草木も生えない荒涼とした大地を歩いているといつしかここが富士山腹であることを忘れ、遠目から眺める美しい富士山の姿とのギャップを最も感じながら戦うことになるのだ。

下り道は急で滑りやすく多くの登山者が尻で餅をついているのだが、整然たる地ならしが行われており、その上を物資を運んだりするキャタピラ車が行き来している。かつて物資の運搬は人をあやめることが出来る程の怪力を持つ「剛力」の独単場であったはずであるが、世界文化遺産への登録を目指す富士山ではこのような最新の技術が次々に導入されているのだ。

約3時間もの時間をかけてついに標高2,305mの五合目に生きながらえて戻ってきた。まだ午前中であったのだが、体力をすべて使い切っていたのですみやかに車に乗り、山梨の石和温泉郷にある薬石の湯 瑰泉(かいせん)にエスケープすることにした。早速薬石泉と高アルカリ単純硫黄泉のWパワーを体内に取り込み、さらに700℃効熱・火釜サウナで体内の毒素を輩出し、いち早く体力の回復に努めたのだった。

8月22日(水)

割引券を使うとわずか¥1,700で24時間滞在出来、食堂も雑魚寝スペースも完備している瑰泉で眠れない夜を過ごしたのだが、大事を取って一旦自宅に帰還することにした。帰りに昨日登頂を果たした富士山の勇姿を遠巻きに眺めるべく河口湖に立ち寄った。青空を背景にした富士山のシルエットはこの上なく美しく出来れば噴火も地震による山体崩壊も数百年後まで待って欲しいと祈りながら河口湖を後にした。

河口湖から八王子に帰る道すがら、山梨県大月市猿橋町の桂川にかかる「猿橋」に立ち寄ることにした。猿橋は日本三大奇橋の一つであり、昭和7年に名勝指定を受けている由緒正しい木の構造物である。尚、現在の橋は、昭和59年に総工費3億8千万円をかけて完成したもので、将来にわたるメンテナンスの必要性を鑑みて、H鋼を木材で囲った桔木が用いられているのである。

8月23日(木)

甲子園も決勝戦をむかえ、節電のために午前中に試合が組まれるほどの猛暑に耐え兼ねて家を飛び出し、涼しい場所を模索してさまようこととなった。富士山の観光にちなんで青木ヶ原樹海の東の入口に位置し、年間を通して観光客がたえない鳴沢氷結で火照った肉体を冷却することにした。午後5時頃天然記念物である鳴沢氷結の入口に到着し、割引券を使って\250で入場すると洞窟から吹き上がってくる冷気に誘われるように暗い世界に足を踏み入れていった。

途中屈んで前進しなければならないほど狭い通路を通るとその先には不気味な氷の世界が広がっていた。洞窟内部には竪穴があり、夏の風物詩であるサザンオールスターズを崇めている江ノ島に通じているという伝説がまことしやかに囁かれているという。内部の気温は涼しさを通り越してむしろ寒く、洞窟の脇に積んである氷は外部から取り入れて保管しているいわば八百長氷であるが、天然の氷柱は観光客の魔の手から金網でしっかりと保護されていたのだ。尚、江戸時代には鳴沢氷結から切り出された天然氷は馬で運ばれ、江戸の殿様に献上されたと言われているのだが、ご丁寧にも久米宏率いるニュースステーションで検証しやがり、見事にその伝説が達成されたという実績を誇っているのだ。

道の駅なるさわに富士山博物館が無料で開館しているので遅ればせながら入館させていただくことにした。首を回して威嚇する恐竜に出迎えられて地下の展示室に降りるとセクシー系のシースルー富士が富士山内部のマグマの様子や噴火のメカニズムをボタン一つの操作でわかりやすく解説してくれた。その他の展示品は主にアメジスト等の富士山周辺で採取された宝石類で、展示ルームを出て一階に上がるとそこはパワーストーン等の売店になっており、博物館で人集めをしておいて実際は高価な宝石の販売促進を図るという富士山ならではのマーケティング手法が見て取れた。

前回の入館時に瑰泉より夏休み特別企画の¥1,000で入場出来るお得な割引券をもらっていたので今夜も温泉と火釜サウナで体力増進に努めたのだが、夜は雑魚寝スペースのいびきのハーモニーにより一睡も出来ない状況に陥ってしまうので翌朝には疲れた体に逆戻りしてしまっていたのだった。

8月24日(金)

マサよ、君は八ヶ岳の由来となった富士山の嫉妬による八つ当たりで頂上が八つに割れてしまったという逸話を信じることが出来るか!?

