FTB炎の離島デスマッチ 第?弾 in ラナイ島

アロハ マサよ! ハワイ湯!!

ということで、2004年8月にモロカイ島に上陸以来ハワイから遠ざかっていたのだが、ハワイ諸島にはまだFTBが足を踏み入れたことのない最後のパラダイスであるはずのラナイ島が残っていたので新型インフルエンザの脅威をものともせずに乗り込むことにした。

2009年5月21日(木)

午後8時50分発のNH1052便に乗り込むと機内エンターテイメントの映画で上映されている「感染列島」が厚生労働省の陰謀により上映中止に追い込まれていることを確認するまでもなく、酒をかっくらって不貞寝を決め込んでいると主演の妻夫木聡がつまはじきにされている感覚を気にすることなく午前9時過ぎホノルル空港に到着した。

空港で離島への飛行ルートと出発時間を確認した後、ハワイ唯一の公共交通機関であるThe Busに乗り込んだのだが、料金が前回来た時の$1.5から$2に値上げされている事実に愕然としてしまった。約40分程The Busに揺られてワイキキビーチに到着した。これぞハワイと思わせる抜けるような青空の下、観光客がバカンスに興じているビーチの砂浜に足を取られながらワイキキを仕切っているサーフィンの神様、デューク・カハナモク像にお参りをするとワイキキオンザビーチのシェラトン・プリンセス・カイラウニにしけ込んだ。

24歳という若さで早死にした薄幸のカイウラニ王女を偲んで建立されたシェラトン・プリンセス・カイウラニホテルを根城にしてワイキキエリアをさまよっているとお約束のハワイアンソングとフラダンスのショーに遭遇した。将来は優秀なアグネス・ラムになれる資質を持っているはずのダンサーの踊りは一曲ごとのスローソングの間の休憩を交えながら道行く観光客の目を釘付けにするほど優雅に展開されていた。

夕暮れ時のワイキキビーチは、沈みゆく太陽とサンセットサーファーやクルーズ船のシルエットで幻想的な雰囲気を醸し出し、ホノルルの夜の誘惑の前のひと時が華麗に彩られているのだった。

5月22日(金)

昨晩インターネットでラナイシティ行きのチケットを購入したIsland Airのプロペラ機は午前10時25分にホノルル空港を飛び立ち、30分後には切り立つ断崖絶壁を超えてラナイ空港に到着した。ホテルからの送迎を断り、3マイル程の道のりをラナイシティに向かって歩いていると5台程の車に逆ヒッチハイクの声をかけられ、この島のアロハスピリッツを十二分に感じることが出来た。

ラナイ島は別名「パイナップル・アイランド」と呼ばれているようにかつては広大なパイナップル畑が広がっていたのだが、その名残は随所に残っている。ノーフォーク松の並木が美しいラナイシティにドール・パークがあるのだが、これはパイナップル・プランテーションにより島を開発しやがったジム・ドールにちなんだものだ。

ハワイ最後のパラダイスの異名を持つ素朴な島であるラナイ島にはリゾートはいラナイと考えられてきたのだが、今ではFOUR SEASONS RESORTが沿岸部と内陸部に2軒のリゾートホテルを高値で展開している。そのうちのひとつであるFOUR SEASONS RESORT LANAI THE LODGE AT KOELEに12時過ぎにチェックインすると今日は島の探索には繰り出さずにホテルの敷地内でリゾート気分を満喫させていただくことにした。

ホテルのロビーには暖炉と高級家具調度品が並び、一歩庭園に踏み出すと眩いばかりの緑の芝と鯉が人恋しそうに寄ってくる池や東洋風のオブジェがバランスよく配されている。また、近くの森から鹿の群れが舞い込んできて1頭の小鹿が植物を保護している網の中に迷い込んでしまい、脱出しようとその抜群の跳躍力を駆使してもがいた挙句とうとう網の隙間から逃げ出す現場を目撃してしまった。

