元気ですかぁ~ マサよ! 元気があればっ、なんでもできる!!
というわけで、586の島々からなるパラオにアントニオ猪木がオーナーになっている島があり、新日本プロレスのトレーニングをその島で行った際に猪木が押し寄せる波に向かって延髄斬りをかましている光景が今も心に焼き付いている。このパフォーマンスに触発され、いつかはパラオに上陸しなければならないと考えていたのだが、今回ついにボンバイエの魂と燃える闘魂を注入するためにその計画が実行に移されることとなったのだ。
2010年7月17日(土)
上野・成田空港間をわずか30分で結ぶ新スカイライナーが本日開通とあって、同じ路線上の単なる空港行き特急である成田スカイアクセス特急でさえ、その勇姿をカメラに収めようと先頭車両でベストポジション争いをしている鉄っちゃんで大変混雑していた。
午前11時5分発コンチネンタル航空CO962便グアム行きに乗り込むと1時間の時差を超えて午後3時半過ぎにグアムに到着し、ラウンジで回線品質の悪いComplimentary WiFiと格闘しながら時間をやり過ごしていた。乗り継ぎ便となる午後7時35分発パラオ行きCO953便は定刻通りに出発し、途中Yap島を経由して午後10時過ぎにパラオ国際空港に到着した頃には日本との時差は解消されてしまっていた。
空港では本日宿泊するホテルの有料送迎サービスのバンが迎えに来ていたので早速乗り込むと25分程度でパラオの中心地であるコロール・ダウンタウンにあるパレイシア・ホテルに到着した。ホテルに常駐する日本人スタッフによりつつがなくチェックインを果たし、最上階である6階の部屋に入ると湿気の多い南国リゾート特有のほのかなカビの香りに包まれて一夜を過ごすこととなったのだった。
7月18日(日)
パラオを代表するモダンな大型リゾートホテルであるパレイシア・ホテルのレストランで中国人団体客の圧力と闘いながら朝食をすますと照りつける太陽の下、コロール・ダウンタウンの散策に繰り出すことにした。コロール島は小さな村々から構成されていて、パラオの総人口約2万人のうち約7割が居住している共和国の中心であり、メインストリートには学校、ホテル、デパート、土産物屋やレストランが軒を並べている。
早速パラオの歴史を学習するためにミクロネシアで最も古い博物館であるベラウ・ナショナル・ミュージアムに向かった。しかし、日曜日は休館日となっているらしく、侵入を拒否されたので外部に展示されている古来より伝わるパラオの集会所のバイと野ざらしになっている日本統治時代の遺物を見物するにとどまってしまった。三角屋根が尖っているバイの内部を見学しようとしていると気の弱そうな犬が遠吠えで仲間を呼び寄せて不法侵入の嫌疑をかけられた私に対してプレッシャーを与えて来やがったので奴らの番犬としての働きに敬意を表して撤退してやることにした。
パラオ水族館として慣らしているパラオ国際サンゴ礁センター($8)が日本、アメリカ、パラオ各政府の協力によりサンゴと海洋生物を研究するファシリティとして君臨しているという話を聞いていたので実際に海に出る前の予習として見学させていただくことにした。ここは美ら海水族館のような大手ではないものの、多くの展示水槽が屋外に設置されており、マサにパラオの海の環境が凝縮されている様子が見て取れた。特に世界でも例の少ない生きているサンゴの飼育に成功したり、通常150m~200mという水深に生息しているため、なかなか目にすることが出来ないオウムガイ等のレア物も間近でマジマジと観察することが出来るのだ。
パラオの中心コロール島と日本のODAで造られた橋で繋がっているアラカベサン島は、かつて日本軍の軍事基盤であった激動の島なのだが、今ではすっかりリゾート・アイランドとしての地位を確立している。その中でパラオの誇る最高級ホテルであるパラオ・パシフィック・リゾートが多くのリゾーターで繁盛している実態を目の当たりにするために徒歩で4km程の道のりをトボトボとやって来た。プライベートビーチが広がる砂浜の美しさもさることながら、ホテルの遊歩道の南に位置する、太平洋戦争中の日本軍の水上飛行機用だったランプの先のサンセット・ビュー・ハットと名付けられた小高い丘の上の展望台からの眺めは時間の経過も忘れさせてしまうほど美しいものであった。
