新春スペシャル ミヤネ屋では行かない世界の屋根ネパールツアー

つん つくつくつくつん ♪♪ つん つくつくつくつん ♪♪

ひや~~ ひや~~ ひや~~ ひ~~ ♪♪ 

ベンベラ ベンベラ ベンベラ ベンベラ ベン ベン ベン ベン ベラン♪♪

ということで、アラフォー時代もとうに過ぎ去り、アラウンドAKB世代に差し掛かった今日この頃にもかかわらず、今年も♪ヘビ~ぃ ローテーション♪で世界を駆け巡らなければならない私にとって48までに達成すべき目標がいくつかセットされた。その第一弾としてネパールに足を踏み入れ、ヒマラヤ周辺の調査を行うべくミッションが遂行されることとなったのだ。

2011年1月1日(土)

ハッピー ニュー マサよ!!

というわけで、元旦を迎えた成田空港は閑散としていたにもかかわらず羽田からのハブ空港の覇権を取り戻そうとする努力の一環なのか、お屠蘇無料サービスが振舞われており、アルコール飲料は有料になっている米系航空会社に搭乗するであろう輩はここぞとばかりに無料の酒を煽っているかのような賑わいを見せていた。

午前9時50分発のNH909便香港行きは定刻どおりに出発し、機内で「海猿3 THE LAST MESSAGE」を見ながら海上保安庁が一時的に海上不安庁に陥ってしまっても最終的にハッピーエンドで終わることが確認出来たところで香港国際空港に到着した。空港で3時間程やり過ごした後、DRAGONAIRが運行する午後5時25分発KA192便に乗り込むとバングラデッシュのダッカを経由したしたものの午後10時過ぎにはカトマンドゥのトリブヴァン国際空港に到着した。

ネパールに到着すると日本との時差が3時間15分という中途半端な設定のおかげで時差ぼけを感じることなく空港のカウンターでタクシーを発注するともれなく現地の旅行会社の勧誘員がついてきやがった。K.Bと名乗る若者は巧みな日本語を操り、ホテルに到着するまでの限られた時間の中で様々なツアーのプレゼンテーションを展開したのだが、つつがなくかわすことに成功した。PRIORITYCLUBのポイントが余っていたのでマサであればUS$150くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るKATHMANDU SOALTEE Crowne Plaza Hotelにチェックインするとホテルのカジノで年末ジャンボが当たらなかった分の穴埋めをするわけでもなく早々とダウンしてしまった。

1月2日(日)

早朝よりヒマラヤの民との交流を図るために町に繰り出すことにした。カトマンドゥはネパールの首都とはいえ、町中は非常にとっ散らかっており、トラック、バス、タクシーやバイクの排気ガスで溢れており、さらにゴミが至る所に投げ捨てられているため上級住民は皆マスクをして町中を徘徊していた。しかし、かつてヒンドゥー教を国教とし、信仰心の厚いお国柄のせいか、多くの豪華絢爛な寺院が目に付いたのだ。

ネパールの先住民ネワール族によって、独自の文化が育まれたカトマンドゥ盆地には中世時代に建立された王宮や寺院等の多くの世界文化遺産が受け継がれている。まずは手始めに丘の頂に建つ、ネパール最古の仏教寺院であるスワヤンブナートに参拝させていただくことにした。高台に鎮座する白く巨大なストゥーパ(仏塔)に描かれた目つきの悪い目は「四方を見渡すブッダの知恵の目」と言われており、マサにカトマンドゥ全体に睨みを利かせているかのようであった。

新年を迎えたスワヤンブナートは多くの参拝客で溢れかえっていたのだが、人間の数に匹敵する猿と犬も暮らしており、修行験者風の老人も観光客からの寄進を得ようと寺院内を徘徊していたのだった。

展望台からは霧の底に沈んでいるカトマンドゥ盆地を見渡すことが出来、参道の階段には絶え間なく人々が行き交い、密教のご本尊である大日如来やヒンドゥー教の女神ガンガとヤムナーからの複合的ご利益を得ようと躍起になっているかのようであった。

