あ”~あ”~あ” あ” あ” あ” あ”~ (song by ざだマサ!し)
マサよぉ、君はフィヨルドがノルウェー語で「内陸部へ深く入り込んだ湾」という意味をもつことを知っていたか!?
というわけで、世界経済も昨年のリーマンショック以来の氷河期からの立ち直りを模索している今日この頃であるが、フィヨルドは氷河による侵食で作られたU字、V字型の谷(氷食谷)に海水が侵入して形成された入り江のことである。今回のミッションは財務官僚では決して発想出来るはずもないフィヨルドの調査による日本経済のV字回復への方策を導き出し、グリーンニューディール政策の促進とともに何とか消費税の増税に歯止めをかけさせることである。
2009年8月8日(土)
午前11時30分発のNH209便は繁忙期ならではのエコノミークラス満席によるビジネスクラスへのアップグレードにより、12時間弱の快適なフライトで午後4時半頃にはフランクフルト国際空港に到着した。ルフトハンザ・ラウンジで適当に時間を持て余した後、午後9時45分発のルフトハンザ便に乗り換え、2時間のフライトでストックホルム・アーランダ国際空港に到着したのは午後11時45分を過ぎた深夜であった。早速空港バスで40分かけてストックホルム中心部に位置するシティ・ターミナルに移動するとそこで目にした光景はその日の業務を終えた空港バス群がプラグ・インによる充電で二酸化炭素の排出を極力抑えようとする陰ながらの努力であったのだ。
8月9日(日)
日付も変った深夜に楽天トラベルに予約させておいたFreys HotelにチェックインするとReceptionで部屋のキーとともにスリに対するワーニングの紙切れをいただいたので、スウェーデンのスリはいい仕事をするので注意しなければならないと肝に銘じながら床に就いた。
早朝スリに貴重品を盗られることの無いよう、摺り足でホテルをチェックアウトするとストックホルム中央駅に程近い船着場に向かった。カウンターでドロットニングホルム宮殿行きの往復チケットを入手すると、午前10時発のフェリーに乗り込み、約1時間のメーラレン湖のクルーズがスタートした。湖の沿岸部では至る所でビーチが展開されており、原住民たちは短い夏を謳歌するかの如く、湖水浴と日光浴にいそしんでいた。
フェリーは11時前にはドロットニングホルム宮殿前の船着場に到着したのでそのまま世界文化遺産に登録されている宮殿の見学になだれ込むことにした。チケット売場で宮殿と中国の城との共通入場券(SEK120)を購入すると北欧のヴェルサイユとも言われるドロットニングホルム宮殿の調査が実行に移された。通常古い宮殿では血なまぐさいドロッとした感覚を覚えるものであるのだが、ここドロットニングホルム宮殿に関してはそのバロック様式風の建築とバロック庭園が決してヴェルサイユをモデルにしたものではないことから北欧のおとぎ話に出てくる宮殿そのものでしかなかったのだ。
宮殿はお約束の衛兵で護衛されており、ドロッとした怪しい輩が侵入しないように常に厳しい目が光っているのだ。さらに広大な庭園の奥には中国の城という東洋をモチーフにしたこじんまりだが豪華な外装の建物も存在感を示しており、観光客はスウェーデン王朝と中国の関係も理解することなく、内部の中国風調度品の見学を余儀なくさせられるのだ。
フェリーで市の中心部に戻ると水の都ストックホルムにふさわしい優雅で厳粛な気品を漂わせている市庁舎のガイドツアー(SEK70)に参加させていただくことにした。尚、この市庁舎はコンサートや式典等様々な目的で使われているのだが、最も有名なのは毎年12月10日に開かれるノーベル賞授賞祝賀晩餐会である。私も将来財務省の支援によりノーベル文学賞を授賞してここへ来なければならないので予め下見をしておく必要があったのだった。
ツアーはまず晩餐会の会場となるブルーホールの大広間からスタートした。ブルーホールとは言うものの壁面は赤レンガで覆われており、柔らかい音響効果を醸し出すために、「敲仕上げ」という石の面を突いてこまかい痕を残す小細工まで施されているため、参加者は皆ブルーな気分に浸れるのではないかと思われた。
市庁舎見学のハイライトは金一色の黄金の間で、1900枚の金箔モザイクで飾られた壁面は豪華絢爛以外の何物でもない。ここはノーベル賞授賞パーティーの舞踏広間として使用されるとのことで、私が授賞した暁には中年になった少年隊に仮面を被せてバックダンサーとして派遣し、東山紀之にすでに打点の低くなったバク転を決めさせて参加者に♪いぃっそエクスタシ~♪を感じさせるパフォーマンスを演じる必要があると思われた。