公共交通機関のないパラオで観光客の足になっているBBIというシャトルバス($7/7日間有効)が夕暮れ時から運行を開始し、各主要ホテルやレストラン、土産物屋を回っているので早速チケットを買って乗車し、DFSギャラリアも併設しているパレイシア・ホテルで下車し、本日の宿泊先となっているウエスト・プラザ・ホテル・バイ・ザ・シーに向かった。ホテルのすぐ北側にTドックというTの字に海に突き出た埠頭があり、そこで原住少年団が釣りをしたり、原住母子がナマコを採ったりしている様子を眺めながらゆったりとした黄昏時を過ごしていたのだった。
7月19日(月)
昨日はパラオの実態の解明と予習に時間を費やしてしまったのだが、今日は満を持してパラオが誇る観光資源に踏み込むことにした。パラオの色々な遊び方を満載した豊富なツアーメニューを持っているインパック・ツアーズのパンフレットをホテルでたまたま入手していたのでまずはカヤック&ジェリーフィッシュレイクツアー($100 + ジェリーフィッシュレイク許可証$35)に参加することにした。
午前8時40分にホテルにピックアップに来たバンに乗り込み、ツアー会社のオフィスで料金を払った後、スノーケリングセットやライフジャケット等のレンタル品を受け取ると桟橋からモーターボートに乗り込み、いよいよ全行程7.5時間にもわたるツアーがスタートとなった。このツアー会社は日本人スタッフが多く、今回担当するガイドもチエと名乗るジャリンコ系の小麦色のマーメイドであった。
ボートはツアー客がボ~とする間もなく、パラオが世界に誇る観光資源であるロック・アイランドの島々を抜け、刻々と色の変わる海上を疾走し、30分程で最初のアクティビティ・ポイントであるミルキー・ウェイに到着した。通称「ミルキー・ウェイ」と呼ばれるロック・アイランドのなかにあるマリン・レイクの色は入浴剤を溶かしたような独特の色をしており、その色の正体は海底に沈殿している石灰の泥である。ここで取れる泥は「パラオホワイトクレイ」として各種の化粧品に加工されており、絶大な美白・保湿効果があると言われているのだが、毎日来ているはずのガイドのジャリンコ・チエはその効果の恩恵に与かっていないようだった。
しかし、ジャリンコはその潜水技術を如何なく発揮し、見通しの利かない3mの海底を数往復して泥を集めてくるという離れ業を演じ、ツアー客を泥だらけにするのに大きな役割を果たしてくれたのだ。また、イッコーがパラオを訪れた際にもツアーに参加したのだが、奴は1日中ミルキーウェイにいて泥パックに明け暮れるという無駄な努力を繰り返していたそうだ。泥が乾くと皆海に飛び込み体中と髪の毛になすりつけた白い物体を洗い流したのだが、ミルキーはママの味というよりはむしろ塩の味とほのかな硫黄臭が支配的であることが体感された。
十分に肌のお手入れも出来たところでボートはマングローブの入り口で停泊し、そこからシー・カヤックに乗り換えて約1時間半もの過酷なボート漕ぎが始まった。ツアーの一行はそれぞれにチャーターされたカヤックで欝蒼と茂るマングローブへ突き進んで行った。流れがほとんどないので思ったよりも体力を消耗しないのだが、途中マングローブの根っこに乗り上げて座礁するという危機を乗り越えながら、のんびりと鳥のさえずりを聞き、食虫植物のウツボカズラ等の熱帯植物を見上げながらオールを漕いでいるといつの間にか出発地点に戻って来てしまっていた。
マサよ、君は猪木の名を冠した無人島が三本ロープの四角いジャングルではなく、本当のジャングルになっていることを知っているか!?