スワヤンブナートから下界に降り、しばし町中をさまよっていたのだが、カトマンドゥは世界に冠たる観光地であるにも拘わらずトイレの設置数が非常に少ないことが問題であると思われた。さらに神様仏様はそこいらに奉られているのだが、数少ないトイレには植村花菜のおばあちゃんが信奉する「トイレの神様」は居住していないようでピカピカには磨かれていなかったのだ。従って、ここでは絶対にべっぴんさんになりたければ高須クリニックに頼らなければならないという現実を突きつけられるのだった。

けたたましいクラクション音が鳴り響く路地や大通りを抜け、市バス乗り場に辿り着くとそこからバクタプル行きのバスに乗り、ネパール人と一緒に小1時間程度の小旅行を楽しんだ。カトマンドゥから東へ12kmほどの距離に位置するバクタプル(世界文化遺産)はカトマンドゥ盆地で3番目に大きな町で外国人が町に入るためには文化財保護基金としてUS$15をむしり取られる仕組みになっている。

一度は盆地全体の首都に成り上がった実績のあるバクタプルは中世の町そのものの佇まいを残しており、カトマンドゥの中心部ほど人も多くないのでのんびりと観光に専念することが出来るのだ。町の西側のダルバール広場には衛兵にガードされた旧王宮、国立美術館やいくつかの寺院が絶妙の伽藍配置で並び建っているのだが、ブバティンドラ・マッラ王の石柱の前では新年の催し物であるはずの民族系の踊りが繰り広げられていた。

トゥマディー広場には18世紀初めに建立されたニャタポラ寺院が君臨しており、カトマンドゥ盆地で一番高い5層の屋根から成る高さ30mの建造物はその存在感を際立たせていた。バクタプルの奥には数多くの土産物屋もさることながら、原住民の日常生活も息づいており、共同水道場での井戸端会議や布を粛々と織るおばあちゃんの姿等が目に焼き付いたのだった。

1月3日(月)

早朝7時発の長距離バスに乗るために闇夜の午前5時半にホテルをチェックアウトし、明かりのない漆黒の中を歩いていた。ライトも無く、足元が全く見えない中、勘に頼って歩を進めていたのだが、とある場所に一歩を踏み出すとふいに体に無重力状態を感じた。何事かと気づいた時にはすでに遅く、その場所だけ蓋のはずれた深い側溝にすっぽりと陥ってしまったのだ。溝の中には「ナマステ」と言いながらなまものを捨てているはずの堆積物がヘドロ化しており、その邪悪な黒いヘドロがズボンの裾に練りこまれてしまった。

マサであればドブに落ちたショックで30分程放心状態に陥ったことであろうが、私は30秒で精神状態を立て直すとドブから這い上がり、左足首の軽い捻挫の痛みと衛生状態のよくないネパールの疫病に感染するかも知れない恐怖を感じながらも再び目的地に向かって歩き始めた。多くの人々で賑わう市場で人の波を掻き分けて前進し、暗がりで見通しの利かない寺院が群集するダルバール広場を抜けたところで道に迷ってしまった。何とかタクシーを捕まえ、バス乗り場に急行させると首尾よく目的地行きのバスにしけこむことに成功したのだが、バスが出発後、車掌がチケットをチェックする際に私のチケットを何も言わずにしげしげと見つめていたのだった。

ズボンの裾になすりつけられたヘドロから漂ってくるドブ臭に悩まされながら5時間程バスで走ると中央ネパール南部の、マハーバーラタ山脈とチューリヤ丘陵の間にひらけたタライ平原の一角に降り立った。バス乗り場は多くのホテルの客引きで賑わっていたのだが、私はすでに井上陽水も推奨するはずのリバーサイドホテルを予約していたので迎えのバンに乗り込んだ。2泊3日、3食昼寝プラス各種アクティビティ付きながらUS$135のホテルにチェックインするとズボンを履き替えてビレッジツアーに参加することと相成った。

ソウハラ村は先住民であるタルー族が細々と生活している田園地帯でその暮らしぶりを見学するために井上陽水をほうふつとさせるサングラスをかけている現地ガイドに付いて田舎道を闊歩していた。タルー族は独特の文化を持っており、毎年張り替えられる家の土壁には「ペイズリー模様」の名で知られる匂玉模様が描かれており、軒先に干されているとうもろこし、整然とした鳩の巣、大量の蜜を生産する蜂の巣等、思わず望郷の念に駆られるような光景が次々に展開されたのだった。

