♪Wind is browing from the Aegean おんなはうみ~♪
(訳:マサよ、エーゲ海から女々しい不況の風が吹いて来るぜ!)
というわけで、私が中学生として活躍していた1979年にヒットした日伊合作映画「エーゲ海に捧ぐ」と連携キャンペーンを行ったワコールのCMソングとして作られ、ついでにレコード大賞も取ってしまった名曲が流れていた頃のギリシアはエーゲ海に世界中の欲望を集めてマサにキリギリスさながらの生活をエンジョイしていたのだが、その化けの皮もとっくに剥がれて公務員が賄賂を持って暗躍する借金大国と成り下がってしまった。
好きな男の腕の中でも違う男の夢を見ているかのように様々な経済援助を受けているにもかかわらず破綻の足音が大きくなっているギリシアから観光客の足が遠のき、飛行機代もホテル代もバーゲン状態になっているこの機を捉えて中学時代から憧れてやまなかったエーゲ海にジュディ・オングのような羽を広げてついに舞い降りることになったのだ。
2012年6月18日(月)
エーゲ海の風の数倍の威力を持つはずの台風4号の上陸に先立って22:30関空発TK47便に乗り込むと♪南に向いてる窓をあけ♪ることなくブラインドを閉めて♪私の中でお眠りなさい♪という文言を機内で唱えながら意識を失くすことに専念した。
6月19日(火)
11時間以上のフライトで夜もまだ明けぬ午前5時過ぎにイスタンブール国際空港に到着するとトルコ航空のラウンジに直行して日がな一日ここでタダ酒とタダ飯を貪りながらキリギリスのように過ごさせていただいた。トルコ航空運行のイスタンブール‐アテネ間の便は一日3便あるのだが、最終便である19:25発TK1843便に乗り込むと1時間ちょっとのフライトでアテネのエレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港に到着したのは午後9時前の時間帯であった。
到着口で空港から市内へのタクシー料金が一律の明朗会計になっているのを確認すると順番を待ってイエローキャブに乗り込み、整備された高速道路を経由してアテネ市内のノボテルホテルに辿り着いた。タクシー料金を払う際にアテネに来て料金があってね~といったトラブルに遭うこともなかったのでチップ込みで40ユーロを与えると運転手は満足した面持ちで引き上げていったのだった。
6月20日(水)
ホテルから徒歩5分のところにアテネの中央駅である鉄道ラリッサ駅が君臨し、それに付属するように存在する地下鉄ラリッサ駅で4ユーロを支払って24時間乗り物に乗り放題のチケットを購入すると車体を下手くそな落書きでコーティングされた地下鉄に乗り込み、アクロポリという駅で下車する運びとなった。この駅の構内には地下鉄工事の際に発掘された土器や墓などが展示されており地下鉄ミュージアムとして観光客の注目を集めていた。
ギリシア古代遺跡のハイライトともいうべきアクロポリス(世界遺産)は「高い丘の上の都市」という意味を体現するかのように自然の要塞とも言える岩山にそびえていた。早速チケット売り場で複数の遺跡に入場出来る共通チケット(12ユーロ)を購入すると炎天下で不貞寝を決め込んでいる猛犬を刺激しないように丘の上に続く階段を登って行った。
今も古典劇などが上演されるイロド・アティコス音楽堂を高みから見下ろすと不景気を物ともせずに多くの観光客で溢れているプロピレア(前門)を通ってアクロポリスの中心部に踏み込んでいった。
ギリシアの象徴と言っても過言ではないパルテノン神殿は紀元前432年に完成したもので、現役当時は神殿内部にアテネの守護神アテナの高さ12mにも及ぶ巨大な像が安置されていた。1687年のヴェネツィア軍の攻撃で大破してしまったのだが、修復作業を継続するために今なお多額の資金が投入されている様子が見て取れたのだった。