初出場した紅白歌合戦の曲目紹介で司会の加山雄三から「仮面ライダー!」と言われ、思わず変身しそうになった少年隊の無念を胸に市庁舎を後にすると中世の香り漂うストックホルム旧市街であるガムラ・スタンに♪時を超えた楽園♪を探しに行くことにした。ガムラ・スタンでは1280年~1310年に建立されたリッダーホルム教会や13世紀に建てられたストックホルム最古の教会である大聖堂がランドマークとなっているのだが、石畳を踏みしめて歩いているとそこはマサに♪迷い込んだイルージョン♪となって観光客を迎えてくれるのだ。
ノーベル賞100周年を記念して2001年にオープンしたノーベル博物館(SEK60)に侵入し、歴代授章者から♪Wake up De・sire ! ♪のインスピレーションを受けるとガムラ・スタンの北に建つ堂々たるイタリア・バロック、フランス・ロココ様式の建築物である王宮へとなだれ込み、警備している衛兵に♪捨てな!捨てな!マジな プライドを今は~♪と歌いかけて観光客の記念写真に笑顔で応じさせようとしたが、無理だったので仕方なくガムラ・スタンから撤退することにした。
午後10時30分発、移動手段兼宿泊施設であるSWEBUS EXPRESSの長距離バスに乗り込むと♪溶~けて魔法のリズム♪によりなんとかスリの脅威から身を守ることに成功したストックホルムを後にした。
8月10日(月)
SWEBUSは早朝6時にオスロ長距離バスターミナルにおそるおすろ滑り込んだ。バスを下車すると乗客は皆、とある方面に足を向けていたので私も夢遊病者のようにその後に付いていくとオスロ中央駅にたどり着いた。街が目を覚ますまでしばらく駅で時間を潰した後、市内交通に関する情報を提供するトラフィカンテンでオスロ・パスという市内の公共交通機関の運賃やおもな博物館、美術館の入場料が無料になるお得なカードを購入すると早速オスロ市内の観光に乗り出すことにした。
市庁舎広場からフェリーに乗り込み博物館が林立するビィグドイ地区に流れ着き、上陸すると早速フラム号博物館を訪問させていただき、ノルウェー出身の探検家であるアムンゼンの足跡を辿ることにした。フラム号は北極海流の研究のために造られた、全長39m、満載時で800トンの船で樽のような船底により氷に押しつぶされることなく、氷の上に浮き上がることが出来るように設計されている。そのおかげで北極の氷原に3年間も閉じ込められたにも関わらず無事オスロに帰還したという輝かしい実績を誇っているのだ。
北極研究によりノーベル平和賞を授賞したナンセンから譲渡されたフラム号を駆ってアムンゼンは北極点一番乗りを逃した屈辱を胸に急遽南極に向かい、イギリスのスコット隊を出し抜いて見事南極点一番乗りを果たすという快挙を成し遂げた様子をフラム号博物館の展示物で確認出来た勢いをかって、立て続けにノルウェー海洋博物館とコンチキ号博物館の見物をぶちかました。
コンチキ号博物館ではバルサ材で造られたいかだ船コンチキ号でペルーからイースター島まで8000kmを101日間かけて漂流した文化人類学者トール・ヘイエルダールの冒険魂により南米からポリネシアへの文化の移動説が実証された現実を目の当たりにさせられた。また、一見すると日の丸に見間違えられる帆を持つパピルス船ラー2世号では古代エジプトから南米への文化の移動説さえ実証されてしまっているのだ。
フェリーでオスロ中心部に戻り、オスロの目抜き通りであるカール・ヨハン通りで銅像の真似をする大道芸人に納得がいかず叫びたい衝動に駆られたので地下鉄でムンク美術館に向かうことにした。エドヴァルド・ムンクは言わずと知れたノルウェーが生んだ北欧唯一と言っても過言ではない世界的な画家である。1963年にムンクの生誕100年を記念して開館したムンク美術館には、ムンクがオスロ市に寄贈した膨大な作品が収められている。美術館内にあるカフェではNOK38の支払いで”叫び”ケーキ通称Scream Cakeを発注することが出来るのでチョコレート味に舌鼓を打ちながら溜飲を下げておいた。
オスロフィヨルドを見守るように建っているアーケシュフース城をちら見した後、空港バスでオスロ・ガーデモエン国際空港に移動し、スカンジナビア航空SK4055便にてスタヴァンゲルに向かった。JTBに予約させておいたベストウエスタンホテルの予約が入っていないという危機に直面したもののFTBの類稀なる交渉術により、近くの上級ホテルに緊急避難すると明日から本格化するフィヨルドツアーに備えて白夜の中、英気を養っていた。