ツアーの終盤に国立自然保護局に辿り着いたのだが、そこには巨大なアジア像が牙を剥き出しており、また驚いたことに分厚いプロテクターを身にまとった野生のインドサイが草原を我が物顔で闊歩していやがった。

1月4日(火)

冬場でも水温の高いラプティ川から立ち上る朝靄の中、カヌー乗り場に到着すると見事な一木造りでくりぬかれた数人乗りの丸木舟にライフベストも着けずに乗り込むと朝一のアクティビティであるカヌーライドがスタートした。カヌーはいつしか世界遺産に登録された野生の王国であるチトワン国立公園の敷地に紛れ込み、1時間程でジャングルウォークのスタート地点に到着した。

チトワン国立公園およびその周辺には獰猛な人食い虎や人食いワニ、村には人食われ牛や人食われ鶏等が生息しているのだが、野生と人類の暮らしとの間には高電圧が流れる針金で仕切られているのだった。ジャングルウォークでは目の前を足早に走り去るインドサイの親子やベンガルトラの生の糞、巨大なアリ塚、川沿いに佇むクロコダイル等を観察することに成功した。

ジャングルを抜けるとエレファント・ブリーディング・センターという象を育てて喜んでいるファシリティに到着した。ここでは2年前に誕生した世にも珍しい双子の象がすくすくと育っている有様を見せ付けられるのだが、その母親はジャングルに放牧に出た際に野生の間男系の象と関係を持ったらしく、すでに妊娠してしまっている驚愕の事実が伝えられた。

川べりではおっさんが絶妙なノミさばきで木彫りの仏像や動物の製作にいそしみ、その成果物は安価で直売され、観光客の人気を博していたのだが、私はすでに鎌倉で入手した大仏や高知で買った坂本竜馬像を持っているのでそいつらに仁義を尽くすために何も買わないことにしたのだった。

リバーサイドホテルの目の前の川にエレファントドライバーに運転されてやってきた数頭の象が集結し、次々に川に入っていった。象使いの指示で川の中に横たわった象に水をかけて河原の石やたわしで象の皮膚をこするエレファント・バスがすでに開始となっていた。このアクティビティは観光客から金を巻き上げながら象の入浴という重労働をさせて一挙両得を得るというものであるが、私もヘドロの染み付いたズボンで川に入り、ドブ臭を洗い流すとともに象のエキスを取り入れるというお得感を十分に満喫することが出来たのだった。

昼食後にホテルのハンモックで昼寝をした後、チトワン国立公園での最大のアクティビティであるエレファント・サファリに参加させていただけることと相成った。所定の場所には既に数十頭の象が勢ぞろいしており、おのおのの背中には巨大な2枚重ねの座布団の上に正方形の木組みの観覧席がインストールされていた。4人の観光客は各角に配置され、エレファント・ドライバーも含め、象は合計5人を乗せて歩くという重労働を強いられるのだ。

アジア象のコンボイは川を渡ると野生動物の宝庫であるはずのジャングルの奥へと踏み込んでいった。しかし、今回のサファリの参加者がジャングルで目にすることが出来た動物は人類に支配された象の群れのみであったのだった。

1月5日(水)

ソウハラ村の長距離バス乗り場で窓枠からすきま風が入ってくるバスに乗り、5時間程の時間をかけてアンナプルナ連邦とフェワ湖に抱かれた楽園であるポカラにやってきた。バスが到着すると予約していたホテルに手配していただいた送迎タクシーに乗り込み、数分でトラベル・インに到着した。ポカラはネパール観光のドル箱となっているトレッキングツアーの拠点の一つとなっているため、フェワ湖周辺にはおびただしい数のホテル、レストラン、ショップ、インターネットカフェが立ち並んでいるのだが、中でも巨木に着色を施したasian paintsの広告が至る所で異彩を放っていた。

ポカラの標高はわずか800m程なのでむしろカトマンドゥよりも暖かく、亜熱帯らしい雰囲気も漂っているのだが、すぐ目の前には7000m~8000m級のアンナプルナ連邦が広がっており、その高低差は世界でも類を見ないものである。また、高さは6993mしかないものの手前にあるため、ひときわ大きく見えるマチャプチャレがポカラの象徴として天を目指して尖っていた。