エーゲ海から吹く風で栄光のギリシア国旗をはためかせているパルテノン神殿奥の展望台からはアテネの街並みが一望出来、観光客は狭い展望台の中でベストな撮影スポットを確保しようとせめぎ合っているのであった。
紀元前408年に完成したエレクティオンは北側にイオニア式円柱、南側にはカリアティデスと呼ばれる6人の少女像を人柱的に配しているのだが、それらの人柱はすべて複製でオリジナルのうち5体は新アクロポリス博物館に収蔵され、残りの1体は大英博物館に略奪されているのである。
アクロポリスで古代ギリシア建築の真髄に触れると同時に栄枯盛衰のはかなさをかみしめた後、丘を降りてとあるカフェで昼食のパンを噛みしめて体力を回復させるとかつて賢人たちが議論を交わしたと言われている古代アゴラに向かった。
古代においては政治、宗教、文化的施設が集中している場所を意味するアゴラでは男たちが買い物をしたり、政治を論じたりしていたのだが、精神的中心であったアクロポリスに対して、当時の古代アゴラは生活の中心として重要な役目を果たしていた。
ヘファイストス神殿はギリシア国内で最も原形を留めている神殿で、建築時期はパルテノン神殿とほぼ同時期の紀元前450~440年頃のものと言われている。市場があったとされる中央柱廊は長さ約120m、幅約15mにもおよび、ここで物が売買されていたのであった。
巨人とトリトン(半人半魚)の像3体のみが残っているアグリッパの音楽堂を通り過ぎるとギリシア遺跡の中で唯一完全に復元された建造物であるアタロスの柱廊にたどり着いた。ここは古代アゴラ博物館になっており、古代ガッツポーズ像等の古代アゴラで発掘されたもののほとんどがここに収蔵されている。
古代アゴラの隣に広がるローマン・アゴラはローマ時代初期(紀元前1世紀~紀元前2世紀)のアゴラの跡で、かつては市場兼集会場として人があふれていたという。大理石でできた八角形の「風の神の塔」は日時計、水時計、風見の3役をこなしており、塔の8面はそれぞれ東西南北と、北東、南東、南西、北西の方向を指し、壁の上部にはそれぞれの方角の風の神が浮き彫りにされている。
30°をゆうに超える炎天下を長時間遺跡見物に勤しんでいると遺跡のように干からびてしまいそうな乾きを覚え、のぼせるといけないので早々とノボテルホテルに退散し、ギリシア料理をつまみに英気を養っておくことにした。
6月21日(木)
朝日が昇ってるのを横目にノボテルホテルをチェックアウトすると地下鉄を乗り継いでエーゲ海の島々への海の玄関口であるピレウスのフェリー乗り場に向かった。2500以上もの島々が点在するエーゲ海を運行する多くのフェリー会社から人気島への高速フェリーの便を持つHellenic SeawaysのチケットをあらかじめWEBで予約していたので窓口で搭乗券を受け取ると7:30発サントリーニ島行きの大型高速艇Highspeed6に乗り込んだ。
船内の売店で高値で売られているカフェとサンドイッチを召し上がっていると船はいつの間にか出航しており、すべるようにピレウス港内を後にした。広い船内では概ね快適なエーゲ海クルーズを楽しむことが出来たのだが、トイレの洗面所がゲロまみれになっていたり、流してはいけないトイレットペーパーを流してトイレが詰まっているような些細な不具合には目を瞑らざるを得なかった。船は途中イオス島に寄港して速やかに乗客の乗り降りを済ませると正午過ぎにはキクラデス諸島の中でも観光客に絶大な人気を誇るサントリーニ島のアティニオス港に到着した。
船を降りると目の前には断崖の壁が迫っており、その上には雪のように積もった真っ白な家々が町を形成している様子が遠目に見受けられた。港には観光客をサントリーニの中心の町であるフィラまで運ぶ公共のバスが待ち構えていたので早速乗り込むとつづら折りの坂道を駆け上がって20分ほどでバスステーションに到着した。引き続き、この島での宿を取っている北部の町イア行きのバスに乗り、眼下に広がる真っ青なエーゲ海を眺めていると青と白の対照がこの上なく美しいイアの町にたどり着いた。
