ちょっちゅね~ マサよ!
ということで、夏の高校野球の決勝戦を制したのは沖縄県勢では夏初優勝で、しかも具志堅用高をOBに要する興南高校であったのだが、その相手である東海大相模は巨人軍の原辰徳監督の影を色濃く残している。かつて東海大学という存在を知らなかった私は東海にある大魔神のような大相模高校のイメージしか持ち合わせていなかったのだが、その当時の純粋な心を取り戻すためにアメリカ大陸原住民が今も生き続けるグランドサークルを回らなければならなくなったのだ。尚、このツアーが開催されるきっかけは裏の仕事の日本代表として参加を要請されているミーティングに他ならないのだった。
2010年8月21日(土)
NH008便で恒例のビジネスクラスへのアップグレードを勝ち得ると快適な空の旅で午前10時過ぎにサンフランシスコに到着した。引き続きUA753便に乗り込み、午後4時過ぎにデンバーに到着するとそそくさとHilton Garden Inn Denver Airport Hotelに引き籠って時差ボケの解消に努めていた。
8月22日(日)
デンバー空港より午前8時11分発のUA6940便に乗り込み、約1時間程飛行してコロラド州の南西部であり、コロラド、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ各州の州境が一点に交わるフォー・コーナーズに程近いDurangoという町に降り立った。早速ハーツでフォルクスワーゲン・ジェッタをレンタルするとアメリカ先住民の足跡を追うツアーの幕があいた。
アメリカの国立公園の中にはいくつかユネスコの世界自然遺産に指定されているものもあるのだが、今回訪れるメサベルデは唯一の自然遺産以外の国立公園であり、1978年にすでに世界遺産に登録されている由緒正しい遺跡なのである。まずはゲートで入園料($15/car)を支払い、急な登り坂を上ると緑のテーブルと呼ばれる独特の地形を見渡せるビューポイントからロッキー山脈の一部を形成する広大な眺望を楽しませていただいた。
メサベルデの最大の見どころはアナサジと呼ばれるアメリカ先住民のコミュニティが形成されていた遺跡群であり、その中の代表的なものはガイドを伴ったツアーでしか行くことが出来ないので、公園の中心にあるFar Viewビジターセンターで最大の遺跡であるクリフ・パレス・ツアー($5)に参加することにした。
Far Viewビジターセンターから南に向かって20分程車を転がし、クリフ・パレス・ツアーでレンジャーと待ち合わせをすることになっているポイントに到着した。崖の上からはすでにクリフ・パレスの眺望が開けており、前の組のツアー客が車座になってレンジャーの話に耳を傾けている様子が確認された。
切り立った崖がオーバーハングしている窪地に217室の部屋、4階建てに相当する高い壁を擁しているクリフ・パレスは当時の豪華マンションといった風情がある遺跡であるが、キバ(Kiva)という儀式が行われていたはずの部屋の痕跡も数多く残されており、自然の脅威に対してなすすべのなかったアナサジはここで雨乞いや豊作の祈願をしていたものと考えられている。
クリフ・パレスから同じくレンジャーの引率でしか行くことの出来ないバルコニー・ハウスを過ぎ、メサベルデで発掘された数々の品が展示されている博物館に到着した。ここではアナサジの人々の生活、文化、習慣などを学習することが出来るジオラマが印象的でアナサジが穴をサジで掘っているかのような生活の様子が生き生きと伝わってくるのであった。
レンジャーの引率ではなく、Self Guided Tourと言って自分勝手に見て回ることの出来る見所の中ではスプルースツリー・ハウスがもっとも保存状態のよい遺跡であった。ここには8つのキバと114の部屋があり、西暦1200年の現役当時には100人以上の大所帯を誇っていたそうだ。