フェワ湖には色とりどりのボートが浮かべられ、天気の良い日には何もせずにボ~とするのが最高の贅沢ではないかと思われた。一方で原住民たちはフェワ湖で体を洗い、原住主婦たちは湖や川で洗濯を行っており、生活の原点を垣間見ると同時にネパールのエコシステムを思い知らされたような気もしたのだ。

夕暮れ時に今日のディナーを求めて徘徊していると「大阪名物くいだおれ」がはるかネパールの僻地で再雇用されている現実に直面したのだが、私は迷わず本格的なネパール料理を堪能出来るタカリ・キッチンでスペシャル・ディナーを発注した。尚、物価の安いネパールではスペシャルとは言え、わずか数百円程度で満腹になり、動けなくさせられてしまうのだった。

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1月6日(木)

デラックスバスであるにも拘わらず、車内のエアコンが窓枠から吹き込んでくる寒気になっているツーリストバスは早朝7時半にポカラを後にして一路カトマンドゥを目指していた。ポカラとカトマンドゥは全長206kmのブリティヴィ・ハイウエイで結ばれており、バスで7~8時間かかるのだが、対向一車線の山道を縫うように走るため、軽微な事故の発生でも交通が滞ってしまうのだ。

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デラックスバスはついにそのアドバンテージを発揮することなく、午後3時前にカトマンドゥに到着した。バスを降りた場所がタメル地区と呼ばれるツーリストエリアだったので、そこから徒歩でカトマンドゥの中心中の中心であるダルバール広場(世界文化遺産、NRs300)に向かった。ダルバールというのは、ネパール語で「宮廷」を意味する言葉である。カトマンドゥ盆地のパタンやバクタプルにも同様のダルバール広場があるのだが、それぞれの王朝の王が美しさを競い合っただけあって、どの広場にも見事な装飾が施された宮殿や寺院が立ち並んでいるのだ。

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並み居るガイドの勧誘をかわしながら立ち並ぶ古い寺院群を見上げて歩いていると色黒のユーモラスな彫像が人々の信仰を集めている状況に出くわした。これは破壊神シヴァの化身「カーラ・バイラヴ」で童話的な風貌にも拘わらず恐怖の神である。尚、カーラ・バイラヴの前でうそをつくと即座に死んでしまうと信じられており、かつてはこの像の前に容疑者を連れてきて罪を白状させていたそうなので小沢一郎の証人喚問もここで実施されなければならないであろうと思われた。

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多くの人々が行き交うバザールでござ~るインドラ・チョークを抜け、大通りに面した旅行会社が集結する地区に移動した。とある路上就寝者に入口をふさがれた旅行会社に入り、ヒマラヤ名物マウンテンフライトのチケットの手配を依頼した。首尾よく明日の1便の予約を取ることに成功したのだが、私が手にしたチケットの航空会社を見るとブッダエアーとなっていた。思わず担当者にブッダエアーの飛行機は過去ヒマラヤに墜落してお釈迦になり、搭乗者が成仏した実績はないのかと聞きたい欲望に駆られたのだが、何とかその煩悩を抑えることが出来たのであった。

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犯罪を犯した犯人はその後犯行現場に戻るという習性があることを「太陽にほえろ」等の刑事ドラマで学んだことがあるのだが、私も自分が暗がりの中でドブに落ちた時の現場検証をするために当時の足跡を辿らなければならない衝動に駆られてしまった。1月3日早朝に歩いた道を逆戻りしていると市場でわりと大きな淡水魚系の魚が並んでいる光景を目にした。現場に到着してその状況を確認するとやはりそこは格好の生捨て(ナマステ!)場になっているようであり、何とか危機を乗り越えて生きながらえている現状に感謝しなければならないと思われたのだった。

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1月7日(金)

カトマンドゥでの定宿となっているKATHMANDU SOALTEE Crowne Plaza Hotelを1月3日と同様に午前5時半に出立したのだが、これ以上ヘドロとは付き合いたくなかったので安全策を取り、タクシーで空港に向かった。ブッダエアーが運行するBHA100便は午前7時半に出発予定だったのだが、カトマンドゥ上空の気流が悪いために2時間半程遅れてのフライトとなった。