観光案内所に荷物を預け、シエスタの時間でも営業しているレストランで昼食を済ませると軽くイアの町を歩いてみることにした。まるでメルヘンの世界のような通りにはおしゃれなカフェ、アートショップ、土産物店が所狭しと立ち並び、エーゲ海の絶景を価格に上乗せしているはずのコスメショップにはご当地名物のオリーブを原料にした石鹸が陳列棚を席巻するように配置されていた。
崖には白壁に青屋根の教会や民家が段々に建っており、他の島では見ることの出来ないサントリーニ島独特の景観を形作っている。不況の影響でバカンスシーズンの観光客の出足が悪いとは言え、ここはマサに不景気であることを忘れさせてくれるこの世の楽園だと思われた。
強烈な日差しからエスケープするためにイアのバスステーションでベンツタクシーを捕まえてビーチ沿いに位置するプール付きアパートメント系のエンプロホテルに移動し、チェックインの手続きを行った後、周囲を散策していると閑散とした黒砂のビーチに数人のリゾート客がくつろいでいる光景を目にした。
サントリーニ島のイアに来てかの有名な夕日を見なければサントリーニ島に来た意味がなくなってしまうので太陽が水平線に没する前に再びイアの断崖沿いの町並みに繰り出すことにした。周囲は充分明るいとはいえ、時刻は7時を回っていたのでとりあえず眺望のいいレストランでディナーと洒落込むことにした。シーフードのスパゲッティとイカの中にもち米をギュウギュウに梱包したイカ飯を肴にギリシア語で「伝説」を意味するMithos(ミソス)ビールを飲んでいたのだが、何となく物足りなさを感じていた。ところで、ヨーロッパで最初にワインが作られたのはギリシアであり、中でもサントリーニ島のワインは定評があるのでサントリーのウイスキーを発注する代わりに白ワインを軽飲して夕日見物の雰囲気を高めておいた。
のんきに飯を食っている間に夕日見物スポットはすでにおびただしい数の観光客で埋め尽くされており、ベスト撮影ポジションを確保するのは困難な状況であったのだが、何とか人ごみの中にカメラを潜り込ませると景気動向には左右されることのないすばらしいサンセットの光景を焼き付けることが出来たのであった。
6月22日(金)
エンプロホテルでさわやかなエーゲ海の風に吹かれながらゆったりとした午前の時間を過ごした後、タクシーでイアの町まで移動し、さらにバスに乗ってフィラまで繰り出すことにした。バスステーションから風光明媚な断崖に向かって歩いていると青い空を背景に輝く白亜の大聖堂が迎えてくれたので中でお祈りをすると観光客で賑わっている断崖沿いを散策することにした。
サントリーニ島はキクラデス諸島最南にある火山島で、現在のような三日月形の島になるまでには何回も火山の爆発があったそうだ。火山のクレーターは断崖の上から見下ろすことが出来る海上に浮かんでおり、そのネア・カメニ火山にはツアーボートかクルーズ船でアクセス可能になっている。また崖の上にはクレータービューを標榜するレストランが何軒も軒を連ねている。
崖の下にオールド・ポートという港があり、そこへアクセスする主な交通機関はゴンドラタイプのケーブルカーかロバの背中になっているのだが、なるほど、ケーブルカー乗り場近くのレストランで飯を食っているとロバの交通量の多さを実感することが出来るのだ。
崖の上には多くのブティックやショップも営業しているのだが、崖っぷちホテルはどれも例外なくプール付きとなっており、リゾート客がプールに入浴しながらビールやワイン片手に絶景を眺めるというこの上ない贅沢を味わっている様子が見て取れた。