緑の生い茂るキャニオンの眺望と遺跡のコントラストを眺めながら、ゆっくりと車を転がしているとサンテンプルという台地の上に造られている大きめのファシリティに到着した。ここでは何がしかの儀式が行われていたことは間違いないのであろうが、対岸にはクリフ・パレスのすばらしい眺望が広がっているのだった。尚、高度な文明を持ち繁栄していたアナサジであったのだが、約700年後にはサジを投げるように忽然と姿を消してしまったそうだ。しかも白人がアメリカ大陸に到着するはるか以前の出来事であったという。
アナサジが活躍していた時代から大急ぎでページをめくるようにメサベルデを後にして、西に向かって3時間程車を転がすとペイジというレイク・パウエルのゲートシティに到着した。Priority Clubのポイントが余っていたのでマサであれば$150くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るHoliday Inn Expressホテルにチェックインすると翌日のウォーターアクティビティに思いを巡らせながら長い夜を過ごしていた。
8月23日(月)
グランドキャニオンの上流に94もの峡谷が複雑に入り組んだ場所があり、そこはグレンキャニオン国立レクリエーションエリア($15)に指定されている。その乾いた風景の中でコロラド川をせき止めてダムが造られ、世界で2番目に大きな人造湖レイク・パウエルが誕生しているので見物をぶちかますことにした。
ペイジからUS89号線を進み、コロラド川をまたいでいるグレンキャニオンブリッジを渡ると右手にグレンキャニオン・ダムのビジターセンターであるCarl Hayden Visitor Centerが開業していたのでダム建造の背景を学習するために入ってみることにした。巨大なレイク・パウエルを出現させたダムは高さ216m、幅475mで1956~64年にかけて建設された。コロラド川の下流にあるフーバー・ダムより多少サイズは小さいもののグレンキャニオンという特異な景観に見事にマッチしており、レイク・パウエルを満水にするのに17年もの歳月をかけやがったそうだ。
ビジターセンターでは30分毎にダムの設備を見学するツアー($5)が催行されているので参加させていただくことにした。エレベーターでダムの内部に下りると摂氏15℃程度の冷たい空気が流れている。これはダムに満たされている水の表面温度は高いのだが、水深が深くなるほど水温が下がるため、自然のエアーコンディショナーが効いているためである。水力発電のファシリティは8基のGE製のジェネレーターが稼動しており、近隣の州に十分な電力を供給している実態を確認することが出来た。
レイク・パウエル観光の中心地ワーウィーブ・マリーナにLake Powel Resortが展開されており、そこでレインボー・ブリッジまで行って帰ってくるRainbow Bridge Cruise ($121.25)が開催されているので参加することにした。尚、レイク・パウエルはアメリカ西部におけるウォーターアクティビティのメッカであり、ここでの足は船しかないのでCruiseの価格は比較的高めに設定されやがっているのだ。
Cruiesは午後12時30分にスタートし、観光客はリゾート裏手のドックからCANYON ODYSSEYと名乗る船に乗り込むと「水をたたえたグランドキャニオン」との異名を取る迫力の景観が次々に出現し、皆思い思いにデジカメのシャッターを切りまくっていた。
レイク・パウエルの水位は全盛時よりも多少落ちている様子で満水時の水位は岩の変色部により容易に確認出来るようになっていた。尚、この湖の長さは約300km(東京-名古屋間に相当)もあり、その不思議な景観は「猿の惑星」等数々のSF映画の舞台となっているのだ。
マサよ、君は織田裕二率いる「踊る大捜査線」さえ封鎖することが出来ない巨大なレインボー・ブリッジがレイク・パウエルの奥地にひっそりと佇んでいる実態を確認したことがあるか!?
