FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in 南北大東島

マサよ、君は沖縄本島の東、約340kmの太平洋上に存在する珊瑚礁の数回にわたる隆起によって形成された海洋島に上陸した実績があるか!?

私は遂に這い上がってしまった!!

というわけで、沖縄県は離島も含めてほとんど制覇してしまった感のあるFTBであるが、沖縄県の中でも最強の僻地である大東諸島へは交通の便の悪さからなかなかアクセス出来ないという屈辱を長らく味わってきたのも事実である。ところが、定額給付金のおかげで今回ついに南北大東島を一気通貫でアイランドホッピングする機会を得ることとなったのだ。

7月3日(金)

定額給付金という小金を手にした善良な国民に首尾よく散財させるため、定額給付金超割を設定したANAの戦略にまんまと乗ってしまったFTBはANA993便にて午前6時40分に羽田を出発し、午前10時前には梅雨明け間もない那覇空港に到着した。空港内で軽く裏の仕事をこなした後、定額給付金バーゲンフェアにより通常の半額以下の運賃で搭乗出来る琉球エアーコミューターRAC847便に午後2時45分に搭乗すると約1時間のフライトで絶海の孤島もしくは「うふあがりじま」と言われる北大東島に上陸することに成功した。尚、那覇と大東諸島を結ぶ350kmにも及ぶ飛行距離は、コミューター路線としては世界最長となっているのだ。

空港出口で本日の宿泊先となっている民宿二六荘の若頭が出迎えに来ていたので早速バンに乗り込むと10分程で宿に着き、そそくさとチェックインをすますと軽く島の散策に乗り出すことにした。周囲13.52kmの北大東島の北西部に西港という港があり、地元のおばさんが岸壁の母よろしく瞑想に耽っているのを横目に高い波と今まで見たこともないような海の青さにおののいてしまった。

西港を見下ろすように石積みの燐鉱石貯蔵庫跡が廃墟のような存在感を示していたので孤島の雰囲気との妙なマッチングを満喫した後、国標というはるか昔の明治18年にこの島が日本の領土であることを明確にした標柱にお参りしながら、北方領土や尖閣諸島等で揺れている領土問題に関して深く考え込んでいた。

7月4日(土)

早朝二六荘で原チャリをレンタルすると北大東島の本格的な調査が開始されることとなった。島内を流しているとさすがにここが隆起珊瑚礁で形成された地形だと納得させられるような荒々しい岩礁の景色が次から次に目に飛び込んできた。また、島内ではあちこちで何らかの農業施設やファシリティの建設ラッシュとなっているようで北大東島では一流企業であるはずのISO9001を取得した(株)与儀組の重機がいたるところでうなりをあげていた。

島の西部に「上陸」と呼ばれる北大東島開拓百年記念碑がおっ立てられている島の文明の起源のシンボルが青い海に映えている光景を目に焼き付けた後、空港の海側の脇にひっそりとおいやられている「沖縄最東端之碑」を見物してここはおそらく沖縄県人にしかその価値がわからないのではないだろうかという不安に苛まれることにした。尚、「うふ(遥か)あがり(東)島」の語源は古来、琉球王朝の人々がこの島がはるか東方にあることから名付けられているのである。

マサよ、君は人間UFOキャッチャーを彷彿とさせるクレーン上陸の瞬間を目の当たりにしたことがあるか!?

ということで、週に一度しか寄港しない大東フェリーの勇姿を見るために北港まで原チャリを飛ばして大東島の名物と言っても過言ではないクレーン上陸のテクノロジーを見学させていただくことにした。そもそも波の荒い大東島ではフェリーが着岸出来ないという理由から乗下船の際には乗客は囚われた動物のようにカゴの中に封じ込められ、クレーンでカゴごと釣り上げられるという東京ディズニーランドや豊島園でも体験することが出来ないアトラクションが日常的に展開されているのである。

クレーンがフリーフォールにならなかった状況を確認して安心した後、昭和50年3月18日に指定された国指定天然記念物である「長幕岸壁及び岸錘の特殊植物群落」、通称「屏風岩」を見に行った。北大東島の内陸部を環状に取り囲む隆起珊瑚礁地帯のうち、南部の約1.5kmは内側が切り立った石灰岩の崖で、まるで屏風を立てたような絶壁と崖の下に崩れ落ちた石がゴロゴロしている場所(岸錘)は、その地形の特性のため与儀組にさえも開発されずに北大東島本来の自然植生に近いものが残っている貴重な地域となっているのである。