マウンテンフライトとはいえ、行き先がMountainという通常の国内線のフライトであるため機材は普通のチャチな小型機に乗り込むこととなった。機内の窓側はすべて乗客で占められ、通路側は空席にされているという配慮を感じながら1D席に腰を下ろすと小型機は神々が居住するはずのヒマラヤに向かって離陸した。

小型機が安定飛行状態に入るとすぐにごつごつした山肌に雪をたたえた絶景が小さい窓の外に広がった。しかし、ヒマラヤを見れるのは飛行機の片面だけなのでブラインドサイドに座っている乗客は何の変哲もない山閑の小さな村々を見て我慢するか反対側に乱入するしかないのであるが、全員が片面に勢ぞろいすると飛行機が傾き、本当にお釈迦になったら洒落にならないので私は自分の持ち場を離れることはなかったのだ。

飛行機が折り返し地点でUターンするとついにヒマラヤの絶景を独占する機会を得ることと成った。するとほどなくしてブッダ紋様をあしらったプロペラエンジンの背後に一目見ただけでその頂が8848mあることがわかるような巨大な頂が姿を現し、ぶったまげてしまった。すかさずスチュワーデスが歩み寄ってきてその山がエベレストであることとその手前が8516mのローツェであることが確認された。

今回は財務省のエコツアーでマサをエベレストに無酸素登頂させるための下見に来たのだが、私の経験から6000m級のキリマンジャロでも死にそうになったので8000m級の山に登ると死ぬだろうということが容易に想像出来たのだった。飛行機から下りる際にブッダエアーに搭乗し、あの世を見る代わりにエベレストを見たということを証明するシリアルナンバーで管理されたCERTIFICATEが乗客に配られていた。

ヒマラヤの極楽浄土の世界から下界に下り、空港の近くにあるパシュパティナート(世界文化遺産、NRs500)に向かった。ここはネパール最大のヒンドゥー教寺院兼インド亜大陸にある四大シヴァ寺院のひとつでもある。ガンジス川の支流であり、聖なる川とみなされるバグマティ川の川岸にあるガートでは死者の火葬が行われているのだが、上流にあるものは身分の高い者専用で庶民は下流の火葬台でこんがり焼かれ、遺灰は聖河バグマティに流されることになっている。上流の火葬ガートの前の川では少年が水の中をさらい、上流階級者の火葬で焼け残った金の断片を見つけようと血眼になっていた。

パシュパティナート構内の寺院はヒンドゥー教以外の立ち入りを禁止しているのだが、寺院の概観や寺院を棲家にしているかのような野生の猿の大群、修行中のサドゥーに出会うことが出来るので、猿に襲われなければここでゆっくりと輪廻転生について思いを馳せることが出来るのだ。

カトマンドゥの東約6kmに位置するネパール最大のストゥーパ(仏塔)のあるボダナート(世界文化遺産、NRs150)に立ち寄った。ここは古くからチベット仏教徒の主要な巡礼地であり、中国によるチベットの武力併合後は世界でも有数のチベット文化の中心地となっているのだ。世界最大級の巨大なストゥーパの周囲には巡礼者が時計回りに回り、また台座の上にも多数の観光客や巡礼者がひしめきあっていた。さらにチベット仏教徒が板の上で敬虔な祈りを捧げている光景が目に焼きついた。

すでに日も暮れてしまったのでタクシーを捕まえてトリブヴァン国際空港に帰って行ったのだが、空港に着いた時間が早すぎて中に入れてもらえなかったので仕方なく外で待機していた。DRAGONAIRのチェックインが始まる前に空港内に入れたのだが、暖房設備のないネパールの空港の建物はどこへ行っても寒々としていた。午後11時25分発のCX6731便に搭乗出来た時点でやっと暖を取ることが出来た感じがした。

1月8日(土)

CX6731便は午前6時前に香港空港に到着し、午前9時55分発のNH912便に乗り換え、午後3時前に成田に到着し、停電のない文明生活に感謝しながら流れ解散となった。

FTBサマリー

総飛行機代 ANA = ただ、Dragon Air = HK$6,328.-、Buddha Air = US$160.4

総宿泊費 NRs19,089.46、$157.6

総タクシー代 NRs1,850 (NRs1 = ¥1.2)

総バス代 NRs650、$9

総ビザ代 $25

総空港使用料 NRs170

協力 ANA、DRAGON Air、Buddha Air、PRIORITY CLUB

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