ということで、ユタ州にはアーチやブリッジと呼ばれる「穴のあいた巨岩」がたくさんあるのだが、レインボー・ブリッジはその完璧な形状や大きさからナンバーワンに位置づけされている。船はいつのまにか狭い入り江を縫うように航行しており、左右には巨大な岩が目前に迫ってきていた。
巨岩の間にレインボー・ブリッジと観光客との橋渡しの役目を担う桟橋が設置されているので船はそこに横付けされた。観光客は「事件は会議室で起こっているのではない!」という勢いで下船すると先を急ぐように現場へと向かっていった。ついに、「織田裕二が来た~~~!」という心の絶叫とともに山本高広の凋落とは対象的な巨大な虹が目の前に現れたのだ。
レインボー・ブリッジは世界最大のナチュラル・ブリッジでその高さは88m、差し渡し84mでお台場にかかっているまがい物と比べても決してひけをとることのない代物である。また、この地の先住民ナバホの言い伝えによると「虹が固まって石になってしまったものだ」と言われ、非常に神聖視されているので高い金を払ってここまで来た観光客でさえ、橋のたもとに近づくことは許されないのだ。
レインボー・ブリッジが湾岸署ではなく、ナバホに封鎖されている実態が確認出来たので船に戻り、いかりや長介の怒りはいかにと考えながらさらに2時間程の航海を経て午後6時頃に船はLake Powel Resortにいかりを降ろしたのであった。
レイク・パウエルのゲートシティであるペイジを後にしてナバホの居留地を疾走し、午後8時過ぎにKayentaの町に到着した。Priority Clubのポイントがまだ余っていたのでマサであれば$150くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るHoliday Inn Monument Valleyにチェックインするとナバホ居留地ではアルコールの販売が禁止されているという衝撃の事実に直面して不貞寝を決め込むことにした。
8月24日(火)
日の出前にホテルを抜け出し、月明かりの残る暗い道をひたすら疾走した。月が西に落ち、東の空が徐々に明るくなってくると遠くに幻想的なシルエットが浮かび上がってきた。車は「アメリカの原風景」とも言われる西部劇の舞台にいつの間にか吸い込まれて行ってしまっていた。
午前6時過ぎにモニュメントバレー($5)のゲートをくぐり、10年ぶり(http://www.geocities.jp/takeofukuda/2000gc.html)にこの地を訪れたのだが、今ではリゾートホテルやビジターセンターが充実した一流観光地に成り上がっており、宿泊客が思い思いにサンライズの景色を楽しんでいた。
真夏の太陽が上り、幻想から現実に引き戻されたので一旦ホテルに戻り、チェックアウト後にナバホの歴史を思い知るためにNavajo National Monumentに向かった。ビジターセンターの内部では原住おばちゃんが手工芸品の機織にいそしんでいたのだが、写真を撮るためには$5払いやがれという看板があり、現実の厳しさを思い知らされたので裏手のキャニオンのトレイルにエスケープすることにした。0.62マイルのSandal Trailの終点はベタテキン(BETATAKIN)展望台となっており、そこからナバホが建築した岩棚の家を見下ろすことが出来たのだった。
再びモニュメントバレーに戻る道すがら、真直ぐな一本道の向こうに立ちはだかるビュート(残丘)やメサ(テーブル上台地)を目指しているとアリゾナ州とユタ州の州境に差し掛かった。モニュメントバレーはマサにユタとアリゾナをまたいでおり、ゆったりと時間が流れているユタと夏時間を採用していないアリゾナとは1時間の時差があるはずなのにアリゾナであってもナバホ居留地だけは夏時間を採用して帳尻を合わせているのだ。
午前11時前に再びモニュメントバレー、正式名称”Monument Valley Navajo Tribal Park”のゲートを通過し、園内に戻ってくると駐車場にはおびただしい数の車やバスが満ち溢れていた。またバレーツアーを催行するためのバンもたくさん待機しており、増加する観光客需要に十分応えているようであった。