8月11日(火)
早朝上級ホテルをチェックアウトし、スタヴァンゲルのフェリーターミナルからカーフェリーに乗り込むと30分程でタウという町に到着した。タウから乗継のバスに乗り込みさらに30分程のドライブでプレーケストール・ヒュッテに辿り着いた。バスを降りると小雨降る中、早速約2時間のリーセフィヨルドへのトレッキングが開始されたのだった。
足もとの悪い岩場の急坂を上ると傾斜は次第に緩やかになり、小さな湖が現れだんだんと視界が開けてきた。果てしなく続く巨大な岩肌と視界を遮る霧がこれから遭遇するであろう恐怖の絶景への期待感を否が応でも抱かせてくれるのだった。
さらに歩を進めるとどうやらフィヨルド淵の断崖に出た様子で立ち込める霧の中であってもここがとんでもなく危険な場所であることが体感された。霧の晴れ間に視界が確保されると、目の前に海面からほぼ垂直に切り立つ一枚岩がついにその全貌を現したのだった。
ノルウェー語で「教会の説教壇」という意味を持つプレーケストーレンは、海面からほぼ垂直に切り立つ一枚岩であり、ここから見下ろすリーセフィヨルドは圧巻のひと言である。当然柵のような野暮なものは設置されていないので観光客は自己責任で絶壁の淵に辿り着き、600m下の海面を恐る恐る覗き込むのがここでの主なアクティビティである。私も崖際で平井堅よろしく♪瞳をとじて♪1分間の片足立ちをかました後、クリフハンガーのように絶壁で懸垂を30回くらいするべきであったろうが、降りしきる霧雨で滑りやすくなっているため、今回はやむなく断念せざるを得なかったのだ。
プレーケストーンを見下ろすさらなる高台に這い上がり、マサにナイフで切り取ったような垂直の壁のエッジにへばり付いて眼下のフィヨルドを眺めている観光客の高みの見物をさせていただいた。プレーケストーンを上から眺めるとは表面にクラックが入っている状況が確認出来、今にも崩れ落ちそうな危うささえ漂わせていたのだが、近くでその割れ目の中を覗くと残念なことに非道観光客によるゴミ捨て場になっている現実の厳しさを思い知らされたのだった。
8月12日(水)
午前9時35分発のSK4156にてスタヴァンゲルからノルウェー第二の都市兼フィヨルド観光の拠点となるベルゲンに10時過ぎに到着した。空港からバスで市内に入り、ベルゲン駅の目の前のグランド・ホテル・テルミニスに荷物を預けるとベルゲンの見所の見物に乗り出すことにした。
ベルゲン港の入り江の一番奥まったところに漁業大国ノルウェーを体感することが出来る魚市場が開かれていたので腹ごしらえも兼ねて立ち寄ってみることにした。年齢を「成魚」であると思い切った詐称をしているさかなクンも思わず「ギョ」とするほどの品揃えを誇る魚市場で何故か「ノルウェーの物価は高くて大変でしょう」と気安く話しかけてきやがった日本人の店員がいたのでそこで思わずエビのサンドイッチを買って昼食とさせていただいた。さらに薄切りサーモンを貼り付けた小さいパンとビールで乾杯した勢いを駆ってハンザ博物館に侵入することにした。
ハンザ博物館(NOK50)は1704年に建立された趣のある木造の商館で内部ではハンザ商人の暮らしの様子が見事に再現されている。ベルゲン繁栄の元となった干しダラは当時のままの様子で展示されているのだが、館内を歩くとタラちゃんが歩く時に発する不思議な足音の代わりに木造家屋が軋むような音がハンザ同盟時代を偲ばせるような趣を醸しだすのに一役買っている。
ベルゲンの観光地区の先にローセンクランツの塔とホーコン王の館の堅牢な石造りの建物群を遠めに眺めた後、ブリッゲン博物館(NOK50)になだれ込み、歴史を伝える世界遺産の木造家屋群であるブリッゲン見学の予習をさせていただいた。この博物館では模型や実際の発掘物でブリッゲンを中心としたベルゲンの歴史を学ぶことに成功した。
ベルゲンの中心地、港に面して壁のように木造家屋が並ぶ一帯は、ブリッゲン地区と呼ばれている。これらの木造家屋は元々13世紀~16世紀に建てられ、ドイツのハンザ商人の家屋や事務所として利用されていた。密集した木造家屋のせいで過去幾度もの火災で焼け落ちたのだが、そのたびに元通りに復元され今では土産物やレストラン、手工芸の工房として観光客の財布の紐を緩めさせるのに多大な貢献をしているのだ。
以外に奥行きのある家屋が並ぶその隙間を入っていくと迷路のようになっており、ペイントされていない剥き出しになっている木材はシロアリの絶好のご馳走になるのではないかと懸念されもした。また、正面から建物の並びをよく見ると地盤沈下のせいか傾いている家屋もあるのだが、2階部分の建築構造によりうまくバランスが保たれていたのだった。