フィラからバスに乗ってイアに帰り着くと丁度サンセットの光景がクライマックスを迎える頃であった。昨日とはポジショニングを少し変えて見たのだが、オレンジ色の空と崖に張り付くように建っている白い建物群とのコントラストは何度見ても感慨深いものがあった。
6月23日(土)
イア地区のエンプロホテルからタクシーを飛ばして一気にフェリー乗り場に移動した。港の旅行代理店でフェリーの搭乗券を入手し、冷房が完備した待合室でくつろいでいると何隻かの観光船の出航が見受けられた。Hellenic Seawaysが運行するFrying Cat4と命名された高速艇に乗り込み、定刻の正午に出航すると途中のパロス島に立ち寄った後、定刻14:35頃にはミコノス島のオールド・ポートに到着を果たした。港の入口にミコノス島での宿となっているサンアントニオ・サマーランド・ホテルのバンが止まっていたので速やかに乗車すると少し内陸の高台に位置するホテルにチェックインと相成った。
同ホテルでは2時間毎にオールド・ポートまでのバンによる送迎サービスを行っているので頃合を見計らって町に出てみることにした。オールド・ポートから町に向かっていると透明な海とビーチがいやがおおうでもリゾート気分を盛り上げてくれるのだが、不意に昼飯を食っていないことを思い出したので港に面したレストランに入ってシーフードの盛り合わせを発注した。しばらくすると港のレストラン通りで養われているはずの顔芸猫が絶妙な表情でおこぼれを要求してきたのだが、軽くそいつをいなしてエーゲ海の白い宝石との異名をとるミコノス・タウンの迷路に踏み入ることにした。
島のアイドルとしてレストランから鮮魚を分け与えられているペリカンを横目にミコノス・タウンの深部に向かって歩を進めていると土産物屋の前には同性愛者の多い島の雰囲気を表しているかのようなセクシー系の人物像が裸で立ちはだかっていた。
海からの強い風に抗うようにさらに進んでいると白いのっぺりとした建物に遭遇した。これが絵葉書の被写体としてよく使われるパラポルティアニ教会であることを確認すると強風を利用して動力を得ているエコなファシリティが立ち並んでいる広場に到着した。
リトルヴェニスと呼ばれるこの地域は夕日の名所でおしゃれなカフェやレストランが立ち並んでいるのだが、景色の主役である6つの風車は、かつて麦を挽くのに使われていたのだが、今ではミコノス島のシンボルとして静かに観光客を見守っているのだった。
鹿児島県の与論島と姉妹島の契を結んでいるミコノス島であるが、夜は大人の遊園地として不夜城と化すと言われている。ミコノス・タウンに宿を取ると喧騒で眠れないはずなので明るさがまだ残っているうちに高台のホテルに退散してテラスを流れる潮風にあたりながら選挙後のギリシアの離島の世論に考えを巡らせていた。
6月24日(日)
サンアントニオ・サマーランド・ホテルのテラスからニューポートに停泊している大型クルーズ船を見下ろしつつ、いつかはクルーズでやって来るぜ!という闘志を掻き立てながら朝食のコーヒーを掻き回していた。
送迎バンに乗り込むタイミングを逸してしまったので徒歩で港まで歩いて行くと野菜や魚を販売する朝市がほどよい賑わいを見せていた。港の端にある船着場からディロス島行きの船が出ているので往復チケットを購入すると11:00発のツアーボートに乗り込み、しばし洋上で風を受けることにした。
キクラデス諸島は「ディロス島を囲んでいる島々」を意味するように、諸島の中心にあるディロス島は、太陽の神アポロンとその双子で月の女神アルテミスの誕生の地として知られ、古代から信仰も盛んであった。面積にして約4km2の小島であるが、島全体が世界遺産に登録されているほど遺跡の宝庫となっているのだ。