ということで、適度の運動で腹も減ったのでボートは近くの無人島へと移動する段取りになった。ボートが島に近づくにつれ、ボンバイエのリズムと延髄に衝撃が走ったような感覚が強くなってきた。なるほど、ここはアントニオ猪木を名誉オーナーとする無人島で日本人観光客が珍しかった時代からパラオに侵略しに来ていた猪木に敬意を表し、パラオ人所有者が友好の印としてプライベート使用を許可しているという形になっているそうだ。
このイノキ・アイランドにはアントニオ猪木をはじめ、坂口征二やアントキの猪木くらいしか上陸を許可されないのかと思っていたのだが、意外にもほとんどのツアーの昼食休憩所としていくつかのベンチやバーベキュー施設が設置されており、猪木も「なんだこのやろう!ダ~!!」と言いながら気張っていたはずの汚いトイレで用をたすことも出来るのだ。
イノキ・アイランドでの闘魂注入で満足したので泳いで帰ろうかと思ったのだが、ついでに続きの見どころも押さえておくことにした。ロック・アイランドのひとつ、広大なマカラカル島の内陸に世界的に有名なジェリーフィッシュ・レイクが佇んでおり、パラオの一大観光名所として連日おびただしい数のツアー客がクラゲと一緒に浮かんでいるという実態が報告されていたので実際に体験させていただくことにした。ボートが船着場に着くと、そこから山道を上下するトレッキングを15分程こなすとついに緑に囲まれた広大な湖が目の前に姿を現した。
早速スノーケリングの準備をして湖に飛び込むといきなりおびただしい数のクラゲに囲まれてしまった。この湖には水面下に海と繋がっている箇所があるため、隔絶されていながら海水と淡水が混ざった汽水湖となっており、タコクラゲ、ミズクラゲなど無数のクラゲが生息する軟体動物ワールドになっているのだ。
クラゲは光合成を行うため、太陽の位置に合わせて団体で湖内を移動し、太陽が雲に隠れると一斉に水面近くに上がってきやがった。尚、クラゲの毒性は強くないので水着で湖に入っても、触って足の数を数えても何の危害も加えないので観光客は安心して直にクラゲの感触を楽しむことが出来るのだ。
ジェリーフィッシュ・レイクでこの世のものとは思えない異空間での水中遊泳を堪能した後、ツアーの最後のアクティビティとなるパラダイスというスノーケルポイントに向かった。サンゴの海が最大の遊び場であるパラオには無数のスノーケリングポイントが存在するのだが、1998年のエルニーニョ現象による水温の異常上昇でパラオのサンゴも壊滅的な打撃を受けた痕跡として白化したサンゴが今なお残っている。
しかしながら、透明な海水に育まれた多様な生態系は目を見張るものがあり、色とりどりのサンゴの間を回遊するカラフルな熱帯魚を見るとマサにパラダイスに紛れ込んだような夢心地を味わえるのである。
30分程のスノーケリングを終え、体もいい具合にふやけてきたのでツアー客はボートに回収されると桟橋への帰路に着いた。途中ナチュラル・アーチという隆起サンゴ礁の中心が波の浸食によりくり抜かれた造形美を軽く堪能し、さらに日本軍が残した銃砲に脅威を覚えていたのだが、パラオでは戦争の遺物を動かしてはいけないという法律があるため、このように戦跡が生々しく残されているのだ。
ツアー終了後、ペットのカニクイザルに別れを告げ、本日の宿泊先になっている♪思い出のっ クリフサイド ホテルぅ♪に引き払い、中村雅(マサ!)俊のメロディーとともに高台からの景色を堪能しながらツアーの余韻に浸っていた。
7月20日(火)
昨日参加したカヤック&ジェリーフィッシュレイクツアーに大きな感銘を覚えたので今日はさらなるパラオの魅力を探るためにガラツマオの滝トレッキングツアー($90)に参加させていただくことにした。このツアーはグァム島に次いでミクロネシアでは2番目に大きいバベルダオブ島ガラツマオ州にあるパラオ最大の滝を訪れるネイチャー・アドベンチャーである。
ツアー会社のオフィスを出発したバンは、コロール島からパラオ最大の橋であるニューKBブリッジを渡り、最初の目的地である熱帯果樹園を目指した。台湾資本により経営される果樹園にはグアバ、パパイア、ドラゴン・フルーツ等が試験栽培されており、フルーツの試食コーナーでは苦いノニジュースで乾杯させられるという貴重な体験までついてくるのである。