5月23日(土)

今日はホテルでマウンテンバイクをレンタルし、満を持して島の探索に乗り出すことにした。ホテルの近くの牧場を抜け、舗装されていない赤土道をケツの痛みをこらえながら10kmほど進むと次第に神々しい雰囲気に包まれることになる。神々の庭園と呼ばれる幻想的な場所はマサに静寂に支配された神が舞い降りる空間で赤土の台地に大小さまざまな巨石が転がっている。庭園はもはや水平線の見分けが付かないほどの青い海まで続き、その先にはマウイ島がぽっかりと浮かんでいる絶景に誰もが時間の感覚をすっかり無くして見入ってしまうのだ。

神々しいほどの静寂を打ち破るように鹿の群れが突然姿を現すと人間を避けるかのようにあっと言う間に遠ざかっていったのを見て現実に引き戻されるとそれがラナイシティへの帰還の合図となった。赤土道を引き返し、一端ラナイシティに立ち寄るとさらにマウンテンバイクを転がして島南部のマネレ・ベイを目指すことにした。

マネレ・ベイに向かう道はほぼ下りのため、5マイルもの長距離をカエルが干からびる程の炎天下にもかかわらず短時間でFOUR SEASONS RESORT MANELE BAYまでは到着することが出来たのだが、急勾配の帰路を考えると海辺のマリーナまで行くことは命取りになりかねないため、そこから渋々引き返すことにした。高台から真っ青な海を脳裏に焼き付けた後、ケツの痛みが限界を超えているためチャリを押して果てし無く続く登り坂を歩くことにした。体中の水分を全部出し切ったにもかかわらず脱水症状を回避出来る能力を持つ私は何台かの逆ヒッチハイクのオファーを受けることを潔しとしなかったのだ。

勾配がピークを過ぎ、ケツの痛みも和らいできたので再びチャリにまたがり、午後4時前には何とか生きながらえてラナイシティに帰還することが出来た。島内で唯一のガソリンスタンドのマーケットにてゲータレードでの水分とイオンの給油により人間性を取り戻すことに成功したのでホテルに帰り、空港行きのシャトルが来るまでホテルの従業猫と一緒にしばし風に吹かれてくつろいでいた。

午後7時30分発のIsland Airプロペラ機でラナイ島を後にし、30分後にはホノルルに到着した。The Busに乗ってワイキキに戻り、定宿のシェラトン・プリンセス・カイラウニにチェックイン出来たのは午後9時を回っていたため、カラカウア・アべニューのストリートパフォーマンスが午後10時に終了しなければならない現実を確認した後、ホテルの26階の部屋に引き上がり、しばしホノルルの夜景見物と洒落込みながらホノルルでのラストナイトを満喫した。

5月24日(日)

早朝窓から差し込んでくる朝日でさわやかな目覚めを迎えるとベランダからワイキキビーチの朝の営みを見下ろしていた。カラカウア・アべニューではジョギングする人々が行き交い、海上ではモーニングサーファーが渋滞していない波の上で存分に技術を磨いていたのだった。

The Busでホノルル空港まで戻り、免税店をスルーして午前10時35分発NH1051便の機上の人になる。機内で「ダーティー・ハリー」をはじめ洋画3本を見たのだが、最後に「感染列島」の行く末が気になってのでチャンネルを合わせてみると問題なく上映されている事実が確認出来たので新インフルエンザに対してはもはやナーバスになる必要はないと感じられた。

機内で配布された検疫質問票の「最近北米に行ったことがあるか」と言う質問に対して「No」と回答させられたことからハワイは北米ではないことに気づかされた。

5月25日(月)

午後2時過ぎに成田空港に到着。検疫で2秒くらい足止めを食らった後、流れ解散。

総飛行機代  ANA = ¥29,510, Island Air = $148.10

総宿泊費  $551.37

総The Bus代  $6.-

総タクシー代  $35.-

協力 ANA、Island Air、Starwood

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