前略 マサよ、電力不足の中、酷暑が続いておりますが、君はいかがおすごしだ!?
ということで、WEB検索でFukuda Travelと入力すると100万以上の検索結果の中でFTBがトップに表示されるほどメジャーになった今日この頃だが、この状況に慢心することなく厳しい夏を乗り越える体力を身に付けるために日本有数の厳格管理された名門避暑観光地として有名な上高地で極秘トレーニングが実施されることとなった。
2011年7月23日(土)
諏訪湖の湖畔に上諏訪温泉RAKO華乃井ホテルという大手リゾートホテルが楽天トラベルを通じてお得なプランを売り出していたのでここに前泊すると諏訪湖に大量発生するユスリカの来襲に脅えながら、上高地散策のイメージトレーニングに勤しんでいた。
7月24日(日)
早朝より当地の名門諏訪大社に旅の安全の祈願に行ってきたのだが、さすがに温泉が懇々と沸く地域の神社だけあり、手水を排出する龍の口から源泉かけ流しであるはずの御神湯がとめどなくあふれ出していた。
諏訪大社を退社すると甲州街道との異名をとる国道20号線の終点から19号線に移行して松本に向かった。松本から国道158号線を西に30km程走ると大雨でがけ崩れを起こし、片側通行の工事が続いている山岳地帯に突入した。上高地と高山方面の分かれ道に差し掛かると「上高地マイカー前面通行止め」のサインを目にすることになるのだが、ま~いっかと言いながら交通規制に逆らって侵入することは決して許されないのだ。通常マイカーで上高地を訪れる観光客は沢渡温泉の駐車場に車を預けてシャトルバスで上高地に入るのだが、私は明日宿泊予定の中の湯温泉旅館に先取り駐車して中の湯温泉バス停からアルピコ交通が運行するハイブリッド低公害バスに乗り込んだ。
バスは上高地への入口となっている釜トンネルを抜けると、途中多くの観光バスの路方駐車により行く手を阻まれながらも何とか終点の上高地バスターミナルに到着を果たした。マイカーを規制しているとは言え、バスターミナル地区の駐車場はおびただしい数のバスやタクシーで溢れかえっており、名門観光地としての上高地の集客力をマザマザと見せ付けられたような気がした。
特別名勝 特別天然記念物の上高地は標高1500mの高地であるが、穂高連峰、焼岳、六百山、長塀山などの高山に取り囲まれた盆地で、その中心を明神池、田代池、大正池をつらねて梓みちよより清らかな梓川が流れている。
とりあえず、上高地ビジターセンターで上高地の何たるかを学習した後、かっぱにチップを払わなければ用を足せないかっぱトイレをスルーして上高地の心臓部とも言うべき河童橋から雲に覆われた穂高連峰を見上げて梓みちよと♪二人ででお酒を♪飲みたい衝動に駆られることにした。当然飲むべきお酒は♪黄~桜ぁ~♪でなければならない。
上高地にはニホンザル、ニホンカモシカ、ニホンオコジョ等の猛獣が生息しているのだが、散策中にツキノワグマに遭遇した際には解散した狩人にあずさ2号に乗ってレスキューに馳せ参じさせ、猟友会を従えて文字通りの狩人をやらせようと考えながら梓川沿いを奥地に向かって歩き出した。
上高地国有林にはところどころ珍しい形をした木も生えており、それらを愛でながら3km程歩くと明神地区に到着した。さらに3km以上歩いて到達した奥上高地の徳沢地区は北アルプスの登山基地として賑わっており、高級そうなロッジやキャンプ場に集う登山客が咲き誇る高山植物に囲まれて疲れた肉体を癒していた。
高地トレーニングの効果を上げるために早足で明神地区に戻り、日本アルプスの総鎮守である穂高神社奥宮に参拝し、引き続き明神池(¥300)を見物することにした。針葉樹林に囲まれ、荘厳な雰囲気を漂わせる明神池は穂高神社の神域であり、一之池と二之池から形成される景観はマサに神が降臨する神降地の異名にふさわしいものであった。
明神池から河童橋への復路は往路とは逆のコースの梓川対岸の森林地帯を歩いて見ることにした。湿地帯の遊歩道には木道が敷設されており、鳥のさえずりや川の流れる音を聞きながら快適な森林浴が出来る環境となっている。
