FTBJがんばっているぞみちのくツアー(八甲田山・ねぶた)

マサよ、天は我々を見放した~~!!!

というわけで、映画「八甲田山」では主演の北大路欣也連隊長が日露戦争対策の雪中行軍の演習中に遭難し、断末魔の捨て台詞を残して凍ってしまったのだが、政府が日本を見放しても我々は生活をあきらめるわけにはいかないので、「がんばろう東北」を合言葉に懸命に復興に向かって進んでいる東北に訪れた夏本番の祭りの熱気を体感するためにみちのくの奥深くに戻ることにした。

2011年8月4日(木)

福島県出身の知人は多々いるが、不思議と悪い人に出会ったことがなく、宝くじの帝王西田敏行、絶好調のお調子者男中畑清が旗を振ってがんばっている姿を見守っている今日この頃であるが、福島最大の偉人であるはずの野口英世千円札は自ら義援金となって奮闘しているものの未だに被災者の手元に届かずにどこぞに滞留していると言う。

埼玉県の春日部から国道4号線に乗り、ひたすら北に向かって車を走らせ、那須塩原、白川の関を越えて福島市内に程近い二本松市のあだたら高原に入って行った。周囲には緑豊かに育っている田んぼが広がっており、この美しい日本の原風景を決して損なってはならないと思いながら今日の宿泊地である岳温泉 くぬぎ平ホテルにチェックインを果たした。

ホテルには少ない観光客だけでなく、原発から30km圏内の浪江町から避難している被災者も宿泊しており、掲示板には浪江町の最新情報がタイムリーにアップデートされているようであった。

ホテルの目の前には鏡池がひっそりとたたずんでおり、地元の老人の憩いの場所となっていた。館内には今は亡き藤田まことが八丁堀から出張してここに来た足跡を示す看板が誇らしげに掲げられており、ホテルの知名度の向上に一役買っていた。

福島テレビからは原発に関するニュースが流れ、夏休みに外に遊びに行けない子供たちに対するバックアップのイベントなどが紹介されていた。二浴目の温泉から上がるとマッサージ師がけなげに「お疲れ様でございました」と各宿泊客に対して声を掛けていたので、釣られるように足のマッサージを受けながら、福島を盛り上げる方法を無意識に考えていたのだった。

8月5日(金)

福島、宮城、岩手の3県はアナログ放送の終了時期が来年の3月迄延期になっていたので、地デジ対応していない車内のテレビを見つつ、「見たか!地デジ大使草彅!!」と思いながら北に走っていた。

福島から宮城、岩手、秋田を走りぬけ、日も暮れかかった7時過ぎに今日の目的地である青森県弘前市に到着した。さすがに大きな祭りのシーズンだけに弘前市内のホテルはどこも満室で何とかカプセルイン弘前を押さえることが出来たので付属の駐車場に車を止めて賑わう町に繰り出すこととなった。

午後7時頃から開始となったねぷた運行は大変な熱気のため、ついつい弘前アイス組合の屋台で100円アイスを買って次から次に出陣する巨大な扇形ねぷたに見入ってしまった。

各ねぷたの行列には笛吹き童子による囃子や若ギャルによる太鼓も続き、特に日頃はツッパッているはずの若ギャルはサラシを撒いて肩を露にし、ある種さらしものになっているようでもあった。芸能人水泳大会ではお約束のポロリがあるのだが、さらしはきつく巻かれている様子で決してそのような粗相がないように厳重管理されているのだ。

弘前駅前の通りには数十万人もの人が有料観覧席と持参した場所取り用のビニールシートの上に陣取り、屋台で購入した酒類やつまみで程良く出来上がった様相で目の前を通り過ぎるねぷたに歓声をおくっていた。

ねぷたの運行は3時間以上続き、本日終了のサインが出たのは午後10時を回った頃だった。徐々に撤収する祭り人や観客を尻目に近隣の居酒屋で軽飯を食った後、カプセルイン弘前にチェックインして天然温泉で一息入れるとカプセルに封じ込まれてねぷたを数えながら眠りについたのだった。

8月6日(土)

早朝カプセルから離脱すると喧騒の夢の跡が生々しい弘前市街を後にして酸ヶ湯温泉に向かった。日本百名山に数えられる八甲田山に登頂するモデルコースとして酸ヶ湯温泉からの登山ルートが最もメジャーなので早速酸ヶ湯公共駐車場に車を止めて北大路欣也の足跡を追ってみることにした。

酸ヶ湯温泉から八甲田山最高峰の大岳頂上へは約4.2kmの道のりとなっている。黄色スズメバチが発する重低音のブーン音をバックグランドミュージックに軽い硫黄臭の漂うブナとアオモリトドマツの生い茂る森の中を汗をしたたらせながらひたむきに登山道を登っていた。