約30分程の航海でディロス島(5ユーロ)に到着すると廃墟にしか見えない小島の中を徘徊することにした。まずはこの島の主であった太陽神アポロンを祀るアポロン神殿を見学させていただいた。ペルシア戦争で勝利を収めたアテネ率いる各ポリス(都市国家)は、戦後ペルシアの次なる攻撃に備えてアテネを中心としたディロス同盟を結成し、ディロス島に本部が置かれた。アポロン神殿は同盟結成とともに建築開始され、紀元前3世紀に完成を見たという。ディロス同盟の金庫もここに置かれ、経済的な潤いを見せていたのだが、この金庫がアテネに移されるとアポロン神殿の建設は一時中断されるという憂き目も経験しているのだ。尚、今残っているのは土台の一部のみとなっている。
ディロス島のシンボルと行っても過言ではないライオン像が海側から聖域を守るように7頭並んでいる。これらは紀元前7世紀のナクソス人からの奉納品であるが、ここで海風にさらされてアザラシ化しているのはレプリカで本物は現在保護のために博物館で余生を送っているのである。
モザイクの残る柱廊や古代体育館をチラ見して枯れた水場にたどり着いた。ここは有名なギリシア神話で女神レトがお産に使ったと言われる「聖なる湖」である。そのときオギャ~と生まれやがったのが、マサに太陽神アポロンと月と狩りの女神アルテミスの双子だったのだ。
炎天下を歩き回り、体力も尽きかけた頃合いを見計らって冷房完備の博物館に入ることにした。館内には当然のことながらディロス遺跡で発掘された数多くの遺品が収蔵されているのだが、展示されているオリジナルのライオン像のアザラシ化の具合は炎天下で頑張っているレプリカと大差はないように感じられた。
13:30発のボートに乗り込むと観光客は灼熱の太陽に生気を奪われたためか、皆ボ~として過ごしており、中には嘔吐をしている輩も見受けられた。確かに船はエーゲ海の強風のために微妙な揺れ方をして気分が悪くなることもないではないのだが、船上から見るミコノス・タウンの景色はマサに白い宝石そのものであった。
マサよ、君はタベルナと言いつつも伝統的なギリシア料理をふるまっているハングリーな食堂を知っているか!?
ということで、ミコノス・タウンに上陸するといい具合に腹も減っていたのでアントニーニというタベルナに入ってトマトをふんだんに使ったミコノス・サラダとオーブンで焼かれた白身魚を食しながらのんびりとシエスタ気分を味わうことにした。尚、TAVERNAとはお腹の空いている客に意地悪をするところではなく、魚介類を中心としたギリシア料理を出す、高級レストランよりも敷居の低い不況フレンドリーな大衆食堂なのである。
腹ごなしにミコノス・タウンの白い迷路をさまよっていると地元住民御用達の店ながら地球の歩き方を掲げて邦人をおびき寄せているオリーブ・オイルというヘルスケアの専門店に遭遇した。店に入ると店主のおばちゃんが先に来店していた中国人団体観光客を差し置いて丁寧な接客をしてくれていたのだが、中国人が起死回生のゴールドカードをちらつかせながら大人買いの装いを見せはじめると私に差し向けられていた試食品のキャンディがあえなく撤収されてしまったのだった。
オリーブ・オイルで適当に油を売った後、南のバスステーションからミコノス島を代表するパラダイス・ビーチに向かった。このビーチはヌーディスト・ビーチとして有名でゲイ・カップル等の同性愛者も御用達にしているという。トロピカーナ・クラブというゲートをくぐってビーチに出るとそこはマサに♪Wind is browing from the Aegean♪のイメージそのままの妖艶な世界が広がっていたのだ。
やさしいひとに抱かれながらも強いおとこにひかれてくような気分を引きずりながらパラダイス・ビーチを後にしてミコノス・タウンに戻ってくると風車と夕日のコラボレーションが一日の終わりを告げようとする一方で涼しくなったミコノス・タウンの賑わいが佳境を迎えようとしていた。多くのショップで目移りしながらウィンドウショッピングを楽しんでいたのだが、どの店もペリカン便で購入品を日本に送ることは出来ないと思ったのでホテルに帰って羽を休めることにした。