というわけで、大昔、大平原にひときわ高くそびえ立つ富士山と八ヶ岳という山があったそうだ。あるとき、富士山の女神の浅間(せんげん)様と、八ヶ岳の男神の権現(ごんげん)様が、「いったいどちらが高いのか」と、言いあらそいをはじめやがった。お互いに譲らなかったため、二つの山の神様は、木曽の御岳山の阿弥陀如来に背くらべのレフリーを依頼することにした。阿弥陀如来が考えついた科学的な比較方法は二つの山のてっぺんに長い「とい」をわたし、水を流すという画期的なもので水は高い方から低い方へ流れるという物理学を応用したものであった。

背くらべの日には富士山も八ヶ岳も自信を持ってのぞみ、阿弥陀如来は二つの山にといをわたし、さっそく水を流したという。水が無情にも自分の方へ流れた時点で負けを確信した富士の女神は自身を爆発させる代わりに八ヶ岳の頭をボコボコにした結果、八ヶ岳の頭は八つに割れ、今日の姿になったという。

八ヶ岳の頭が八つ裂きにされた悲劇を学んだところで午前6時過ぎに瑰泉を後にすると清里高原を抜けて八ヶ岳登山の拠点の一つである標高1,542mの美し森に向かった。ところで、八ヶ岳連邦は北八ヶ岳と南八ヶ岳を合わせて8つ以上の峰があり、「八」というのは漠然と多数を表すものとみられている。その中で日本百名山として定義されているのは最高峰の赤岳なので多くの登山者は赤岳によじ登ろうと躍起になっているのだ。

美し森の展望台から遠く八ヶ岳の仇であるはずの富士山に向かって登山の安全を祈願すると多数の登山ルートの中でも最も難易度の高い真教寺尾根ルートを攻めることにした。森の小道を抜け、標高1,610mの羽衣の池を過ぎると森林の密度が濃くなり、さらに数十分歩くと賽の河原という開けた場所に到着した。ここからは富士山のみならず赤岳山頂の眺望も開け、目的地がはるか彼方であることを思い知らされるので行くべきか戻るべきか思案のし所なのである。

足元にゴツゴツした石が多いものの標高2280mの牛首山までは順調な足取りだったと言える。看板によると牛首山から赤岳頂上までは3時間10分の道のりであるが、ここから数多くの難所に遭遇することとなる。深い緑に囲まれた八ヶ岳の山腹には色とりどりの高山植物が咲き乱れ、花粉目当てに飛んでくる蝶が過酷な登山の一服の清涼剤として登山者を癒していた。

7合目を過ぎたあたりから傾斜のきつい岩場が出現し、鎖につかまりながら岩をはい上り、滑落の恐怖と戦わなくてはならない。高所恐怖症の輩には決しておすすめすることが出来ない過酷な所業であったろう。いつ終わるとも知れない鎖場で体力を消耗し、体が十分な水分補給を要求しているのだが、持ってきた1.2リットルの麦茶の残量が心もとなかったため、脱水症状を起こさないギリギリの線で難所に立ち向かっていた。

九合目に到達し、真教寺尾根ルートと他のルートとの分岐に差し掛かると赤岳山頂まで残り15分となった。その後は比較的難易度の低い登りで10合目の看板に迎えられ、鉄製のハシゴを登ってもまだ頂上には距離があるように感じられた。

15分の看板を発見してから明らかに15分以上の時間を要してついに標高2,899mの赤岳山頂にたどり着いた。頂上には質素な祠と3,000m近くまではい登ってきた割には粗末な看板しかなかったのだが、何故か私の登頂を祝福するかのように留まっているアゲハ系の蝶が迎えてくれたのでかろうじて気分をアゲアゲに保つことが出来たのであった。

険しい登山ルートを登って到着する頂上でありながら、赤岳山頂には立派な山小屋も開業しており、登山者はここで冷たいジュースやビールが飲めるだけでなく、宿泊して英気を養い、さらなるルートに挑むことも可能なのだ。

赤岳頂上を制覇し、富士山にボコボコにされた八ヶ岳の頭の有様を目の当たりにすることが出来たので速やかに下山の途につくことにした。鎖場の難所を日頃から鍛えている上腕と絶妙な身のこなしで次々にクリアし、順調に下山して行ったのだが、進めど進めど道は長く、よくこんな道を登ってきたものだと我ながら感心しつつ汗にまみれていた。この界隈ではツキノワグマが出没するといった注意報は出ていなかったのだが、森の中に黒いボディと白い顔を持つ動物を遠目に発見したときにはさすがに戦慄を覚えてしまった。後でよくよく確認するとこの動物はクマではなく、人畜無害のニホンカモシカかも知れないのであった。

美し森に帰り着いたのは雷鳴が轟き始めた午後5時くらいの時間であった。麦茶をとっくに飲み干し、干上がった体を潤すために美し森ファームたかね荘が無料で提供している赤岳の水をいただくことにした。しかし、さらなる延命措置が必要だと思われたので八ヶ岳山麓の道の駅小淵沢で営業している延命の湯に浸かって汚れた体を薄汚れた状態まで復帰させ、速やかに撤収することとなったのだった。

FTBサマリー

総宿泊費 ¥2,700

総高速代 ¥3,250

総ガソリン代 ¥7,318

協力

薬石の湯 瑰泉(かいせん)(http://www.yu-kaisen.jp/)

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