しばらくすると緑のジャングルから視界が開け、瓦礫が崩落した名残や大岳の稜線が姿を現した。日露戦争時には整備されてなかったであろう木道を通り、爆裂火口に水がたまった鏡沼で一息入れると最後の急坂を一気に登って行った。

標高1,584.6mの八甲田大岳山頂はすでに数多くの登山者で賑わっており、ラブリーな山ガールを含む長崎や広島の高校の山岳部員や山ガールから年を重ねて山姥になってまで登山に挑んでいるけなげな中高年の女性達もお約束の食い物を食いながら周囲の絶景に見入っていた。

あまりの景色の良さとさわやかさに「北大路よ、夏に来い!」と思いながら下山の時間を迎えてしまった。下山道は登りのコースとは異なり、八甲田大岳、井戸岳、赤倉岳から構成される北八甲田連峰の絶景を眺めながら終始下りの道をのんびりと終点の酸ヶ湯温泉まで下って行った。

過酷な八甲田の登山により、体内から溶出した汗がアルカリ化し、酸による中和が必要だったので国民保養温泉酸ヶ湯に浸かることにした。風光明媚な山の一軒宿として、昔ながらの清純、素朴な風情を残している酸ヶ湯温泉は総ヒバ造りの混浴「千人風呂」が楽しめるとのことなので「混浴を守る会」三ヶ条を胸に刻みながら入浴させていただくことにした。ちなみにその三ヶ条とは次の通りである。

第一条 男性入浴者は女性入浴者を好奇の目で見るべからず、第二条 女性入浴者は男性入浴者を好奇の目で見るべからず、第三条 混浴は老若男女を問わず和を尊び大らかで豊かな入浴の姿を最高と為すべし。

ということで、何秒までなら異性の入浴者を見てよいのかわからないまま¥600を支払って「千人風呂」に突入することとなった。混浴と言えども脱衣所は男女別々になっており、しかも酸性の硫黄湯を満々と湛えた広い湯船は立て札により、男のエリアと女のエリアに分かれており、入浴者の多い男のエリアのみが芋を洗う状態となっていた。このような環境であっても心もとない小さいタオルを巻いて果敢に混浴に入ってくるけなげなギャルも実在し、芸能人水泳大会よりもポロリの危険性が高いことを物ともせず、大らかで豊かな入浴の姿を最高と為していたのだった。

シャンプーや石鹸を使うことが出来ないにもかかわらず、酸で汚れた体を溶かし清めることが出来たので、風呂上りに周囲の地獄沼や「まんじゅうふかし」なる温泉系の環境をちら見して酸ヶ湯から撤収し、十和田湖畔の民宿まで引き上げることにした。

8月7日(日)

早朝十和田湖畔の民宿を後にすると、十和田湖畔子ノ口から焼山までの約14kmの奥入瀬川の渓流であり、その自然美から高木美保を正統派から農業女優に転じさせた奥入瀬渓流を軽く散策することにした。

十和田湖から水が流れ出す子ノ口は東北電力八戸技術センターが仕切っている制水門により水量が管理されているため、ある種人工的な印象を受けなくもないが、渓谷沿いの遊歩道は「瀑布街道」と呼ばれているように点在するいくつもの滝により絶え間なくマイナスイオンが供給されている。魚止めの滝と言われる高さ7m、幅20mの銚子大滝はほぼ垂直に切り立っているため、たとえ田中邦衛を顎で使う自然派老人俳優の大滝秀治の後押しがあっても魚が遡上出来ないため、十和田湖にはかつて魚がまったく住んでなかったと言われているのだ。

休憩所のある石ヶ戸の駐車場に車を停め、渓流を遡っていると次から次に絵画のような風景が姿を現し、今では那須塩原の農場管理のために放射線量計が手放せなくなっているはずの高木美保の人生観が変わったのもうなずける気がするのだ。

国道102号線、渓流沿いに爆音を轟かせて25mの落差を流れ落ちる雲井の滝の滝壺に近づくとひんやりした冷気を浴びせかけられるので、気温30℃以上の猛暑の中で散策を続けて火照った体を冷やし、奥入瀬を後にした。

奥入瀬から青森市内に向かう道すがら、ねぶた祭の体験施設であり、青森大型ねぶた10台が躍動する青森自然公園ねぶたの里が通常¥630の入館料をねぶた開催期間中は無料開放されていたので入ってみることにした。

ねぶたの里で何故か映画八甲田山のポスターと当時ロケで使われていたはずの雪上車が展示されていたので、この映画の重要性をあらためて認識させられ、マサであればすぐにTカードを握り締めて最寄のTSUTAYAへ急行し、DVDをポイントでレンタルしなければなるまいなと思われた。