上高地の銀座とも言える河童橋周辺には多くの宿泊施設が軒を連ねており、今回は比較的高級そうなホテル白樺荘に投宿することとなった。今日一日で15km程歩き、程良いトレーニングになったので、大浴場で筋肉をほぐした後、梓川に生息する岩魚に舌鼓を打ちながら今日の疲れをさらりと水にすべて流すことが出来たのだった。
7月25日(月)
ホテル白樺荘をチェックアウトし、20℃そこそこの涼しい気候の中、河童橋近辺のペンチに佇んで1時間程読書に勤しんで教養を養っていた。目の前の売店の上高地ソフトの看板に目を取られてしまったのでついつい¥350支払って買い食いし、エネルギーを注入すると上高地の残りの地区を散策することにした。
梓川の測量を行っている作業員や岩盤浴効果が得られない川沿いで横たわっている老人群を横目に歩いているとウエストン碑に辿り着いた。英人教師ウォルター・ウエストンは明治21年から28年までの日本滞在中に槍ヶ岳や穂高の山々を練り歩き、日本に近代的な登山意識をもたらし、日本山岳会結成のきっかけを作ったばかりか、上高地を世界に紹介し、エコトラベル界のスターダムに押し上げたという輝かしい実績を持つ偉人である。
上高地を世界に冠たる上流観光地に押し上げている要因として帝国ホテルの存在がある。早速その帝国の内部がどのように統治されているのかを確認するために侵入したのだが、帝国の逆襲を恐れてそそくさと退散した。
品のいい制服を着た従業員に征服されている帝国の逆襲を逃れて森林を彷徨っていると六百山や霞沢岳などから砂礫層を通って湧き出て来る伏流水に養われている田代池に流れ着いた。さらに梓川沿いに下っていると多くの人民が帝国に向かっているかのように押し寄せて来たので人ごみを避けながら歩いていた。
大正池という上高地最大の池まで逃れてきたのだが、これは正面の焼岳(やけだけ)が大正4年にヤケを起こしたかのように大噴火した際に梓川をせき止めて作った池であるが、その後東京電力という帝国のカモにされ、発電用の貯水池として都市部に電力を貢がされている様子が見て取れた。
午後から雨が降ってきたので徒歩で上高地を離脱し、歩くと以外に長い釜トンネルを抜け、さらに安房峠の急坂を3km程上り、7号カーブに位置する大自然の中の一軒宿である中の湯温泉旅館に投宿した。
日本秘湯を守る会会員となっている中の湯温泉旅館は山あいの湯の歴史を受け継ぎながら、身も心も大自然に溶け込む宿とのふれこみだったので露天風呂を占拠して冷えた体を温めながらのんびりと秘湯を味わうことにした。
7月26日(火)
上高地トレーニングの締めくくりとして、北アルプス唯一の活火山で、主に明治末期と大正初期に活発に活動した焼岳に登頂することとなった。標高2,455mを誇る焼岳は日本百名山のひとつに数えられており、中の湯温泉旅館から登山道が開けているので、午前8時過ぎに宿を引き払って緑のジャングルに突入することとなった。
雨を含んだ登山道は足場が悪く、急な斜面で滑って負傷しないように慎重に歩を進めていた。行く手には所々がけ崩れを起こした箇所や倒木が見受けられ、過酷な自然環境を思い知りながら標高差約800mの登山が続けられた。
標高2,300mの地点はすでに森林限界となっており、この辺りからゴツゴツした岩場を進むことになり、上を見上げると岩の斜面から硫黄臭を伴った煙がもくもくと沸き立っていた。
3時間弱で登頂可能な北峰頂上2,399mに辿り着き、ここから眼下に広がる上高地の全景を見渡して恍惚感に浸るつもりであったが、あいにくのモヤのため、頂上で確認出来た光景はむなしい一羽のカラスのみであった。
焼岳頂上でのモヤモヤした気分をカラスにぶつけてヤケを起こすことなく、速やかに下山の決断が下された。雨で滑りやすい登山路面状態になっているため、下山時には登りよりさらに気を使いながら歩を進めた。2時間以上かけて中の湯温泉旅館エリアに戻ってきたときに私を迎えてくれた代物は冬季の迎客さえも可能にする自家用除雪車のみであったので、むなしく高地トレーニングを打ち上げとさせていただき、撤収となったのだった。
FTBサマリー
総宿泊費 ¥4,980、¥28,000(2食付)
総ガソリン代 ¥6,067
総高速代 ¥900
総バス代 ¥750
協力 アルピコ交通、楽天トラベル