バレーツアーは1.5時間ツアーと2.5時間ツアーの2種類があるのだが、今回は園内の奥地まで侵入する2.5時間のツアー($70.-)に参加させていただくことにした。ガイドのベニーが運転する4WDのバンはWest Mitten、East Mittenに見送られるように急な坂道のオフロードを転がるように荒野へと下り、ツアーの火蓋が切って落とされた。
「荒野の決闘」の第一弾は名匠ジョン・フォードがしばしばカメラをセットした彼のお気に入りの地点であるJohn Ford’s Pointであった。この場所にはジョン・ウェインに扮したえせカウボーイが常駐しており、観光客からチップを巻き上げながら自ら絶好の被写体となっていた。また、スリー・シスターズを見上げるこのポイントには数件の土産物屋が出店しており、手作りアクセサリーの販売によるナバホの貴重な収入源となっていた。
バレーは奥地に進むにつれて荒野から緑の台地に変貌を遂げ、ところどころには豪雨によるものであろう水溜りも形成されていた。陽気に手を振る乗馬ツアーの集団とすれ違ったかと思うと騎手のいない半野生化した馬の集団にも遭遇し、あたかも映画のワンシーンが提供されているかのようでもあったのだ。
厳しい自然環境の中で生き抜いてきたアナサジが描いた下手な絵をチラ見して長年の風雨によってくり抜かれたEAR-OF-THE-WINDで猛烈な暑さの中で風の音に耳を傾けた後、BIG HOGANに向かった。ホーガンはナバホの人々が居住する粘土で作ったお椀型の住居であるが、自然の産物であるBIG HOGANを下から見上げるとコンドルの横顔に見え、不思議な感覚を覚えるのだった。
バレーツアーもクライマックスを迎え、モニュメントバレーのシンボルとも言えるトーテムポールのビューポイントにたどり着き、中指を天に突き上げるように人間として一本筋を通していただいた。締めはThe Thumbを見上げながら親指でOKサインをいただくとモニュメントバレーに別れを告げ、コロラド州への帰路に着いたのだった。
8月25日(水)
久しぶりにお金を払って宿泊したHoliday Inn DurangoをチェックアウトするとUA6837便にてDenverに戻り、裏の仕事へ・・・
8月27日(金)
Hilton Fort Collinsホテルで実施された裏の仕事のミーティングもつつがなく終了し、今夜はコロラド・ロッキーズの試合を見に行くというイベントに参加することと相成った。通常であれば私の先導の下での野球観戦となるのだが、今回は会社が手配した観光バスに乗ってCoors Fieldへと向かった。Corporateや団体のPartyのために手配されるはずのSummit Party Suiteに陣取ったのだが、そこにはフルコース系のディナーが用意されており、ステーキの肉はホテルで供給されるものよりもさらに柔らかく高級感があったのだった。
8月28日(土)
ミーティングのオプションとしてTeam Buildingのアクティビティに参加しなければならなかったのでロッキー山脈の山麓に位置するSylvan Dale Ranchという牧場まで繰り出すこととなった。参加メンバーは乗馬とフライフィッシングの組に分かれることになるのだが、武豊なみの才能を持つはずの私であったが、今回はG1ではなかったのでフライフィッシングをやることにした。
釣り場は近くの川から水を引き込んだ狭い池で最初にインストラクターによるフライフィッシングのレクチャーが行われた。そのおかげで100回程シャドー・キャスティングをやる羽目になり、参加者は皆肩の痛みをこらえながら釣りを楽しむことと成った。しかし、あいにく水温が高すぎてコンディションが悪く、通常であれば松方弘樹のマグロなみの大物を釣り上げるところであったのだが、本日の釣果は中国人が引っ掛けた死亡したマス1尾のみであったのだった。
FTBサマリー
総飛行機代 $387.40
総宿泊費 $266.32
総レンタカー代 $128.11
総ガソリン代 $68.5
総Glen Canyon Damツアー代 $5.00
総Lake Powell Boat Tours代 $109.00
総Monument Valley 2.5時間ツアー代 $70.00
協力
ANA、United航空、ハーツレンタカー、Priority Club、HiltonHHonors