とりあえずねぶた観音にお参りし、展示されている10台の名作ねぶたに敬意を表し、さらにねぶたを1台作成する費用は¥500~600万で祭りでの運行費用を含めると毎年1台あたりのねぶたに¥1500万くらいの大金がつぎ込まれる実態に東北の底力を感じた。

ねぶた会館内では青森ねぶた運行体験ショーが行われており、参加者は大型ねぶたを曳いたり、跳人(ハネト)体験でいい汗を流していた。尚、昨今の少子化により日本最大級のねぶた祭りであってもハネトの数が不足しており、助っ人が必要となるのだが、通常であれば祭りの主催者がバイト料を払って助っ人ハネトを雇うところを青森ねぶたでは参加者から¥5,000を徴収してハネトという重労働をさせるという恐るべきビジネスモデルが確立されていることに戦慄を覚えた。

ねぶたの里でねぶた祭りの疑似体験と予行演習をすることが出来たのでラセラー ラセラーとラセりながら決戦の地青森市内に満を持して乗り込んでいった。ねぶたシーズンの青森市内のホテルはどこも満室で何とか最終日の日曜日にしけこむことが出来た東横イン青森駅前にチェックインするとねぶた運行のための交通規制が敷かれている繁華街に繰り出すことにした。

時刻は午後3時を過ぎた頃で最終日の昼間運行が丁度終わった頃で出陣したねぶたはパトカーに見守られながら撤収しているところだった。今夜は花火大会とねぶた海上運行を控えているのでとりあえず広大な会場の下見だけはしておくことにした。各所に設けられた有料観覧席のエリアには警備員が立ち塞がり、チケットを持たない者は何人たりとも入れないという厳格な警備体制が敷かれていた。青森港には相棒のチャゲを足蹴にしているはずの豪華客船「飛鳥II」がねぶたへの大量観客動員を誇っているかのように繋留されていた。

ホテルの窓から夕日が沈むのを確認するとねぶたの千秋楽が花火で彩られる光景を復興への祈りを込めて見に行くことにした。会場となっている青森港は数十万人の観客で溢れており、ねぶたを収納するドックには様々な種類の大型人形ねぶたに灯りが入っていた。さすがに莫大な費用がかかる東北最大の祭典だけに参加している団体は日立連合、パナソニック、自衛隊等、蒼々たる法人格であった。中でも東北電力ねぶた愛好会は、内蔵した発電機をフル回転させて東北に大規模停電が起ころうともねぶたの灯は消せね~ぜという気迫を漲らせていた。

7時15分から始まった約8,000発の花火は祭りのフィナーレを飾り、青森の空を明るく盛大に照らしていた。海上運行を許されるねぶたは2011受賞ねぶたの秀逸な作品ばかりでラセラーの掛け声と囃子の音を響かせながら港内の決められたコースをボートに引かれ、メガホンからは何気でJR東日本やヤマト運輸の宣伝が繰り返されていたのだった。

8月8日(月)

ねぶたの残留熱気でよく眠れなかったせいかねぶたい目をこすりながら青森市内を後にした。弘前市に程近い南津軽郡田舎館村に驚くべき田んぼが見頃を迎えているということだったので見学させていただくことにした。

日本が世界に誇る稲作を芸術の域にまで高めた田んぼアートは平成5年に始まり、今年は竹取物語が描かれているということなので田舎館村役場に隣接する文化会館の展望台(天守閣)に開門の9時前に到着したのだが、すでにねぶたから流れてきたであろう中高年の輩が長蛇の列を作っていた。

かぐや姫を立ち上げて解散させた南こうせつとはゆかりのないはずの役所のおやじが律儀に開門時間を守っていたので炎天下の中数十分待たされることとなった。開門後、稲作振興のためにいくばくかの小銭を寄付してエレベーターの順番待ちの老人を尻目に階段で6階の展望台まで一気に駆け上がって行った。天守閣から見下ろす田んぼは色の違う稲により見事に配色されたかぐや姫と南こうせつの将来を暗示するじいさんががんばろう日本とともに相手の気持ちを考えようとしていた。

次から次に押し寄せる観客のためにそそくさと天守閣から下ろされると720km先の自宅への帰路についた。途中盛岡の焼肉屋で名物の冷麺を食ったのだが、何故かスイカが麺の上にセットされていた。今回は災害支援の車両に配慮して高速を使わずに往復したのだが、帰路はわずか16時間しかかからなかったのだ。

FTBサマリー

総宿泊費 ¥18,900(2食付)、¥9,760

総ガソリン代 ¥17,260

協力 楽天トラベル

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