ノニジュースで健康に対する自信を深めたところでバンは近年舗装された道路をさらに北上し、ガラツマオの滝の入り口兼休憩所に到着した。滝へのトレッキング道は往路は下りになっており、途中アルミの原料であるボーキサイトを運ぶトロッコのレールに遭遇し、切り立った尾根や草原を通り抜けて清らかな川が流れる水郷地帯まで到達した。
ところどころに存在する水溜りの中には多くの岩魚が泳ぎ、脱皮したばかりの川エビも颯爽と水の中をバックで進んでいた。いつしかトレッキング道は川の流れに飲み込まれ、腰まで冷たい水に浸かりながらもついにマイナスイオン弾ける滝壺に到着し、巨大な水のカーテンが目の前に迫る光景に圧倒されてしまった。
ガイドが防水バックパックで運んできた弁当を食っていると野生化したはずのチャボの親子が弁当のおこぼれを虎視眈々と狙いながら周囲を徘徊していた。また、林の中には毒のない切れ長のヘビがしなやかに蠢いており、パラオの自然の多様性を誇示していた。腹も膨らんだところで滝壺に降りてお約束の滝に打たれ、心身を清めると共に煩悩を振り払い、とりあえず坂口征二相談役を中心とした新日本プロレスの復権を祈っておいた。
急に振り出した激しいスコールと滝による真水で適当に全身を清められた勢いを駆って復路の上り坂を難なく登りきると休憩所で用意していただいたココナッツの実にストロー突き刺しジュースを一気飲みし、バンでコロール島に帰って行った。とりあえず、コロール島と橋で繋がっているマラカル島に君臨するニッコー・ホテルズ・インターナショナルグループが経営するパラオ・ロイヤル・リゾートまで送ってもらったので恒例のファシリティチェックを行うことにした。敷地内に海水を引き入れたラグーンがあり、午後5時から拉致している生物に対する餌付けが開始された。マグロの切り身やパン粉に引き寄せられるようにウミガメや熱帯魚が集まって来たのだが、海底を這うように泳いでいるエイは永遠に浮上してくることはなかったのだ。
夕飯時になったのでインパック・ツアーズのオフィスに隣接するJIVEというシーサイドレストランで眼下の透明な海とサンゴを見下ろしながら取れたての魚の刺身とバナナの皮に包まれて蒸し焼きにされた巨大白身系魚をカクテルと共に流し込んでさわやかな宵の時を過ごしていた。
ダウンタウンまで歩いて戻っているとアサヒ・フィールドで野球のナイターが行われていたので思わず引き寄せられてしまった。硬球、木製バットという本格的な野球のために打低投低の感は免れず、私も代打に出る準備をしていたのだが、ついに声がかかることがなかったのでタクシーでパラオ国際空港に撤収することにした。空港では通常徴収される出国税$20に加えて2009年の後半から設定されたGREEN FEEを$15巻き上げられたのだが、パラオが猪木とともに自然環境を守ろうとする強い姿勢が見て取れたのだった。
7月21日(水)
午前1時10分のCO954便に乗り込むと乗客は何故か行きのメンバーと似たような顔ぶれだったのでこれがパラオツアーの典型的な旅行日程であることが確認された。しかし、行きの飛行機では色白だったヤングギャルたちは周囲の物体との接触を拒むかのように真っ赤に着色されて帰って来たので強い日差しに対する油断の恐ろしさを再認識させられたのだった。
飛行機は帰りもYap島を経由しやがり午前5時過ぎにグァム国際空港に到着した。空港のラウンジで回線品質の改善されたComplimentary WiFiで7時から裏の仕事のWebEXミーティングをこなした後、買う気もないのに免税品店で時間を潰し、11時55分発のCO6便の機内では出来るだけ意識をなくすように努めていた。午後2時45分に成田に到着し、機外に出るとパラオより強烈な酷暑に辟易しながら流れ解散となった。
FTBサマリー
総飛行機代 ¥119,260
総宿泊費 $353.3
総現地ツアー代 $190
総空港送迎代 $15
総シャトルバス代 $7
総タクシー代 $25
総出国税 $20
総Green Fee $15
協力
コンチネンタル航空、楽天トラベル、インパック・ツアーズ(http://www.palau-impac.com/)