魚市場で目にこびりついてしまった筈のうろこを落とすためにために魚市場から150mほどのところにあるケーブルカー乗り場(往復NOK70)から標高320mのフロイエン山に登頂することにした。ケーブルカーが最大傾斜26度、全長844mを約6分かけて登りきると眼下に広がる光景はベルゲン湾の周辺に密集した建物群や停泊している大小の船舶といった海洋国ノルウェーの特徴を目に焼き付けるのにまたとないものであったのだ。
午後9時半をすでに回った夕暮れ時にベルゲン湾沿いをぶらぶら歩いていると港の光景が徐々に幻想的な茜色に染まり始めていた。雲の切れ間から差す西日に照らされたブリッゲンの光景もまた格別なものであり、近辺のカフェのテラスではさわやかな北欧の一日の余韻を楽しむかのように人々が語らっていた。
8月13日(木)
ベルゲン駅隣の長距離バスターミナルからベルゲンを後にすると、午前9時前に豊かな自然に囲まれたノールハイスムンという小さな村に到着した。そのままバスの到着を待っていたかのように停泊しているフェリーになだれ込むと全長179km、ノルウェーで2番目に長いハダンゲルフィヨルドのクルーズがスタートした。尚、フェリーのチケットは内部のキオスクで気安く買える仕組みになっているのだ。
フェリーは「女性的なフィヨルド」と形容される緩やかな景観の中をフィヨフィヨと進んで行くと山肌を明らかに氷河が流れた後や夏真っ盛りのこの時期に真っ白な雪をたたえている現役の氷河に次々に遭遇した。フェリーはいくつかの船着場を経由して正午前にアイフィヨルドに到着し、そこで下船する運びとなった。
あらかじめフェリーの中でアイフィヨルドの3時間観光ツアーのチケットを高値で購入していたので下船後に待っていたバスに乗り込み、ツアーガイドのネイちゃんの案内でネイチャーセンターに連れて行かれた。ハダンゲルヴィッダ高原のネイチャーセンターではいきなり建物の屋根の上で草を食っているヤギに出迎えられた。尚、こいつらは決して自分の意思で上って来たのではないことは明らかであるのだが、落下の危険もものともせずに果敢に屋根に植えられている草を食い尽くそうと躍起になっているようであった。
ネイチャーセンターでこのあたりの地形の成り立ちを学習した後、このツアーのハイライトである182mの大瀑布、ヴォーリングフォセンに向かった。滝を見下ろすように木造建築が風情を醸しだすFOSSLI HOTELが存在感を示しており、展望台からは思わず吸い込まれそうになる清らかな滝と緩やかに蛇行して流れる川の情景に時間の経つのを忘れるくらいに見入ってしまうのである。
フェリーは午後2時40分にアイフィヨルドを後にすると30分程で到着したウルヴィクで下船し、路線バスに乗ってフィヨルド観光の中継地となっているヴォスに向かった。バスがヴォス駅に到着するとその目の前には美しいヴァングス湖が薄日に照らされていたのが印象的だった。湖畔には1277年に建立されたゴシック教会であるヴォス教会が町の歴史を見守ってきたかのような威厳を湛えていた。
8月14日(金)
早朝ヴォス駅よりバスに乗り1時間程の山道ドライブで午前9時半頃にソグネフィヨルド観光のフェリーが発着するグドヴァンゲンに到着した。ここで目にした光景は急峻な岩肌を幾筋にもなって流れ落ちる滝であり、否が応でも世界一長く、深いソグネフィヨルドで遭遇するはずのこの世の物とは思えない絶景への期待が大きくなっていくのである。
長さ204km、最深部は1308mの深さを誇るソグネフィヨルドは最奥部で枝分かれしており、細い先端部分のネーロイフィヨルドはユネスコの世界自然遺産に登録されている。グドヴァンゲン~フロムを結ぶ観光フェリーはネーロイフィヨルドに沿って航行し、途中で方向を変えアウルランフィヨルドに切り込む航路となっている。
ノルウェーのフィヨルド観光を取り仕切るwww.fjord1.noが運行させているフェリーに午前10時半に乗船すると観光客は足早に船の最上階の屋外デッキを目指していた。何故なら2時間のクルーズで次から次に出くわす幻想的な景色はどれひとつとして見逃すことが出来ない程すばらしいものであるということがグドヴァンゲンで遭遇した光景のインパクトにより確約されているからだ。