6月25日(月)
充分リゾート気分を満喫させていただいたサンアントニオ・サマーランド・ホテルをチェックアウトし、バンでオールドポートまで送っていただくとフェリー出航までのしばしの時間をミコノス・タウンに委ねることにした。ところで、夏はサマーランドの名の通りにリゾート客で賑わうミコノス島であるが、冬場のローシーズンになると店の半分以上が閉まって与論島のような静かないなかの小さな島に変貌するという。不況下で人生の何たるかを考え直したいという輩には絶好の環境を提供することであろう。
オールドポートから大型フェリーや大型クルーズ船が入港するニューポートまでバスで移動すると14:15発Blue Star Ferriesが運行する大型のNAXOS号に乗り込んだ。高速艇ではないのでフェリーの航行速度は遅く、さらにいくつかの島を経由するために5時間半もの時間をかけてピレウス港に到着したのは午後8時前であった。
ピレウスから地下鉄でオモニア広場に移動したのだが、さんざんこのあたりの治安の悪さを刷り込まれていたため、地下鉄駅から200m程度しか離れていないポリス・グランド・ホテルまで脇目も振らずに突進した。☆☆☆☆が光っているこのホテルの最上階のテラスはバー&レストランになっており、南にアクロポリス、東にリカヴィトスの丘の夜景を堪能しながらディナーを楽しむことが出来たのだった。
6月26日(火)
ホテル前の大通りを北に400m程進んだ場所に国立考古学博物館(7ユーロ)が開館していたので、ギリシア彫刻、美術の真髄に触れるために入ってみることにした。ギリシア神話で躍動するオリンポス12神の神々や英雄たちのことを事前に学習しておけばここで過ごす時間もこの上なく有意義なものとなったであろうが、最近の日本でホットな神はAKB48の神セブンなので不動のセンターとしてオリンポス神の最高神として君臨するゼウス(ジュピター)やエーゲ海に捧ぐ美と愛欲の女神であるアフロディテ(ヴィーナス)、油断するとデーモン小暮に見えてしまう戦いの神アテナに注目しながら見学を行った。
展示品は彫刻だけではなく、キュートな土器や黄金仮面、エレクトした銅像等多岐に渡っていたので閉館時間まで博物館に入り浸り、暑さを凌ぐと同時にギリシアの歴史への理解を深めるべく勤めさせていただいた。
ギリシアツアーの最後は神殿で締めたいと思っていたので地下鉄でアテネの心臓部であるシンタグマ広場に移動し、国会議事堂に向かってこれ以上借金を重ねないように睨みをきかせた後、15本の柱がそびえているゼウス神殿に向かった。アドリアノス門のすぐ南にあるゼウス神殿はかつて計104本ものコリント式の柱が並び、それは美しく、威厳ある姿であったという。財政難にあえぐギリシアもひたむきに観光業に励んで借金を返済し、過去の威厳を取り戻してくれるように祈りを捧げながら整備された地下鉄で空港に戻っていった。
泣き叫ぶ猫をバスケットに閉じ込めて空港内を闊歩しているギャルを横目にトルコ航空カウンターでチェックインを果たすと21:50発TK1844便に搭乗し、一旦イスタンブールまで飛んだ後、ほとんど乗り継ぎ時間もないままにTK46便関空行きに乗り換えると定刻00:50には恒例のJTB旅物語のツアー客に取り囲まれてのフライトとなっていた。
6月27日(水)
午後6時頃に関西空港に到着すると2004年のアテネオリンピックの栄光は身の丈にあってね~♪若さによく似た 真昼の蜃気楼♪だったのではないかと訝りながら流れ解散。
FTBサマリー
総飛行機代 ¥115,410
総宿泊費 ¥48,440
総フェリー代 EUR162.5
総地下鉄代 EUR13.8
総バス代 EUR13.4
総タクシー代 EUR93
協力 トルコ航空、Hotels.com、agoda、Hellenic Seaways、Bluestar Ferries