屏風岩でISO9001取得優良企業である与儀組の限界を感じ取ることが出来たので二六荘の若頭にバンで空港まで送ってもらい、午後4時30分発RAC836便にて約3分の飛行時間を経て南大東島に着陸した。尚、北大東島と南大東島間の飛行はわずか20kmであり、滑走も含めて所要時間は10分たらずである。こちらは世界でも最短クラスの航空路線となっているのである。

空港を出ると島唯一のホテルであるホテルよしざとの番頭が迎えに来ていたのでバンに乗り込み、10分程で文明の開けた町に君臨する5階建て高層ビルのホテルに到着した。チェックイン後、周囲を軽く歩きながらこの島の暮らしぶりを吸収し、腹が減ったのでホテルよしざとと契約して夕食サービスを提供している居酒屋ちゃんぷる~亭にしけこんだ。店内には過去南大東島の様子を旅番組やバラエティで伝えた実績を証明するために永六輔、チュートリアル、クリーム・シチュー等のB級有名人のサイン色紙が壁紙と同化していたのだった。

7月5日(日)

ホテルよしざとでママチャリをレンタルすると北大東島よりも一回り大きい南大東島の実態の解明に乗り出すことにした。隆起珊瑚礁で形成された島は洞窟の宝庫となっており、そのためダイトウオオコウモリというフルーツ好きのベジタリアンコウモリの生息地となっているのだが、まず最初に島最大の鍾乳洞である星野洞(¥800)を探検することにした。

(有)大東観光商事の厳格な管理下におかれた星野洞の名前の由来を管理人の若づくり海人風のおばさんに尋ねると何と星野さんの所有物だという驚愕の事実が告げられた。早速管理事務所で充電式電池を搭載した巨大懐中電灯とセルフガイド用のミニカセットデッキを借りると美しくライトアップされた異空間の幻想的な世界に這い降りることとなった。温度15℃、湿度100%の洞内は数億年の時を経て成長を遂げてきた鍾乳石の巨大柱や上からのツララと下からの剣の接近によりマサに柱になろうとしている鍾乳石が林立しており、真夏の南の島での一服の清涼剤となっているのである。

島の北部では第4種南大東漁港の整備がライブで進んでおり、従来のクレーンによる漁船の出漁・寄港から沿岸の内部を掘り込んで堤防を作り、高波の影響を受けずに漁船が着岸出来る港構造への変化の様子を見て取ることが出来るのだ。漁港から少し内陸に入ると一面サトウキビ畑が広がっており、給水塔には小学校低学年生が描いたわりには完成度の高いダイトウオオコウモリがめんそ~れと羽ばたいていた。

マサよ、君は「どうだ、まいったか、太平洋一体型くりぬきプール」に恐れ入ったことがあるか!?

というわけで、南の絶海の孤島くんだりまで来て水泳に興じなければ南の島に来た意味を失ってしまうのだが、南北大東島の地形ゆえ、ビーチというものは存在しない。そこでどうしても水泳をしたかったであろう島民は沿岸部をくり抜いて太平洋一体型プールを作るという快挙を成し遂げたのだ。海岸植物が群落を成す東海岸に海軍棒という人工海水プールがあり、島民や観光客が水泳やシュノーケリングに興じていたので参加させていただくことにした。さすがに太平洋と一体になっているプールだけあり、おびただしい数の熱帯魚が人間を恐れることなく悠然と泳いでいた。ちなみに海軍棒の名前の由来は昔々旧海軍がこの場所に国の指標を建てやがったからだそうだ。

海軍棒での遊泳を満喫すると腹が減ってきたので市内に戻り、「元祖大東そば」でうどんのような麺の太さを誇る大東そばを食すことにした。南大東島には元祖を含めて2件のそば屋があるのだが、特に元祖を名乗らなくても誰も真似するものはいないのではないかと思われた。

食後の運動を兼ねて日の丸山展望台までママチャリを転がし、展望台から遠景を見渡しながら、島にはサトウキビ畑以外は何もないことをあらためて実感した。島の南西部に塩屋海岸というもうひとつの海水プールがあったので日曜日にもかかわらず、そこに人が一人もいない事実を確認した後、ホテルの送迎バンで空港まで帰って行った。

南大東空港でうふあがり製菓が製造した大東島特産の黒糖を購入し、午後4時55分発のRAC868便にてシャワーの無かった海軍棒で流し去ることが出来なかった海水塩分を身にまとったまま那覇空港への帰路に着いた。

7月6日(月)

午前8時発ANA120便にて東京に帰還。次回定額給付金の支給を期待しつつ流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 ANA = \2,500、JAL = \25,000

総宿泊費 \16,365

総レンタルバイク代 \2,500

総レンタサイクル代  \1,000

協力 ANA、JAL、琉球エアーコミューター、楽天トラベル

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