Fjord1フェリーの操舵室ではWindows OSで動作しているはずのナビが進路を指し示していたのだが、フェリーがバイキングに乗っ取られるよりもこのナビゲーションソフトの脆弱性を付くサイバー海賊によりソマリア沖まで誘導されるリスクの方が高いのではないかと懸念された。通り過ぎる景色はどこを切り取っても世界自然遺産にふさわしいもので急峻な山肌や数え切れない程の滝、点在する村々を眺めていると気温の低い船外で風邪や新型インフルエンザのウイルスに対する耐性が低下しそうになっていることにも気づかずに時間が過ぎ去ってゆくのであった。
マサに幻想的であったFjord1フェリーでの航海も終焉を迎え、船は午後12時半にフロムに到着した。「山間の小さな平地」という意味を持つフロムは、アウルランフィヨルドとフロム渓谷の山々という豊かな自然に囲まれた住民わずか500人ほどの小さな町に過ぎないのだが、夏になるとフィヨルド目当てのおびただしい数の観光客が押し寄せてくるのである。
世界中の旅行者の憧れの的である登山列車フロム鉄道の歴史を学習することが出来るフロム鉄道博物館でほとんどの工事を手作業に頼りながら何とか開通にこぎつけた山岳鉄道開拓の苦難を疑似体験することが出来たので、それを忘れないうちにフロム峡谷のトレッキングに繰り出すことにした。
フロム峡谷には10種類のトレッキングコースが設けられており、難易度により初級のカテゴリー1から上級のカテゴリー3までに区分されている。その中から私が選択したコースは当然のことながら上級向けのブレッケの滝へのツアーであった。フロム駅を出発し、見事なまでに透明な川にかかる橋を越え、羊を放牧している牧場を眺めながら歩いていると山間に滝が流れている姿を遠めに眺めることが出来る。単純にあの滝を目指せばよいと考え、急な山道を登っていったのだがいつまでたっても目的地にたどり着けず、ついに列車の時刻に間に合わなくなるのではないかという焦燥感にも駆られてしまった。
汗だくになりながら1時間以上歩いたのであろうか?ついに水が流れる音とともにブレッケの滝が目の前に姿を現した。何とか目的地にたどり着き、苦労した割には大したことはない滝を軽く見物した後、速攻で下山している際に見下ろした峡谷とフィヨルドのコントラストはマサに氷河が刻んだ芸術作品以外の何者でもないと思われた。また、川沿いには集落が点在しており、北欧の田中邦衛のような不器用な人間が住んでいるはずの家々に生えている木々には見事なサクランボやリンゴが実っていた。
午後4時10分、海抜3mから標高865mまで登る全長20kmの距離をわざわざ1時間かけて走る念願のフロム鉄道(NOK230)に乗り込んだ。車内は異常な程の混雑状態となっており、心無い日本人若者観光客はこれは山岳鉄道ではなく、最悪鉄道だと苦し紛れの駄洒落を飛ばして行き場の無い感情の捌け口を求めようとしていた。しばらくすると車掌のはからいで団体客用の車両に空席が残っているので駄洒落野郎も含めて何とか座席が確保出来る救済措置が取られたのであった。走り始めた列車の車窓には当然のごとく峡谷の絶景が写し出され、疲れて眠っている観光客以外は皆外の景色に釘付けになっていた。
フロム鉄道での最大のアクティビティと言っても過言ではないイベントは落差93mのショース滝で途中停車し、乗客は列車から降りておのおの記念写真が撮影出来ることである。さらに滝の爆音をかき消すかのように民族音楽が流れ始め、いきなり青い服を身にまとったブロンドガールがサプライズのように山肌の小屋の中から姿を現しやがった。そのブロンドガールがフェードアウトするとあたかも瞬間移動したかのように同じ装いをしたブロンドガールが今度は滝の近くに現れたのだ。その後交互に姿を消したり、現したりしながら乗客をあざけているうちに車掌の笛によって乗客は列車に戻らなければならなくなったのだった。
終点のミュールダール駅は標高866.8mの山岳地帯で周囲の山々には美しい高山植物とともに白い雪が残っている。軽く周囲を散策させていただき、午後6時28分発のオスロ行きの列車に乗り換えて5時間以上かけて到着するとそこには白い雪の代わりに眩しいネオンが光輝いていた。
8月15日(土)
早朝ホテルをチェックアウトし、駅前の虎の銅像の大きさに脅威を覚えた後、工事中のオスロ大聖堂を通り過ぎ、王宮周辺を散策することにした。すると昨日フロム鉄道で対面に座り、英語で話しかけてきた若者が近づいて来て「昨日列車で一緒でしたよね?」と一言捨て台詞を残し、こちらの回答を待たずに過ぎ去って行ってしまった。
マサよ、君はムンク美術館に展示されている「叫び」ではなく国立美術館に所蔵されている「叫び」の方を見なければムンクに文句を言う資格が与えられないことを知っているか!?
ということで、物価の高い北欧の中にあって入場料が破格の無料となっているのだが、月曜日が閉館となっており、土曜日は午前11時からの開館のため、入口で入場を待つ観光客で混雑している国立美術館に侵入することにした。時間がなかったのでゴーギャン、ピカソ、モネ、セザンヌなどの画伯の作品はブッチして一目散にムンクの展示室に突進した。尚、「叫び」は耳を覆いたくなるようなタッチで描かれているのだが、ムンクも本気を出せばうまい絵も描けることが現地の調査で確認出来た。
オスロ中央駅からエアポート・エクスプレス・トレイン(NOK170)でわずか20分でオスロ・ガーデモエン国際空港に到着すると午後1時45分発のルフトハンザ便でフランクフルトに戻り、発券カウンターではプレミアムエコノミーにしか昇格出来なかったのだが、搭乗口で逆転ビジネスクラスアップグレードを勝ち得たNH210便に乗り込み、これもムンクに文句を言わなかったご利益であると感謝しながらノイズキャンセリングヘッドホンで耳を押さえながら乾燥した機内でカーディガンも着ないで過ごしていた。
8月16日(日)
午後2時半頃成田空港に到着し、新型インフルエンザに対応しなければならないという心の叫びを感じながら流れ解散。
身の毛もよだつ北欧情報
1.揺り篭から墓場までと例えられる社会福祉制度を誇る北欧の物価は日用品や食費においては体感的に日本の2倍~3倍であると思われ、観光客の財布やクレジットカードを容赦なく痛めつけるので北欧通貨のクローナを使うときは常に「苦労するな~」と思うのである。土産物屋ではTAX FREEの看板が掲げられ、空港で税金が還付される仕組みになっており、観光客がトナカイの毛皮を買う時等の購買意欲がそがれないような努力がなされている。かといって福祉を充実させるために日本で消費税を上げることに関しては慎重に議論されなければならないであろう。
2.北欧は真夏でも気温が20℃くらいしか上がらず、またノルウェーの西岸ではメキシコ海流のおかげで天候が変わりやすく雨が降ったり止んだりしている日々を過ごさなければならなかった。そのせいで帰国後風邪なのかインフルエンザなのか区別が付かない体調となり、2007年7月に賞味期限が切れた葛根湯で対応しなければならない屈辱の今日この頃である。
3.北欧と言うとバイキングを思い浮かべる輩が多いと思われるのだが、スウェーデンやノルウェーでバイキングのキャラクターになっているのはむしろバイキンを彷彿とさせる物ばかりである。たまにハイキングウォーキングのQ太郎のような長髪イケ面バイキングにも遭遇したが、観光客は「おねが お願いします おねが」と言ってチップを払えば記念撮影させていただける実態が確認された。
FTBサマリー
総飛行機代 ANA = ¥278,170.-、スカンジナビア航空 = NOK 2,420.- (NOK1 = ¥16)
総宿泊費 ¥58,500、NOK1,590.-
総鉄道代 NOK695.-
総バス代、SEK526.- (SEK1 = ¥13) 、NOK766.-
総フェリー代 SEK150.-、NOK700.-
協力 ANA、ルフトハンザ・ドイツ航空、スカンジナビア航空、楽天トラベル、Fjord1、SWEBUS、ノルウェー鉄道
非協力 JTB